【講演】業務からみた日本銀行日本金融学会2025年度春季大会における講演
日本銀行副総裁 内田 眞一
2025年6月7日
1.はじめに
日本銀行の内田でございます。本日は、日本金融学会2025年度春季大会にお招きいただき、大変光栄に存じます。私からは、「業務から見た日本銀行」というタイトルでお話し申し上げます。足もとのマクロ経済や金融政策運営といったことから少し離れて、日本銀行の「業務」の面に光を当てて、中央銀行というものを改めて考えてみたいと思います。
図表1をご覧ください。普段、メディアで目にする「日本銀行」は、金融政策の担い手としてのものが中心です。昨年度の報道件数のうち、3分の2は「金融政策関連」でした。それ以外では、例えば昨年7月に20年振りの改刷があり、その前後では「銀行券関連」の記事で盛り上がりました。
実際、多くの方々にとって、人生で最初に「日本銀行」に接したのは「日本銀行券」であったのではないかと思います。そして、中学の社会科では、日本銀行は、「発券銀行」「銀行の銀行」「政府の銀行」である、と教えられ、高校にかけて、「金融政策」や「物価の安定」、あるいは「最後の貸し手」や「金融システムの安定」について学んでいきます。私自身、支店長をしていた頃は、中学校の体育館で、「お金とは何か」の出前授業をしたりしました1。ただ、これらのキーワードを有機的に結ぶこと、例えば、「なぜ、中央銀行はお札を発行して、金利を上げたり下げたりし、インフレやデフレに責任を持つのか」まとめて整合的に説明することは、大人にとっても意外に難しいことです。
中央銀行の政策と業務は一体不可分のものです。通常それは「政策を実現するための手段としての業務」という順番に語られます。今日の私の試みは、逆の順番、つまり「業務」を出発点にして、「政策」につなげていこうというものです。私は、昔からこうした視点を大切なものだと思ってきました。実は、私自身が関わったものを含めて、同じような試みは、過去にもいくつかあるのです2が、時折こうしたことを繰り返していかないと忘れられがちなテーマですので、今日のこの場をお借りしたいと思った次第です。
- 日本銀行は、長年、幅広い年代の方々への金融経済教育活動に取り組んできました。この役割は、他の機関が行っていたものと合わせて、昨年、金融経済教育推進機構(J-FLEC)に移管されましたが、日本銀行はその出資者の一員として、人員や資金などの面で引き続き緊密に協力しているほか、各支店・事務所が県などとともに地域の組織を担っています。
- 例えば、速水優『私の中央銀行論』(2001年4月一橋大学創立125周年記念講演会における講演)、日本銀行金融研究所編『新しい日本銀行 その機能と業務』(有斐閣)、白川方明『「法と経済」からみた中央銀行』(2009年10月東京大学法学部における講義)。
2.発券銀行
銀行券流通残高
3つの機能のうち「発券銀行」からはじめます。日本銀行に入行すると、支店ではまず発券業務を経験します。私も松山支店の発券課で、手作業の鑑査を教えてもらい、(40年前のことなので)算盤で金庫内の銀行券の残高を計算しました。銀行券は、日本銀行の金庫にあるうちはただの紙ですが、取引先の金融機関に払い出された瞬間に、日本銀行の負債となり、強制通用力を有する通貨になります。
図表2をご覧ください。現在市中に流通している銀行券は、120兆円で、このうち金融機関の店舗やATMにある部分は10%程度です。
図表3をご覧ください。1900年以降の銀行券発行高の対GDP比です。2回の例外を除いて、ほぼすべての期間で10%弱の水準にあります。決済手段としての銀行券の特徴は、どこでも支払いに使える一方で、利息がつかないことです。ある程度高額の支払いには銀行振込みやクレジットカードが使われることが多いですが、日常的な支払いに必要な「現金」の額は、時代を問わず、経済規模に比例しているようです。
例外の2回のうち1回は、第二次大戦前後でこれは経済と貨幣価値の混乱によるものでしょう。もう1回が1990年代半ばから現在に至る期間で、直近では、対GDP比は20%と、通常の2倍以上の銀行券が、日本銀行の外で流通しています。このひとつの要因は、低金利環境が続き、人々がこまめに預金しに行かなくなり、手元に現金を置いておくことが増えたことです。インフレの際のシュー・レザー・コストの逆のような現象といえます。この点、昨年からの3回の利上げによって政策金利は0.5%、普通預金金利は0.2%程度になっています。これは2007年2月から2008年10月までの約1年半と同じ水準ですが、このときは銀行券残高のトレンドは変化しませんでした。この先の金利がどうなるかは、本日の講演の趣旨を外れますので置いておくとしまして、どの程度の金利がどの程度の期間続くと人々が保有する現金が減るのか、先験的にははっきりしません。今後の動向をよく見ていきたいと思っています。
経路依存性
多くの方々の財布には入っていないと思いますが、二千円札は現役の銀行券です。例えば沖縄県では相応に流通しています。二千円札は、2000年の九州・沖縄サミットの機会に発行されたものです。世界では20ドルなど、「2」のつくお札は一般的です。図表4をご覧ください。北村先生の1999年の研究から拝借しました3。整数論として、おつりまで考えたときに最も合理的な貨幣の単位系は3の乗数倍です。ただ、10進法のもとで、割り切れない「3」のつく紙幣は、ほとんど存在せず、南太平洋クック諸島の3ドル札は、お土産物として人気だそうです。その代わりに、「2」と「5」を組み合わせると、3の累乗に近い貨幣単位の分布を作ることができます。つまり二千円札の発行は、数学的にとても合理的だったのです。
