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【挨拶】日本経済の展望と課題

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大阪経済4団体共催懇談会

日本銀行総裁 白川 方明
2011年10月31日

目次

1.はじめに

日本銀行の白川でございます。話を始めます前に、まず、先月の台風12号、15号により被害を受けられた皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。そうした中、今なおご心配は尽きないと思いますが、本日はこのように、関西経済界を代表する方々とお話しをする機会を賜りまして、誠にありがとうございます。また、当地では、日頃より、日本銀行の大阪、神戸、京都の各支店が大変お世話になっております。この場をお借りしまして、改めて厚くお礼申し上げます。

前回の懇談会から1年余りが経過しました。この間、わが国は、東日本大震災という非常に大きな試練を経験しました。震災の影響は国民生活の様々な分野に及んでおり、経済という分野だけで議論をすることは適当ではありませんが、経済活動は幸いなことに、予想以上のスピードで回復しました。これは、サプライチェーンの修復や電力不足への対応にみられるように、わが国の企業と国民の比類なき対応力の賜物だと思います。その結果、震災直後に大幅に落ち込んだ生産や輸出は、夏場には概ね震災前の水準に復しました。もちろん、震災の影響は、被災地だけでなく、様々な形で全国各地に及びました。原子力発電所の稼働低下もその一つであり、とくに関西は、この冬の電力需給が厳しい状況にあると認識しています。この間、海外に目を向けますと、欧州情勢の緊張が続いており、今後の展開には細心の注意を払っていかなければなりません。

本日は、皆様方との意見交換に先立ち、私から、日本経済の先行き見通しやそれに大きく影響する海外経済の動向について述べ、さらに日本経済の展望、課題や日本銀行の金融政策運営について、お話しします。

2.日本経済の展望

初めに日本経済の展望からお話します。震災直後から夏場までは、日本経済の回復ペースは、供給面の制約が解消に向かう速度によって規定されてきましたが、供給面の制約がほぼ解消された現在は、需要面の動向が鍵を握ります。そうした観点から、日本経済の先行きを展望しますと、当面は、海外経済の減速や円高の影響を受けることもあり、震災以降の回復過程に比べ、成長のペースは緩やかなものにとどまるとみられます。その後は、内需の拡大メカニズムが基本的には維持されている新興国・資源国に牽引されて、海外経済の成長率が再び高まることや、震災復興関連の需要が徐々に顕在化していくことなどから、日本経済は、緩やかな回復経路に復していくと考えられます。日本銀行が先週公表した展望レポート(図表1)における実質GDP成長率の見通しで申し上げますと、2011年度は震災の影響もありますので、+0.3%と低めの成長にとどまるとみています。しかし、2012年度は復興需要の増加などもあって+2.2%、そして2013年度も+1.5%と、プラス成長を続けていくと予想しています。

物価については、消費者物価の前年比は、2009年の夏場をボトムにマイナス幅は着実に縮小し、本年9月は+0.2%となっています。こうした大きな流れも踏まえつつ先行きを展望しますと、消費者物価の前年比は、当面はゼロ%近傍で推移するとみられます。展望レポートでお示しした計数で申し上げますと、2011年度は対前年度比0.0%と予想しています。その後は、2012年度は+0.1%、2013年度は+0.5%と予想しています。

このように、日本経済は、やや長い目でみれば、物価安定のもとでの持続的成長経路に復していくと考えています。もっとも、こうした見通しには様々な不確実性があることは十分認識しています。とくに重要な点を二つ挙げますと、ひとつは海外の金融経済情勢、とりわけ欧州ソブリン問題の今後の展開です。もうひとつは日本経済の中長期的な成長力です。

