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【挨拶】わが国の経済・金融情勢と金融政策

福島県金融経済懇談会における挨拶要旨

日本銀行政策委員会審議委員 佐藤 健裕
2013年7月22日

目次

1.はじめに

あの東日本大震災から2年4か月が経過した。この間、震災からの復旧・復興に向けて懸命な取り組みを続けてこられた皆様に、まずは敬意を表したいと思う。また、皆様には日頃より日本銀行福島支店の様々な業務運営にご協力を頂いている。この場をお借りして、改めて厚く御礼申し上げる。

本日は、日本銀行の金融政策と国内外の経済・物価情勢についてお話させて頂いたうえで、最後に、福島県経済について若干触れさせて頂きたいと思う。その後、皆様方から、復興の状況も含めた当地実情に関するお話や、日本銀行の政策運営に対するご意見などをお伺いしたい。

2.最近の金融政策運営

「量的・質的金融緩和」と市場の反応

日本銀行は、4月3-4日の金融政策決定会合において、2年程度の期間を念頭において、消費者物価の前年比上昇率2%の「物価安定の目標」を早期に実現するため、「量的・質的金融緩和」を導入した。この措置の下で、2年でマネタリーベースを2倍にするべく、長期国債及びETFの保有額を2倍に拡大し、買い入れる国債の平均年限を2倍以上に延長する新たな金融緩和策を打ち出した(図表1)。これらは事前の市場予想を超えるものであったことから、為替及び株式市場は当初ポジティブな反応を示した。その後、国債市場では、長期金利がボラティリティを伴いつつ上昇したことから、その過程で長期金利動向についての世間一般の関心が高まった(図表2、3)。

5月下旬以降は、米国連邦準備制度理事会(FRB)による資産買入れの早期縮小観測が市場参加者に意識されていくなかで、グローバルにリスク回避姿勢が強まり、為替及び株式市場もその影響を受けた。リスク回避姿勢は新興国市場でとりわけ顕著であったが、世界経済の変動に対する感応度がもともと高いと見なされている日本市場でも株式や為替市場において相応に影響がみられた。反面、日本の長期金利は米長期金利が上昇するなかにあっても概ね安定的に推移した。

以上の金融市場の反応を総括すると以下のような点を指摘できよう。

一般論として、政策変更や変更に向けた議論の初期段階で、中央銀行は市場に対して慎重にコミュニケーションを行う必要がある。当局の出すメッセージはしばしば誤解されやすく、それに対する市場の初期反応は大きくなりがちだからである。例えば、4月4日の日本銀行による政策決定直後のケースや、5月22日のバーナンキFRB議長の議会証言あるいは6月19日のFOMC後の記者会見のケースがそうであった。前者では、日本銀行が短期金利安定へのコミットメントを放棄したのではないかとの誤解が一部にみられたし、後者では、5月中旬までFRBが現在の資産買入ペースを継続するとの観測等から、資産市場におけるリスクテイク行動が新興市場中心に活発であったこともあり、その反動が相応に大きくなった面があろう。

一般に、中央銀行が経済指標をベースに金融市場と緊密な対話を続けることで、市場が政策意図を消化し、新たな均衡点を見出すなかで、こうした初期反応は収束していく。中央銀行の意図が金融市場に織り込まれれば、政策変更時でも、金融市場は概ね落ち着いて推移すると考えられる。

足許は日本銀行の政策意図についての市場の理解が進むなかで、日本の金融市場は総じて落ち着きを取り戻しつつある。米国においても、先行きFRBが経済指標をベースに市場との緊密な対話を重ねていくなかで、金融市場の反応は新たな均衡点に向かって次第に緩やかなものとなることが期待される。

米国債市場との対比で安定する日本国債市場

4月の政策変更後に日本の長期金利がボラティリティを伴って上昇する局面では、政策の失敗との論調も散見された。しかし、「量的・質的金融緩和」の導入直後からの金利上昇のみを捉えて緩和効果の有無を論じるのは一面的であろう。4月4日以降の展開は、要は「政策期待から買われて実際の政策発動とともに材料出尽くしで売られた」という市場でよく観察される反応であった。昨年末頃からの動きをみれば、国債市場と株式市場との間では、株高で長期金利上昇、株安で長期金利低下という常識的な相関が働いている。むしろ、日本銀行の買入れの効果が発揮されたこともあり、昨年末以降の株価上昇や為替レートの変動に比べて、長期金利は相応に抑制された状態にある。また、5月末以降、大幅な変動に見舞われた米国債市場との対比でも、日本の国債市場の安定はここもと際立っている(前掲図表2)。

