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【講演】世界経済の変貌と金融政策の進展札幌商工会議所における講演

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日本銀行政策委員会審議委員 野口 旭
2025年9月29日

1.はじめに

日本銀行の野口です。本日は、講演の機会を賜り誠に有り難く存じます。本講演では、世界金融危機さらにはコロナ禍を経て大きな変貌を遂げた現在の世界経済の状況のもとで、われわれ日本銀行も含む中央銀行が担う金融政策のあり方がこれまでどう変化してきたのかについて、私の個人的観点から整理し直してみたいと思います。私は2021年4月から、日本銀行の審議委員としてわが国の金融政策運営に携わってきましたが、それ以前は一研究者として、金融政策を含むマクロ経済政策の分析に取り組んできました。本日は、このやや俯瞰した研究者的な視点に多少とも立ち戻って、過去から現在そして将来にわたる金融政策の進展についてお話しさせて頂きたく存じます。

2008年からの世界金融危機、2020年からのコロナ禍などを契機として、主要中央銀行の金融政策には、金利を手段とする伝統的政策から、量的緩和などの非伝統的政策への転換という一大変化が生じました。結論をやや先取りしていえば、そこで生じた変化は、かなりの程度まで不可逆的なものです。主要中央銀行の多くは現在、非伝統的政策から伝統的政策に復帰しています。しかし、その政策枠組みは、世界金融危機以前のそれとは大きく異なっています。それは、主要中央銀行の多くが世界金融危機以前とは比較にならないほど大きな準備預金を抱え持っており、それを前提として金融政策運営を行っているという点です。

重要なことは、こうした政策手法の転換があったとしても、政策金利の操作を通じた物価の持続的安定という中央銀行の伝統的役割が損なわれることはない、という点です。米欧の中央銀行の多くは、コロナ禍後に生じた世界的な高インフレに対応して、非伝統的政策を停止した上で政策金利の引き上げを積極的に行い、それによってインフレの抑制を概ね成し遂げてきました。それは、物価安定の手段として意味を持つのはやはり金利の調整であり、中央銀行の持つ大きな準備預金はその妨げにはならない、ということを示唆しています。

日本銀行もまた、2024年3月の政策決定会合において、非伝統的政策としての「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」の枠組みおよびマイナス金利政策を見直し、政策金利の操作を主たる政策手段とする伝統的政策に復帰しました。それは日本銀行が、そこにおいてようやく、2%の「物価安定の目標」を持続的・安定的に実現していくことが見通せる状況に至った、と判断したためです。日本銀行はさらに、2024年7月と2025年1月にわたって政策金利の引き上げを実行しましたが、それは目標達成の確度がより高まりつつある、と判断したためです。

わが国経済では長らく、景況の改善にもかかわらず物価や賃金がほとんど上がらない状況が続いていました。しかし、コロナ禍後の世界的インフレの影響は輸入価格上昇という形でわが国にも及び、日本経済は長らく経験することのなかった高いインフレに見舞われました。それにつれて、1990年代初頭のバブル崩壊以降、低下はしても上昇はしなかった賃金も、バブル期以来の高い伸びを示すようになりました。それは、コロナ禍前から現れ始めていた人手不足による労働需給逼迫が、コロナ禍後により広範に顕在化したためでもあります。それらの変化は、わが国経済が、物価も賃金も動かないという、きわめて特異なゼロノルム経済から、両者が相互に参照しつつ上昇し続けるような通常の成長する経済に復帰しつつあることを意味しています。

日本銀行はまた、長期国債買入れの減額に関し、2024年7月に2026年3月までの方針を、さらに2025年6月に2027年3月までの方針を決定しました。これは、日本銀行が、市場機能の回復のために、非伝統的政策の遂行によって拡大したバランスシートを今後ゆっくりと縮小していくことを意味します。私自身は、この政策は、市場への攪乱的影響を最小化するために、十分な時間をかけて行われるべきものと考えます。それが可能なのは、上述のように、バランスシートが大きいことそれ自体は、物価安定のための金融政策を遂行する妨げにはならないからです。むしろ、現行の政策枠組みにおいては、金融政策の円滑な運営のためにも、一定規模のバランスシートが必要になると考えます。

世界経済はとりわけこの4月以降、米国の関税政策による大きな下方リスクに直面してきました。そのリスクがどの段階でどの程度まで解消されるのかは、現状ではまだ明確ではありません。他方で、わが国の各種経済指標を確認すると、2%の「物価安定の目標」達成は着実に近づいています。それは、政策金利調整の必要性がこれまで以上に高まりつつあることを意味しています。つまり現状のわが国経済・物価においては、下方リスクはありつつも、政策判断における上方リスクの重みがより増しているのです。その意味で、わが国の金融政策は今、状況の見極めが必要な局面に差し掛かっているといえます。

2.2000年代以降の世界経済とマクロ経済政策の展開

(1)経済のグローバル化から脱グローバル化へ

2000年代初頭の世界経済は、国境を超えた経済活動の拡大という意味での経済のグローバル化が広範に進展した時代でした。その流れを牽引したのは、中国、インド、ロシア、ブラジルなどに代表される新興国です。この4カ国は、ゴールドマン・サックス社が2001年に公表したレポートにならって、BRICsという略語によって呼ばれることになります1。また欧州では、1999年1月に統一通貨ユーロが導入され、2002年1月には紙幣と硬貨の流通が始まります。これは、欧州各国のより緊密な経済統合を意味していました。

この流れを反転させる大きな契機となったのが、2008年9月に生じた米投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻に始まる世界金融危機です。その背後にあったのは、米国におけるサブプライム住宅ローン問題でした。持続不可能な形で拡大していた低所得者への住宅ローンの信用縮小が、その引き金でした。それによって生じた金融危機は各国に伝播し、世界大恐慌以来の「百年に一度」と呼ばれるような一大経済危機を引き起こします。

