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【挨拶】少子高齢化を迎えるアジア地域と我が国の金融経済情勢

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熊本県金融経済懇談会における挨拶要旨

日本銀行政策委員会審議委員 白井 さゆり
2012年11月29日

目次

1.はじめに

日本銀行の白井さゆりです。本日は、熊本県の行政および金融・経済界を代表する皆様方にお集まり頂き、親しくお話する機会を賜りまして、誠にありがとうございます。また、皆様には、日頃より、日本銀行熊本支店の様々な業務運営にご協力頂いており、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。

日本銀行では、総裁、副総裁と6人の審議委員から構成される政策委員会メンバーが、全国各地を訪問し、日本銀行の考え方や金融政策をご説明するとともに、地域経済の状況やご意見をお聞かせ頂き、政策判断の際に参考にさせて頂いております。皆様との意見交換を楽しみにして参りました。どうぞ宜しくお願い致します。

本日は、私の方から前半と後半に分けてお話を進めさせて頂きたく存じます。まず前半では、我が国を含むアジア地域が直面する人口動態の実情と今後の見通しに注目し、そのうえで人口動態が経済に与える影響について消費に焦点を当ててご説明します。そして後半では、前半で申し上げた中・長期的な人口動態の変化を念頭におきながら、最近の我が国の経済・物価情勢と日本銀行の金融政策についてお話します。その後、皆様の方から、熊本県経済の現状とグローバルな視点を含む経済活性化の取り組み、あるいは日本銀行の金融政策を含めて率直なご意見を承れれば幸いに存じます。

2.経済成長と人口動態の変化―人口動態の変化を迎えるアジア―

それでは、我が国を含むアジア地域の人口動態の変化、すなわち「少子高齢化」の実態について、これまでの傾向並びに今後の見通しを中心にお話していきます。

(1)人口のボーナス期とオーナス期

我が国が世界でも稀にみる急速なペースで少子高齢化が進行していることは広く知られていますが、本日は、まず、この少子高齢化がそもそもどのような現象なのかやや掘り下げて考えてみたいと思います。

ここで話を分かり易くするために、一つの発展途上にある仮想国を想定しましょう。一般的に、生活水準が低く医療福祉の体制が未整備の国では、出生率が高いだけでなく死亡率も高いことが多いため、人口がさほど伸びない状況にあります。こうした所得水準の低い国が経済成長する過程では、(1)まず、乳幼児の死亡率が低下することによって「年少人口」(15歳未満の人口)が急増しますが、(2)その後、さらに所得水準が上昇していくと出生率の低下が始まると考えられます。

出生率の低下が始まる初期の段階では、労働者の中でも若い年齢層が多く、しかも(15歳から64歳までの)「生産年齢人口」の伸び率が総人口の伸び率を上回ります1。別の見方をすれば、年少人口と「高齢人口」(65歳以上)を足し合わせた「従属人口」の伸び率が生産年齢人口の伸び率を下回っており、従属人口が生産年齢人口に占める割合、すなわち「従属人口比率」が低下していると考えられます。この時期は、生産年齢人口の伸び率が大きいため、労働供給量の増加によって経済成長率を直接的に高めることができます。また、一般的に、貯蓄を形成するのは勤労世帯ですので、社会全体の貯蓄比率が高まることでインフラ投資や企業の設備投資が促され、間接的に経済成長を高めることができます。従って、こうした人口動態の変化が経済にとってプラスに働きやすい側面を捉えて、この時期は「人口ボーナス期」と呼ばれています2

その後、人口ボーナス期は終焉を迎え、社会は新たな人口動態の局面に移行します。この局面では、退職を迎えた高齢者数がさらに増えているため生産年齢人口の伸び率が総人口の伸び率を下回り、従属人口比率が上昇に転じていきます。この時期は、労働供給量の減少によって経済成長率が直接的に低下するだけでなく、貯蓄比率の低下或いは生産年齢人口の減少により(企業数が減少する等で)投資活動も抑制されるため、間接的にも経済成長が下押しされる可能性があります。従って、人口動態の変化が経済にとって重荷となるという意味で、この時期は「人口オーナス期」と呼ばれています3

  1. 1 生産年齢人口の総人口に占める割合が上昇しているともいえます。
  2. 2 人口ボーナス期の初期は、例えば15〜40歳代辺りの比較的若い世代で、家族を形成する世代の生産年齢人口が増えている時期に当たります。
  3. 3 この時期は、急増する高齢者向けの年金・医療・介護といった社会保障制度の給付が拡大する時期にもあたり、財政や社会保障制度の負担が重くなっていくことが予想されます。

(2)人口オーナス期に移行している日本

こうした考え方を整理しますと(図表1)、ベビーブームの発生時期等によって振れはありますが、人口ボーナス期の開始時期は「従属人口比率が低下を開始する時期」、人口ボーナス期が終わる時期は「従属人口比率が上昇に転換する直前の時期」と定義できます。

我が国の場合、国連データが入手可能な1950年以降でみると、既に人口オーナス期に移行しています。まず、「合計特殊出生率」4が1950年代後半から低下を始めて以降、均してみれば低下傾向をたどっており、2011年には1.39へと低下しています(図表2)。この間、平均寿命は、男性では50.1歳(1947年時点)から79.6歳(2010年時点)へ、女性は54歳(同)から86.4歳へと急速に伸びていることから、高齢者の人数が急ピッチで増加しています。この結果、65歳以上の高齢者が総人口に占める割合は、1970年には国際的に「高齢化社会」と定義される基準値7%を、1995年には国際的に「高齢社会」と定義される基準値14%を超えており、2011年時点では23%と世界最高の水準に達しています(図表3)。高齢人口比率が7%から14%に移行するまでに要した年数は25年で、イタリアの61年、スウェーデンの85年と比べてかなり短くなっています。こうした出生率の急速な低下と高齢化を背景に、出生率の低下で従属人口比率が低下を始めた1955年頃に人口ボーナス期が始まり、生産年齢人口が減少を始めた1995年頃に人口オーナス期に移行したと考えられ、人口オーナス期に入ってから既に15年以上の年数が経過しています(図表4、図表5)。