3.欧州ソブリン問題

実体経済への波及経路

まず、欧州ソブリン問題からお話しします。

欧州ソブリン問題の発端は、2009年10月、ギリシャの政権交代をきっかけに、同国の財政赤字が、公表されていた数字以上に深刻であったことが判明し、債務返済に疑念が持たれるようになったことにあります。その後ギリシャは、ユーロ圏諸国や国際通貨基金(IMF)による資金繰り支援を受けながら、財政再建策を講じてきましたが、経済はマイナス成長、財政再建は進まず、という厳しい状況が続いています。一方で、財政の持続性に対する市場の信認の低下が、アイルランド、ポルトガル、さらにはスペイン、イタリアという規模の大きな国にも、程度の差はあれ飛び火していきました。財政に懸念を持たれることになった諸国の国債は価格が下落し(図表2)、これらの国債の保有額が大きいとみられた金融機関にも、市場の厳しい目が向けられるようになりました。このように、財政に対する信認の低下が、金融システムの問題を引き起こし、それがさらに次の二つのルートで、世界経済に影響を与え始めています。

第1に、欧州の多くの金融機関は、市場で資金を調達しにくい状況が続いており、このため、貸出などを抑制し、資金の確保を優先しています。その結果、欧州の金融機関に依存している企業等の借入コストや資金調達に影響が及んでいます。そうした状況が続くと、新興国におけるプロジェクト・ファイナンスや貿易金融などにも影響が及ぶことになります。

第2に、グローバルな投資家がリスク回避姿勢を強め、それが世界中の資金フローや様々な資産価格に影響を与えています。この点は、本年夏場以降の世界的な株価の下落や、欧米における社債の信用スプレッド、すなわち国債金利に対する金利の上乗せ幅の拡大という形で表れています。一方で、相対的に安全とみられている資産には投資家の買いが集まり、例えば、米国、ドイツ、イギリスなどの国債の利回りは、歴史的に見てきわめて低い水準にまで低下しています。通貨については、スイスフランや日本円、ドルのリスクが低いと評価され、為替相場の上昇圧力につながりました。最近の円高は、このように、グローバルな投資家がリスク回避姿勢を強めたことを通じて、欧州ソブリン問題が日本へ波及してきた現象の一つだと言えます。こうした状況下、本日、財務省により為替市場への介入が実施されました。日本銀行としては、こうした行動が、為替相場の安定的な形成に寄与することを強く期待しています。

欧州ソブリン問題は、財政赤字から始まった問題ではありますが、その影響は金融システムを通じて、欧州の実体経済にも拡がり始めています。そして、経済が悪化すれば、問題の出発点であった欧州の財政の立て直しもさらに難しくなります。これは、財政と金融システム、実体経済の間で、負の相乗作用がさらに強まるリスクをはらんだ問題であると、認識しておく必要があります。

緩和の動きが続く日本の金融環境

ただ、日本にとって幸いなことは、これまでのところ、日本国内では、銀行や企業が資金を調達する市場は、米欧のような緊張には見舞われず、平静に推移しているという点です(図表3、4)。企業の資金調達環境をみると、むしろ緩和の動きが続いています。銀行の貸出金利は緩やかに低下しており、社債やCPの信用スプレッドも、低水準で安定しています。このような安定の背景としては、日本の金融機関が、懸念の源泉である欧州諸国の国債をあまり保有していない、という点が挙げられます。また、日本の金融機関は、近年、自己資本の充実に努め、リスク全体をその範囲内に抑制してきており、外貨の調達にも大きな支障は生じていません。企業の手元資金も潤沢です。日本銀行が、極めて緩和的な金融政策を行っており、のちほど申し上げるように、社債やCPなど、通常は中央銀行が買入れ対象としないリスク性の資産を買入れていることも、日本の金融市場の安定に寄与していると考えられます。

しかし、グローバル化が進んだ金融市場の相互連関の強まりを考えると、日本の金融市場も、展開いかんによっては、海外の影響から決して無縁であり続けるわけではありません。先ほど申し上げたように、夏場以降、円高や株安がみられたという意味では、欧州の問題は既に日本の金融市場にも波及しています。今後の国際金融資本市場の動向については、注意が必要です。

欧州ソブリン問題への対応

以上申し上げたように、欧州ソブリン問題は、当面の世界経済にとって、大きな下振れリスクとなっています。欧州ソブリン問題が危機に発展することを防ぐために、取り組むべき課題を4つ挙げたいと思います。

