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【講演】日本経済の復活に向けて

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日本外国特派員協会における講演

日本銀行総裁 白川 方明
2011年2月7日

目次

1.はじめに

日本銀行の白川でございます。本日は、日本外国特派員協会でお話する機会を頂き、大変嬉しく存じます。本日は、「日本経済の復活」というテーマのもと、日本経済の現状と課題、そして課題の克服に必要な取り組みを中心にお話します。

どの国の経済の歴史を振り返っても、自信と熱気に満ち溢れた時代もあれば、そうでない時代もあります。1980年代は日本経済の強さが際立ち、世界各国から注目を浴びた時代でした。しかし、1990年代、特に後半以降は、バブル崩壊とその後の金融危機の影響から、日本の経済状態は悪化しました。そうした状況を象徴する言葉は、内外でよく使われている「失われた10年」という言葉です。このような言葉を頻繁に聞いていると、人間はどうしても元気を失いがちになります。自国の経済状態を他国と比較し、好不調に応じて自信過剰になったり自信不足になるという傾向は、皆さんの母国でもそうだと思いますが、どの国にもみられます。

自国の経済状態を他国との比較で評価するという思考様式には長所も短所もあります。長所は言うまでもなく自国を客観的に捉えるきっかけになることです。短所は、時々の経済状況に応じて、過度の楽観論や悲観論に陥る危険があることです。比較が表面的なものに止まる場合には、誤ったインプリケーションを引き出し、結果として、政策や経営戦略を誤る可能性もあります。いずれにせよ、グローバル化の進展が言われる今日にあっても、国を超えた相互理解は容易ではありません。それだけに、外国特派員の方のお仕事は難しくもあり、また、刺激に富むものだと想像しています。

私自身も、仕事柄、マスコミの方々や政策当局者を含め海外との接点は多く、日本経済に関しても多くの質問を受けてきました。典型的には以下のような質問です。第1の質問は、「なぜ、日本経済は活力を失ったのか」というものです。全ての疑問はここから始まります。第2の質問は、「なぜ、長期に亘ってデフレが続いているのか」というものです。こうした厳しい経済情勢に関する議論は、「日本の財政は維持可能か」という第3の質問に繋がります。これに関連して、「財政バランスの悪化にもかかわらず、なぜ、日本国債の金利は低位安定しているのか」という質問もしばしば頂戴します。そして、最後に行き着く第4の質問が、「日本経済は本当に復活できるのか」というものです。

日本経済が現在、大きなチャレンジに直面していることは、疑いのない事実です。しかし、私は、日本経済は必ず復活できると信じています。ただし、我々自身の努力が必要なことは言うまでもありません。当然のことながら、正しい処方箋も不可欠です。そのためには、日本経済の強さも弱さも正確に認識する必要があります。この点については、後ほど、外国特派員の皆さんから率直なご意見をお聞きしたいと思っています。

2.日本経済の現状

それではまず、日本経済の短期的な動向から話を始めます。日本の景気は、リーマン・ショックをきっかけに大きく落ち込んだ後、2009年春頃から回復方向に転じました。2010年夏までは、新興国・資源国経済の強まりを背景とした輸出・生産の増加や、耐久消費財の販売促進策の効果などにより、改善を続けてきました。昨年秋口以降、そうした動きには一服感がみられましたが、最近のデータの動きを見ますと、踊り場から脱却する蓋然性が高まってきたと判断しています。こうした日本の景気の短期的な姿を他の先進国と比較すると、少なくとも悪い方の分類には入っていません1 。因みに、国際通貨基金(IMF)の最新の見通しによると、2010年の日本経済の成長率は、G7諸国の中で最も高い4.3%となっています(図表1)。失業率をみても、日本はリーマン・ショック以前よりも高いとはいえ4.9%と、米国やユーロエリアの10%前後の水準を大きく下回っています(図表2)。勿論、現在の経済活動の水準はリーマン・ショック前の水準をまだ下回っており満足すべきものではありませんが、これは多くの先進国に共通する問題です。金融システムの安定度という点でも日本は最も安定しています。このように、景気の短期的な動向や金融市場の状況をみる限り、日本は他の先進国に比べて少なくとも悪いという訳では決してありません。

