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【講演】金利のある世界一橋大学政策フォーラム「金利のある世界」における講演

日本銀行副総裁 氷見野 良三
2025年1月30日

1.はじめに

日本銀行の氷見野です。わたしからは「金利のある世界」を論じる際の視点を3点ほど、問題提起のような形で申し上げさせていただければと存じます。

2.どのような「金利のある世界」を目指すのか?

第一は、どのような「金利のある世界」を目指すのか、それをどうやって実現するのか、という問題です。

「金利のある世界」と「金利のない世界」の違いは、単に金利のありなしだけではありません。また「金利のある世界」の姿にもいろいろなものが考えられます。何が原因となって、どういうスピードで金利のある世界に移行するのかについても、さまざまなパターンがありえます。

この問題を考える準備として、まず、政策金利の水準について、きわめて概念的ですが、整理を試みてみたいと思います(図表1)。まず、経済への影響が大きいのは名目政策金利から予想インフレ率を差し引いた実質政策金利の水準だといたしますと、中央銀行は実質政策金利が適切な水準となるように名目政策金利を設定している、と考えることができます。

適切な実質政策金利の水準は何かといえば、中立的な実質金利の水準である自然利子率を出発点に、それを、金融政策をどの程度緊縮的ないし緩和的に運営したいかの政策スタンスによって調整した水準、と考えられます。政策スタンスは、物価安定をマンデートとする中央銀行の場合、インフレ率が物価安定の目標に沿ったものとなるように定めることになります。

政策スタンスを具体的にどう判断するかには、いろいろ考え方がありうるところですが、一例としては、足元のインフレ率や中長期の予想インフレ率が目標とどの程度乖離しているかをみて、更に、その乖離が今後どう変化していくと見込まれるか、経済のスラックやボトルネックの状況、外的なショックの影響の持続性、さらには各種構造要因などをもとに考えて、それで判断する、というアプローチが考えられます。

特に、予想インフレ率が2%にアンカーされている国では、アンカーが外れるリスクはどうか、アンカーされていない国では、2%にどうアンカーするか、が重要な視点になる、と思います。

これらの点を一言でいえば、「物価の基調に関する判断をもとに政策スタンスを定める」ということになろうと思います。

以上、政策金利の水準に関する概念的な整理の一例を申し上げましたが、ここで言及した諸要素のうち、足元のインフレ率・名目政策金利・物価安定目標以外は、いずれも直接的には観察できません。予想インフレ率も、そのアンカーされ度合いも、自然利子率も、経済のスラックやボトルネックの状況も、外的ショックの影響の持続性も、各種構造要因も、さまざまな仮定を置いて、さまざまなデータを複雑に加工して推計ないし評価するしかないものです。

したがって、こうした枠組みで考えることが本当に望ましい結果を招くのかどうか、あるいは、現実の政策運営がこうした枠組みに沿ったものとなっているかどうかを、現実のデータできちんと検証することは容易ではありません。また、実際に観察されるインフレ率と政策判断の間に多くの直接観察されない要素が介在するため、コミュニケーション手段としても分かりにくいものとなっていることは否定できないように思います。

ただ、より単純な政策ルール、例えばテイラー・ルールにしても、自然利子率や需給ギャップといった直接観察できない要素が中核にあることにはかわりがありません。また、多くの中央銀行は単純なルールをそのまま適用するようなことはしていません。むしろ、概念的には何らかの形で以上の整理に類した枠組みを前提に議論がなされている場合が多いのではないかと思います。

こうした整理を前提とすると、たとえば、2022年に米国が一気に急激な金融引き締めを行い、「金利の高い世界」に突入したことについては、以下のように解釈することが可能ではないかと思います(図表2)。すなわち、予想インフレ率はもともと2%にアンカーされていた。しかし、資源価格の高騰などを受けた急激なインフレと、コロナからの経済の回復や財政出動に伴う需給のタイト化が起こった。そのため、将来的に中長期の予想インフレ率が2%より上方に乖離していくリスクが大きくなった。それで、政策スタンスを緊縮的にした、という解釈です。実際、米国はこうした対応により、中長期の予想インフレ率のアンカーが外れるリスクをうまく封じ込めたと思います。