各国経済はその後、急激に縮小しましたが、それは各国の財政にも大きな影響をもたらしました。景気の悪化は通常、一国の税収を減らし、支出を拡大させがちになるからです。2009年には、財政状況に以前から問題があったギリシャに懸念が生じ、それが他の欧州諸国にも波及し、2010年には欧州債務危機と呼ばれるまでに拡大します。そこで特に深刻とみられていたのは、ポルトガル、イタリア、ギリシャ、スペイン、アイルランドというユーロ圏5カ国でした。この危機の深さは、一時はユーロを崩壊させかねないと喧伝されるほどのものでした。

後述のように、各国の政府や中央銀行は、この2008年からの金融・経済危機の克服のために、様々な政策を行います。その結果、2010年代以降は、いくつかの国や地域が徐々に回復に向かっていきます。しかし、その進展はきわめて遅く、世界経済は全体としては、米国の元財務長官ローレンス・サマーズのいう長期停滞(Secular Stagnation)の様相を強めていきます2

そうした中で、世界経済は次第に、グローバル化の巻き戻しとしての脱グローバル化への流れを強めていきます。英国は、2016年6月の国民投票で欧州連合からの離脱を決定します。米国では中国脅威論が勢いを増し、当時の副大統領マイク・ペンスが2018年10月に行った演説を契機として、米中新冷戦と呼ばれる対立が拡大します。さらに、2025年1月に発足した米国の第2次トランプ政権は、自由貿易の拡大を標榜してきた戦後の国際貿易体制を根本から覆すような、新たな関税政策を展開するに至ります。

  1. O'Neill, Jim (2001) "Building Better Global Economic BRICs," Goldman Sachs Global Economics Paper, No.66, November 30.
  2. Summers, Lawrence (2013) Speech at the IMF Economic Forum, November 8.

(2)世界金融危機後のマクロ経済政策

このような世界経済の展開の中で、金融政策を含むマクロ経済政策の展開という点で最も大きな分水嶺となったのは、2008年に始まる世界金融危機でした。この危機が生じる以前の世界経済、より具体的には1980 年代半ばから2000年代初頭までの先進国経済においては、大いなる安定(Great Moderation)と名付けられるような、生産活動と物価の相対的安定が実現されていました3。そして、マクロ政策運営に関しては、物価や雇用・所得の安定といった経済のマクロ的安定化の役割はもっぱら伝統的な金融政策が担い、財政政策は主に公共財の供給や所得再配分に割り当てるという考え方が定着していました。しかし、世界金融危機という「百年に一度の危機」に直面したことで、各国政府と各中央銀行は、これまでとはまったく次元の異なる新たな対応を迫られることになります。

その第一は、非伝統的金融政策への本格的移行です。それまでの伝統的な金融政策では、その手段はもっぱら政策金利としての短期市場金利の操作でした。つまり中央銀行は、景況が悪化して物価や雇用が低下する時には金利を引き下げ、逆の場合には金利を引き上げて、物価や雇用の伸びを安定化させようとしてきたのです。しかし、世界金融危機後の急激な経済収縮に直面する中で、中央銀行の多くは、政策金利のゼロ近傍までの引き下げを余儀なくされます(図表1)。それらの中央銀行はさらに、長期国債をはじめとする多様な資産の購入拡大という、新たな次元の政策に踏み出します。これが、一般には量的緩和と呼ばれる、非伝統的金融政策としての大規模な資産購入政策です。ちなみに、日本銀行はそれ以前の2001年から2006年に、デフレ克服のために、この量的緩和政策を先駆的に導入していました。

量的緩和に代表される非伝統的金融政策の第一義的な目的は、資産購入の拡大等を通じて、実質長期金利を含む金融環境全体に緩和効果を及ぼそうとするところにあります。日本銀行を含む一部の中央銀行は、その後さらに、中央銀行当座預金金利をマイナスにするマイナス金利政策、短期金利のみならず長めの金利もコントロールする長短金利操作を導入しますが、それらは同様に、金融環境全体への緩和強化を目的とした政策といえます。非伝統的金融政策はその点で、もっぱら短期市場金利から他の金融市場への波及を通じた効果を重視していた伝統的政策とは異なります。

この時期のマクロ政策対応の第二の特質は、非伝統的金融政策と並行して、多くの国・地域で景気対策に再び財政政策が用いられるようになった点です。1990年代の日本のような例外はありますが、世界的にみると、財政政策は長らくマクロ安定化の手段としてはほとんど用いられずにいました。しかし、米オバマ政権によるアメリカ復興・再投資法(2009年)をはじめとして、世界金融危機直後には多くの国が財政刺激策を導入しました。これは、財政政策がマクロ経済政策の一翼として復活したことを意味します。

ただし、このように各国・地域が経済停滞克服のために財政と金融を連携させた局面は、ごく短期間で終わりました。それは、2009年にギリシャで財政懸念が生じ、それが欧州債務危機へと拡大した後に、多くの国がさらなる財政悪化を怖れて財政緊縮へと転じ始めたからです。そのため、各中央銀行による粘り強い金融緩和にもかかわらず、低成長と低インフレからの脱却は容易には進まず、多くの国・地域で名目金利のきわめて低い状況が常態化しました。例えば、欧州では、2010年代後半には政策金利のみならず長期金利もしばしばマイナス化していました(図表2)。これは、サマーズのいう長期停滞の最も明白な現れです。結局のところ、マクロ政策連携のさらなる展開は、その後のコロナ禍を待たねばならなかったのです。

  1. 3 Bernanke, Ben (2004) "The Great Moderation," Remarks by Governor Ben S. Bernanke at the meetings of the Eastern Economic Association, February 20.