しかし、それにもかかわらず、なぜ、日本経済に対して、悲観的な見方が多いのでしょうか。その最大の理由は、日本経済の成長率が趨勢的な低下傾向にあることに求められます。

  • 1 日本のバブル崩壊以降の経験と今回の金融危機以降の米欧経済との比較については、白川方明(2010)「特殊性か類似性か? — 金融政策研究を巡る日本のバブル崩壊後の経験 —」2010年IJCB秋季コンファランス「グローバルな危機からの金融政策への教訓」における基調講演をご参照ください。

なぜ、日本経済は活力を失ったのか

そこで、「なぜ、日本経済は活力を失ったのか」という、冒頭ご紹介した第1の質問について考えてみます。日本は1955年頃から1970年頃まで、1990年以降の中国と同様に、10%程度の高度成長を続けました。その後、日本経済の成長率は徐々に低下しましたが、それでも80年代までは、他の先進国を大きく上回る年平均4%台の成長を続けました。しかしながら、90年代には、成長率が1%台半ばへ大きく低下し、2000年代は、リーマン・ショックによる落ち込みの影響も加わり、1%にも満たない平均成長率となっています(図表3)。

経済成長率の長期的な基調は、就業者数と就業者1人当たりのGDPの伸び率、すなわち、生産性の伸び率という2つの要素に規定されます(図表4)。このうち、90年代については、生産性の伸び率の低下が、成長率低下の主な要因でした。生産性の伸び率が低下した第1の理由は、バブル崩壊の影響です。多くの企業は、バブル期に積み上がった設備・雇用・債務という「3つの過剰」の解消を優先せざるを得ず、成長率は低下しました。第2の理由は、第1の理由とも重なる部分もありますが、世界経済の大きな環境変化に対する日本企業の適応の遅れです。すなわち、1989年のベルリンの壁崩壊以降、市場経済のグローバル化が急速に進み、世界は「大競争」時代に突入しましたが、日本の企業は、こうした環境変化に十分には適応できませんでした。振り返ってみると、高度成長期において、日本企業は、人口増加に伴う豊富な労働力や国内市場の拡大、あるいはライバルとなる後発工業国の不在といった有利な条件に恵まれ、急成長を遂げました。そうした時代環境の中では、長期安定的な取引関係を前提としつつ、低価格・高品質の製品を国内および先進国向けに大量に生産・販売するというビジネス・モデルが育まれました。これは当時の環境には適合したものではありましたが、その成功体験が強かった分だけ、90年代に出現した新たな市場と新たな競争相手を前にして、多くの企業がビジネス・モデルの転換に手間取りました。

2000年代に入ると、バブル崩壊の影響が次第に小さくなったこともあり、生産性の伸び率低下には歯止めがかかっています。今でも日本の生産性上昇率は、先進国の中では上位グループに属しています(図表5)。しかし、今度は他国に例をみないような急速な高齢化の進行が、成長率にも次第に大きな影響を及ぼすようになってきました。すなわち、生産活動の主な担い手であると同時に、消費や納税といった面でも中核を担う年齢層である生産年齢人口は、95年頃をピークに減少し始め、2000年代入り後、減少ペースが加速しています(図表6)。こうした状況は、労働力人口の伸びを低め、供給面から経済成長の重石となります。需要面からみても、高齢化の進行は成長率に影響します。中核的な消費年齢人口の減少は国内市場の縮小要因として作用します。また、現役世代による高齢者の扶養負担の増加も、現役世代の消費の抑制要因となります。勿論、高齢者の増加により、医療や介護サービスを始めとする潜在的な需要の増加も期待できますが、そうした需要に見合う形で供給体制が整備されない場合には、国内需要は全体として停滞します。選挙民の高齢化が選択される経済政策の変化をもたらすとすれば、このルートを通じて経済成長に与える影響も無視できないかも知れません。