  1. 4 一人の女性が生涯に出産する子供の平均数。

(3)アジアでも進行する人口動態の変化

次に、他のアジア地域ではどのような人口動態の変化が起きているのかみていきます。我が国とは対照的に、アジア地域の大半の諸国では依然として人口ボーナス期の局面にあります(前掲図表5)。これまでのアジアの目覚ましい成長は、教育重視、高い貯蓄比率と投資比率、輸出主導の成長戦略、政府主導の産業育成、外資誘致策といった要因が寄与してきたことはよく知られています。それに加えて、人口ボーナスと低コスト労働力の存在も重要であり、我が国が1980年代から同地域に直接投資を活発化させた主な要因の一つとなっています。

しかし、最近では、アジア地域のなかでも人口動態の変化において違いが際立つようになっています。大雑把に言うと、アジア諸国・地域を人口ボーナス期の終焉を近く迎える「先発グループ」と今後さらに数十年にわたって人口ボーナス期を享受する「後発グループ」に分けられると思います。

近い将来人口オーナス期へ転換するアジア・グループ

先発グループには、韓国、シンガポール、台湾、香港等のいわゆる早くから工業化し高い成長率を実現した「新興工業経済地域(NIEs)」が入ります。その他には、中国やタイ等が含まれています。NIEsは1970年代に出生率の低下とともに年少人口の人口比率(年少人口比率)が急速に低下し、香港ではグループのなかでは最も早い1965年に、韓国とシンガポールは1970年に、タイは1975年に、台湾と中国は最も遅い1980年頃に人口ボーナス期に移行しています(前掲図表5、図表6)5。そして、香港と韓国は2010年頃に人口ボーナス期を終了し、2015年頃には人口オーナス期に移行することが見込まれています。中国、シンガポール、台湾、タイは少し遅れて2015年頃に人口ボーナス期を終了し、2020年頃には人口オーナス期に移行すると予想されています。

我が国が人口ボーナス期の終焉を迎えた1990年の一人あたり年間所得はおよそ2万7000ドルで既に高所得国の所得水準に達していましたが、NIEsも同様に既に一人あたり年間所得が2万ドル以上の高い所得水準を達成している段階で、人口ボーナス期の終焉を迎えることができるようです。

これに対して、中国では1979年からの一人っ子政策の開始により少子化が進行しており、1980年頃から年少人口比率が急速に低下しています(前掲図表6)。一方で、高齢化も急速に進み、2000年には高齢人口が7%を突破しており、他のアジア諸国と比べても短い期間で人口動態の変化が生じています。人口オーナス期に移行すると予想される2020年頃には、国際通貨基金(IMF)の推計によると、まだ一人あたり年間所得水準が8千〜1万ドル程度の中所得国の段階ですが、この時点で人口ボーナス期を終えてしまうことになります。つまり、社会資本インフラや社会保障制度が十分に整備されていない段階で、高齢化を迎えることになるため、高齢になっても働く労働者を増やすことができない限り、高齢化の負担が政府や社会に急速に重くのしかかる可能性があります。しかも、中国の場合、高齢者の人口比率が現在はまだ10%弱と、我が国(2011年時点で23%)、香港(2010年時点で13%)、韓国(同11%)と比べて低いのですが、高齢人口が既に約1億人と人数が非常に大きいという特徴があります(前掲図表6)。タイも中国と同程度の中所得水準の段階で、人口ボーナス期を終える可能性があります。

  1. 5 中国については、従属人口比率の低下が始まった1970年とすることも可能ですが、低下幅は僅かですので明確な低下傾向を示した1980年と判断しています。

今後も人口ボーナス期を享受するアジア・グループ

その一方で、後発グループはいずれも年少人口比率は1970年代から低下しており、2000年以降は高齢人口比率も緩やかに増加していますが、人口ボーナス期は今後数十年にわたってかなり長く続くようです(前掲図表5)。インド、マレーシア、フィリピンは1970年頃に、インドネシアとベトナムは1975年頃に人口ボーナス期に移行しています。そして、人口ボーナス期の終了時期は、インドネシアは2025年頃、ベトナムは2035年頃、インドは2040年頃、マレーシアは2045年頃、フィリピンは2050年頃の見込みです。これらの諸国では年少人口比率の低下ペースが先発グループよりも緩やかで、しかも高齢化があまり進んでおりません(図表7)。出生率や寿命の違いが先発グループと異なる変化をもたらしているようです。

3.アジア諸国における人口動態と個人消費・投資パターンの変化

こうした人口動態の変化は、労働力、貯蓄率、インフラ・設備投資等の変化を通じて経済成長や財政・社会保障制度の持続性といった様々な影響をもたらしますが、本日は中でも消費構造に及ぼす影響に焦点をあててご説明します6

  1. 6 一般的に、人口ボーナス期では、特に生産年齢人口の伸び率が高く若い年齢層が多い初期段階において、家族を形成する世帯が多いことから、家電や自動車等の耐久財消費あるいは住宅投資が増えていくと予想されます。そして、人口ボーナス期が進みますと、子育てが終了した世帯が増えることで、退職後の生活に備えた貯蓄形成がさらに進んでいくと思われます。その後、人口オーナス期に入りますと、高齢化が進展することで、医療・介護や家事代行といったサービス需要や高齢者に適した娯楽(旅行、フィットネス等)や文化活動の需要が高まっていくと考えられます。