第1に、当面何よりも重要なことは、リーマンショックのような世界金融危機に発展する事態を回避し、金融市場の安定のために万全を期すことです。この点で、震源地の中央銀行である欧州中央銀行は、金融市場への潤沢な資金供給を継続しています。ドルの資金市場に対しては、日本銀行を含め主要国の中央銀行は協力して、年末越えなど長めの期間のものも含めて資金供給を行う体制を整備しています(図表5)。この点は、リーマンショックの前に比べると、大きな改善が図られていると言えます。このほか、日本銀行と韓国の中央銀行は、先日、円とウォンを相互に受け渡す取極めについて、その金額を大幅に拡充しました。本措置により、国際金融資本市場における不確実性の高まりが日韓両国経済に及ぼす影響を緩和し、東アジアの金融為替市場の安定強化につながることを期待しています。

第2に、金融システムに対する信頼の回復に向けて、ユーロ圏の諸国が具体的な取り組みを強化することです。この点、過去数週間の間に前進もありました。欧州金融安定基金(EFSF)の機能拡充について、ユーロ圏17か国の承認が得られたほか、金融機関の資本増強を巡っても議論が進み始めています。今月26日には、欧州における一連の首脳会議において、ギリシャへの追加支援を含め、これらの点に関する包括的な対応策が取りまとめられました。今後、各種の施策が具体化され、迅速に実行されていくことを強く期待しています。

第3に、財政を巡る市場の懸念が強い国を中心に、財政赤字の縮小に向けて着実に取り組むことです。たいへん難しい課題ですが、それをやり遂げていかなければ、危機の火種はくすぶり続けることになります。

第4に、経済の構造改革を進めて成長力を強化することです。欧州の債務国の問題は根源的には対外競争力の低下に起因しています。従って、生産性を上げ、コストを切り下げ、対外競争力を回復する努力が不可欠です。

他山の石としての欧州ソブリン問題

このような欧州ソブリン問題については、日本が他山の石として意識すべき点が多く含まれています。ひとつだけ挙げるとすれば、国債は、絶対安全という前提に立って金融取引で大きな地位を占めているだけに、ひとたびその安全性に疑問が生じると、金融システムさらには実体経済へと影響が広く及ぶというものです。

日本では、政府債務の対GDP比率が先進国の中で最も高いにもかかわらず、国債金利は低位で安定した状態が続いています。その背景としては、日本の国債市場が基本的に国内投資家による市場であり、その国内には、家計・企業の膨大な余剰資金が存在している、という点がよく指摘されます。しかし、国債の問題を、需給バランスだけで語るのは適当ではありません。もちろん、中期的な財政健全化への取り組みを、市場参加者が根拠を持って確信しているならば問題ありませんが、そうでないとすれば、欧州のように、何らかのきっかけで市場参加者が国債保有のリスクを意識し始め、非連続的な金利上昇につながる可能性は否定できません。日本の金融機関の国債保有比率は世界的にみても高く、その金融機関は企業に対する主要な資金供給者であることを考えると、わが国でも国債の信認の問題は重要です。中期的な財政健全化の道筋を明確にし、それを具体的な施策で裏付けていくことが重要であると思います。

4.日本経済の中長期的な成長力

以上、日本経済の見通しに関係する二つの大きな留意点のうち、欧州ソブリン問題および関連する論点について述べてまいりました。次に、二つ目の、日本経済の中長期的な成長力についてお話しします。

重要性を増す成長力強化への取り組み

日本の実質GDP成長率の推移(図表6、7)を長期的にみますと、70年代は年平均5%、80年代も4%台半ばと高めの成長を維持していましたが、90年代には1%台半ばに大きく低下し、2000年代入り後は、年平均で1%にも満たない水準となっています。このように、日本経済は、震災以前から、急速な高齢化や労働生産性の伸び悩みなどを背景に、経済成長率の趨勢的な低下という問題に直面してきました。震災後は、着実な復興の推進、電力の安定供給の確保、日本産品に対する海外からのレピュテーションの回復など、新たな課題も加わっています。また、最近は、企業による海外生産の拡大が、国内の産業空洞化につながるのではないか、という懸念も聞かれます。これらはいずれも重たい課題ですが、ここでは、最後の産業空洞化を巡る懸念について、私の認識を申し上げ、それを通じて日本経済の成長力強化の意味を考えてみたいと思います。