(3)コロナ禍による世界的インフレ

2020年に始まったコロナ禍は、こうした世界経済の長期停滞状況を、結果としてまさに一変させました。コロナ禍はまず、世界金融危機以来となる生産活動の急激な落ち込みをもたらしましたが、その後は一転して、各国・地域に急激なインフレをもたらしました。米欧の中央銀行の多くは、2022年以降、その高インフレを抑制して目標とするインフレ率を達成すべく、強い金融引き締め政策を行ってきました。そして、2024年半ば頃からは、目標に向けた物価抑制の進展を受けて、金利を適正な水準へと徐々に引き下げていきました。

コロナ禍が拡大した時、各国政府はまず、感染拡大防止のために、経済活動の制限を行いました。その結果、各国の所得と消費が低下し、物価の伸びも低下しました。それは、感染拡大防止策の多くが、供給への制約拡大のみならず、需要の減少をもたらしたからです。ところが、経済活動が再開され始めた2021年春になると、多くの国・地域で物価が上昇し始めました。そこには、供給制約と超過貯蓄という二つの要因が働いていました。コロナ禍による経済活動縮小は、サプライチェーンや流通網の寸断を通じた供給ボトルネックを各所に生じさせていましたが、その解消には時間を要することから、経済活動の再開後にはまず供給制約が顕在化しました。また、コロナ禍の下では消費抑制や公的支援によって人々の貯蓄が拡大しましたが、その超過貯蓄は、経済活動の再開後にはペントアップ需要という形での需要の急拡大を生じさせました。供給が正常化しない中でのこの需要拡大は、必然的に各国・地域にインフレの急伸をもたらしました。

専門家や政策当局者の多くは当初、この脱コロナ禍下での高インフレを、ペントアップ需要の一巡と供給制約の解消によって自ずと収束する、ごく一過性の現象として捉えていたように思います。しかし、現実の推移はその見通しとは異なっていました。2021年から22年にかけて、消費者物価上昇率は米国では9%台、英国では11%台、ユーロ圏では10%台に達するなど、多くの国・地域が1980年代初頭以来の高インフレに直面しました(図表3)。

この高インフレの理由は、基本的にはマクロ的な需要超過、すなわち完全雇用時の総供給に対する総需要の超過が生じたためと考えることができます。それは、米国経済においてはとりわけ明白です。米国では2021年以降、コロナ禍の最中には急上昇していた失業率が低下すると同時に、欠員率が急上昇しました。その結果、求人倍率すなわち失業に対する欠員の比率は、2倍程度にまで達しました(図表4)。米国の2000年代以降の求人倍率は平均で0.7倍程度であることを踏まえると、これは歴史上でも稀にみる労働逼迫を意味します。欠員に直面した企業は、通常は賃金を引き上げて労働力を確保しようとしますが、この時期にはそのことが逆に、大離職(Great Resignation)と呼ばれるような、より高賃金を求めた離職の拡大をもたらしました。その結果、労働需給はさらに逼迫し、米国の賃金上昇率は、物価と賃金のスパイラル的上昇が続いていた1980年代初頭以来の高さにまで達しました(図表5)。

この米国と比較すれば、欧州に生じたインフレは、需要主導のそれというよりは、エネルギー価格の上昇を主因とするコストプッシュの側面が強いものでした。そこには、2022年2月に起きたロシアのウクライナ侵攻が、隣接する欧州へのエネルギー供給を悪化させたことも影響しています。とはいえ、その欧州でも需要超過による労働需給の逼迫は相応に進展しました。欧州の多くの国は2022年中にほぼ完全雇用に達し、いくつかの国では過度な賃金上昇が危惧されるにまで至りました。とりわけ、一時は7%を超える歴史的な賃金上昇が生じていた英国では、その影響を受けやすいサービス価格の上昇に牽引された根強い高インフレが、その後も続いています(図表6)。

3.ゼロノルムを克服しつつある日本経済

(1)長期デフレとゼロインフレからの離脱

世界経済は世界金融危機以降の低インフレと低金利によって特徴付けられる長期停滞経済から、コロナ禍後の一時的落ち込みを経て、高いインフレ率と低い失業率が共存する、専門家が高圧経済と呼んできたような状態に移行しました4。こうした世界経済の状況変化は、当然ながらわが国経済にも影響を与えました。わが国は、既に1990年代には、世界に先駆けて長期停滞的な経済状況に陥っており、それによる経済の硬直化が、人々の通念や規範として半ば永続化しつつありました。しかし、コロナ禍が生み出した世界的インフレの強い圧力は、インフレという痛みを伴いつつも、物価や賃金の根強い硬直性を取り除くという意味で、その通念や規範を打ち砕くように作用したのです。

日本経済は、1990年初頭のバブル崩壊以降、きわめて長期にわたる経済低迷を経験しました。とりわけ、1990年代後半に生じた金融危機の後には、失業率が急上昇し、物価と賃金は相伴って下落し続けるような、深刻なデフレ状況に陥りました。2000年代前半には、米国におけるサブプライム・バブルの影響もあって、景況はやや持ち直しますが、デフレの払拭には至りませんでした。そして、2008年の世界金融危機以降は、再び深刻な失業率の上昇、さらには物価と賃金の低下に見舞われることになります。2013年以降は、第2次安倍政権によるいわゆるアベノミクスを背景として、日本銀行が大規模金融緩和政策を開始します。それは、緩やかな世界的景気回復という追い風もあって、景況の改善とりわけ雇用の回復に大きく寄与しました(図表7)。わが国経済はそれによって、物価の持続的な下落という意味でのデフレを解消することができました。しかしながら、2013年1月に公表された「政府・日本銀行の共同声明」でも言及されていた「消費者物価の前年比上昇率で2%とする」という政策目標は、結局のところ2010年代のうちに達成されることはありませんでした。

このように、わが国経済では、コロナ禍以前には、物価や賃金が下がることはあっても上がらない状態がほぼ30年間続いてきたのです。通常の経済であれば、日本のアベノミクス期のように景況が改善し、雇用が拡大して労働市場が逼迫すれば、物価や賃金は上昇していきます。景況が悪化すれば、その逆が生じます。海外ではそうした経済循環が常に生じていますし、日本でもバブル崩壊以前の1980年代まではそれが生じていました。ところが、わが国ではそれ以降、景況の改善にもかかわらず物価や賃金が凍り付いたように上がらなくなるというきわめて特異な状況が、半ば常態化していたのです。