便利なはずの二千円札が普及していないのは、準備期間が十分でなかったという事情もありますが、「良いものを作ればみんなが使う」という考えだけでは、決済手段は決まらないという教訓でもあります。決済は取引の双方の了解のもとで行われますので、人々の習慣が支配します。よく挙げられる例としては、かつての米国で、明らかに非効率な手書きの小切手がスーパーの買い物に使われていたように。こうした決済手段の「経路依存性」は、新しい決済手段を提供したり、決済システムの未来像を設計するときに心にとめておくべきことです。
そして、このことは新しい決済手段の導入に際しての準備の大切さを教えています。同じ次元の話ではありませんが、新しいお札への「改刷」も十分な準備のもとに行う必要があります。図表5をご覧ください。昨年7月に行われた改刷については、現在、流通している銀行券の約3割が新しい銀行券に切り替わっています。前回よりも遅いと言われることがありますが、これはすでに市中に存在する銀行券が20年前の1.5倍以上もあることに加えて、前回の改刷時には偽造券がみられていたために新券に対する需要が非常に強かったという事情もありました。今回改刷時、昨年7月時点で、金融機関の機器はもとより、駅の券売機等の対応もほぼ終わっていました。街中の飲料の自動販売機などでは使えないケースもあると思いますが、キャッシュレス手段の充実により、スマートフォンや交通系のカードなどで買う人が多くなっている中での動きでもあります。
少し後で、デジタル社会における決済システムのあり方についてお話ししますが、デジタル社会にふさわしい決済手段・決済システムを設計していく上では、決済には「経路依存性」があることを念頭に置いて、そうした手段やシステムが人々の共通の了解事項として使われていくように、「十分な準備」に心を配る必要があります。
- 3 北村行伸『貨幣の最適な発行単位の選択について』(1999年「金融研究」第18巻第5号、日本銀行金融研究所)
3.政府の銀行
国庫業務と電子化
次に、「政府の銀行」としての機能についてお話しします。この機能については、各国で様々なやり方がありますが、ほぼ共通しているのは、政府が中央銀行に預金口座を持っていることです。日本銀行にも、政府の預金口座があり、国庫金の出入りを管理しています。また、これに加えて、日本銀行では会計項目ごとの整理や国債発行などの事務を行っています。
こうした機能を果たすうえで、全国の金融機関が日本銀行の代理店あるいは歳入代理店となってネットワークを形成しています。日本銀行には本店と32の支店がありますが、納税の際に日本銀行の本支店に行くのは一般的ではありませんし、国の官庁は日本銀行の本支店所在地から離れた場所にもあります。この代理店等と日本銀行の間で情報と資金のやり取りをすることで、最終的に、日本銀行にある政府預金の入出金が完了します。
以前は、代理店等が個人から受け付けた納付書類を、日本銀行の本支店に郵送して、日本銀行で集計することで、国庫業務が行われていました。私も40年前には支店で歳入金の帳票をめくりながら、加算機(レジのような機械です)で集計作業をやっていました。図表6をご覧ください。現在では、国庫業務の電子化は相当進み、年金の支払いなど国庫からの支払いについては、99%が電子化しています。一方、納税など国庫が資金を受け入れる方向の事務は、納める国民の皆様の選択による部分が大きいため、電子化の比率は、7割程度です。この点、さらなる電子化の進展に向けて、2024年5月、日本銀行、国税庁、地方自治体、金融機関、税理士会、納税者団体などが連携して、「国税・地方税キャッシュレス納付推進全国宣言」を行い、社会的コストの削減につながること、一度試せば便利さが実感できること、を訴えました。「デジタル化」というものは、基本的に、使う人がその方が便利だと思うことで、進展していくものだと思います。この点も後ほどの議論に関わってきます。
中央銀行と政府の取引
日本銀行は、国庫金の管理に付随して、政府の資金繰りの実務も担っています。収入と支出のタイミングのずれによって、政府預金の残高は上下しますが、短期的な資金の不足は、国庫短期証券の発行によって賄います。これは公募入札で金融機関等に売却されますが、例外的に、募集残額が生じたり、国庫に予期せざる資金需要が生じた場合には、日本銀行が引き受けることができます。その場合には、次回以降の公募入札の代金で償還を受けることになっています。
また、日本銀行が金融市場調節など自らの必要のために買った国債の償還期限が到来した場合、国庫短期証券で借り換えることができるようになっています。これは、「乗換引受」と呼ばれ、日本銀行側では政策委員会が金融市場調節上支障がないことを確認して議決する必要があるほか、政府側では財政法第5条の例外として国会の議決が必要になります。
以上細かい説明になりましたが、これらの業務は、政府に対する信用供与にあたり、政府と中央銀行の関係を考えるうえで重要な論点を含んでいます。このため、日本銀行では、「対政府取引に関する基本要領」を定め、基準や手続きを明確にしています。
また、こうした「政府の銀行」としての業務とは別に、金融政策目的での国債の買入れがあります。現在の日本銀行のバランスシートの資産サイドで最大の項目は、「国債」です。これは、2013年からの大規模な金融緩和において、2%の物価安定の目標を実現するため、金融政策の必要性から買い入れ、保有しているものです。政府による財政資金の調達を支援するためのものではありません。ただし、この問題は、中央銀行が「金融政策目的であって財政ファイナンスではない」と言うだけで完結するとは思っていません。出口を含めた緩和政策の全プロセスにおいて、経済・物価との関係で適切な金融政策を行い、これを財政状況への配慮によって曲げることはない、という「結果」が必要です。その意味で、今後の日本銀行の政策運営をもって、示していくべきことと考えています。