なぜ、長期に亘ってデフレが続いているのか

続いて、「1930年代のデフレなど、よく引き合いに出されるデフレの事例に比べれば緩やかなものだとはいえ、なぜ、日本のデフレは長期に亘って続いているのか」という第2の質問について考えてみます。物価が下落する直接の原因は、マクロ的な需給バランスの悪化です(図表7)。この点、最近の物価下落については、リーマン破綻をきっかけとする世界的な需要の落ち込みの影響が大きいと考えています。しかし、90年代末以降における緩やかながらも長期に亘るデフレ傾向は、短期・循環的な要因だけでは説明できません。より根源的な原因は、日本経済の成長力の趨勢的な低下傾向にあると判断しています。成長率が長期に亘って低下する状況の下では、人々の所得増加期待は低下し、企業や家計の支出活動が抑制されてしまうため、物価下落圧力が続きます(図表8)。

デフレについては、中央銀行がもっと積極的に資金を供給しさえすれば解決するとの見解が聞かれることもあります。潤沢な資金供給は重要ですが、これだけでデフレの問題が解決する訳ではありません(図表9)。米国でも、FRBのバランスシートは、2008年後半以降、約2.5倍に拡大しましたが、物価上昇率は低下傾向を続けています。デフレの克服のためには、粘り強い金融緩和と成長力を高めるための努力の2つが不可欠です。

なぜ、日本国債の金利は低位安定しているのか

以上のような日本の経済情勢に関連してよく聞かれる第3の質問は、「財政バランスの悪化にもかかわらず、なぜ、日本国債の金利は低位安定しているのか」というものです(図表10)。実際、10年物の国債流通利回りの2000年初以降今日までの平均は、1.4%程度という極めて低い水準です。

長期金利の趨勢的な動きは3つの要因、すなわち、予想経済成長率、予想物価上昇率、そして国債保有に伴う様々なリスクに応じたプレミアムによって決まります。したがって、長期金利の低位安定に対する1つの説明は、日本経済が、当面、低成長と低インフレを続けるという市場の見方を反映しているというものです。

もっとも、これだけでは十分な説明とは言えません。大幅な財政赤字が続く中、仮に財政の持続可能性に対する懸念が拡がり、投資家が国債保有に伴うリスクを意識するようになれば、長期金利は上昇するはずです。しかし、これまでのところ、現実にそうした現象はみられていません。この点に関し、国内民間部門の貯蓄によって日本国債の大部分をファイナンスできることが、長期金利の安定に寄与しているとの指摘があります。しかしながら、過去の歴史が示すように、どの国も永久に財政赤字を続けることはできません。そうした観点で考えますと、長期金利が安定している根源的な理由は、日本は税制や社会保障制度の改革などを通じて、最終的には中長期的な財政健全化に取り組む意思があると投資家が認識しているからではないかと考えています。さらに付け加えれば、日本銀行の金融政策運営が、物価安定のもとでの持続的成長の実現という点において軸がしっかりしていることも、重要な要因だと思っています。このことは逆に言うと、そうした信認を大事にし、中長期的な財政健全化に取り組んでいく必要があることを意味しています。

3.日本経済にとって必要な取り組み

続いて、「日本経済は本当に復活できるのか」という第4の質問に話を進めます。先ほど私は、日本経済の復活を信じていると申し上げましたが、何も努力をせずに復活できる訳では勿論ありません。復活への道の全ては、日本経済が抱える問題を正確に認識することから始まります。我々は、成長力の趨勢的な低下こそが日本経済の最大の問題であることを理解したうえで、これを解決するための具体的な取り組みを進めていく必要があります。

この点に関連し、「まずデフレの克服が必要である」という議論があります。言うまでもなく、デフレの克服は日本経済にとって大きな課題です。勿論、物価がまず先行して上昇することもありますが、これは資源・エネルギーや食料等の国際商品市況の上昇が物価を押し上げるようなケースです。しかし、そうしたケースでは交易条件が悪化し、わが国の実質的な所得水準は低下します。国民がそのような物価上昇を望んでいる訳ではありません。過去の景気と物価の関係から明らかなように、経済成長率の高まりによって需給ギャップが引き締まり、その結果として物価が上がってくるというのが経済のメカニズムです。日本の経験している緩やかなデフレという現象は、趨勢的な成長力低下という根源的な問題の表れです。