(1)日本

中長期的な消費動向

まず人口オーナス期に既に移行している我が国の消費動向をみていきます。国内家計消費支出は、一人あたりでみると、国内総生産(GDP)あるいは(可処分)所得と正の相関が見られ、平均所得が急速に上昇した1970年代から1980年代末にかけて大きく増加しており、マクロの国内家計消費支出額でみても、人口も増えていることから、増加しています。つまり、一人当たり所得が急増する時期の国は、大きく消費が拡大する傾向があります。その後、一人あたり所得がSNAベースでは300万円前後、可処分所得ベースでは250万円前後で推移するようになると、消費支出も頭打ちとなっています(図表8)。消費の横ばい傾向は、一人当たり所得の上昇傾向がストップしたからというより、我が国の平均所得水準が国際的にみてもかなり高い水準に到達したことで必要なモノやサービスが相当程度満たされている状態になったこともあり、追加的な消費需要が弱まっていることに起因している可能性があります。これに加えて、マクロでみると、人口が減少する傾向は2011年から始まっており、今後はモノ・サービスを消費する人々の数の減少とともに国内家計消費支出額も減少していく可能性が予想されます。

次に、人口動態の変化はどのような消費支出の変化をもたらし得るのかという点について考えてみます。国内家計消費支出額の内容を、耐久消費財向け支出、さらにこのうち(乗用車を含む)個人輸送機器向け支出とテレビ・情報通信機器等向け支出に分けてみると、所得の上昇とともに耐久消費財への需要が急速に高まったことが見てとれます(図表9)。とくに個人輸送機器は、二輪車等から乗用車に転換あるいは乗用車の中でも品質・機能の高い乗用車への乗り換え等もあって、支出額が1980年代後半から急上昇しています。その後、これらの耐久財需要は均してみれば横ばいになっていますし、新車登録台数でみるとやや減少する傾向が見られており、今後は、2011年から趨勢的な傾向として始まった人口減少によって、耐久消費財の消費数量そのものが減少していく可能性があります(図表10)。

高齢化の進展と消費構造の変化

このように全体として消費支出額は横ばいないしは頭打ち感がありますが、私自身は高齢化の進展とともに消費構造が大きく変わりつつある点に注目しています。まず、我が国の家計消費支出額に占める世帯年齢別割合をみると、すでに65歳以上が3割を超えて急速に伸びており、緩やかに上昇している60歳以上の世帯の割合を含めると4割を超えています(図表11)。家計調査によると、高齢者世帯はそれ以外の世帯と比べて医療・介護、旅行費、交際費、食費により多くの割合を割き、子育てが終了している場合が多いためか、教育、(乗用車の購入を含む)交通・通信の割合は小さくなっています。特に医療・介護関連支出は2000年から2010年にかけて累積で30%以上も伸びており、日本に次いで高齢化に直面する(65歳以上の高齢人口比率が約20%にも達する)ドイツでは25%、(同18%程度に達する)フランスと英国ではそれぞれ11%、(同13%に達する)米国では16%も伸びていますが、我が国の伸びが突出しています。

見方を変えれば、今後は、高齢者向けのサービス市場がますます拡大していくことが期待できるということです。高齢者層は退職者が多いので所得収入は現役世代と比べて少ないという特徴がありますが、保有する資産規模、健康状態、居住環境等でばらつきが大きい世代でもあります。したがって、消費嗜好も他の世代よりも多種多様なことから、それぞれのニーズに合わせたきめ細かなサービス対応ができれば、潜在的需要が大きいと考えています。

さらに、消費支出ではありませんが、家計にとって重要な投資対象としての支出項目である民間住宅投資についてみてみると、家族を形成する世代が集中する生産年齢人口の伸びと住宅投資には正の相関があることがみてとれます(図表12)。民間住宅投資は生産年齢人口が減少に転じた1990年代半ば以降に低下する傾向を示しています。今後は、個人向け住宅投資件数が大きく伸びるというよりも、介護機能を備えたバリアーフリー住宅へのリフォーム・借り換えや交通・買い物に便利な立地条件を有する集合住宅といったニーズが増えていく可能性があるように思います。

(2)NIEs等のアジア諸国:高齢化社会への移行と消費拡大

次に他のアジア諸国の消費動向についてみていきます。先ほど示した人口動態の先発グループの中で、既に所得水準が高いNIEs諸国は、今後、かつての我が国のように消費が更に拡大していくと考えられます。因みに、我が国の家計消費支出の対GDP比率(消費比率)についてこれまでの推移をみてみますと、1950年代から1960年代にかけて消費は増加しましたが、GDPがそれ以上に急伸したことから消費比率は低下する傾向がありました。しかし、一人あたりの所得が上昇していく段階で、1970年以降は均してみれば上昇傾向にあります(図表13)。

こうして消費比率は豊かになるにつれて上昇していくほかに、現役時代に蓄積した貯蓄を取り崩す世代に当たる高齢人口が増えていくと、一般的に社会全体の貯蓄比率が次第に低下し、代わって消費比率が上昇していくことになります7。従って、年少人口と高齢人口の多い国では社会全体の貯蓄比率は低くなりますし、とりわけ寿命が延び続けている高齢人口が増えるほど社会全体の貯蓄比率はさらに低下(消費比率はさらに上昇)していくと考えられます。