4.銀行の銀行
銀行間決済と「最後の貸し手」機能
中央銀行の歴史は、国によって多少の違いはありますが、歴史的な原型のひとつであるイングランド銀行を含めて多くの中央銀行が、銀行間の資金決済を司る「銀行の銀行」としてはじまっています。銀行間の資金決済のためには、当然、各銀行が中央銀行に預金口座を持つ必要があります。また、決済を円滑に行うためには、中央銀行の信用供与が必要になるのが普通です。その際には、古くは商業手形のように商流の裏付けがある資産を担保として、健全な銀行に一時的な流動性を供与していました。その後も、担保の中心が国債に変わった点を除けば、有担保でソルベントな銀行に対して流動性を供与するという基本的な構造は、今に至るまで同じです。
こうした機能を有する中央銀行の多くは、設立当初から、あるいはその歴史の中で、金融システムを守る公的な役割を付与され、「最後の貸し手」として機能しています。その際、有担保の通常の貸出に加えて、無担保の貸出やソルベントでない金融機関への信用供与を行うかは、預金保険制度など他のセーフティーネットとの役割分担の問題とも絡んで、各国で様々です。また、時期によっても、信用供与の形態や手続きなどの面で変遷があります。
また、近年、2008年のグローバル金融危機などを経て、この「最後の貸し手」機能は広がりを見せ、「最後のグローバルな貸し手」(GLLR)や「最後のマーケット・メイカー」(MMLR)と呼ばれています。一例としては、グローバル金融危機の際に作られた先進国中央銀行間のスワップ網とそれを利用したドル資金供給スキームがあります。各国中央銀行は、自国通貨は無制限に発行できますが、他国通貨は持っている分しか供給できないので、自国の金融機関の外貨流動性の不足に対しては「最後の貸し手」になれません。このスキームは、先進国間でスワップ網を作ることで、他国の通貨を供給できる余地を広げたもので、近年ではコロナ禍の2020年、ドル資金調達のコストが急上昇した際のバックストップとして、有効に機能しました。このことは、本質的に「ドメスティックな存在」である中央銀行にとって、中央銀行間の協力関係が非常に重要であることを示しています。
短期金利の操作
こうした「最後の貸し手」の機能は例外的なケースで発揮されるものですが、通常時においても、銀行間の決済を完了させるには、何らかの形で中央銀行が流動性を供与する必要があります。冒頭お話ししたように「銀行券」は取引先の金融機関に払い出すことで流通を始めるわけですが、少なくとも金融機関はそのための原資となる預金残高を日本銀行の口座に持っている必要があり、その資金は、もとをただせば、日本銀行がどこかの金融機関に、信用供与を行ったか、国債などを買った代金を払ったことによるはずです。
伝統的には、中央銀行は、銀行券の受払いや政府との資金のやり取りを勘案したうえで、準備預金制度上要求される最低限の残高を積むために必要になる金額を、金融機関への貸出や国債の売買などを通じて、供給します。その際の金利などの条件によって、短期の金利が決まるという仕組みです。したがって、かつては、中央銀行のバランスシートの大きさも、概ね銀行券発行残高と準備預金の金額で決まっていました。図表7は、その頃、98年度末のバランスシートです。
当座預金への付利とそのインプリケーション
しかし、現在では多くの中央銀行が、バランスシートの大きさと短期金利の操作を切り離しています。当座預金に金利を付すという金利操作の方法が導入されたためです。日本銀行も、2008年に「補完当座預金制度」を導入し、超過準備(当座預金のうち準備預金制度に基づく所要準備を超える部分)に対する付利ができるようにしました(当初は臨時措置として導入されましたが、その後恒久化されました)。金融機関は余った資金を日本銀行の当座預金に置くか、市場に放出するかの選択がありますので、裁定行動により市場の金利は日本銀行が付利している水準に近い水準に誘導されます。現在でいえば付利金利は0.5%、市場における短期金利は、0.48%程度です。
このことは、その後、技術的な金利操作の手段という意味合いを超えて、大きなインプリケーションを持つようになりました。ひとつは、金利操作と切り離して、バランスシートの大きさを決められるようになった結果、資産サイドを使った政策を大規模に行うことが可能になったことです。非伝統的金融政策の中心手段のひとつは、いわゆる「量的緩和」すなわち、国債の買入れによって長期金利を押し下げることですが、これを実行するのには、バランスシートの大きさとは無関係に短期金利をコントロールできることが前提になります。この点、量的緩和を実行している間は、割り切ってしまえば、金利をコントロールできなくても、ゼロ金利でもよいと考えることもできなくはありません。しかし、量的緩和からの出口プロセスに時間がかかることはあらかじめわかっているので、その時に、大きなバランスシートを抱えながら、短期金利をコントロールできることが保証されていないと、こうした手段は採用できません。
