【挨拶】最近の金融経済情勢と金融政策運営大阪経済4団体共催懇談会における挨拶
日本銀行総裁 植田 和男
2025年10月3日
1.はじめに
日本銀行の植田でございます。本日は、関西経済界を代表する皆様とお話しする機会を賜り、誠にありがとうございます。皆様には、日頃より、私どもの大阪、神戸、京都の各支店の業務運営にご協力頂き、厚くお礼申し上げます。昨年、当地を訪問した際には、大阪・関西万博の建設会場を視察させて頂きました。それ以来、万博の成功を強く願っていましたが、今年4月の開幕以降、既に国内外からの一般来場者が2,200万人を超えるなど、連日盛況が続いていることを大変嬉しく思います。改めて、関係者の皆様のご尽力に心より敬意を表します。
本日は、皆様から忌憚のないご意見を頂き、今後の日本銀行の政策判断や業務運営に活かしてまいりたいと思います。以下では、皆様方との意見交換に先立ちまして、私から、わが国の経済・物価情勢や金融政策運営の考え方についてお話しさせて頂きます。
2.経済・物価情勢
経済の現状と先行き
はじめに、経済の現状と先行きについてお話しします。わが国の景気は、一部に弱めの動きもみられますが、緩やかに回復していると判断しています。
まず、企業部門について、図表1をご覧ください。一昨日公表しました、私どもの短観の結果をみますと、企業の業況感は、日米関税交渉の合意により、先行きの不透明感が後退したとの見方から、製造業の一部で改善し、全体としても良好な水準となっています。図表2をご覧ください。企業収益は、関税政策による輸出採算悪化の影響などが製造業でみられていますが、全体としては既往ピーク並みの高水準が維持されています。右の表で今年度の収益計画をみますと、製造業では、前回調査の6月時点と同程度の8.6%の減益が予想されています。もっとも、関税政策の影響が相対的に小さい非製造業では、前年並みの収益予想となっており、全体としてみれば、高めの水準が維持される見通しです。
図表3をご覧ください。左のグラフの輸出については、本年春先以降、自動車を中心に関税の引き上げに伴う駆け込み輸出とその反動の動きがみられますが、基調としては横ばい圏内の動きが続いています。右のグラフの設備投資は、緩やかな増加傾向が続いており、今年度の設備投資計画をみても、増勢が維持されています。企業の皆様へのヒアリングによれば、デジタル関連投資や人手不足に対応するための省力化・効率化投資など、中長期的な視点で必要な投資は、しっかりと行っていくとの声が多く聞かれています。
続いて家計部門です。図表4をご覧ください。個人消費は、食料品価格の上昇に伴い、消費者の節約志向が強まるもとで、非耐久財の消費の減少傾向が続いていますが、全体としてみれば、雇用・所得環境の改善を背景に底堅く推移しています。
図表5は、今申し上げた雇用・所得環境に関するものです。左のグラフで名目賃金をみますと、高い伸び率となった春季労使交渉の結果を反映し、所定内給与が着実な上昇を続けているほか、昨年度後半の好業績等を受けて、夏場の特別給与もしっかりと増加しています。この間、最低賃金の前年度からの引き上げ幅が過去最大となるなど、賃金上昇の裾野も拡がっています。雇用者数も、人手不足感の強い業種を中心に増加を続けており、名目賃金と雇用者数を掛け合わせた雇用者所得は、高めの伸びが続いています。
このように、米国の関税政策は、わが国の輸出関連企業の収益面にマイナスの影響を及ぼしていますが、これまでのところ、設備投資や雇用・賃金動向を含め、わが国経済全体に波及している様子は窺われません。
先行きを展望すると、個人消費は雇用者所得の改善に支えられて底堅く推移するものの、関税政策の影響を受けて海外経済が減速し、輸出や設備投資の下押しに作用することから、わが国経済の成長ペースはいったん鈍化すると考えています。もっとも、その後は、海外経済が緩やかな成長経路に復していくもとで、成長率は高まっていくとみています。
物価の現状と先行き
続いて、物価情勢についてお話しします。図表6をご覧ください。生鮮食品を除いた消費者物価の前年比は、足もとで+2%台後半となっています。こうした物価上昇の主因は、米を含む食料品の動きです。水色の棒グラフが物価全体の伸び率に占める食料品価格の寄与度を示していますが、これをみますと、消費者物価上昇の半分以上が食料品価格の上昇に起因しています。