現在のところ、アジア地域では人口ボーナス期にあり、高齢化が我が国や欧米ほど進行していない国・地域が大半であるため、消費比率は先進諸国と比べてさほど高くはありません(図表14)。もともとアジア地域は他の地域よりも貯蓄比率が高いことで知られおり、これが各国の投資を活発化するとともに経常収支の黒字の原因であると指摘されてきました。2010年時点で、65歳以上の高齢者が総人口に占める割合が「高齢社会」の基準値14%にほぼ到達している香港については、1970年代に消費比率は低下しましたが、1980年代末から上昇傾向にあります。韓国は、まだ水準は低いですが、2000年代入り後幾分高めで推移しています。シンガポールでは、変動が大きいものの上昇傾向はまだ見られません。中所得グループについては、中国では消費比率が低下する傾向が見られるのに対して、タイは比較的高めで推移しており、一貫した傾向が見られません。全体として、香港以外は明確な上昇傾向が明らかではありません。

もっとも、今後、アジア地域で(寿命が延びる形で)高齢化がさらに進行していけば、消費比率も拡大してくると考えられます。実際、この問題について、アジア開発銀行(ADB)が他の諸国を含めて興味深い分析を行っています8。同研究では、高齢化が家計消費の対GDP比率へ及ぼす影響に注目し、アジア地域は他の地域に比べて比率が小さいこと(すなわち貯蓄の対GDP比率の方が高くなる傾向があること)を明らかにしています。しかし同時に、アジア地域では、一定の高齢化水準に到達すると、家計消費の対GDP比率が高まる傾向があることも示しています。このことは、まだ多くのアジア諸国・地域の高齢化が他の地域と比べて進んでいないこと(例えば、同報告書では世界の高齢人口比率が12%であるのに対してアジアでは9%にしか達していないと指摘しています)、生産年齢人口が多くの国で増えているため消費よりも貯蓄が増える傾向があることを示しています9。こうした分析から、ADBは人口動態の変化が近年目立ち始めたアジア地域について、まだ初期段階にあることから高齢化により直ちに安定的な消費や内需拡大は期待できない―別の言い方をすれば高い貯蓄比率を主因とする経常収支の黒字幅はすぐに縮小するようなリバランスは起きにくい―と結論付けています。

しかし、アジア地域のなかでもNIEsを中心に高齢化がさらに進行するにつれ、社会保障制度への需要が高まり、各国政府はそうした支出を増やし制度を拡充していくことも予想されることから、その結果、家計の貯蓄比率が低下し消費がこれまでよりも拡大する可能性もあります10。実際、2030年頃にはこれらの多くの諸国・地域の高齢化率は現在の先進国並みになると予想されていますが、今後、域内において高齢者向け各種サービスが大きく拡大していく中で、我が国で培った高齢者向けサービスのノウハウを活かしたビジネス展開も十分期待できます。最近、サービス産業がますます国際化していることから、我が国で人口動態の変化をとらえた市場が発展していけば他の国へ普及していく可能性もあるかもしれません。

  1. 7 いわゆるライフサイクル仮説と呼ばれる広く知られた考え方で、各個人が誕生から寿命を迎えるまでの生涯において消費水準を均す傾向があるために、現役世代で貯蓄を形成し退職後に取り崩す行動パターンをみられるとする考え方です(こうした考え方を取り入れ、少子高齢化の我が国経済に与える影響を整理したものとして、例えば、Muto, Ichiro, Takemasa Oda, and Nao Sudo, "Macroeconomic Impact of Population Aging in Japan: A Perspective from an Overlapping Generations Model," Bank of Japan Working Paper Series, No.12-E-9, 2012等を参照)。
  2. 8 Estrada, Gemma, Donghyun Park, and Arief Ramayandi, "Population Aging and Aggregate Consumption in Developing Asia," AD B Economics Working Paper Series No. 282, 2011.
  3. 9 アジアが他の地域よりも消費比率が低い(すなわち貯蓄比率が高い)理由として、他の地域の高齢者は政府による年金給付や所得補助といった移転所得に依存する傾向がある一方、アジア地域の高齢者の多くは、退職に備えて現役時代に貯蓄や資産を蓄積する傾向があると指摘する分析もあります(例えば、Lee Sang-Hyop and Andrew Mason, "The Economic Life Cycle and Support Systems in Asia," ADB Economics Working Paper Series No. 283, 2011.)。見方を変えれば、アジア地域では、まだ社会保障制度や社会インフラが不十分なため貯蓄に走る傾向があるともいえます。
  4. 10 サービス業のGDPに占めるシェアは一人当たり所得と正の相関があるといわれています。また、サービス産業には、2つの成長の波、すなわち、(1)宿泊、食事、家事、美容サービス等、所得が1800米ドル程度に達するまで緩やかなペースで増加するサービスの波、(2)金融、IT、通信、ビジネスサービス等、所得が4000米ドル程度に達するまで加速的に増加していくサービスの波があると言われています(例えば、Eichengreen, B. and P. Gupta, "Two waves of Services Growth," NBER Working Paper No. 14968, 2009.)。私自身は、これに加えて、高齢化に関連した第三のサービス産業の成長の波があると考えています。

(3)中国:所得増加と拡大する消費市場

中国では、アジア地域の生産拠点として、これまでは低賃金の労働者が農村部から都市部の生産活動に向けて供給されてきました。このため、賃金の伸びは労働生産性の伸びを下回り、家計消費支出は伸びているとはいえGDPの伸びを大きく下回ってきました(前掲図表14)。しかし、農村部からの低コストの労働供給は少しずつ限界に近づいており、賃金上昇が各地で見られるようになっています。しだいに労働力の需給関係がタイト化していけば賃金上昇傾向が加速し、一人当たり可処分所得水準がさらに上昇して中間層が増えていくと考えられます。また金融資本市場も規制緩和等で発展していけば家計の金融資産も増えて、消費の一層の拡大を促すことも予想されます。