そのような状態にあった日本経済がいま、一転して数十年ぶりの高いインフレを経験しています。その直接の原因は、コロナ禍後の世界的インフレが日本の輸入価格の急激な上昇をもたらし、それが国内物価に対する強いコストプッシュ圧力として作用したからです。しかし、原因がそれだけなのであれば、輸入価格上昇さえ収まれば物価上昇もまた収まっていくはずです。実際、2008年などが典型的ですが、過去のコストプッシュ局面での物価上昇はごく一過性のものにすぎませんでした。現状はしかし、米価の上昇という特殊要因の寄与が大きいとはいえ、円建て輸入価格の下落にもかかわらず消費者物価の高い上昇が続いています(図表8)。それはおそらく、価格や賃金の設定に関する企業の考え方が大きく転換しつつあるからです。

  1. 4 Okun, Arthur (1973) "Upward Mobility in a High-Pressure Economy," Brookings Papers on Economic Activity, no.1. Yellen, Janet (2016) "Macroeconomic Research after the Crisis," Remarks at "The Elusive ‘Great' Recovery: Causes and Implications for Future Business Cycle Dynamics," 60th Annual Economic Conference Sponsored by the Federal Reserve Bank of Boston.

(2)物価と賃金のゼロノルムはなぜ生じたのか

ところで、わが国経済ではそもそも、なぜ物価や賃金が動かない状態が続いてきたのでしょうか。それはおそらく、1990 年代からのデフレやゼロインフレの経験を通じて、「物価も賃金も上がらないことを当然とする通念」が企業や家計のマインドセットに強く根付いてしまったためです。人々が、物価も賃金も上がることはないだろうと考えるようになれば、物価や賃金は実際に上がりにくくなります。これが、物価と賃金のゼロノルムです5。物価や賃金の動向は、人々が抱く物価・賃金観に大きく左右されるのです。

物価と賃金のゼロノルムとは、企業が実際に価格と賃金を抑制し続けてきたことを意味します。それは、そのことが企業にとっては合理的な戦略であったからです。企業が賃金をできるだけ抑えようとするのは、賃金は企業にとって基本的にはコストに他ならない以上、ある意味で当然かもしれません。他方で、企業は一般には、販売価格を可能な限り引き上げようとする存在として理解されています。しかし実際の企業は、コストが多少上がったり需要が多少増えたりしても、値上げを極力避けることが少なくありません。それは、値下げが競合他社の追随行動をもたらしがちなのに対して、値上げしても競合他社がそれに追随するとは限らないため、値上げは販売量の大きな減少に直結する可能性が高いからです。また、消費者の日常の購買行動の多くはルーティン化された定型的なものであることから、企業は固定的な顧客を囲い込み続けるために、顧客離れをもたらしかねない値上げをできるだけ避けようとします6

このように、企業は特定の状況下では、需要やコストが多少増加しても、それをあえて無視し、販売価格の据え置きを積極的に選択します。逆にいえば、企業が値上げを行うのは、それを行っても販売量が大きく減少することはないと確信できる場合、あるいは、コスト上昇が大きく、それを転嫁しないと収益が十分に確保できない場合に限られます。そのことから、わが国企業が長きにわたって価格引き上げを避け続けてきた理由は、バブル崩壊後の長期経済停滞を通じて、値上げが販売量や収益の減少に直結する状況が続く中で、コストカットを何よりも優先するというマインドセットが拡がった点に求められます。

ここで重要なことは、わが国企業にとってこうした販売価格の据え置きが可能であり続けた理由は、コストとしての賃金を抑制し続けることができたためという点です。企業の目的はあくまでも収益の最大化ですから、企業は可能な限り賃金コストを抑制しようとします。しかし、それは常に可能とはいえません。というのは、企業が賃金を過度に抑制すれば、新規従業員の募集が困難となったり、既存従業員の流出を招いたりするからです。そうした事態は、景気が改善して雇用が全般的に拡大し、労働需給が逼迫しているような場合には、より生じやすくなります。したがって、十分な数の従業員を維持し続けていこうとする企業は、従業員の賃金を労働市場の実勢に合わせて引き上げていきます。そして、企業が賃金を引き上げていくとすれば、企業はそのコストを、生産性改善によって吸収できない限りは販売価格に転嫁し、製品の値上げを行うしかありません。

つまり、1990年代からごく最近まで、わが国において消費者物価上昇率のきわめて低い状態が続いてきたのは、企業の多くが販売価格引き上げを避け続けたためであり、それは賃金抑制が可能であったためです7。わが国経済においては、雇用が拡大してようやく労働需給が逼迫し始めたのはほぼ2010年代後半以降のことであり、それ以前は労働市場での買い手優位が続いていました(図表7)。とりわけ、1990年代後半から2000年代頃までのいわゆる就職氷河期に就業した世代の労働需給不均衡は大きく、新規就業者の多くが正規雇用から締め出されました。これは企業にとっては、特に賃上げなどを行わずとも十分な働き手を確保可能であったことを意味します。

わが国の賃金上昇率がゼロ近傍に留まっていたもう一つの理由は、日本の雇用制度の特殊な構造にあります。わが国の労働市場は、長期就労を前提とする正規雇用と、期限付き就労を前提とする非正規雇用に、大きく分断されています。正規雇用者の解雇は容易ではないため、バブル崩壊後の長期経済停滞に直面した企業の多くは、正規雇用の新規採用を減らして非正規雇用に置き換えると同時に、既存の正規雇用者の賃金を可能な限り抑制するという雇用政策に踏み切りました。そして、賃上げを停止する代わりに既存の正規雇用を維持するという企業のこの経営方針を、労働組合の側も概ね受け入れました。こうして、1990年代半ば以降のわが国経済においては、物価も賃金もほとんど上がらないという特異な状況が、きわめて長く続くことになったのです。