食料品価格、とりわけ米価格の上昇は、人々の消費量が突然増えたというよりも、供給サイドの一時的な要因によって生じている面が強いため、これが収まっていけば、消費者物価の押し上げ寄与は次第に低下していくとみています。このため、日本銀行では、7月の展望レポートにおける中心的な見通しとして、生鮮食品を除いた消費者物価の上昇率は、来年度にかけて2%を下回ってくると予想しています。
そのうえで先行きを展望すれば、関税政策などの影響を受けつつも、成長率が高まるもとで人手不足感が強まり、中長期的な予想物価上昇率が上昇していくことから、基調的な物価上昇率、すなわち食料品などの一時的な変動要因を除いた物価上昇率と現実の物価上昇率はともに高まっていき、展望レポートの見通し期間の後半には、2%の「物価安定の目標」と概ね整合的な水準に達すると考えています。
当面の点検ポイント
今申し上げた経済・物価の中心的な見通しを巡っては、様々な不確実性が存在します。以下では、当面、わが国の経済・物価情勢を点検するうえで重要と考えられる3つのポイントについて、お話しします。
第1に、海外経済の動向です。海外経済については、各国の通商政策等の影響を受けていったん減速するものの、その後は緩やかな成長経路に復していくと日本銀行はみています。しかし、こうした見通しは、主要国の経済や政策の動向、とりわけ米国経済の今後の展開によって大きく変わる可能性があります。
その米国では、4から6月の実質GDPがプラスに転化するなど、これまでのところ、関税政策によるマイナスの影響はあまりみられず、緩やかな成長を続けています。企業収益は、ハイテク企業を中心に堅調に推移しており、設備投資も、AI関連を中心に緩やかな増加が続いています。個人消費は、耐久財消費が下支えとなる形で、底堅く推移しています。
もっとも、夏場以降は、図表7の左グラフの通り、雇用者数の増加ペースの鈍化が目立ってきています。その割に、中央の失業率の上昇は緩やかなものにとどまっていますが、これについては、厳格な移民政策を背景に労働供給も同時に減速していることが影響していると思われます。この間、右グラフの消費者物価は、一部の財で上昇してきているものの、これまでのところ、関税のコストを販売価格に転嫁する動きは限定的です。とはいえ、米国の輸入品に広く関税が課されていることは間違いありませんので、問題は、その影響がいつ、どのような形で表れてくるかです。米国の企業が輸入コストの増加を負担するのであれば、企業収益の悪化が、米国内の雇用・所得の下押し圧力として作用します。先ほど申し上げた雇用者数の変調は、こうした動きが表れ始めているからなのかもしれません。また、企業がコストの増加を負担しきれず、販売価格に転嫁されていけば、消費者物価が上昇し、個人消費にマイナスの影響を及ぼすことになります。
先日、米国のFRBは、雇用の下振れリスクを重視する形で、9か月振りの利下げを決定しました。こうした政策が米国経済を下支えすることが期待されます。もっとも、先行きについて、パウエル議長は、インフレリスクは上方へ、雇用リスクは下方へ偏っていると述べており、依然として不確実な要素が少なくありません。米国経済の今後の展開や、そのもとでの金融政策運営は、世界経済の動向や国際金融・為替市場の変化を通じて、わが国の経済・物価に大きな影響を及ぼす可能性がありますので、引き続き、注視していきたいと考えています。
第2のポイントは、関税政策が、わが国企業の収益や賃金・価格設定行動にどのような影響を及ぼすか、という点です。15%という関税率が決まったことは、関税政策を巡る不確実性の低下に繋がります。そうした関税率を前提とした各企業の新たな経営戦略は、今後、明らかになってくると考えています。
今回の短観の結果をみる限り、関税の影響が相対的に小さい非製造業については、全体として、高水準の収益が維持される可能性が高いと思われます。一方、輸出ウエイトの大きい自動車などでは、冒頭申し上げたように、今年度の収益計画は、相応の減益見通しとなっています。