経済・物価動向を先読みする市場と企業・家計

市場が経済・物価情勢の改善を先取りする動きを示すのと同時に、企業・家計もそれを先取りして投資・消費行動を変化させる。その点、企業・家計のそうした変化を脇において、名目金利上昇による経済への影響を論じるのもまたバランスを欠こう。

実際、「量的・質的金融緩和」導入後の社債市場では、ボラティリティの高さを敬遠して発行体が発行を見合わせる動きが一部でみられたものの、全体としてみれば企業の資金調達行動は例月にも増して活発であった。裏返せば投資家の需要が底堅いことが確認された(図表4)。

要は、市場が経済・物価動向を先読みするとともに、企業も需要動向を含む資金調達環境を先読みしながら投資機会を探り、また投資家も運用環境を先読みしながら投資判断をしているのである。さらに家計も、新規の住宅ローン借入に際し、これまで変動型中心であったのが固定型の割合が高まるなど、デフレ脱却後を見据えた備えを進めている。そうしたダイナミズムの下で足許の経済・金融市場は新たな均衡点を探る状況にある。

「量的・質的金融緩和」の開始からまだ3か月余りが過ぎたばかりである。かつて日本が欧米諸国から批判を受けた金融政策運営について、欧米諸国が日本と同様の経験をする過程でその評価が変わってきた例が示すように、4月以降の短期的な市場の反応をベースに政策評価を下すのは時期尚早である。重要なのは、今回の政策発動により日本経済及び物価の基調が少し長い目で見て改善に向かっているかどうかであり、その点では後述するように、私は欧州債務問題や中国経済の減速から見通し切り下げを余儀なくされた昨年度より楽観的である。

国債市場の安定に向けて

そもそも「量的・質的金融緩和」は国債市場への政策効果という点において相反する二面性を有する。すなわち、巨額の国債買い入れが国債市場のリスク・プレミアムに働きかけ、名目金利を抑制する一方、政策効果が発現すれば経済・物価情勢の改善を先取りする形で名目金利には上昇圧力が加わる。「量的・質的金融緩和」導入後の国債市場では、この2つの相反するベクトルの下で金利が揺れ動き、それがボラティリティ上昇という形で現れた。ボラティリティの高い状態が続くと市場参加者がリスク管理上売り方向に傾きやすく、またそうした動きが一方通行となることで金利上昇が不必要に増幅されるおそれもある。こうした国債市場のボラティリティの高まりを受け、5月の金融政策決定会合では、長期金利安定化策について議論が行われ、弾力的なオペ運営が重要であることが確認された。5月末にはさらにオペの頻度や金額を見直すなど弾力的なオペ運営の方針を改めて示した(図表5)。

その後の6月の会合では、1年を超える共通担保オペの導入について検討がなされた。結局、その時点では、共通担保オペについて追加的な措置は必要ないとの結論に至ったが、その主な理由は、日本銀行による巨額の国債買入れによるリスク・プレミアムの圧縮効果は、今後着実に強まっていくことや、当面は、金融調節運営方針(ディレクティブ)の範囲で、弾力的なオペ運営によって対処できると判断したためである。すなわち、現在のディレクティブでは、買い入れる国債の平均残存期間について「6〜8年程度」という許容される幅(アローアンス)があるので、これを活用して1〜5年の中短期ゾーンを厚めに買い入れることで同ゾーンをアンカーさせ、それによりイールドカーブ全体の安定化を図ることが期待できる。ディレクティブは「6〜8年程度」なので、結果として一時的に6年を多少割り込むことがあっても、私個人の見解としては問題ないと考えている。

加えて、1年を超える期間の共通担保オペの導入については、(1)日本銀行が金融機関や投資家のポートフォリオ・リバランスを促す目的で現在の政策を進めているなかで、金融機関が国債を保有しやすくする施策を導入することが、無用な誤解を生むおそれがあること、また、(2)1年を超える期間の共通担保オペには時間軸に関するメッセージを含んでおり、2年程度で2%という「物価安定の目標」の実現を目指す「量的・質的金融緩和」の時間軸との関係で混乱を生じさせかねないこと、さらに、(3)6月20日に初めて貸付を実行した「貸出増加を支援するための資金供給」も、ポートフォリオ・リバランスを促すという当初の目的とともに、一部銀行にとっては負債側で最大3年相当のデュレーションリスクを削減できるという点で1年を超える期間の共通担保オペと代替関係にあるため整理が必要と考えられること、といった点を総合的に勘案し、現時点では不要と政策委員会は判断した。ただし、市場安定化のためのツールキットとしての意義はあるため、同オペは将来の検討課題として完全に排除したわけではない。