そうなると、まずは所得上昇に合わせて所得弾力性が高い家電や乗用車等の耐久財消費が拡大し、同時に住宅投資も増えていく可能性があります。世界銀行が中国国務院開発研究センターと共同で2012年に発表した『中国2030』と題する報告書によれば、今後、中国では、内陸部を含めて都市化がさらに進んでいくと予想されており、都市部に居住する人口の総人口に占める割合は、2009年時点の50%から2030年には70%近くと東京並みになると見込まれています。また、最も成長が早い20都市は内陸部に位置し、一人当たり所得は沿岸部に追いつきつつあります。こうした都市化に合わせてインフラ整備が進めば、現時点で世帯当たり乗用車の普及率が低い中国ではさらに需要が拡大していくほか、サービスについても、より質の高い公共サービス、娯楽活動、教育、金融保険等への需要が高まっていくと考えられます。前述の世界銀行等による報告書によれば、GDPに占める産業別の付加価値の割合は製造業を中心とする第二次産業が、2010年時点の47%から2015年には44%、2020年には41%、2025年には38%、2030年には35%へ段階的に低下するとの予測を示しています11。このことは、生産拠点が今後もボーナス期を長く享受する他のアジア諸国に部分的に移転する可能性を示唆しているように思います。

中国では、現在、社会資本インフラの整備と社会保障制度改革が進行中であることから、高齢化が進展していても、しばらくは緩やかなペースで消費比率が上昇を続ける可能性が高いと考えられます。実際、前述の報告書では、より大きな賃金上昇圧力とその結果としての家計所得(の対GDPシェア)の増加に伴い、過去にみられた消費比率の減少傾向が逆転すると予想しています。この結果、サービス産業を中心とする第三次産業は2010年時点の43%から2015年には48%、2020年には52%、2025年には56%、2030年には61%にまで拡大する見込みです。

ただし、こうした見通しは、中国で生産年齢人口が減少に転じても、高付加価値産業への転換や構造改革を通じて、比較的高い生産性を維持して成長力を維持できることが前提となっていることには注意が必要です。また、現在は退職年齢が男性は60歳、女性は55歳12となっていますが、退職年齢の引き上げ、高齢者の就業促進とスキルアップ、一人っ子政策のさらなる調整といった対応を急ぐ必要もありそうです。我が国では65歳以上の人口比率が7%から14%に転換するまでに要した期間は約25年と欧州と比べてかなり短期間でしたが、中国の場合はそれに近い25年程度と予想されていますが、それ以上に短くなるとの見解も聞かれます。以上を踏まえると、中国政府は急速に進む高齢化に向けた対応という大きな課題に直面しているといえます。

  1. 11 The World Bank, China 2030: Building a Modern, Harmonious, and Creative High-Income Society, The World Bank and Development Research Center of the State Council, the People's Republic of China, 2012.
  2. 12 ブルーカラーの場合は50歳。

4.我が国の構造的問題と金融経済情勢について

さて、本日の私の講演の前半では、我が国とアジア地域の人口動態の現状と先行き、並びにそれに関連する消費動向についてお話してきました。後半では、我が国の経済・物価見通しと日本銀行の金融政策運営についてお話したいと思いますが、まずその前に金融政策運営を巡る環境が様々な構造的変化によって変わりつつある点についてお話したいと思います。

(1)なぜ構造的問題に注目するのか

例えば、本日、指摘いたしました少子高齢化という現象は、我が国にとってはこれからも取り組んでいかなければならない構造的な課題ですが、ほかの先進諸国でも欧州を中心に深刻な将来的課題として捉えられ始めています。主要国の中央銀行でも、人口動態問題を中長期的な構造的問題としてのみならず、金融政策運営上も重要な課題として徐々に認識されつつあるように思います。

この点、我が国では、本日前半でも取り上げましたが、少子高齢化に直面してかなりの期間が経過しており、2011年からは趨勢的な人口減少時代に突入しています。世界で最も高齢化が進んでいるという意味では、日本銀行は同じ高齢化に直面する主要国の中央銀行とは異なる、ある意味では先行する経済社会環境にあり、したがって金融政策運営を検討する際にはそうした環境をより意識していく必要があるように思います。

ひとつ例を挙げたいと思います。我が国ではマクロ的な需給バランスがマイナス、すなわち財・サービスの需要不足の状態(あるいは労働と設備がフル稼働でない状態)が、かなり長い期間続いております。一般的に、このような状態は景気変動等の循環的な要因あるいは天災等の一時的な経済に対するショックによって起きると考えられていますが、我が国の場合、構造的な要因も作用しているように思います。循環的あるいは一時的要因としては、2008年のリーマン・ショックによる景気の落ち込みが極めて大きかったうえに、2011年3月には東日本大地震、同年末にはタイの大洪水、2012年入り後、欧州債務問題の悪化、足元では日中関係の影響の拡がりといった様々なショックが相次いで発生していることで、改善しかけたマクロ的な需給バランスが再び悪化することが繰り返されており、現在なお改善の途上にあります。