バランスシートの大きさと短期金利の操作が切り離されたことのもうひとつの帰結は、短期金融市場の参加者と中央銀行の取引先の範囲が必ずしも一致しないことで起こる流動性の偏在への対応が可能になったことです。取引先と非取引先が混在する状況で、伝統的な短期金利操作によって、所要準備預金残高ぎりぎりの水準しか供給しないと、金融市場の多様な参加者に必要な流動性の量に足りない、ということが起こってしまいます。この問題は、米国FRBのように法律で当座預金取引先の範囲が基本的に預金取扱金融機関に限られている国では以前からあったのですが、近年は各国でノンバンク金融仲介機関(NBFI。保険会社、年金基金、各種ファンドなど)の存在感が拡大し、その影響が短期金融市場に及んでいます。この状況に対応するには、中央銀行が付利を使って短期金利を操作しながら、市場に必要な量の流動性を供給できることが重要です。現在、各国の中央銀行は、バランスシートの縮小を進めていますが、その多くは、伝統的な金融調節方法に戻ることはないでしょう。市場の求める流動性に見合ったバランスシートを維持しながら、当座預金への付利によって短期金利操作を行うことになるだろうと思います。
5.2つのキーワード
人々が安心してお金を使えるようにすること
図表8をご覧ください。ここで一度、これまでの話をまとめるキーワードを2つ提示したいと思います。「人々が安心してお金を使えるようにすること」と「支払完了性のある決済手段を提供すること」です。
これまで述べてきたような様々な業務を行うことで、日本銀行が果たすべき「目的」について、日本銀行法第1条は、「銀行券を発行」し、「通貨及び金融の調節」(金融政策)を行うこと、および、「資金決済の円滑の確保を図り、もって信用秩序の維持に資すること」と規定しています。そして第2条では、金融政策の「理念」として、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資する」と定めています。
法律用語なので、「目的」や「理念」などの書き分けがありますが、こうした日本銀行の役割を一言でまとめるとすれば「人々が安心してお金を使えるようにする」ことです(日本銀行に関心を持ってくれる学生の皆さんなどには、そう説明しています)。銀行券がクリーンで偽造券がないようにすることや、「お金の価値」すなわち「物価」が安定するようにすることは、まさにその具体化です。また、人々が「お金」と言うとき、持っている現金だけでなく、銀行に預けてある預金残高も想起するでしょうから、金融システムの安定を図ることも重要になります。
支払完了性のある決済手段
そして、中央銀行がこうした使命を追求することができる源泉は、業務面で、「支払完了性(ファイナリティ)のある決済手段」を提供できることにあります。まずこの「支払完了性」の意味ですが、ある個人が、別の個人や店舗に「銀行券」を渡せば、支払いは完了します。金融機関同士や政府との資金の決済は、日本銀行の当座預金口座間の受払いで完了します。「日本銀行券」と「日本銀行当座預金」は、ともに支払完了性があり、他の決済手段には同じ意味での完了性はありません。
中央銀行が「最後の貸し手」になれるのも、支払完了性のある決済手段を提供できるからです。中央銀行の貸出は、相手方の金融機関の口座に資金を記帳し(中央銀行の負債の増加)、貸出債権を取得する(中央銀行の資産の増加)ことで実行できるので、無制限に実行可能です。また、先ほど述べた通り、金融政策における金利操作も、決済に必要な資金が恒常的に不足することを前提として、中央銀行が、銀行間の決済を完了させる手段を供給できる唯一の存在であることを利用して、資金をやり取りする短期市場の条件(金利)を決めることができる、という仕組みです。
そして、「支払完了性のある決済手段」を無限に供給できる中央銀行は、信用供与を含めて政府の資金繰りを完結できるのですが、これがデリケートな問題を含み、極端な場合には、「物価の安定」との相克を生むことは歴史的な事実です。先ほど述べた非伝統的な金融政策としての国債買入れは、その現代的な表れと言えます。「財政ファイナンス」かどうかの線引きについて、私は、財政への配慮で適切な金融政策を曲げることがない、という点にあると考えていますが、「支払完了性のある決済手段」の使い方として、より手前で予防線を引くべきという考え方もありえます。グローバル金融危機以前の中央銀行の常識には、この点の自主規制があったように思います。この辺の事情は、別の機会4に論じましたので、今日は省かせていただきたいと思いますが、グローバル金融危機以降の非伝統的な金融政策の功罪は、中央銀行界全体の課題だと思っています。
「日本銀行券」と「日本銀行当座預金」は、日本銀行の負債です。以上のことをまとめると、日本銀行は、その負債として「支払完了性のある決済手段」を供給することで、「人々が安心してお金を使うことができるようにする」役割を負っている、と言うことができます。
- 4 内田眞一『最近の金融経済情勢と金融政策運営』(2025年3月静岡県金融経済懇談会における挨拶)
6.デジタル社会の中での決済システムと中央銀行業務
決済のデジタル化
図表9をご覧ください。ここからは後半パートに入り、日本銀行の業務と政策が、デジタル化などの環境変化によって、どう変わるのか、あるいは変わらないのか、考えてみたいと思います。
わが国は、キャッシュレス比率が低いと言われます。この点は、各国で定義も異なり、厳密な比較は難しいのですが、わが国の場合、銀行口座での引き落としのほか、振込の割合が大きいのが特徴です。これは1973年から稼働している全銀システムによって、これらが極めて便利にできていることが背景です。また、冒頭でご説明したように、わが国の銀行券残高は、低金利になる前で比較しても、他国よりも多くなっています。これには、現金を持ち歩いても安全であることや、そのもとでコンビニエンスストアを含めてATM網が発達しているという背景があります。もともと人々がどのような決済手段を使うかはその人の自由です。