他方、日本で起こってきたことは、米国とは似て非なるものだったと思います。すなわち、予想インフレ率が2%をはっきり下回った状態から徐々に2%に近づいていき、経済のスラックも少しずつ縮小していく中で、政策スタンスも金融緩和度合いを少しずつ調整してきた、というプロセスだったといえると思います。

こちらの方向での理想像を考えてみますと、企業が投資や研究開発に取り組み、勤労者もスキルを積み重ね、経済が成長し、成長の果実が賃金や企業収益となり、それが消費や投資に繋がっていく、という成長と分配の好循環が進み、緩やかな物価上昇が定着していく中で、自然な形でゆっくりと「金利のある世界」に入っていく、という姿となろうかと思います。

こうした場合の「金利のある世界」は、金利があるというだけではなくて、成長のある世界、賃上げのある世界、一つひとつの商品の価格が凍り付いていない世界、積極的な投資が行われ、生産性も改善していく世界でもある、ということになろうかと思います。また、このように企業行動などに定着していた硬直性が解きほぐされることで、もしかすると自然利子率も少し上昇していくかもしれないとも思います。

経団連は「金利のある世界」に関して会員企業にアンケート調査を行い、その結果を昨年12月に公表しています(図表3)。それによれば、「金利のある世界」についてポジティブな印象を有する企業は約7割、ネガティブな印象を有する企業は約3割だったとのことです。ポジティブと答えた企業が挙げた理由としては、「それが本来あるべき経済環境だから」とか「景気が良い状態を指すものだから」という答が多かったとのことです。また、「金利のある世界で企業に求められる経営は何か」という問いかけに対しては、「高付加価値商品・サービスの提供」との回答が突出して多かったとのことです。そうした回答をされた企業がイメージされている姿は、先ほど述べました理想像に近いのではないかと思います。

わたしどもが日本銀行で目指しているのもそうした姿ですし、これまでのところ、徐々にそのような姿に近づいていっているように思います。

日本銀行は、先週の金融政策決定会合で、0.5%への利上げを決定いたしました(図表4)。利上げ後も実質金利は大幅なマイナスが続き、緩和的な金融環境は維持されるため、引き続き経済活動をしっかりサポートしていくと考えております。また、今後については、先行きの経済・物価・金融情勢次第ですが、経済・物価について私どもが有している見通しが実現していくとすれば、それに応じて政策金利を引き上げ、金融緩和の度合いを調整していくことになると考えております。良い道筋をたどれる可能性をできるだけ高くできるよう、適切な政策運営に努めて参りたいと考えております。

ポジティブな「金利のある世界」にたどり着くためには、今後どのように歩んでいったらいいのか。気をつけるべき点は何か。金融政策としてはどうか。企業・家計・政府の取り組みの面ではどうか。これらが先生方のご意見をお聞きしたい一つ目の点です。

3.「実質金利のある世界」は来るのか?

第二は、「実質金利のある世界」は来るのか、です1。我々は、「名目金利のある世界」には入りつつありますが、「実質金利のある世界」には距離があります(図表5)。

名目金利がマイナス、という状態、すなわち、「日銀にお金を預けると、タンス預金よりも損になる」という状態は去年の3月に解消しましたが、「お金を貸したり預けたりしても、物価の上昇分を考えると目減りしてしまう」という実質金利マイナスの状態は続いています。

実質金利がマイナス、ということは、「事業の実質価値が今後少しずつ毀損していくプロジェクトに、借金をして投資しても見合う」ということを意味します。

そんな実質金利マイナスの状態がずっと続きうるものでしょうか。FRB議長を務め、ノーベル賞も受賞したバーナンキ氏は、MITの大学院生だったときに、第2回ノーベル経済学賞の受賞者である恩師のサミュエルソンから、そんなことはありえない、と教わったそうです2。サミュエルソンは、「実質金利がずっとマイナスであり続けるのなら、ほとんどどんな投資だって収益性があることになってしまう」といっていた、「たとえば、マイナスの実質金利の下では、山越えの燃料費のわずかな節約のためにでも、ロッキー山脈を平らにした方が良いことになる」といっていた、というのです。確かに、小さなキャッシュフローでも、それが無限に続くとすれば、マイナスの実質金利の下では計算上は現在価値が無限大になります。