そこで以下では、日本経済の成長力を引き上げるための取り組みとして、私が特に重要と考えている点を3つ挙げたいと思います。

第1に、急速な高齢化の問題に取り組んでいくことです。現在の人口動態を前提にすると、生産年齢人口の減少ペースは、先行き加速します。それだけに、労働参加率の引上げ、とりわけ高齢者や国際的にみて低い水準に止まっている女性の労働参加率がもっと上昇するような環境作りが社会全体として求められます(図表11)。

第2に、経済全体の生産性の伸び率を高めることが必要です。勿論、これまでも日本企業は、ジャスト・イン・タイムと呼ばれる徹底した生産・在庫管理や英語にもなっている「カイゼン」の取り組みに代表されるような、生産性向上に向けた取り組みをひたむきに続けてきました。バブル崩壊後は人件費の圧縮にも努めてきました。個々の企業単位でみると、オペレーション上の効率性の追求は重要ですが、グローバルな競争が激しくなる下では、こうした努力だけで生産性が向上する訳ではありません。かつて、日本のウォークマンが世界の市場を席捲したのは、製品としての完成度の高さに加え、幅広い世代に対し、音楽を屋外で聞くという新たなライフスタイルを提案したからです。日本の企業には、製品自体の機能や性能を高める「モノづくり」の視点に加え、製品の利用場面を含めた新しい価値を提供するという「仕掛けづくり」の視点がこれまで以上に求められています2。このように、企業には、常に消費者の潜在的なニーズを掘り起こし、新たな付加価値を創造していく取り組みが必要になっています。経済全体の生産性向上という点では、こうした企業単位の努力だけでは十分ではありません。経済全体の新陳代謝を高めること、すなわち、資本や労働といった生産要素がニーズの低下した分野から高まっている分野に円滑に移動することを妨げないようにすることも極めて重要です。

さらに、成長著しい海外市場の需要を積極的に取り込んでいく努力も重要であり、最近では、どの企業も、特にアジア市場の需要の取り込みに腐心しています(図表12)。中国を始めとする東アジア諸国は、中間所得層の拡大とともに、消費需要が爆発的に増加しています。同時に、これらの国々では、高成長の裏側で、かつて日本が経験した公害問題や都市の過密問題が生じており、そこにも、日本企業が長年培ってきた技術力やノウハウを活かす大きなチャンスがあります。こうした海外の需要を実際に取り込んでいくためには、開かれた貿易体制を整備していくことも必要です。政府は、昨年、FTAやEPA交渉を加速する方針を打ち出しましたが、こうした議論の今後の展開も、日本経済の生産性向上にとって重要なポイントになります。規制緩和、税制改革、市場開放を始め、政府の果たすべき役割は大きいものがあります。

第3に、財政バランスの改善に向けた取り組みも必要です。財政状況の悪化は、現役世代を中心に将来の所得増加期待を低下させ、支出を抑制する要因になります。また、昨年来の欧州周縁国のソブリン・リスク問題にみられるように、財政の維持可能性に対する信認が低下すると、財政と金融システム、実体経済の三者の間で負の相乗作用が生じ、経済活動にも悪影響が及びます。財政バランスの改善は、インフレによって達成される課題ではありません。確かに、物価が上昇すれば、税収は増加するかもしれませんが、同時に、社会保障費や公共工事費をはじめ歳出も増加します。物価の上昇が長期金利に織り込まれれば、国債の利払い負担も増加します。財政バランスの改善は、実質的に歳出を減らし、歳入を増やす努力なしには実現しないことを十分に認識する必要があります(図表13)。

  • 2 野中郁次郎・勝見明両氏は「イノベーションの作法」(日本経済新聞出版社、2007年)において、現代におけるものづくりには、量で計測可能な「モノづくり」だけではなく、物語性を持ち、買い手がその文脈に共感し価値を感じる「コトづくり」が求められていると指摘しています。