一方で、構造的な要因としては、本日前半でもご説明したような少子高齢化の進行のほか、グローバルな競争が激化するなかで成長力を強化する取組みや社会保障制度の持続性を高める見直しが必ずしも十分に進んでいないことを指摘できると思います。このため、企業側では中長期的な企業の成長期待や自社製品・サービスのマーケットの拡大になかなか自信が持てず、家計側では将来の所得上昇期待が高まりにくく、その結果、企業の投資や家計の消費行動が一層慎重化している面があると思います。企業の生産能力の調整、新規産業への転換、あるいは高齢者の潜在需要が高い分野の掘り起し等の取り組みが遅れると、こうした構造的な要因が慢性的な需要不足をもたらし、需給バランスの改善がなかなか進まない原因にもなり得ます。それが、少なからず、これまでの物価の下押し要因として作用してきた面は否定できないように思われます13

とはいえ、我が国の先行きあるいはデフレ脱却の見通しについて悲観的に見る必要はないと考えています。我が国経済の先行きは、企業や金融機関が成長力強化への取り組みを活発化する一方で、政府がそうしたビジネス環境を整備し、日本銀行の金融緩和の効果がそうした動きを下支えするなかで、それらが徐々に成果をあげていく可能性があるからです。

我が国の高度な技術力をもってすれば、環境・省エネ・医療・バイオ・薬品・ロボット等多くの分野で最先端の研究開発や商品・サービス開発が十分可能だと思います。また、そうした開発の多くは、成熟した高齢化社会においてより便利で生活しやすい環境を生み出すことに貢献することになります。こうした成果が、高齢化が現在進行中の欧州や今後急ピッチで高齢化が進むアジア諸国14に生かされていき、我が国企業にとって新たな市場やビジネスの開拓に繋がることも期待できます。そうした状況が実現あるいは見通せるならば、家計や企業の成長期待も緩やかながら高まっていき、そうしたもとで投資や消費が活発化し、物価の下落圧力は次第に弱まっていくと考えられます。本日、これからご説明申し上げます日本銀行の経済物価見通しは、こうした各方面からの取り組みを前提に策定していることを強調しておきたいと思います。

  1. 13 これに関連して、白井さゆり、「人口動態の変化は我が国のマクロ経済に影響を与えているのか?--金融政策へのインプリケーション--」、フィンランド中銀、スウェーデン中銀、ストックホルム大学セミナーにおける講演(9月3日-7日)の邦訳、2012年9月7日を参照。
  2. 14 高齢人口比率が7%から14%に上昇するまでに要する年数は、我が国の場合25年でしたが、ベトナムは15年、インドネシアと韓国は18年、シンガポールは20年、タイは23年と日本よりも短くなることが予想されています。

(2)政府と日本銀行による「デフレ脱却に向けた取組について」

こうした観点から、10月下旬の金融政策決定会合で、政府とともに公表した「デフレ脱却に向けた取組について」は、私自身はとても重要な意味をもっていると認識しています。この文書では、日本銀行が、我が国がデフレから早期脱却し物価安定のもとでの持続的な成長経路に復していくために金融面から最大限の努力をすると同時に、政府においても「デフレからの脱却のためには、適切なマクロ経済政策運営に加え、デフレを生みやすい経済構造を変革することが不可欠」との共通認識のもとで、我が国の成長力強化に向けた取組みを強力に推進していくことが謳われており、私もこうした政府の取り組みに心から期待しております。こうした両者の取組みについて改めて共有の認識として発表することで、日本銀行と政府ともどもデフレからの早期脱却と物価安定のもとでの持続的成長経路への復帰という課題の達成に向けて、強い意志表示を行ったと前向きにとらえています。

(3)我が国の経済・物価情勢と先行きの見通し:中心シナリオ

経済情勢

以上を踏まえ、我が国の経済見通しについてご説明いたします(図表15)。まず、2012年前半の成長率は、復興関連需要の増加を中心に国内需要が堅調に推移してきましたので、年率3%程度の成長率を実現しました。しかし、その後は、欧州と中国を中心に海外経済の減速した状態が続くもとで、我が国の輸出や鉱工業生産が減少しており、国内需要についても、設備投資は緩やかな増加基調にあるものの製造業に弱めの動きがみられる等、その影響が一部及び始めています。こうしたことから、全体としては、景気は弱含みとなっています。

先行きについては、当面は、輸出や鉱工業生産は、欧州を中心に海外経済の減速した状態が続くもとで、減少を続けるとみられます。設備投資については、海外経済の減速によって当面先送りの動きが出てくる可能性もあります。国内需要については、防災・エネルギー関連の投資を含めた広い意味での復興関連需要等に支えられて、全体としてみれば底堅さを維持するとみられますが、エコカー補助金の終了に伴う乗用車購入の反動減がどの程度続くのか注意してみておく必要があります。また、底堅い国内需要に支えられ総じてみれば労働需給は改善基調を続けるとみられるものの、当面は、輸出・鉱工業生産の弱さが、所定外労働時間や新規求人の減少等を通じて、労働需給を緩和させる方向に働くと考えられます。また、一人当たり賃金についても、震災の影響を受けた前年度の厳しい企業業績が、今冬の特別給与の下押し要因になる可能性があります。このために雇用者所得は、当面、横ばい圏内で推移する可能性が高いとみられ、国内需要が輸出の弱さを補うほどの増加を続けるとは考えにくいことから、景気は、当面、弱めに推移するとみています。