この話にはなかなか考えさせられるところがあるように思います。サミュエルソンの議論には、米国経済の繁栄が永遠に続くと信じられていた時代のにおいがします。サミュエルソンが現在の日本にやってきて同じことを言えば、学生からはすぐにこう言い返されてしまうのではないでしょうか。「サミュエルソン先生、ロッキー山脈を越える交通量が今後減り続ける場合には、先生の反例は成り立たないのではありませんか。したがって、日本のように労働力人口の減少がずっと続くと見込まれていて、いずれは経済規模も縮小に転じると見込まれる経済では、実質金利がずっとマイナスであり続けることもありえないわけではない、ということになりませんか」と。

しかし、わたしとしては、そうした学生に対しては次のように言い返してみたいと思います。「労働力人口の減少が必ずしも経済規模の縮小につながるわけではない。日本では、バブル崩壊後のいわゆる過剰雇用の解消が済んだあとは、労働力人口が減少するのに総労働時間は維持され、実質GDPは伸び続けている(図表6)。日本は実質でプラスの成長を続けてきたし、今後も続けるだろう。個別には減る活動も増える活動もあるだろうが、経済活動全体としては大きくなっていくわけだから、『実質金利のマイナスがずっと続くことはない』というサミュエルソンの議論は、日本についても成り立ちうるのではないか」と、こう言い返したいと思います。

この返事の是非は、「今後もプラスの成長を続けるだろう」という見通しにかかっています。わたしは続けることは可能ではないかと思っております。

昔話になって恐縮ですが、私は1985年から1987年にかけて米国のビジネススクールに留学していました。ある授業で先生が学生に、米国の工場のビデオを見せたあとで、日本の工作機械工場のビデオを見せてくれたことがありました。ロボットがロボットを作り、ロボットの修理までロボットがこなしている様子に、米国人の同級生たちが衝撃を受けていたのを覚えています。「日本にはもうこんなに引き離されてしまっているのか。こんな超先進国といったいどう戦えばいいのか」という、驚きと諦めのまじったような反応だったと思います。

当時、全世界の産業用ロボットの3分の2は日本で稼働していましたが、2020年には12%にまで落ちました3。AI、自動運転、ドローンの活用などでは、日本はまだ世界の先端にはいないと思います。逆に言えば、人口減少・人手不足の中でも経済規模を拡大し続けていくためにできることはきっとあるはずだろうと思います。

経済をマイナスのショックが襲っているような状態や、デフレ的なさまざまな諸要因が強固に残っている状態では、実質金利がマイナスになるということは必要でもあり、不正常でもないだろうと思います。日本についていえば、世界金融危機やコロナ禍などの外的ショックが襲っていた時期や、バブル崩壊後の過剰債務・過剰設備・過剰雇用やそれを受けた慎重な企業行動が残っていた時代はそれにあたると思います。また、今後、人口減少を打ち返せない時代がくるとすれば、その時代も同じかもしれません。しかし、ショックやデフレ的な諸要因が解消された状態であれば、実質金利がはっきりとマイナスの状態がずっと続く、というのは、普通の姿とはいえないのではないかと思います。

もっとも、経済に中立的な実質金利の水準は、人口動態だけではなく、さまざまな要因に影響されるといわれています。また、その推計値を巡っては、データや手法によって大きな不確実性があることが指摘されています。本行スタッフによる推計でも、手法により結果にかなりのばらつきがあります。推計値のうち、マイナス1%前後の値は過去の強い緩和時期のデータに引きずられすぎているのではないか、という見方もありますが、他方、ゼロ近傍の値の方が正しいのであれば、実質金利がはっきりとしたマイナスにある中で、需給ギャップの推計値がなぜ目立って改善していないのか、という疑問もあります。