こうした業種を含め、これまでに蓄積された高水準の企業収益がある程度バッファーになると見込まれるため、賃金と物価が相互に参照しながら緩やかに上昇していくメカニズムは、基本的に、今後も維持されると考えられます。しかしながら、先行き、海外経済や各国の通商政策等を巡る不透明感が高い状況が続くような場合には、企業におけるコスト削減の動きが強まったり、物価上昇を賃金に反映させる動きが弱まる可能性があります。日本銀行としては、今後、こうしたリスクが顕現化してくることがないか、本支店を通じて、企業の皆様の声をきめ細かく確認していきたいと考えています。本日もこの後、皆様の見方をお伺いできれば幸いです。
第3の点検ポイントは、食料品価格の動向です。現在の価格上昇は、基本的に一時的な要因による部分が大きいとみていますが、最近では、人件費や物流費を食料品の販売価格に転嫁する動きも相応に影響しているという指摘もあり、企業の賃金・価格設定行動次第では、価格上昇が想定以上に長引く可能性もあります。反対に、食料品価格上昇の長期化が、家計のコンフィデンス悪化に繋がれば、その分、個人消費が下押しされ、物価上昇率を押し下げる方向に作用する可能性にも、今後、注意していく必要があります。
3.日本銀行の金融政策運営
続いて、日本銀行の金融政策運営についてお話しします。
米国の関税政策導入が公表された4月を境に、内外経済を取り巻く環境は大きく変わりました。関税政策は、米国自身の労働市場や物価情勢を含めて世界経済に不確実性をもたらし、15%というこれまでにない高い関税は、わが国経済の下押し要因として作用することになります。こうした点を踏まえると、まずは、緩和的な金融環境を維持し、経済活動をしっかりと支えていくことが大切です。このため、日本銀行は先月の金融政策決定会合において、0.5%の政策金利を据え置きました。
先行きの金融政策運営については、図表8でお示ししている通り、現在の実質金利がきわめて低い水準にあることを踏まえると、これまでご説明したような経済・物価の中心的な見通しが実現していくとすれば、経済・物価情勢の改善に応じて、引き続き政策金利を引き上げ、金融緩和の度合いを調整していくことになると考えています。
経済・物価情勢が改善しているかどうかについては、当面は、先ほどお話ししたいくつかのポイント、すなわち、米国を始めとする世界経済の動向、関税政策がわが国企業の収益や賃金・価格設定行動に与える影響、食料品価格を含めた物価動向などを点検していくことになります。
日本銀行としては、経済・物価の中心的な見通しが実現する確度や、上振れ・下振れ双方向のリスクを丹念に点検し、予断を持たずに、適切に政策を判断していく方針です。
4.おわりに
最後に、日本銀行のバランスシートの縮小に向けた取り組みについて、一言付け加えたいと思います。
日本銀行は、10年以上に及んだ大規模な金融緩和の枠組みのもと、長期金利の低位安定を目的とした長期国債の買入れや、市場のリスクプレミアムに働きかけるためのETF、J-REITの買入れを実施してきました。その結果として、日本銀行のバランスシートは、主要中央銀行の中でも特に大きく拡大しました。
これらはいずれも、デフレを克服するために必要な施策でしたが、短期金利の操作を通じた金融政策という、中央銀行にとっていわば通常の姿に戻った現在、膨らんだバランスシートを適切な規模に戻していくことが、日本銀行にとっての、もう一つの大きな課題です。
保有資産の大部分を占める国債については、昨年の夏以降、国債市場の安定に配慮しつつ、市場機能の改善を進めていけるよう、買入れ額を段階的に減額しています。また、先月の金融政策決定会合では、ETFおよびJ-REITについても、市場等に攪乱的な影響を与えることを極力回避する形で、市場への売却を開始することを決定しました。
バランスシートの縮小プロセスは少しずつ進んでいますが、その規模が大きいだけに、このプロセスは、今後、かなりの期間に亘って続くことが予想されます。日本銀行としては、先行する海外の事例なども参考にしながら、適切なバランスシート運営を進めてまいりたいと考えています。
ご清聴ありがとうございました。
