【挨拶】わが国の経済・物価情勢と金融政策群馬県金融経済懇談会における挨拶要旨
日本銀行政策委員会審議委員 中川 順子
2025年4月17日
1.はじめに
日本銀行の中川です。本日は、群馬県の行政および金融・経済界を代表される皆様との懇談の機会を賜りまして、誠にありがとうございます。皆様には日頃より、前橋支店の円滑な業務運営に多大なご協力を頂いておりますこと、この場をお借りして御礼申し上げます。
本日は、最初に私から、経済・物価の現状と先行き、日本銀行の金融政策運営などについてご説明させて頂き、その後、皆様から当地の実情に即したお話や、日本銀行の政策・業務運営に対するご意見をお伺いできればと存じます。
2.経済・物価の現状
(1)海外経済の現状
はじめに、海外経済の現状について確認します(図表1)。3月の時点での企業のグローバルな景況感は、製造業では、改善・悪化の分岐点である50程度、サービス業では引き続き改善しています。IMFの成長率の見通しは、1月時点では、2025年、2026年ともに3%台前半で、これは、概ね1980年以降の平均的な成長率と同じ程度です。こちらは、今月に四半期毎のアップデートを控えており、各国の通商政策やその影響を受けた海外の経済・物価動向を巡るシナリオが注目されます。
(2)国内経済の現状
国内経済の現状についてご説明します。わが国経済は、一部に弱めの動きもみられますが、緩やかに回復していると評価しています。後ほどお話しします通り、各国の通商政策やその影響を受けた海外の経済・物価動向を巡り、先行きの不確実性が高い状況にあることには留意する必要があります。
企業部門と家計部門に分けて説明させて頂きます。
企業部門
企業部門です(図表2)。企業収益は、全体として改善傾向にあります。法人企業統計の2024年10から12月期の全産業全規模ベースの経常利益は、比較可能な1985年4から6月期以降で最高の水準となっています。これは、価格転嫁の進展に加え、期中の円安進行に伴う営業外収益の増加の影響によるものです。企業の業況感も、日本銀行の3月短観の結果では、良好な水準を維持しています。原材料価格・仕入価格上昇の影響や、人手不足や人件費上昇の影響などもみられましたが、好調な設備投資関連需要や、堅調な個人消費などに支えられ、製造業・非製造業ともに業況感は良好な水準を維持しています。
次に設備投資です(図表3)。設備投資は、企業収益が改善するもとで、国内でのデジタル化・省力化関連投資などに牽引されて、緩やかな増加傾向が続いています。機械投資である資本財総供給は、海外需要の鈍化が更新投資の下押し要因となっていますが、IT関連需要の回復が続くもとで増加しています。建設投資では、建設工事出来高は、建設資材高や人手不足などを背景に投資が後ずれする動きもあり、横ばい圏内の動きとなっていますが、先行指標は、物流施設の建設や都市再開発案件、工場の新設などが引き続きみられ、高めの水準で推移しています。3月短観における2024年度の設備投資の着地見込みは、前年比+8.2%と高めの水準であり、続く2025年度の計画についても、前年比+2.7%と、期首直前の3月時点としては過去の平均対比でみて高めの増加計画となっています。
次に、鉱工業生産と輸出入は、概ね横ばい圏内の動きと評価しています(図表4)。鉱工業生産の直近の動きは、昨年10から12月期は、その前期中にあった台風による自動車メーカーでの工場稼働停止の反動や半導体製造装置の案件集中を受けて増加しましたが、その後は、半導体製造装置の案件集中の反動などを受けて幾分減少しています。
実質輸出について、地域別・財別にみます(図表5)。いずれも2月までのデータですが、地域別では、米国向けは、港湾労働者のストライキの影響が解消するもとで増加し、高めの水準で推移しています。一部に関税引き上げ前の駆け込みの影響があるとの見方もあります。一方、欧州向けは、資本財を中心に弱めの動きとなっています。中国向けは、中国経済の減速を背景に弱めの動きとなっています。NIEs・ASEAN等向けは、半導体関連財を中心に増加しています。財別では、自動車関連は、米国での港湾ストライキの影響が解消したことで増加しており、資本財は、半導体製造装置が高めの水準で推移しています。情報関連は、堅調に推移していますが、化学製品等の中間財は、アジアを中心とした供給過剰感などを受けて低めの水準で推移しています。
家計部門