このあたりの問題をどう考えたらいいのか。将来的に「実質金利のある世界」の到来をどの程度意識しうるものなのか。先生方のご意見をお聞きしたい二つ目の点です。

  1. この問題に関しては、氷見野良三「最近の金融経済情勢と金融政策運営─神奈川県金融経済懇談会における挨拶─」2025年1月、でも論じました。
  2. Ben Bernanke, "Why are interest rates so low, part 2:Secular stagnation" Brookings commentary, March 2015
  3. 国立研究開発法人科学技術振興機構研究開発戦略センター「研究開発の俯瞰報告書:システム・情報科学技術分野」2024年

4.バランスシートの変化の影響は?

第三は、かつての「名目金利があった時代」に比べると、企業や家計のバランスシートの姿は大きく変化しているが、そのことは今回の「名目金利のある世界」で生じることにどう影響するのだろうか、という疑問です。

この点については、まず、日本より先行して金利を引き上げたアメリカの例を見てみたいと思います。IMFが7月に公表した対米審査報告書に興味深い分析がありました4。米国は2022年に金利を大きく引き上げたわけですが、その前のコロナ期に、米国の企業と家計は変動金利の借入れを固定金利に借り換え、低い借入れ金利をロックインしました。住宅ローンの95%は低利の固定金利となり、社債の平均満期期間も長くなりました。

また、同じ時期に、企業も家計も満期の短い保有金融資産を増やしました。家計の持つ銀行預金やMMFはGDPの3%分近くも増え、また、企業もGDPの2.3%分に相当する額の銀行預金やMMFを更に持つようになりました。

その結果、過去の利上げ局面では企業の利払いがネットで増えたのに、今次利上げ局面ではむしろ3、4割かた減ったといいます(図表7)。また、家計も、自動車ローンやカードローンの利払いは増えたものの、全体としてみればネットの利払いの増加はわずかにとどまった、というのです。

もちろん、今後、借換えなどに伴って影響が遅れて表れてくる可能性はあると思いますが、IMFによれば、企業と家計において「負債の長期固定金利化」と「保有短期金融資産の増加」というバランスシートの変化が進んだ結果、これまでのところ家計消費や設備投資に対する利上げの影響はずいぶん抑制された、というのです。

日本でも、企業や家計のバランスシートは大きく変化しています(図表8)。

たとえば、企業セクターについていえば、無借金企業や実質無借金企業の比率が大幅に上昇しました。実質無借金企業の比率は、1999年には25%でしたが、2021年には46%に達しています。また、企業の変動金利借入の比率は低下し、借入期間は長期化しています。

家計の保有金融資産は、1990年度には1,000兆円でしたが、足元では2,200兆円と、この間に1,200兆円増加しています。他方、金融負債は、90年度の340兆円が足元では390兆円と、50兆円の増加にとどまっています。なお、金融負債のうち、住宅ローンでは、米国とは異なり、変動金利型の比率が上昇しています。

こうした変化の結果、日本でも、かつての「名目金利があった世界」と、今回の「名目金利のある世界」では、いろいろ違いが生じてくるのではないかと思います。

  1. 4 International Monetary Fund, United States - Staff Report for the 2024 Article IV Consultation, July 1, 2024

5.おわりに

以上、3つの点について問いかけをさせていただきました。第一に、「金利のある世界」といっても多様なものがありうるが、良いゴールにたどり着くためにはどのような道筋を辿っていけばいいのだろうか。第二に、「名目金利のある世界」には向かっているとして、では「実質金利のある世界」にも向かっていくと考えていいのかどうか。第三に、企業や家計のバランスシートの変化が、「名目金利のある世界」の姿にどのような違いをもたらすのか。

本日はわたしからは問題を投げかけるだけになってしまいましたが、これから我が国を代表する論客の方々がご登壇されますので、わたしの疑問にもきっとヒントをいただけるのではないかと期待しております。

ご清聴ありがとうございました。