もっとも、日々の買い物を含めて、経済のデジタル化が進展する中で、人々にとって便利で安全な決済手段を選択できるように、それにふさわしい決済手段が提供されることは重要です。そして、決済システムが全体として、デジタル社会の中で高い安定性と効率性を発揮するために、中央銀行がどのような形態の「支払完了性のある決済手段」(中央銀行負債)を提供すべきか、設計していく必要があります。
中央銀行デジタル通貨
この点に関連して、中央銀行自身がデジタル通貨(「中央銀行デジタル通貨」<CBDC>)を発行するというプロジェクトが、各国で進められています。欧州では、欧州中央銀行(ECB)が、2023年に「デジタルユーロ」に関する調査フェーズを完了し、準備フェーズに移行しています。また、イングランド銀行は、「デジタルポンド」について、設計フェーズの進捗レポートを公表しています。中国では、国内26都市や香港で「デジタル人民元」のパイロット実験を実施中です。一方、米国では、2022年から23年にかけてCBDCに関する市中協議を行いましたが、銀行協会などから強く懸念する声が寄せられました。また、トランプ大統領は、今年1月、CBDCの発行等に関する政府機関の取り組みを停止・禁止する大統領令に署名し、FRBのパウエル議長も2月の議会証言で、自身の在任中のCBDCの発行を否定しています。
わが国では、2020年に日本銀行が「中央銀行デジタル通貨に関する取り組み方針」を公表し、技術的な検証を進めています。2023年からは、パイロット実験に移行し、「実験用システムの構築と検証」を実施するとともに、民間事業者の技術的な知見を活用するため「CBDCフォーラム」を設置し、幅広い関係者に参加いただいて、様々なテーマで議論しています。政府においても「CBDCに関する関係府省庁・日本銀行連絡会議」が設置され、制度設計の大枠の整理に向けて検討が進められています。
CBDCは、デジタル社会のもとでのわが国の決済システムの将来像を決める重要なインフラになりうるものですから、これを発行するかどうかは、こうした内外の情勢を踏まえたうえで、国民的議論の中で決める必要があります。ご説明した通り、各国の対応も分かれています。ただ、CBDCを発行するにせよ、しないにせよ、デジタル社会の中で、現金のような「支払完了性のある決済手段」を誰がどのように提供するのが、決済システム全体の安全性と効率性につながるのか、考えていくことは必須です。
具体的な仕組みとしては、まず、必ず必要になる個人との接点(インターフェイス)の部分は、いずれにしても、基本的に民間の事業者が担うべきだと思います。個人の多様なニーズに応えることは公的機関である中央銀行には難しいからです。その中で、利用者にとって便利なインターフェイスや、それを生かしたイノベーションが生まれるのだと思います。
そのうえで、考えられるバリエーションには、結構大きな幅があります。決済手段というものは、そのほとんどすべてが、最終的には中央銀行につながっています(「すべて」と言い切らない理由は、最終章で述べます)。問題は、人々が「現金と同じような機能を持つ」と認識する決済手段は、どの程度直接的な「支払完了性」を有する必要があるのか、その「支払完了性」をどう担保するのか、ということです。この点、CBDCは、中央銀行の負債ですので、現金と同等の「支払完了性」があります。CBDCを発行しない場合には、民間が提供するその決済手段と中央銀行負債をどう結びつけるのか、また、現金のようにいつでも受け渡し可能であるようにオペレーションの頑健性や広範な利用可能性をどう確保するかなど、技術的な側面を含めて検討する必要があります。
国際的な視点
決済の未来像を考えるうえでは、国際的な視点が欠かせません。実を言えば、現在の国際的な決済システムには多くの不満が寄せられており、これをいかに便利で安全なものにしていくかは、未来の問題というより、現在の喫緊の課題です。例えば、各国では、外国からの労働者が母国に送金する際の手数料の高さや時間の遅さが問題になっており、2020年以降、G20のアジェンダには「クロスボーダー送金の改善」が掲げられてきました。この点は、既存のコルレス銀行を中心とするシステムの運用を改善していく方向性として、決済システムの稼働時間の拡大、国際送金電文フォーマットの標準化などの方策が検討・実施されているほか、新たな可能性として、例えば各国のリテールの即時送金システム(ファスト・ペイメント・システム。日本では全銀システムやことらがこれに当たります)の相互接続といったことも模索されています。
また、金融機関間の資金決済や貿易にかかる決済など、より大口の資金決済の分野では、先進国のグループや新興国を中心としたプロジェクトなど様々な試みが進行し、成果を競い合っています。そのひとつ、BISが主催し、多くの民間金融機関と、日本銀行を含むいくつかの中央銀行が参加している「プロジェクト・アゴラ」では、分散台帳技術(DLT)を使った共通プラットフォーム上に、商業銀行預金と中央銀行預金の両方を載せて、それらを組み合わせて、安全かつ効率的なクロスボーダーの決済を行う、という新しいタイプの決済インフラが構想され、実験プロジェクトがはじまっています。
こうした国際的な決済システムを巡る取組みが競うように進展していることは、経済安全保障の観点と切り離せません。ロシアのウクライナ侵攻を受けて、各国で経済制裁が発動され、その実効性を担保するため、Swiftなど国際的な決済ネットワークからロシアの銀行を排除する動きになったのは記憶に新しいところです。またやや異なる観点ですが、サイバー空間には国境はありませんので、サイバー攻撃が大規模化、組織化されるもとで、一国の決済システムの安全をどう守っていくのか、その際の中央銀行を含めた公的部門の役割は何か、考える必要は年々大きくなっています。