続いて、家計部門について、個人消費と雇用・所得環境を中心にお話しします。
個人消費は、物価上昇の影響がみられるものの、これまでのところ緩やかな増加基調にあるとみています(図表6)。各種の販売・供給統計を合成した消費活動指数では、非耐久消費財を中心に減少傾向が続いていますが、サービス消費が基調として緩やかに増加していることや、企業からのヒアリング情報や、クレジットカード支出などの高頻度データなどをあわせてみますと、これまでのところ個人消費の実態は悪くないとの評価です。
雇用・所得環境は、緩やかに改善していると判断しています。就業者数は、増加を続けています(図表7)。グラフでは、正規雇用・非正規雇用別の就業者数を、コロナ禍前の2019年平均を100とした指数で示しています。正規雇用においては、人手不足感の強い情報通信や医療・福祉等を中心に振れを伴いながらも緩やかな増加傾向にあります。非正規雇用においては、総じてみれば横ばい圏内で推移しています。非正規雇用では、対面型サービス業などでは増加傾向にある一方、労働需給が引き締まるもとで、非自発的な理由による非正規雇用は減少傾向にあります。1人当たり名目賃金は、企業収益が改善傾向にあることも受けて、はっきりと増加しています。所定内給与も、前年比で高めの伸びを続けています(図表8)。こうした雇用・賃金の動向を反映して、雇用者全体の賃金総額である雇用者所得は、名目ベースの前年比ではっきりとした増加を続けているほか、実質ベースでも足もとプラスで推移しています。なお、本年の春季労使交渉における、連合の第3回回答の集計結果が5.42%、このうち中小組合でも5%と、昨年に続き高水準となっていることは良い材料です。
(3)国内物価の現状
続いて、国内の物価の現状です(図表9)。
足もとまでの数字をみますと、消費者物価の除く生鮮食品の前年比は、3%台前半のプラス、消費者物価の除く生鮮食品・エネルギーの前年比は、2%台後半のプラス、となっています。国内企業物価の前年比は、4%台前半のプラスとなっています。企業向けサービス価格の前年比は、足もとでは3%台前半と高めの伸びを続けています。右のグラフで、注記した一時的な要因の影響を除いた、消費者物価の除く生鮮食品・エネルギーの前年比の内訳をみますと、一般サービスの伸び率は、前年の外国パック旅行費の価格調査再開の影響が剥落したこともあって、ひと頃よりも緩やかになってみえますが、財では、米類の価格上昇とその波及に加え、人件費や物流費等を価格に転嫁する動きが幅広くみられ、プラス幅を拡大しています。また、過去、価格の動きにくかった公共料金の伸びもみられています。
物価を取り巻く環境をみます(図表10)。輸入物価指数は、契約通貨ベースでは、既往の商品市況の動きを受けてひと頃より低下した後、2023年以降は概ね横ばい圏内で推移していますが、円ベースでは、契約通貨ベースと大きく乖離した高い水準にあります。商品市況や一方的な円安の動きは、ひと頃よりは落ち着いてきていますが、企業が、これまでの市況や為替の影響分を、中間・最終製品の価格に反映させて価格改定する動きはまだその過程にあると考えています。これまで需要の動向や顧客や消費者の反応を見ながら丁寧に進められてきたところもみられるためです。
次は、「消費者物価の基調的な変動」と題して、日本銀行が基調的なインフレ率を補足するための指標の一つとして、継続的に公表しているデータです(図表11)。足もとではいずれも再び上昇傾向にありますが、刈込平均値は2%台前半のプラス、最頻値と加重中央値は、いずれも1%台のプラスです。消費者物価指数総合を構成する品目の価格変動の25から75%タイルバンドの推移をみますと(図表12)、2022年4月以降、構成品目の4分の3以上で、前年比で価格上昇していることが分かります。また、分布の中央値はひと頃よりも低下していますが、足もとでは分布が上昇方向に広がり、中央値が2%を超え、いずれも、再び上昇トレンドにあるように見えます。
こうした環境のもと、適合的予想形成が強いとされるわが国において、企業や家計の中長期的な予想物価上昇率は、徐々に上昇しています。
3.経済・物価の先行き見通しとリスク
(1)経済・物価の先行き見通し
日本銀行の国内の経済・物価見通しについて、まず、1月の金融政策決定会合で決定した「経済・物価情勢の展望」(展望レポート)に沿ってお話しします(図表13)。