  1. 5 物価・賃金のノルムとは 「物価や賃金がどう動くのかに関する、人々が暗黙に抱いている通念」を意味します。その概念は、1980 年代初頭に米国の経済学者アーサー・オークンによって提起されました。Okun, Arthur (1981) Prices and Quantities: A Macroeconomic Analysis, The Brookings Institution.
  2. 6 これらの事例は、企業が直面する右下がりの個別需要曲線が、既存の価格において屈折していることを意味します。このような需要屈折の理由は、一般には競合他社の非対称的な追随行動に求められています。オークンはそれに対して、企業が値上げを値下げよりも強く忌避する理由を、固定的な顧客との間の信頼関係毀損への怖れに求めています。また、根岸隆はそれを、顧客に対する情報伝達の非対称性に求めています。 Okun 前掲書 ch.4、 根岸隆 (1980)『ケインズ経済学のミクロ理論』日本経済新聞社、第5章。
  3. 7 こうした企業による賃金抑制は、マークアップならぬマークダウンと呼ばれています。青木浩介・高富康介・法眼吉彦(2023)「わが国企業の価格マークアップと賃金設定行動」(日本銀行ワーキングペーパーシリーズ、No.23-J-4)

(3)解消されつつあるゼロノルム

物価のゼロノルムとは、単にさまざまな財サービスの価格上昇率の平均値としての物価上昇率がゼロに近いことではなく、個々の品目の価格が変動しにくいという価格硬直性の強さを意味しています。確かに、個々の価格の変動率がゼロであれば、それらの平均値もまたゼロになるので、価格硬直性が強い経済では一般に物価上昇率も低くなります。他方で、価格上昇率の平均値がゼロ近傍でも、個々の財サービス価格は各市場における需要や供給に応じて柔軟に変動している可能性もあるため、物価上昇率がゼロ近傍だから価格硬直性が強いとは必ずしもいえません。価格硬直性の程度をより正しく把握するためには、平均値としての物価上昇率だけではなく、価格変動率の分布、とりわけそこでの価格据え置き品目の割合を確認する必要があるのです。

1990年代後半から続いてきた日本におけるゼロノルム経済の異例さは、その時期における価格変動率の分布を他国と比較すれば確認できます。例えば、日米間で価格変動率の品目別分布を10年単位で比較してみると、とりわけ2000年代以降は、分布の「山」の位置だけではなく、そのばらつきも大きく異なっています(図表9)。すなわち、日本では変動率がゼロの位置に多くの品目が集中し、かつその集中度合いが高いのに対して、米国ではプラス2%前後の変動率に最も多くの品目が集中しつつも、その集中度合いは低く、全体として価格変動のばらつきが大きくなっています。つまり、わが国経済では、明らかに価格硬直性が異常に高まっていたということです。

注目すべきは、日本で1990年代末以降に硬直性が高まった品目を確認すると、財ではなく、もっぱらサービスや家賃であったという事実です(図表10)。このサービスに関しては、それを供給するコストの過半は賃金と考えられますので、これはわが国で賃金が上がらなくなったことの反映と解釈できます。このように変動がゼロになることは稀にしても、賃金や家賃の動きは本来、粘着性がより高いことが知られています。それは、雇用や家の賃貸に関しては、市場でのマッチングにとりわけコストがかかるからです。パートタイムなどを別とすれば、求職者が希望にかなう職をみつけるとか、企業が必要な人材を捜すことには、多大な費用と時間がかかります。雇う側も雇われる側もこの費用の新たな発生を避けようとするため、結果として雇用関係は継続的になりがちです。これは、労働市場には賃金の動きによって需給を調整するという市場機能が働きにくい、あるいは緩慢にしか働かないことを意味します。これは、家賃についても当てはまります。1990年代末以降の日本では、本来的に緩慢にしか動かないこの賃金や家賃が、ほとんど動かなくなったということです。

あたかも岩盤のように強固であったこの物価と賃金のゼロノルムが、今ようやく崩れ去ろうとしています。それは何よりも、価格変動率分布の形状変化が示しています。そこでは、コロナ禍前と比較して価格変動率ゼロ品目の集中度合いが大幅に低下する一方で、分布全体が右にシフトし、変動率2%から4%の裾野がより分厚くなっています(図表11)。現在の分布の形は、価格硬直性がまだ強くはなかった1990年前後のそれに戻りつつあるといえます。

また、家賃の硬直性はまだ強いながらも、サービス価格の硬直性は徐々に縮小しつつあります(図表10、11)。この数年の春季労使交渉を契機として、賃金上昇のモメンタムとその定着度合いは格段と強まり、数字上はほぼバブル期に並びつつあることから、その流れは今後も続くと考えられます(図表12)。企業向けサービス価格では3%近傍の上昇率が定着しつつありますが、その傾向は賃金コストの比率が高い高人件費率サービスではとりわけ明確です(図表13)。今後において重要なポイントは、この動きが中小企業や地域経済にまで着実に拡がっていくこと、さらには、この「賃金と物価が相互に参照しつつ緩やかに上昇し続ける」という構図が、新たなノルムとして定着していくことです。

4.ポスト・コロナ時代の金融政策運営

(1)コロナ期のマクロ政策対応とその教訓

世界経済は今、コロナ禍後の高インフレをようやく克服しつつある中で、米国の関税政策という新たなリスクに直面し、その帰趨を注意深く見守りつつある段階にあります。こうした大きな不確定要素は存在するものの、ほぼ完全雇用に近い現状の雇用環境を維持しつつ、インフレ率をいかに目標近傍で維持し続けていくのかという基本的課題は、多くの政府や中央銀行において共有されています。金融政策運営に関しても、経済状況をにらみながら政策金利調整を適切に実行しつつ、同時に非伝統的政策の実行によって拡大したバランスシートを適切な水準まで縮小していくという課題は、主要中央銀行においては共通のものです。それは、各中央銀行とも、世界金融危機から大きく拡大したバランスシートを管理しつつ、政策金利調整による物価安定という伝統的な役割を滞りなく果たしていくという、共通の目標を持つことを意味します。