拡大する海外需要への対応

最近における日本企業の海外生産拡大の背景としては多くの理由が考えられますが、企業に対するアンケート調査をみると、圧倒的に大きな理由として、拡大する現地需要への対応が挙げられています。ちなみに、日本の生産年齢人口は、90年代半ばをピークに減少に転じていますが、ちょうどそのころから、GDP成長率において、海外が日本を恒常的に上回るようになりました。そうした構造変化と軌を一にして、日本企業の海外生産比率、すなわち企業全体の生産額のうち海外拠点による現地生産額が占める割合は、趨勢的に上昇してきています。

現在起きている海外展開の動きも、大きな流れで捉えれば、グローバル需要の拡大トレンドに沿った、企業の成長戦略の一環とみることができます(図表8)。近年は、製造業だけでなく、非製造業でも海外展開が積極化しています。新興国では、社会インフラのニーズが引き続き旺盛であるほか、輸出依存から内需の自律的な拡大へと成長の構造が変化しつつある中で、小売、物流、外食、飲食料、生活用品など、日本国内では既に成熟した市場が、急速に拡大しています。グローバル市場が拡大する中で、どの国の企業にとってもビジネス・チャンスは平等に増えているわけですが、対外直接投資残高の対GDP比率を国際比較しますと、2010年時点で、イギリス75%、ドイツ44%、米国31%となっているのに対して、日本は15%にとどまっています(図表9)。こうした数字でみる限り、日本企業の海外戦略は、他の先進国に比べてまだ遅れを取っています。他国に先んじて人口が減少し始めた日本にとって、グローバル需要を積極的に取り込んでいくことは、他国以上に喫緊の課題になっています。

グローバル展開・内需開拓の両面作戦

問題は、海外生産の拡大が、産業空洞化、すなわち国内生産活動の縮小や雇用の減少をもたらし、日本経済の中長期的な成長率を押し下げるような事態につながらないかどうかです。1985年のプラザ合意以降、何度も空洞化の危険が叫ばれましたが、海外生産の拡大に関するこれまでの経験をみる限り、全体として、国内へのマイナスの影響が強く残ったわけではありません。これは、海外生産の増加に伴い、現地工場向けの部品輸出の増加や、海外子会社からの受取り配当の増加という形で、国内経済に対するプラスの影響もあったからです。

それでは、円高の影響はどのように考えれば良いでしょうか。海外生産比率の推移をみると、ほぼ一貫した上昇トレンドが続いていますが、その中で、上昇ペースが比較的速い時期や遅い時期があります。海外進出の流れそれ自体は、海外市場の拡大テンポに大きく規定されますが、その中で、各企業が具体的に進出を決定するタイミングについては、為替相場の動向が影響を及ぼします。近年では、2000年代半ばにかけて為替相場が大きく円安に振れ、その影響もあって生産の国内回帰が起こり、海外生産比率の上昇ペースが一服した局面がありました。為替相場の絶対水準を評価することは困難ですが、相対的にみれば、現在の為替相場が、リーマンショック前と比べて、かなり円高になっていることは言うまでもありません。海外市場の拡大という基本的要因に加え、為替相場のスウィングという要因も加わって、現在は、国内回帰から海外シフトへと、企業の戦略が再び戻りつつあるとみられます。したがって、短期的には、海外生産シフトが過去の平均的なペースに比べて速く進む可能性があります。一旦移転した生産拠点の国内復帰が難しいことを考えると、国内の中核的な企業や工場が海外シフトした場合、将来円高が是正されたとしても、再び国内で企業集積のメリットを取り戻すことは困難です。また、急速な円高により、海外生産シフトのスピードが一気に加速した場合には、国内で新たな事業や産業が育つペースが追いつかなくなるリスクが高まります。

いずれにせよ、世界の成長センターが新興国に移っていることを考えると、中長期的に海外拠点が拡大していく方向性自体は、今後も続くと考えられます。その場合、企業からみて重要なことは、企業価値の向上という視点で内外の事業を見直していくことです。高齢化が急速に進む日本で、長い目で見て本当に深刻な問題になりうるのは、人員の過剰ではなく労働力不足です。このため、海外でできる仕事は海外に移管し、一方、国内では、「国内ならでは」の財・サービスを生み出していくことが重要となります。例えば、貴重な経営資源や人材を、新しい技術や高付加価値品の開発・製造にシフトさせていくなど、国内拠点の機能を高度化していくことが求められます。また、多様化する消費者ニーズに応えることや、高齢化ビジネスの展開などに、人材を振り向けていく、という分業が必要になってくると予想されます。