実質GDP成長率の見通しは、政策委員の中央値で2024年度は+0.5%、2025年度は+1.1%、2026年度は+1.0%です。
この背景として、国内経済は、海外経済が緩やかな成長を続けるもとで、緩和的な金融環境などを背景に、所得から支出への前向きの循環メカニズムが徐々に強まることから、潜在成長率を上回る成長を続けると考えています。
生鮮食品を除いたベースの消費者物価の見通しは、政策委員の中央値で、2024年度は+2.7%、2025年度は+2.4%、2026年度は+2.0%です。生鮮食品とエネルギーを除いたベースでは、2024年度は+2.2%、2025年度、2026年度は+2.1%です。
これらの背景としては、2025年度にかけては、米価格が高水準で推移すると見込まれることや、これまでの政府による施策の反動が一部で生じることが押し上げ方向に作用することを想定しています。今後も、労働需給が引き締まった状態が続くもと、マクロ的な需給ギャップの改善と、賃金と物価の上昇が続き、中長期的な予想物価上昇率も上昇していくことから、見通し期間の後半、すなわち2026年度末にかけて、「物価安定の目標」と概ね整合的な2%程度の水準で推移するとの考えです。
(2)経済・物価見通しにおけるリスク
こうした経済・物価の先行きの見通しには高い不確実性があります。私が注目する経済・物価見通しにおけるリスクについて3点お話しさせて頂きます。
リスクの1点目は、米国の関税政策を含む政策と、海外経済と国際金融資本市場の動向を巡る不確実性の高まりです。関税政策は、その大きな一つで、様々な経路を介して日本経済に影響を及ぼす可能性があります。グローバルな貿易活動や、わが国企業の輸出・生産・販売・設備投資、そして、業績への直接的な影響に加えて、関税を含む政策の不確実性の高まりが、国内・海外の企業・家計のコンフィデンスに影響し、わが国の実体経済や物価に影響を及ぼす可能性もあります。資源価格や国際金融資本市場の過度な変動や調整によって、経済への下押し圧力がさらに増幅される可能性もあります。影響の程度は、関税政策の今後の帰趨に大きく依存しますので、動向を高い緊張感をもって注視していく必要があります。
2点目は、企業による賃金・価格設定行動です。これまでの持続的な物価上昇は、家計や企業の中長期的な予想物価上昇率の上昇をもたらしてきており、企業の賃金・価格設定行動には、従来よりも積極的な動きがみられています。先ほど申し上げたように、1点目の通商政策の影響とは別に、既往の物価上昇に対応した価格改定の動きはまだその過程にあるとみているのですが、労働需給が引き締まった状況が維持されるもとで賃金の上昇圧力がさらに強まる可能性や、それらを販売価格に反映する動きが想定以上に強まっていく可能性があります。
3点目は、消費者マインドの悪化が、所得から支出への前向きな循環を阻害するリスクです。前述の通り、所得環境が改善していることや、政府によるこれまでの物価高対策の効果もあって、個人消費は緩やかな増加基調にあると判断していますが、食料品など身近な品目の価格上昇率の高まりもあり、マインドの改善は一進一退の状況です。関税政策を巡る不確実性や、雇用・所得環境や国内経済の不透明感、物価上昇による生活防衛意識の今後の一層の高まりなどが、消費者マインドのさらなる重しとなって、実体経済を下押しする可能性があります。
4.日本銀行の金融政策運営
日本銀行の本年1月および3月の金融政策決定会合での決定内容について、振り返ります。
1月の決定会合では(図表14)、金融市場調節方針について、政策金利である無担保コールレート・オーバーナイト物の誘導目標を、従来の「0.25%程度」から「0.5%程度」へと変更しました。また、これに伴い補完当座預金制度の適用利率および基準貸付利率の変更も決定しました。その時点で、賃金面では、本年の春季労使交渉において、昨年に続きしっかりとした賃上げを実施する方針の企業が多くみられたこと、物価面では、原材料費の上昇分に加え、人件費や物流費等の上昇を販売価格に反映する動きの広がりがみられました。それまで示してきた経済・物価の見通しが実現していく確度は高まってきているとの判断のもと、2%の「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現の観点から、政策金利を変更し、金融緩和の度合いを調整することが適切であると判断しました。