4.改革の必要性の認識と日本経済の強み

以上、日本経済の成長力引上げに向けて必要となる取り組みをいくつか挙げましたが、そうした取り組みは十分には進展していません。その理由の1つは、成長力は低下しているとはいえ、日本経済がなお、相対的にしっかりとした基礎体力を有しているため、改革の必要性を感じにくいことです。例えば、日本の場合、国内の市場規模が比較的大きいため、企業は、国内に照準を合わせてビジネスを行っていても、相応の利益を上げることが可能でした。財政問題についても、現実に長期金利が上昇しておらず、為替市場でも自国通貨の下落や資本流出といった事態が生じていません。実際、リーマン破綻以降、日本経済が米欧経済に比べて大幅に悪化したにもかかわらず、為替市場では、円はむしろ「安全通貨」という理由で買われました。これは、日本は現在も経常収支の黒字国であり、ストックの面でも世界最大の対外純債権国であるため、外貨資金繰りも盤石との評価を受けているためです。

いずれにせよ、成長率の低下は長期に亘って進行してきた問題だけに、それを反転させるには大変なエネルギーが必要です。この点でやや気懸かりなのは、日本の社会において健全な楽観主義が後退していることです。過度の楽観主義がバブルを生むように、過度の悲観主義は経済の停滞の原因にもなります。必要なことは、改革に向けた強い意思と過度の悲観主義の払拭です。日本経済や社会は、今でも以下のような多くの強みを有していることを忘れてはならないと思います。

第1の強みは、日本が世界の成長センターであるアジアに位置していることです。例えば、今や日本の最大の貿易相手国となった中国との貿易の動向をみると、2000年以降、輸出は4.7倍、輸入は2.7倍と大きく増加しました。中国向けの直接投資残高も、2000年代を通じて5倍強に拡大しました(図表14)。アジア諸国からの年間入国者数もこの10年で約700万人に倍増し、入国者全体の8割近くを占めるに至っています。今後も、所得水準の向上に伴い、アジア人観光客は益々増加すると見込まれ、日本の地域経済の活性化という面でも大きな貢献が期待されます。

第2の強みは、日本が有する高度な技術力です。特に環境やエネルギー分野での技術力は高く、日本経済のエネルギー効率の高さは国際的にも群を抜いています(図表15)。新興国におけるインフラ需要の大幅な増加と、低炭素社会への移行や環境保護という世界的な流れを考えると、日本の技術力に対するニーズは、今後間違いなく高まるはずです。実際、高度な発電・蓄電技術や浄水・淡水化技術を活かし、世界的にも大きな製品シェアを誇る日本企業が少なくありません。最近では、送配電・送配水といった都市インフラ整備の面でも、電力会社や地方自治体が、効率的で安定したサービス提供を武器に海外展開に意欲をみせるなど、従来とは違う新しい動きがみられています。

最後に挙げたい第3の強みは—なかなか適切な言葉が見つからないのですが—、日本社会の有するソフト・パワーとも言うべきものです3。自動販売機の多さに象徴される治安の良さ、時間通り運行される新幹線に代表される秩序立った業務運営、小売店における店員の丁寧な対応が醸し出す快適さなどは、外国特派員の皆さんも感じられていることと思います。そうした安全や信頼といったソフト・パワーは、経済のグローバル化が進展する下で、ますます重要な資産になっていくように感じています。

先ほど、急速な高齢化の進行が日本経済の重石となっていると述べましたが、一方で、高齢化、すなわち長寿化により、医療や介護、観光やレジャーなどの分野では需要の増加も生じるはずです。例えば、フィットネスクラブの売上高は、高齢化に伴う健康志向の高まりなどを受けて、この10年で4割近く伸びています。ただ、こうした分野のうち、医療や介護に代表される公的規制の強い分野では、供給体制が十分に整備されておらず、需給のミスマッチが生じています。この面では国内的にも潜在的な需要を掘り起こす余地は大きいように思います。日本は高齢化や人口減少といった問題を真っ先に経験している先進国ですが、そう遠くない将来、こうした問題は他のアジア諸国にも確実に訪れます(図表16)。振り返ってみると、日本における省エネルギー技術の飛躍的な発展は、深刻な公害と石油価格の上昇という大きなチャレンジを契機とするものでした。現在の高齢化も大きなチャレンジですが、同時に、ロボットに代表される日本の技術力やソフト・パワーを活用すれば、きめ細かな介護サービスの提供といった新たなビジネス・モデルを生み出すことも可能であり、日本企業にとっての大きなチャンスともなり得るものだと思います。