加えて、日本国内に、海外の企業や人材を呼び込む環境整備も必要です。先ほど、対外直接投資の数字をご紹介しましたが、それ以上に対内直接投資、すなわち「内なるグローバル化」において、日本は他の先進国に大きく遅れています。対内直接投資残高の対GDP比率を、2010年の数字で申し上げますと、イギリス48%、ドイツ29%、米国18%に対して、日本はわずか4%と、文字通り桁違いの低さにとどまっています(図表9)。対内投資比率の低さは、基本的には海外企業から見て日本国内への投資の収益率が低いことを反映しています。裏返していうと、日本の企業はそうした低い収益率の中で、活動を行っていることになります。いずれにせよ、各国の企業がそれぞれの強みを発揮して、国境を意識せずに相互に分業を深めていくことは、世界経済全体の発展にもつながります。日本から海外に出ていくだけでなく、海外から日本に入ってくる流れも太くしていくことが重要であり、海外の企業や人材を引き寄せるだけの競争的な環境を整備していく必要があります。日本経済の成長力強化のためには、グローバル展開と内需開拓の両面作戦で取り組んでいくことが必要です。

日本の強みも活かしてフロンティアの開拓を

マクロの視点から国全体の経済成長を分析する際に、潜在成長率という概念が使われますが、これは、ミクロの企業レベルでは、常に新しい付加価値を生み出し続ける経営の力に対応します。時間の経過とともに、事業の役割や収益力が変化していく以上、人材や資本を収益率の低い事業に固定化させず、高収益の事業を創出し、資源をそこへシフトさせていくことで、一人当たりの付加価値の向上、すなわち賃金と株主リターンの引き上げが可能になります。そのような新陳代謝の活性化こそ、日本経済の成長力強化という抽象的な概念の、より具体的な内容だと言えます。

もちろん、フロンティアを切り拓いていく過程が大変厳しいものであることは、言うまでもありません。しかし、日本は、世界の成長センターであるアジアの一角を占めるという地理的条件で、国際競争上の優位性を持っていますし、製品に対する信頼性やきめ細かなサービス精神など、優れたソフトパワーも受け継がれてきています。さらに、現在の局面における非常に大きな強みは、先ほど申し上げたように、米欧とは異なり、日本の金融システムの安定が保たれているという点です。私どもの短観をはじめ、各種のアンケート調査をみると、世界的な金融市場の緊張にもかかわらず、日本の金融機関の貸出姿勢は、2000年以降の平均を上回る水準にまで改善しています。かつて、日本のみが不良債権の処理に苦しみ、金融の弱さが実体経済の足を引っ張った時期もありましたが、現在の日本の金融機関は、健全なバランスシートを背景に、企業の戦略的な取り組みを後押しする力を発揮できるはずだと考えられます。これは日本の強みです。企業と金融機関が相互の成長戦略をかみ合わせていけば、新たな市場を切り拓くアイディアや手段が発見されていくと思います。

5.日本銀行の金融政策運営

以上、日本経済が緩やかな回復経路に復していくという見通しをお示ししたうえで、見通しに関する留意点として、欧州ソブリン問題や、中長期的な成長力を巡る課題について、お話ししてきました。こうした見通しやリスク認識を持ちながら、日本銀行は、現在、「包括的な金融緩和政策」と呼ばれる枠組みのもとで、強力な金融緩和を推進しています(図表10)。これは、次の3つの措置から成り立っています。