ここで改めて問われるべきは、そもそも各中央銀行のバランスシートが現状のように拡大したのはなぜなのか、そしてそこには何の意味があったのか、という点です。結論としていえば、それは世界経済危機やコロナ禍によって縮小しつつあった経済を下支えするための政策の結果として拡大したのです。そして、その政策は確かにその目的を果たしたと評価できます。それはとりわけ、コロナ禍に対応する政策手段として、大きな役割を果たしました。

コロナ禍が世界を席巻した時、各国政府は、感染拡大抑止のための経済活動制限を行いましたが、それは多くの場合、個人や企業に対する所得補償を必要としたため、各国の財政赤字は急拡大しました。米欧などの各中央銀行は同時に、急激に縮小する経済の下支えのために、世界金融危機後の経済低迷から回復しつつあった中で進めていた金融引き締めを停止し、再び金融緩和に転じました。しかし、その直前まで低インフレが続いていたため、米欧主要中央銀行の多くは金利引き下げ余地をほとんど持っていませんでした。必然的に、その緩和政策の多くは、国債等の資産購入の拡大という量的緩和を用いて行われました。その結果、各中央銀行のバランスシートは再び急拡大することになります(図表14)。

つまり、コロナ禍は結果として、各国政府と各中央銀行による拡張財政と金融緩和を通じて、「財政と金融の連携」を世界的規模で実現させたといえます。このポリシーミックスの効果とは、拡張財政による需要拡大効果が金融緩和による金利抑制を通じてより強められるという点にあります。キプロス中央銀行元総裁であった経済学者、アタナシオス・オルファニデスは、この点に関して、「各国政府はコロナ禍で大規模な財政支出を行ったが、中央銀行の資産購入を通じたバランスシート拡大による低金利の維持が、経済停滞の阻止と回復の促進に寄与した」と指摘しています8

コロナ禍ではこのように、各国で金融緩和と並行して拡張的な財政政策が行われましたが、そこにはまた民間資産残高の拡大を通じた効果も存在していたはずです。というのは、政府部門の債務拡大は民間部門の資産拡大に他ならず、それは政府が財政収支を黒字化させない限り保有主体は変わっても減ることはないからです。これは、コロナ禍下で拡大した超過貯蓄の一部は、民間経済主体が「増税を通じた将来的な資産減少を意識していない」という意味で非リカーディアン的である限り、民間に滞留し続ける恒常的資産として捉えるべきことを意味しています。この政府債務の持つストック効果は、その後はインフレによる実質資産残高の減少によって徐々に縮小していったと思われますが、コロナ禍後の経済回復には一定の効果を持ったはずです9

以上のように、コロナ禍後のマクロ政策対応は、その目的をあくまでも経済の下支えあるいは回復と捉えるならば、十分な成功を収めたといえます。それは先述のように、財政と金融の連携が十全に機能したからです。同様なマクロ政策連携は、世界金融危機後にも一時的には実現されましたが、欧州債務危機後に多くの国や地域が財政緊縮に転じたことから、その効果が十分に発揮されることはありませんでした。結果として、世界経済ではその後も長く、低成長、低インフレ、低金利という長期停滞状況が続きました。

教訓はむしろ、このように行われたマクロ政策連携の効果を過小評価すべきではなかった、という点にあります。というのは、米欧などでその後に生じた高インフレとは、その政策が実際には想定以上の需要拡大効果を持っていたことを意味しているからです。この高インフレが現実化するまでは、専門家や政策当局者の多くは、コロナ禍によるデフレリスクを懸念することはあっても、インフレリスクを意識することはほとんどありませんでした。そして、現実に高インフレが生じても、当初はそれを一過性のものと想定していました。これは、専門家の多くが、低成長や低インフレをマクロ政策で覆すことは難しいという長期停滞論的な経済観に強く囚われたままであったからかもしれません。

  1. 8 Orphanides, Athanasios (2021) "The Power of Central Bank Balance Sheets," IMES Discussion Paper Series, 21-E-10, Institute for Monetary and Economic Studies, Bank of Japan.
  2. 9 これとは逆の、「物価下落が資産の実質価値上昇を通じて消費を促進する」という効果は、提唱者であるアーサー・セシル・ピグーの名を取ってピグー効果と呼ばれています。

(2)伝統的金融政策の新段階

コロナ禍後に生じた高インフレが必ずしも一過性ではないことが明らかになると、米欧の中央銀行はそのインフレの抑制のために急速に政策転換を行いました。すなわち、量的緩和政策を停止して伝統的政策に復帰し、政策金利を引き上げました。この利上げが行われて高金利が維持された局面は、国や地域ごとに時期が異なってはいますが、世界的には2022年春頃から2024年夏頃までの約2年間続きました。

このように、米欧などの各中央銀行は非伝統的政策から伝統的政策へと何の断絶もないかのごとく即座に移行しましたが、それはなぜ可能だったのでしょうか。この問いが重要な理由は、非伝統的金融政策に関してはかねてから、それを導入するのは容易でも脱却は難しいという「出口問題」が専門的な論議の的になっていたからです。現実が示したことは、少なくともその移行において特別な困難が生じることはない、という事実でした。米欧など多くの中央銀行によって政策金利の引き上げは着々と実行され、インフレは確かに抑制されていったのです(図表15)。

金融政策レジームの移行がこのようにきわめて円滑であった理由は、政策金利を調整するその手法が、非伝統的政策を導入する前と後では大きく異なっていたからです。中央銀行はその前までは、政策金利としての短期市場金利のコントロールを、日々の金融調節による資金量の調整を通じて行っていました。そこでは、短期市場金利の目標水準近傍への誘導のために、金融機関が中央銀行に保有する準備預金の額は必要最小限に留められていました。というのは、準備預金量がその必要額を超えてしまえば、市場で資金がだぶついて短期金利が誘導目標よりも切り下がってしまうからです。