続いて、3月の決定会合では、金融市場調節方針を維持することを決定しました。各国の通商政策等の動きやその影響を受けた国内・海外の経済・物価を巡る不確実性は高い状況でしたが、それまでに公表された春季労使交渉の結果も含め、経済・物価はこれまで示してきた見通しに概ね沿って推移していると判断しました。そのうえで、1月までの政策金利変更の影響についても見極める時間が必要であると考えました。
今後の金融政策運営は、現在の実質金利の水準を踏まえると、先行きの経済・物価・金融情勢次第ではありますが、日本銀行の経済・物価の見通しが実現していくとすれば、それに応じて、引き続き政策金利を引き上げ、金融緩和の度合いを調整していくことになると考えています。今月末から開催される金融政策決定会合では、新たに2027年度の見通しの公表を控えています。関税政策の影響を含め、不透明感が一層高まっている状況と考えていますので、内外の経済・物価情勢、金融市場の動向を、予断を持たず、丁寧に確認し、適切に政策を判断してまいります。
5.群馬県経済について
最後に、群馬県の経済について、前橋支店を通じて得た情報も踏まえつつお話ししたいと思います。
最近の群馬県経済は、一部に弱めの動きがみられますが、緩やかに回復しています。個人消費は、物価高を受けた生活防衛的な動きも一部にみられますが、賃上げの広がりに加え、観光需要の盛り上がりもあって、全体としてみれば増加しています。また、企業部門では、製造業・非製造業とも設備投資が活発です。先行きについては、今春の賃上げが個人消費へ波及していくことが期待される一方、関税政策の影響や海外経済の動向など、不確実性が高いため、輸出産業を中心にその影響を注意深くみていく必要があります。
こうした中、群馬県では、官民が連携して、新産業創出や起業家育成、市街地再開発に取り組んでおり、全国的にも注目されています。
群馬県は、自動車産業をはじめ製造業が集積しているほか、全国有数の温泉を有しており観光産業も発展していますが、より強靭な経済構造の確立に向けて、県知事のリーダーシップのもと、新たな産業の柱としてデジタル・クリエイティブ産業の創出に取り組んでいます。2025年には、デジタル人材育成のための拠点として、世界レベルのデジタル技術を無料で学習できる「TUMO Gunma」をアジアで初めて導入する予定であるほか、専門的な知見を持つ民間企業・大学との連携や、世界の先進的なデジタル企業の誘致も計画していると伺っております。
また、地元企業や地元出身の起業家が中心となって、全国有数の起業コンテストを開催するなど、起業家育成が盛んに行われています。これを行政や金融機関が情報、人脈、資金面のサポートを行うことで、起業の動きが加速しています。
さらに、市街地再開発においても、例えば前橋市では、行政が主導する中心部再開発に呼応する形で、民間主導の都市再生プロジェクトも進んでおり、街中に活気がみられています。前橋市だけでなく、高崎市や太田市など各自治体においても様々な取り組みがみられており、一層の発展が期待されます。
このような前向きな取り組みに、群馬県が元々有する交通・物流網の充実や自然災害の少なさ、豊富な観光資源や良好な自然環境といった強みが相俟って、群馬県へ本社機能や生産拠点を移転する企業が増えているほか、2024年の移住希望地ランキングでは全国1位となるなど、その魅力に対する評価は一段と高まっています。
わが国は人口減少や高齢化の進展といった構造的な課題に直面しているほか、最近では、関税政策の影響も懸念されており、群馬県経済にとってはチャレンジングな環境が続きます。もっとも、足もとでは、関税政策への対応として、群馬県が、知事をトップとする対策本部を発足させ、対応策の協議を行うなど、官民一丸となって迅速な対応が進められており、大変心強く感じております。上毛かるたで「力あわせる百九十万」と詠まれているとおり、県民や地元企業、行政、金融機関が連携し、当地の持つポテンシャルを如何なく発揮することで、困難な課題も克服することができると確信しております。
日本銀行前橋支店は、1944年に開設して以降、前橋空襲など困難な時期を経験しましたが、県民の皆様のお力添えによって、昨年80周年を迎えることができました。これからも地域の第一線で中央銀行業務を遂行するとともに、関係する皆様との意見交換などを通じて、群馬県経済の発展に貢献できるよう努めてまいります。
ご清聴ありがとうございました。