第1に、日本銀行は、政策金利を、実質的にはゼロ金利と言える0〜0.1%としています。第2に、こうした実質的なゼロ金利政策を、物価の安定が展望できる情勢になったと判断するまで継続することを、対外的に約束しています。第3に、中央銀行としては異例の措置ですが、長期・短期の国債だけでなく、CP、社債、さらには、指数連動型上場投資信託(ETF)、不動産投資信託(J-REIT)といったリスク性の資産を市場から買入れています。この資産買入れ等のための基金は、当初35兆円程度の規模からスタートしましたが、その後も、累次にわたり大幅な増額を行っています。先週27日には、長期国債を対象として基金をさらに5兆円程度増額し、総額55兆円程度に拡大することを決定しました。これは、物価の安定が展望できる情勢になったと判断されるにはなお時間を要すると予想されるうえ、国際金融資本市場や海外経済の動向次第で、経済・物価見通しがさらに下振れるリスクにも、注意が必要であるとの認識に基づくものです。以上のような強力な金融緩和の推進が、米欧の金融市場で緊張が続く中にあっても、日本の金融環境の安定をもたらすひとつの要因になっていることは、先ほど申し上げた通りです。

このように緩和的な金融環境が維持されているにもかかわらず、これまで、長期にわたる需要の低迷と、その結果としてのデフレが続いてきている背景には、先ほど述べた趨勢的な日本経済の成長率低下と、それによる企業や家計の成長期待の低下という、根源的な要因が存在しています。この面でも、日本銀行は、昨年夏以降、成長基盤強化を支援するための資金供給という新たな枠組みのもとで、金融機関を通じて企業の前向きな取り組みを支援しています。経済の中長期的な成長力を強化していくためには、民間、政府を含め各方面の積極的な取り組みが不可欠です。この間、日本銀行としても、日本経済がデフレから脱却し、物価安定のもとでの持続的成長経路に復帰するよう、今後とも、中央銀行としての貢献を粘り強く続けていきます。

6.おわりに

そろそろ時間がなくなってきたので、本日の話を締め括ろうと思います。現在、世界のどの地域をとっても、困難な課題に直面しています。欧州のソブリン問題については、ギリシャがことの発端になったと申し上げましたが、より根源的な背景に遡れば、現在のユーロ圏の仕組みにもともと内包されていた構造的な問題が、リーマンショックによって表面化したものと言うことができます。米国も、住宅バブル期に積み上がった家計の過剰債務や、リーマンショック後の金融危機や景気悪化への対応によって膨らんだ政府債務が金融市場や経済の不安定化要因になってきています。

新興国については、世界の成長エンジンとしてますます存在感を高めていくとみられますが、当面は、インフレ圧力を抑制して経済成長の持続性を確保していけるかどうか、不透明感が高い状況にあります。中長期的にも、日本の後を追うように急速な高齢化に直面するアジア諸国が、少なくありませんし、エネルギーや食料の世界的な供給能力が、新興国の旺盛な需要をまかない続けていけるのか、という問題もあります。

このように、世界の各国、各地域とも、それぞれに課題を抱えています。わが国としても、悲観的な気分に陥ることなく、前向きに課題に取り組むことが必要です。わが国の場合、最大の課題は成長力の引き上げです。労働人口が減少する中、労働生産性を向上させない限り、将来の世代は現在の高い生活水準を維持することはできません。労働生産性とは、言うまでもなく、付加価値、すなわち賃金と利益を労働投入量で割ったものですが、生産性の上昇とは、人々が対価を支払っても良いと思う財・サービスをこれまで以上に提供することによって可能となるものです。そうした努力なしに、経済は成長しません。

わが国は、世界に先駆けて多くの問題に直面してきた、いわば「課題先進国」です。そうした日本が、環境・エネルギー制約や少子高齢化への対応などにおいて、先見性あるソリューションを開拓していけば、世界経済の発展に貢献することができますし、日本自体の成長戦略にもなります。ここ関西には、環境・エネルギー、医療・介護、ハイテク、高機能素材など多くの分野において、グローバル・シェアが高い先端技術を持つ企業が多数存在していますし、ユネスコの世界遺産が5件も集中するなど、観光資源も豊富です。アジア各国からのアクセスも良好です。府や県の境を越えた広域的な産学連携など、チャレンジ精神あふれた新しい動きも見られます。関西発のイノベーションやビジネスモデルが、日本経済の活性化につながるよう、日本銀行としても、皆様の取り組みに期待し、応援してまいりたいと思います。

本日は、ご清聴ありがとうございました。