世界金融危機が2008年に勃発して以降は、まずは米国のFRBと英国のBOEが量的緩和を開始しました。日本銀行は2013年4月に、大規模金融緩和政策の一環として、「量的・質的金融緩和」を導入しました。先行してマイナス金利政策を行っていた欧州のECBも、2015年3月からは量的緩和の本格的導入に踏み切りました。コロナ危機が2020年に勃発した後にはさらに、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド等の中央銀行が量的緩和を開始しました。これは、中央銀行による資産購入の結果、その準備預金およびバランスシートが拡大することを意味します(図表14)。したがって、量的緩和以前と同じやり方で政策金利を引き上げるためには、資産の売却によって準備預金を量的緩和以前に近い水準まで巻き戻す必要があります。しかし、そのような規模の資産売却を一挙に行うのは、金融市場を混乱させかねないという意味で、きわめて大きなリスクを伴います。

各中央銀行がそこで採用した政策金利操作の手法とは、準備預金すなわち金融機関が中央銀行に持つ当座預金に金利を設定し、一般には「付利」とも呼ばれるその準備預金金利の上げ下げを通じて政策金利である短期市場金利を調整するやり方です10。中央銀行が準備預金に一定の金利を支払えば、金融機関の持つ余剰資金の多くは相互の貸し借りを通じて準備預金によって吸収されていくはずですので、短期市場金利が準備預金金利の水準よりも大きく下がることはありません。なお、現実には、金融機関間の資金仲介コストなどを勘案して、準備預金金利より若干低い水準が短期市場金利の下限になります(図表16)。これは、中央銀行が政策金利としての短期市場金利を動かそうと思えば、資金供給を動かすのではなく、単に準備預金金利を動かせばよいことを意味します。

米FRBは2015年12月に、量的緩和停止後の初めての利上げを行いましたが、そこで実行されたのがこの金利操作手法でした。コロナ禍後にはさらに、多くの中央銀行が量的緩和を解除して金利政策に復帰しますが、そこで実行したのはやはり、準備預金金利の操作による政策金利調整でした。その意味では、この新たな金利操作は、主要中央銀行のスタンダードな手法の一つとしてまたたく間に拡がったといえます。

重要なことは、この現在の標準は、確かに手法としては新規であったとしても、政策金利の調整による物価や経済の安定化という本質的な部分においては伝統的金融政策以外の何物でもない、という点です。経済学説史上、物価安定における金利調整の役割を初めて提示したのは、19世紀初頭前後に活躍した英国の経済学者、ヘンリー・ソーントンであったとされています。ただし、この時代に事実上の中央銀行として機能し始めていたイングランド銀行は、現在とは異なり、もっぱら商業手形の割引を通じて事実上の政策金利を設定しており、ソーントンもそれを前提として金融政策を論じていました11。つまり、金融政策の具体的な運営手法は、時代とともに変わっていくのが当然ということです。

  1. 10 国・地域によっては、金融機関に対して、中央銀行に準備預金として預け入れる最低金額(所要準備額)が義務付けられています。その場合、日本を含めて多くは所要準備額を超える準備預金(超過準備)にのみ金利を付されています。本稿では、議論の簡便化のため、すべて金利が付される対象として「準備預金」と呼んでいます。
  2. 11 Thornton, Henry (1802) An Enquiry into the Nature and Effects of the Paper Credit of Great Britain.

(3)バランスシート政策の基本視点

以上のように、現行の政策レジームでは、世界金融危機までとは異なり、中央銀行の準備預金量やそのバランスシートの大きさそのものは、金融政策を直接制約するものではありません。つまり、準備預金やバランスシートが大きいからといって、金融引き締めによるインフレ抑制が困難になるわけではありません。金融引き締めのためには、準備預金金利を引き上げればよいからです。

この事実は他方で、中央銀行が過大なバランスシートを維持し続けることの妥当性を裏付けるものでもありません。というのは、中央銀行による市場への影響力行使が許容されるのは、それが物価や金融市場の安定というその基本的マンデートの達成に必要な限りにおいてのみだからです。それ以外の状況では、中央銀行はむしろ、市場にできるだけ影響を及ぼさないという意味で市場中立的であることが望ましいのです。こうした観点からは、過大なバランスシートを持つ中央銀行は、市場の安定に十分に配慮しつつも、各種資産の保有残高減少を通じて、それらの価格決定を可能な限り市場に委ねていくべきといえます。

ただし、バランスシートの縮小を行う場合にも留意すべきことがあります。それは、その縮小が短期市場金利のコントロールという金融政策の根幹部分にとっての障害にならないように十分に配慮しなければならない、という点です。これが単なる想像上の懸念ではないのは、量的引き締め政策の途上にあった2019年当時の米国において、市場で短期金利が急騰する事態が実際に生じていたからです(図表17)。こうした状況に直面した米FRBは、一時的な資金供給によって市場の安定を図りつつ、最終的には量的引き締めそのものを停止しました。

このエピソードは、準備預金金利の操作を手段とする金融政策運営においては、短期市場金利の十全なコントロールのため、必要な準備預金量を慎重にモニタリングする必要があることを示しています。まず、準備預金金利が高くなり、その保有が相対的により有利化すれば、金融機関の準備預金への需要、すなわち中央銀行当座預金に滞留しようとする資金量は大きくなります。さらに、規制対応や市場構造等を踏まえた金融機関の準備預金需要には不確実性があります。そのため、中央銀行が過度な量的引き締めによって準備預金の供給をその需要に対して減らしすぎると、短期市場金利が十分にコントロールできなくなる可能性があります。それが、米国で2019年に生じたことの本質です。

中央銀行が潤沢な準備預金を維持することの妥当性は、金融市場の効率性という観点からも正当化されます。というのは、この米国のケースのように、短期市場金利が準備預金金利から大きく乖離する状態となれば、金融機関が準備預金を持つことの機会費用はその分だけ大きくなるからです。逆にいえば、この機会費用を最小化するためには、潤沢な準備預金を通じて短期市場金利が付利を通じてしっかりとコントロールされていることが必要なのです12

わが国の現状では、日本銀行の準備預金とバランスシートの規模はまだきわめて大きく、短期市場金利がその下限から乖離することは考えにくいため、当面はこの問題に配慮することなくバランスシートの縮小を進めていくことが可能です。しかし、仮にその実現は遠い先の将来であったとしても、バランスシートをその適正水準に導くという問題を考える上では、短期市場金利のコントロールは、おそらく何よりも重要な課題となってくるはずです。

  1. 12 この問題はしばしば、貨幣保有の機会費用に関するフリードマン・ルールと結び付けて論じられています。Logan, Lorie (2023) "Ample Reserves and the Friedman Rule," Remarks at the European Central Bank Conference on Money Markets, November 10.