その後は、中国を含む新興諸国による景気刺激策の効果が顕在化することもあって海外経済が減速した状態から次第に脱していくにつれて、輸出や鉱工業生産は持ち直しに転じていくとみています。この間、雇用・所得環境はラグを伴いつつも改善基調が次第に明確になり、雇用者所得の影響を受け難い高齢者消費を中心に潜在需要を掘り起こす企業の取り組みも徐々に成果を挙げると期待されますので、個人消費は総じてみれば底堅く推移する見込みです。この間、住宅投資については、復興需要や低金利等を背景に、新設住宅着工件数が持ち直し傾向にあり、大都市圏の新築マンション販売も緩やかに増加基調にある等、需要が高まっていることから、先行き緩やかに増加していく可能性が高いと考えています。これらのことから、経済全体で前向きの支出活動も徐々に強まっていく見通しです。

以上をまとめますと、2013年度は、復興関連需要による景気押し上げ効果が公的需要中心に徐々に弱まっていきますが、その一方で、海外経済の持ち直しが次第に明確になるにつれて、企業収益や雇用者所得の増加を伴いながら国内民間需要がしっかりとした伸びとなることから、経済成長率は潜在成長率を上回ると考えています。なお、2013年度下期については、消費税率引き上げ前の駆け込み需要が相応の規模で発生すると予想されるため、一時的にかなり高めの成長となると思います。2014年度については、海外経済が過去の長期平均を上回る成長を実現するほか、企業収益の改善や成長期待の高まりを背景に、日本銀行が実施している一連の金融緩和措置が一層活用されることにより、金融政策面からの景気刺激効果も強まっていくことで国内民間需要を下支えすることから、消費税率引き上げに伴う変動を除いた基調でみれば、潜在成長率を幾分上回る成長経路をたどっていくと考えています。ただし、2014年度全体の成長率は、上期を中心に消費税率引き上げ前の駆け込み需要の反動が出ることから、小幅のプラスにとどまる可能性が高いとみています。

物価情勢

日本銀行では、中長期的に持続可能な物価の安定と整合的と判断する物価上昇率を、「中長期的な物価安定の目途」として数値で示しています。具体的には「中長期的な物価安定の目途」については、消費者物価の前年比上昇率で2%以下のプラスの領域にあると判断しており、当面は1%を目途としています。

こうした枠組みのもとで、消費者物価(除く生鮮食品、以下同じ)の前年比の推移をやや長い目で振り返りますと、2009年8月に過去最大の下落幅(−2.4%)となった後、マクロ的な需給バランスが緩やかな改善傾向を続ける中、2009年末頃から下落幅は着実に縮小を続けており、最近では概ねゼロ%となっています(前掲図表15)。このように、消費者物価の上昇率とマクロ的な需給バランスの間には、やや長い目でみれば緩やかな正の相関関係が存在しています。

先行きの物価を巡る環境を展望しますと、マクロ的な需給バランスは、既にご説明いたしました経済の見通しを反映して、当面は需要不足が比較的大きい状態で推移するものの、その後は、消費税率引き上げの影響による振れを伴いつつも、緩やかな改善基調を続けると考えています。中長期的な予想物価上昇率については、市場参加者やエコノミストの見方は振れを均してみれば概ね1%程度で安定的に推移していますが、足もと幾分弱めの動きがみられる点には注意していきたいと思います。家計の見方については、大きな変化はみられず、先行きも安定的に推移すると想定しています。国際商品市況については、当面、海外経済の減速を反映して横ばい圏内で推移し、その後、新興国の経済成長に伴う食料・エネルギーの需要拡大等を背景に、基調的には緩やかな上昇傾向をたどるとみています。

以上の環境を前提に、消費税率引き上げの直接的な影響を除いて物価情勢の先行きを展望しますと、当面ゼロ%近傍で推移した後、マクロ的な需給バランスの改善等を反映して、徐々に緩やかな上昇に転じ、2014年度には、当面の「中長期的な物価安定の目途」である1%に着実に近づいていくとみています。

(4)リスク要因

以上は、現時点での中心的シナリオですが、こうした見通しに対するリスク要因について簡単に触れたいと思います。

景気の見通しについては、上下リスク要因が考えられますが、私自身はどちらかと言えば、下振れリスクを意識しています。主な下振れ要因として、第一に、欧州債務問題、米国の財政の崖、中国の景気減速の長期化等海外経済の見通しの不確実性、第二に、成長力強化の取り組みの遅れ等企業や家計の中長期的な成長期待を取り巻く不確実性、第三に、消費税率引き上げが消費にもたらす影響に関する不確実性、第四に、我が国の財政の持続可能性等を指摘できます。

物価情勢の先行きについても、私自身は原油価格等上下リスク要因があるものの、全体としては下振れの方に傾いていると判断しています。まず、景気について、前述のような下振れ要因が顕在化した場合、物価にも相応の影響が及ぶとみられます。そのほか、物価に固有の要因としては、第一に、マクロ的な需給バランスが改善しても企業が自社製品・サービスの販売価格引き上げに慎重さが見られたり、企業・家計の中長期的な成長期待が高まらないこと等により需給バランスの改善が後ずれして物価がただちに改善に向かわない可能性に注意が必要です。第二に、企業や家計の中長期的な予想物価上昇率はこれまでのところ概ね安定的に推移していますが、企業や家計が足もとや過去の物価の動き等から物価はなかなか上昇しないという予想を強めた場合、実際の物価にも賃金とともに下方圧力がかかる可能性等が考えられます。第三に、原油等の輸入物価の動向を巡る不確実性で、地政学リスクや天候要因等で上下両方向に不確実性があります。また、為替相場の変動も、実体経済を通じる間接的な波及経路のほか、輸入物価を通じるより直接的な経路を通じて、消費者物価に変化をもたらし得ると思います。