例えば「デジタル通貨」が発行された場合、中央銀行が発行するにせよ、民間が提供するにせよ、サイバー攻撃の対象になりやすいと考えられます。これに対抗するためには、相応のコストと技術を集める必要があります。米国は基本的に民間のイニシアティブで進めていく方向に見えますし、欧州は、官民でCBDCエコシステムを構築する計画です。ECBが、CBDC発行の理由として、「ユーロエリアの戦略的自律性(strategic autonomy)と通貨主権(monetary sovereignty)を高めること」「ユーロ決済における非欧州系の民間決済事業者(private, non-European payment providers)への依存度を下げること」とはっきり述べていることは、この問題が国内的な事情を超えて、経済安全保障的、国際競争的な側面をもっていることを示唆しているように思います。
7.非伝統的な金融政策と中央銀行のバランスシート
非伝統的な金融政策の効果:資産サイドと負債サイド
後半パートの2つめのテーマは、非伝統的な金融政策とバランスシートです。「非伝統的な金融政策」はその名の通り、伝統的な業務運営を超えて、中央銀行業務を拡張することで、金融政策の効果を追求するものです。これはしばしば「バランスシート政策」と呼ばれます。中央銀行が、「支払完了性のある決済手段」を負債として供給することは、その裏側で、資産を持つことを意味しています。理論的には支払完了性がある負債はいくらでも提供できるので、「どんな資産を、どれだけ持つか」が政策のパラメターになりうるのです。
図表10をご覧ください。現在の日本銀行のバランスシートです。非伝統的金融政策として長期国債を買った場合、資産サイドで長期国債が増加し、負債サイドでは、相手方の金融機関の当座預金が増えます。その政策効果は、資産サイドで国債を買入れることによって、市中から金利リスクを吸収し、タームプレミアムを押し下げる効果(いわゆる「ストック効果」)が中心であると分析されています。
一方、負債サイドの当座預金残高やマネタリーベース、あるいはバランスシートの大きさには、資産サイドのような直接的な効果があるわけではありませんが、一定のアナウンスメント効果は持つ可能性があります。大きなバランスシートを急激には縮小できないことは、市場もわかっているので、「しばらく緩和を続ける」というメッセージになりえるということです。2000年代のはじめ頃、為替市場などで、中央銀行のバランスシートの大きさの比較が材料になったことがありました。この点、リニアな関係を導くことは無理ですが、「緩和スタンスのproxy」として、緩い関係を見出すことは不可能ではなく、あとはケインズの美人投票的に機能したということでしょう。
バランスシートの大きさを明示的に使ったコミュニケーションとしては、日本銀行は、2016年9月にイールドカーブ・コントロールを導入した際に、「消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比上昇率の実績値が安定的に2%を超えるまで」マネタリーベースの拡大方針を続ける、というコミットメント(オーバーシュート型コミットメント)を行いました。先ほど述べた通り、短期金利の操作とバランスシートの大きさは切り離し可能なものなので、このコミットメントは強いものではありません。より直接的なコミットメントとして、例えば、「消費者物価が2%を安定的に超えるまで」長短の金利目標の水準(短期は-0.1%、10年金利はゼロ%程度)を続ける、と約束することも論理的にはありえました。ただ、これではフォワードガイダンスとして強すぎ、将来の柔軟性を犠牲にする恐れがありましたので、バランスシートの大きさに紐づけたということです。一般的に「バランスシートの拡大を続けながら、利上げをする」というのはイメージしにくいので、「緩和を続ける」というスタンスは伝わる一方で、オペレーション的には(業務面から考えれば)、バランスシート縮小(QT)の前に利上げを始めることは可能で、その余地を残したものです。
この辺りの事情は、フォワードガイダンスという「自分を縛って効果を得る政策」の微妙なバランスを示しています。効果と自由度のバランスを取るために、明示的に例外条項(escape clause)を入れておくという例もありますが、「業務」の要素を絡めて対応余地を残すという方法もあるということです。日本銀行を含めて各国の中央銀行は、当然こうしたことを分かったうえで、バランスシートと政策金利の運営、そしてそのシークエンスを考え、コミットメントを実施してきました。こうした意味でも、中央銀行にとって「政策」と「業務」は不可分のものです。
非伝統的な金融政策と中央銀行の収益
中央銀行は、平常時にはバランスシートの構造上、収益があがるようになっています。もう一度図表7をご覧ください。98年度末、伝統的な金融市場調節を行っていた当時のバランスシートです。負債項目の多くを占める発行銀行券は無利息です。当座預金も無利息でした(この時点では付利制度は導入されていませんでしたし、仮に導入されていたとしても、準備預金ぎりぎりの水準で調節を行うのであればほぼ無利息です)。一方で、資産サイドの国債や金融機関への貸出には利息が付きます。この差額は、通貨発行権を持つことに伴う収益(シニョレッジ)であり、支払完了性のある決済手段を「負債」として独占的に供給できることによるものです。
この関係は、非伝統的な政策によって、バランスシートが大きく拡大すると変化します。まず、非伝統的な政策を行っている間は、収益は大きく拡大します。短期金利はゼロ%ないしマイナスですので、負債サイドの利払いは基本的には生じることはありません。資産サイドからは、バランスシートが大きい分だけ、より大きな収益が得られます(日本銀行の場合、当座預金を3層構造とし、マイナス金利部分を最小限に抑える一方、プラス金利部分もあったため、ネットで利払いが発生しましたが、資産サイドの方がずっと大きな効果を持ちました)。図表11をご覧ください。実際、大規模緩和前の日本銀行の経常利益は平均して6千億円程度でしたが、大規模緩和を行っていた時期には、毎年数兆円の収益を計上していました。