5.「2%物価のノルム」の定着に向けて

主要中央銀行の多くは現在、高インフレ抑制をほぼ成し遂げ、物価安定と持続的成長の両立のために政策を慎重に調整していく局面に入っています。それに対して、日本銀行が伝統的政策に復帰したのは、主要中央銀行による金融引き締めが最終局面に入っていた2024年3月のことです。これは、物価と賃金のゼロノルムという、他の国や地域とは異なる特殊な事情が存在していたためです。確かに、コロナ禍後の世界的インフレは、ゼロノルムを突き崩すビッグプッシュとしての役割を果たしました。とはいえ、わが国の物価と賃金が上がらなくなったのは、深刻なデフレが生じた1990年後半以来のことであり、ほぼ四半世紀にわたっています。その点を考慮すると、わが国の場合は、金融政策の転換を行うにしても、その岩盤化しつつあったゼロノルムが十分に払拭され、物価や賃金の硬直性が確かに払拭されていることを慎重に確認する必要があったのです。

他の国や地域と比較した、わが国のこうした状況の相違は、コロナ禍後の物価の動きからも読み取ることができます。多くの国・地域においては、コロナ禍後の高インフレは、まずは企業物価の急上昇として現れ、それが消費者物価にほぼそのまま転嫁されていきました。しかしわが国においては、企業物価は上昇しても、消費者物価への転嫁は部分的に留まっていました(図表8)。これは、消費者向けに製品を供給している多くの企業が、値上げによる売上げの減少を怖れて、コスト上昇を直ちに価格転嫁するのではなく、少なくとも一時的にはそれを自ら負担したことを示唆しています。とはいえ、企業収益は全体としては伸び続けていることから、コストの価格転嫁は、その後は緩やかに進んでいったと見るべきでしょう(図表18)。価格転嫁がより進みやすくなっていることは、2024年後半以降の再度の物価上昇局面では、企業物価の上昇が一定のラグを置いて消費者物価にほぼそのまま反映されていることからも明らかです。

ゼロノルムに伴うわが国のもう一つの特殊事情は、期待インフレ率が物価の目標である2%を常に下回っていたという点にあります。人々の期待インフレ率が物価目標近傍でアンカーされていれば、実際の物価が目標から乖離したとしても、人々はそれを一時的なものと見なすはずです。そのような状況では、人々は概ねその目標とされたインフレ率を前提として意志決定を行うため、コロナ禍後の高インフレが2年前後で収束したことが示すように、物価目標への回帰はより容易になります。ところが、ゼロノルムが固定化していたわが国では、企業や家計はゼロインフレを前提として行動しており、物価や賃金が上がりにくいままになっていました。これでは、コストプッシュによって物価が一時的に動いたとしても、2%の物価は安定的には実現できません。

そのわが国でも、期待インフレの各種指標は、今回のインフレ局面を通して、2%に徐々に接近してきました(図表19)。これは、2%超のインフレが長期化する中で、企業や家計が次第にインフレを織り込みつつあることを意味します。つまり、人々は明らかに、ゼロインフレにはもう戻らないと考えて行動しているように思われます。これまでは、多くの企業経営者が、値上げができないから賃上げもできないと考え、実際にそのように行動してきました。しかし現在は、数多くの企業が、物価目標の2%を大幅に上回るような賃上げの継続を表明しています。2%の物価目標の安定的な実現は、そうした企業の賃金設定行動が、新たなノルムとして定着した時に、ようやく可能になるのです。

わが国経済は今、このゼロノルムから2%ノルムへの移行の最中にあります。そうした中で、これまで長らくインフレを経験することがなかった家計にとっては、最近の物価上昇は大きな負担となっています。家計の負担感がこのように大きいのは、今回のインフレのそもそもの発端が輸入価格上昇によるコストプッシュであり、必然的に賃金上昇を上回る物価上昇が長期化せざるを得なかった、という事情によっています。輸入価格上昇は既に一段落しているため、今後はおそらく、コスト上昇の価格転嫁が一巡することで、企業物価だけでなく消費者物価も落ち着いてくると思われます。とはいえ、賃金上昇から物価上昇を差し引いた実質賃金が基調として低下から上昇に転じるまでには、もう少し時間を要するかもしれません。

私自身は、日本銀行としては、そうした物価の推移を見極めながら、世界経済も含めたその時々の経済情勢に即応した金融政策の調整を柔軟に実行していくことが必要と考えています。というのは、わが国経済がゼロノルムを克服しつつあるとなれば、物価や経済の安定という観点からは、現状の金融緩和度合いを適切なタイミングで調整していくことがより重要になるからです。わが国経済にゼロインフレが続いていた時代には、物価の上振れリスクよりも下振れリスクに配慮し、緩和的な金融環境を維持し続けることが何よりも重要でした。しかし、現状のように労働市場は完全雇用近傍に到達しており、マクロ的な需給ギャップもほぼゼロに達していると思われる状況では、下方リスクのみではなくて上方リスクにも配慮することが必要となります。私自身は、純粋に国内の経済状況という観点だけからみれば、そうした意味での新たな政策視野が必要な段階が近づきつつあると認識しています。その一方で、わが国経済は現在、米国の関税政策による大きな下方リスクに直面していることもあり、当面は、物価の基調を可能な限り慎重に見極める必要があると考えています。