  • 3 ジョセフ・ナイ氏は、国際政治の分野において、国の有する文化や価値観などが持つ影響力を重視し、これを、軍事力などのハード・パワーと対置してソフト・パワーと呼んでいます。

5.日本銀行の対応

最後に、日本経済をデフレから脱却させ、物価安定のもとでの持続的成長経路に復帰させるための日本銀行の政策対応について、ごく簡単に説明します。まず、日本銀行は、「包括的な金融緩和政策」という名前で呼ばれる強力な金融緩和を実施しています。オーバーナイト物の金利水準は実質的にゼロであり、世界で最も低い水準になっています。また、日本銀行では、既に公表している「中長期的な物価安定の理解」に基づき、物価の安定が展望できる情勢になったと判断するまで、そうした実質的なゼロ金利政策を継続していくことを約束しています。さらに、中央銀行としては異例の措置ですが、昨年秋以降、ETF(指数連動型上場投資信託)やJ−REIT(不動産投資信託)といったリスク資産の購入も始めました。

加えて、日本経済の成長基盤強化に向けた融資・投資に取り組む民間金融機関に対し、日本銀行が、国債等の担保を見合いに長期かつ低利の資金を供給する仕組みも導入しています。日本銀行としては、本資金供給が「呼び水」となって、金融機関と企業の前向きな取り組みが進んでいくことを強く期待しています。

日本は、バブル崩壊とその後の金融危機、そして現在は急速な高齢化といった多くの問題を他の主要国に先駆けて経験しています。金融政策面でも、今でこそゼロ金利政策や量的緩和、あるいは信用緩和といった政策を多くの中央銀行が採用していますが、フォアランナーである日本銀行は、これらの政策を自らの頭で考えて生み出してきました。そうした日本銀行の積極性や革新性が十分に認識されていないことはやや残念な気持ちもしますが、日本銀行としては、日本経済の復活という大きな目標に向けて、今後とも創意工夫を重ねながら、中央銀行としての貢献を粘り強く続けていく方針です。

6.おわりに

本日は、日本経済が直面している課題と、その復活に向けて必要となる取り組みについてお話してきました。戦後の経済史を振り返ると、当初は解決困難とみられた厳しい課題に直面した国が、問題点に正面から取り組んだ末に復活を遂げた事例が数多くあります。例えば、先進国でいえば、70年代後半から80年代にかけての米国は、それまで絶対的な優位を誇っていた製造業の国際競争力の低下という困難に直面しました。また、今でこそ製造業の好調振りが注目を集めている韓国も、ほんの10年ほど前には、深刻な通貨危機に見舞われ苦境に陥りましたが、その後、危機の原因を究明し、再発を防ぐための経済構造改革に取り組んだことが、今日の躍進に繋がっています。このように、歴史とは常に、新たな挑戦とその克服の過程といえます。日本経済も例外ではなく、新たな挑戦に直面する度に、強い危機意識のもと、必死の取り組みを行うことで問題を克服してきました。国民の間で改革への意思が共有されれば、その達成に向けて駆け出すことができると思っています。

今年の干支は「卯」です。日本では、ウサギが坂道を駆け上がる姿と重ね合わせ、物事が順調に進展する状況を「ウサギの上り坂」と表現します。西洋でも、「復活」の象徴であるイースターエッグを運んでくるのはウサギの役目です。私としても、本年が、日本経済の復活に向けた1年になることを強く期待しています。

本日は、ご清聴ありがとうございました。