これが出口になると、当座預金の付利によって利上げを行う一方で、資産サイドは、金利が低い時に買った国債で固定されているため、逆ザヤが発生します。この点、日本銀行のスタッフがシミュレーションを行っています5。図表12をご覧ください。その結果は、短期金利・長期金利のパス、バランスシート縮小のペース、さらには冒頭でご説明した銀行券の残高がこの先どうなるかなど、複数の要因に左右されます。前提条件として、昨年9月時点で市場が織り込んでいた金利見通しのとおり金利が動くと仮定した場合、青い実線のようになります。この前提では、収益は減少しますが、赤字にはならないという結果でした。ただ、金利がより急激に上昇するなどのストレスをかけると、シャドーのように、一時的に赤字になる場合があります。ただ、どちらのシナリオでも、その後は、負債サイドで当座預金が減少し、資産サイドで国債が高い金利のものに入れ替わっていくにしたがって、収益が回復していきます。
このように収益や自己資本の試算は、前提条件次第で変わりますが、いずれにしても、中央銀行のバランスシートの状況によって、「物価の安定」が毀損されることはありません。皆様にはご説明するまでもないことですが、管理通貨制度のもとで、通貨の信認は、中央銀行の保有資産によって担保されるものではなく、適切な政策運営によって「物価の安定」を図ることを通じて確保されます。また、そうした使命追求のための「政策遂行能力」に、財務状況が影響を与えることもありません。一時的に赤字や(極端な場合)債務超過になったとしても、収益や資本はシニョレッジによる将来の収益で復元されますし、支払完了性のある決済手段を自ら供給できるため、支払いは常に可能です。実際に、FRBやECBを含めて多くの中央銀行が現在赤字を計上しており、その一部は債務超過になっていますが、業務や政策の運営に支障は生じていません。
それでも、多くの中央銀行は、自己資本など一定のバッファーを有しています。日本銀行も自己資本を有しているほか、大規模緩和の過程では、収益の上振れ分の一部を引当金として留保し、出口で損失が発生した場合に備えています。本来、中央銀行の財務構造を理解していれば問題ないことであったとしても、例えば、赤字や債務超過などが発生した時に、市場が「中央銀行が財務リスクを気にして適切な政策の実施を躊躇するのではないか」といった疑念を持つようなことがあれば、政策効果の波及が阻害されます。そうした疑念を惹起させることのないよう、適切な政策運営を行うという大前提のもとで、上記の引当金など可能な手段を通じて、財務の健全性にも配慮していくことは大切です。
- 5 日本銀行企画局『日本銀行の財務と先行きの試算』(2024年12月日銀レビュー)。
8.中央銀行業務と決済システムの未来像
銀行券の未来
最後に、中央銀行業務と決済システムの未来像について、思考実験を行ってみたいと思います。デジタル化が大きく進む中で、銀行券はどうなるでしょうか。この点まず申し上げたいことは、日本銀行は、現金に対する需要がある限り、現金の供給について責任をもって続けていくとコミットしている、ということです。中央銀行が現金供給に責任を持つ中で、銀行の支店網やコンビニエンスストアを含めたATM網など、現金が流通する経路が維持され、人々にとって現金を使うことが便利であり続けることは重要で、それによって、今後の現金の使われ方は変わってきます。スウェーデンでは、現金流通残高の対GDP比率が0.9%まで低下しています6。これはデビットカードや個人間送金システムが便利だということが主因ですが、銀行の店舗網などの関係で、現金の利用が不便になったことも一因と言われています。このため、2021年には、金融機関は、現金の引き出しや受け入れ拠点を整備しなければならない、という趣旨の法律が制定されました。こうした問題意識は、他の欧州諸国でもみられ、例えば英国では2023年の法令に基づき、財務省がATM等の配置に関する距離基準を設定しています。スイスでは、中央銀行と財務省が、金融機関・警備輸送会社・小売業界・消費者団体等を招いたラウンドテーブルを共催し、現金を巡る課題と共に「現金は将来にわたって必要である」という認識を共有しました。さらに、欧州諸国はそうではありませんが、偽造などによって、銀行券を使うことの便利さや安全性が低いことが、キャッシュレス化が進む要因になっている国もあります。
一方、当然のことながら、現金の供給体制の維持にはコストがかかります。現金供給には、日本銀行だけでなく、金融機関、コンビニエンスストアなどのリテール事業者、現金を運ぶ警備輸送会社など、多くの関係者がかかわっています。この体制を維持していくためには、これらの関係者にとって、銀行券の供給が、それぞれの顧客のニーズに応えて、サービスを維持していくメリットがあるものであり続ける必要があります。
この「顧客ニーズ」と言う点では、私は、決済には経路依存性があり、現金は対面での決済としてとても便利なので、現金に対する需要は簡単にはなくならないと思っています。日本銀行としては、そうしたニーズがある限り、いかに安全かつ効率的に現金供給の体制を維持していくか、責任をもって考えていきたいと思います。「デジタル化」や「キャッシュレス化」は、社会・経済の効率性を高める効果を持ちうるものだと思いますが、そのプロセスは利用者の自由な選択の中で進むのが望ましいと思っています。