(5)日本銀行の金融政策運営について

それでは、最後に日本銀行の金融政策運営について申し上げます。まず我が国の金融環境をみると、日本銀行が強力な金融緩和を間断なく推進していることもあり、緩和した状態が続いています。銀行の新規貸出約定平均金利が短・長期とも1%と低水準で推移しています。CP・社債市場の発行環境も、業績悪化が見られる一部の銘柄を除けば、投資家の需要が底堅い中で良好です。企業からみた貸出態度や企業の資金繰りを表わす指標をみても、2000年以降の平均を上回る水準となっています。とはいえ、中小企業の中には足もと資金繰りが幾分悪化している先がみられる点には注意を要します。こうした中で、企業の資金需要は、復興関連や企業買収関連を中心に緩やかに回復しつつあり、足もとでは設備投資向け資金需要も改善しつつあります。企業の国内資金調達残高については、銀行貸出の前年比は緩やかな増加基調にあり、社債残高の前年比は償還が多い電力債を中心にマイナスとなっていますが、CP残高の前年比は均してみれば小幅のプラスで推移しています。先行きも、緩和的な金融環境が持続し、国内民間需要の自律的回復への動きを後押ししていくと考えています。

こうしたもとで9月に引き続き10月下旬の金融政策決定会合では、景気見通しの下方修正を踏まえて、一段の金融緩和を決定しました(図表16)。このときの措置は大別すると2つあり、ひとつは、2010年10月から開始している包括的な金融緩和政策のもとで、資産買入等の基金を、80兆円程度から11兆円程度増額して、91兆円程度にまで拡大することにしました。内訳は、長期国債と短期国債を各々5兆円程度、さらにCP等を1,000億円程度、社債等を3,000億円程度増額、ETFを5,000億円程度、J-REIT100億円程度であり、増額は2013年12月末までに完了予定です。

もうひとつは、新たな措置として「貸出増加を支援するための資金供給」の枠組みを創設することを決定しました。金融機関の一段と積極的な行動と企業や家計の前向きな資金需要の増加を促す観点から、金融機関の民間向け貸出増加額について希望に応じてその全額(円貨建て・外貨建てを含む)を低利・長期で資金供給し、しかも資金供給総額の上限は設定せず、無制限に行います。貸付期間は、各取引先の希望に応じて、1年、2年または3年とし、最長4年までロールオーバーが可能です。詳細は現在検討中で近い将来改めて発表することになりますが、ポイントは日本銀行の資金供給規模は、貸出増加に向けた金融機関の今後の取組み姿勢如何で相当大きな金額になり得るということです。

一般的に、我が国では企業の資金需要が乏しいと指摘されていますが、民間シンクタンクの企業に対するアンケート調査等では、保証の有無や売上状況だけでなく、事業の将来性や事業内容に注目して融資を拡大して欲しいとの声も聞かれていますので、こうした日本銀行の取り組みが一つのきっかけとなって、企業の国内外の経済活動を下支えするものになればと願っています。

なお、日本銀行は成長力強化の取り組みの一環として、2010年から「成長基盤強化を支援するための資金供給」を行っていますが、今回は、この従来の制度と「貸出増加を支援するための資金供給」を合わせて、「貸出支援基金」と呼ぶことにしました。日本銀行としては、今後とも、デフレ脱却および成長力強化に向けて何ができるかを考え、中央銀行としてできる限りの貢献をしっかり果たしていきたいと考えています。

5.おわりに-熊本県経済について-

以上を踏まえたうえで、最後になりますが、熊本県経済について一言触れたいと思います。熊本県の経済情勢をみると、ここ数年、海外経済の回復に加え、九州新幹線全線開業等の効果もあって、総じて堅調に推移してきましたが、足もとでは横ばい圏内の動きとなっており、生産や個人消費等に弱めの動きがみられています。先行きについては、欧米や中国といった海外経済を巡る不確実性が依然として高いほか、為替円高の影響等も重石となっており、しばらくは下振れリスクを意識しておいたほうがよい状況と考えております。

より長い目でみると、当地においても、少子高齢化への対応が喫緊の課題であるように思います。実際、熊本県の65歳以上人口の割合は25.8%と全国平均(23.3%)を上回っており、2025年には県民のほぼ3人に1人が65歳以上になると見込まれています。ただ、少子高齢化が進むからといって後ろ向きに捉える必要は必ずしもないと思います。本日の講演でも強調しましたように、少子高齢化に伴い高齢者向けサービス需要が拡大し、住宅等でも新たなニーズが増えていく可能性が十分ありますし、こうした新たな需要が、我が国のみならず、高齢化が進む(あるいは進行中の)欧米、近隣アジアといった国々でも今後生まれてくることにより、熊本県を含む我が国経済にとっての新たな成長に繋がる可能性があるからです。

この点、当地は、もともと、(1)電子部品・デバイス等最先端産業の集積、(2)全国シェアが高い食・農・水産物資源等に強みをもっていますが、最近では、(3)医療福祉、観光等サービス業の充実―特に人口対比でみた病床数や医療従事者数は全国トップクラス―も注目されるところです。現在、熊本県をはじめ官民の関係者の皆様が、こうした強みを活かした県経済の成長を図るべく、「幸せ実感くまもと4カ年戦略」等のビジョンを掲げて、企業の研究開発拠点の誘致や集積、生産構造変革やブランド力強化といった農林水産業の変革、輸出や観光客誘致を通じたアジア市場への進出、熊本都市圏の拠点性向上といった様々な施策に取り組んでおられ、医療・福祉等における新規ビジネス展開の動きもみられると伺っています。こうした官民を挙げた取り組みが新たな需要の開拓に繋がり、ひいては今後の熊本県経済の一層の発展につながることを心より願っています。

ご清聴頂き、誠に有難うございました。