- 6 BISレッドブック統計(2023年)
架空の世界1:現金のない世界
銀行券が存在するのであれば(仮に決済に占める比率が低下したとしても)、これまでお話ししたような中央銀行の業務のやり方や政策のメカニズムは、変わりません。「支払完了性」のある決済手段の唯一の提供者として、資金供給などの業務によって、金利操作を行い、日々の決済を完結し、最後の貸し手として機能します。
このメカニズムが変わる可能性があるのは、以下のような2つの構造変化が起こった場合です。いずれも架空のシナリオです。こうしたことが起こると予想しているわけではありませんが、架空の世界を想像してみることは、現在をより良く理解するうえで有益です。
ひとつめは、現金が全く存在しなくなる場合です。よく「CBDCが発行されれば、マイナス金利を付すことができるので、金融政策運営は大きく変わる」と言われますが、正確には少し違います。まず、CBDCが発行されても、現金が残る限り、名目金利のゼロ制約は残ります。マイナス金利を付されない逃げ場がある限り、CBDCにマイナス金利を付すことには限界があります。また、逆に現金がなくなるのであれば、CBDCを発行しているかどうかはあまり関係ありません。民間が提供するデジタル通貨であっても、何らかの形で金融資産の裏付けがある以上、中央銀行は金融資産の価格(金利)に影響を与えることで、金利のゼロ制約を破ることができます。例えば、民間提供のデジタル通貨が中央銀行の当座預金と完全に紐づいている単純なケースでは、当座預金の付利水準の変化によって、民間デジタル通貨にマイナス金利を付すことができます。そうした意味で、「マイナス金利を可能にするためにCBDCを発行する」という発想は、中央銀行にはありません。
この「現金がない世界」では、金利のゼロ制約がないため、マイナス金利の付利に限界がなく、したがって、政策金利の引き下げ余地の「のりしろ」を確保する必要はなくなります。物価目標は、バイアスのない物価指標であれば、ゼロ%になるはずです。金融政策の運営は大きく変わります。それでも、中央銀行として「物価の安定」などの使命を果たすことができる、という点は不変です。
架空の世界2:「円」のない世界
もうひとつの可能性は、中央銀行としては起こってほしくないシナリオです。「円」で表示されない決済手段が決済の主役になることです。取引の決済は双方が合意するのであれば、どんな手段でも可能です。それは「円」で表示される資産に限らず、金でも、コメでも、引越しのお手伝いでも、肩たたき券でも、双方がそれで債権債務関係を消滅させることに納得していればかまいません。デジタル社会においては、暗号資産がその対象となりえます。もともと一部の暗号資産の動機には、主権国家に頼らないリバタリアン的な発想があります。
現在、「円」で表示された銀行券や銀行預金の振込が利用されているのは、それがほとんどすべての人が納得する決済手段として認識されているからです。その前提の下で、日本銀行券には法律的にも「強制通用力」が付与されています。ただし、これはあくまで、「円」で表示された債権債務関係を消滅させる弁済手段となる、というだけであって、取引関係に入ることを強制されるわけではありません。「私は金でしか、あるいは暗号資産でしか、売る気はない」と言うことは契約自由の原則により可能です。
こうした未来が訪れることは、少なくともわが国においてはないと思います。「円」に連動しない決済手段について、モノやサービスとの関係で価値を安定させる仕組みを作ることは、中央銀行の「物価の安定」と同じ機能を独自に持つということですから、簡単ではありません。中央銀行が価値を安定させてくれる「円」に乗っかった方がずっと合理的です。その意味で、中央銀行がその使命をきちんと果たしている限り、「円」以外の決済手段が決済の主役になることはないでしょう。「中央銀行がその使命をきちんと果たしている限り」。
9.おわりに
本日は、日本銀行の政策について業務面に焦点を当てて、ご説明しました。もう一度図表8をご覧ください。中央銀行の政策の源泉は、「支払完了性のある決済手段」(負債)の提供とその裏側で資産として何を持つかにあります。日本銀行はそれを通じて、金利操作を行い、「最後の貸し手」として機能します。非伝統的政策は、こうした業務やバランスシートをどのように、どこまで使えるのかを追求したものとも言えます。
「政策」を考えるときに「業務」に関する理解は不可欠です。それは、「業務としてできないことが制約になる」といった意味ではなく、むしろ中央銀行業務の持つ可能性を知ったうえで、政策のイノベーションにつなげる、というほうが、私には実感に合います。ただし、「支払完了性のある決済手段」を独占的に提供できることの重みをしっかりと胸に刻んだうえで、という自覚が必須です。万能薬は、使い方によってはモラルハザードを生むものです。
そして、何より、「支払完了性のある決済手段」を与えられた目的は、「人々が安心してお金を使えるようにする」ためであるということを、忘れてはならないと思っています。後者の「使命」を果たせない場合、前者の「手段」は機能しなくなります。歴史は、物価の安定が損なわれて、あるいは、金融システムが崩壊して、自国通貨が流通しなくなる国をたくさん生んできました。さらに将来に向けては、デジタル化が大きく進展した社会で、主権国家の中央銀行が発行する通貨が一般受容性のある決済手段として機能し続ける保証はありません。支払決済手段を選ぶのは人々の自由である、このことを胸に置いて、中央銀行の業務を運営していかなければなりません。もちろん多くの関係者の皆様とともに。
こうした様々な自戒の念を込めて今日の原稿を用意しました。ご清聴ありがとうございました。