「包括的金融緩和」から「量的・質的金融緩和」へ

日本銀行は本年3月まで「包括的金融緩和」を進める一方、正副総裁就任直後の4月に「量的・質的金融緩和」へと政策転換した。4月の政策転換に際し全会一致で賛成票を投じた政策委員の投票行動については様々な疑問や批判があることは承知している。

ただし、私自身の理解では、日本銀行にとり4月4日の金融政策決定会合での決定と同様に、2%の「物価安定の目標」を決定した今年1月の会合での決定も大きな決断であった(図表6)。この間の議論の詳細は既に公表されている金融政策決定会合の議事要旨に譲るが、1月の「物価安定の目標」の決定後、正副総裁交代までの2-3月の会合では、「物価安定の目標」を所与として、その達成に向けた緩和強化策に議論はシフトし、買い入れる国債の年限延長や長期国債買入れオペと資産買入等の基金との統合などについて問題提起がなされた(図表7)。

こうした議論を受けた4月4日の一連の決定は「異次元の金融緩和」と称されるが、緩和策の中身は2001年3月〜2006年7月の「量的金融緩和」時、及び2010年10月〜2013年3月の「包括的金融緩和」時のアイデアを多く継承している。例えば、政策誘導目標を政策金利からマネタリーベースとした点は、日銀券発行高がさほど振れないことを前提とすれば政策目標を日銀当座預金残高としていた「量的金融緩和」時のフレームワークと類似している。買入れ対象となる資産は国債のほか、ETF・J-REITなどを含め、「包括的金融緩和」時のものを概ね継承している(図表8)。

無論、買入れる国債の平均残存期間を7年程度としたことにより、必然的に緩和規模は拡大した。しかし、「包括的金融緩和」の最終局面においても、日本銀行は資産買入等の基金の残高を2014年末で111兆円程度と見込んでいた。マネタリーベースに換算すると、幅をもってみる必要はあるが200兆円程度である。確かに、これは現在の「量的・質的金融緩和」下の目安である2014年末270兆円に比べれば低いが、それでも日本銀行はマネタリーベースをかなりの規模で積み上げることにもともとコミットしていたとも言える。このように、一連の日本銀行の政策は連続性をもって理解されるべきと考えている。

「戦力の逐次投入」を避けることの意味

5月下旬以降、内外の金融市場が不安定な動きとなるなかで日本銀行が市場安定化のために追加的な措置を行うのではないかとの期待が一部に高まった。

ただし、「量的・質的金融緩和」は2年程度で2%という「物価安定の目標」の実現のため、大胆な金融緩和を一気に行い「戦力の逐次投入をしない」こと、またそれにより家計・企業及び金融市場の期待に働きかけることを狙った点でこれまでの日本銀行の政策とは一線を画している。

前者の「戦力の逐次投入をしない」という点は、それまで日本銀行が「包括的金融緩和」の枠組みの下で、景気循環に応じた小刻みな政策変更を行ってきたもののデフレ脱却を果たせなかったことの反省・教訓を踏まえており、その意味はそれなりに重く受け止められるべきである。後者は前者と表裏一体で、現時点で取り得る最大限の政策を打ち出すことで家計・企業や市場の期待の抜本的な転換を狙ったものである。そのためには、最初に市場の期待を上回る大胆な緩和策を打ち出し、あとはその効果を見守ることが肝要で、政策を小出しにすることは却って逆効果となる。同時に、日本銀行は追加策の発動を一切排除している訳でなく、予期せざるテールリスク等が顕在化すれば臨機応変に政策を微調整することを排除していない。

このような日本銀行の新たなスタンスについての市場の理解が必ずしも十分に浸透していないように思われるため、市場参加者との対話を含む情報発信の機会を通じ丁寧に説明していく必要があると感じている。

2%の「物価安定の目標」の意味

私は、「物価安定の目標」について次のように理解している。一般にインフレ目標政策とは柔軟な金融政策の枠組みであり、インフレ目標導入国でも、目標の達成・未達により機械的に政策を変更するような運営はなされていない。こうしたインフレ目標政策についての理解は同様の枠組みを採用する中央銀行の間で既に共有されている。同様に、2%の「物価安定の目標」を掲げる日本銀行の金融政策の枠組みも柔軟なものであり、2%をピンポイントで達成することを目指すものではなく、2%を「安定的に達成」することに主眼を置いたものと私自身は理解している(図表9)。

ここで「安定的に達成」することの意味だが、金融政策の効果波及までのラグや不確実性を勘案すれば、そもそも2%ピンポイントで物価を安定させることは不可能で、上下に一定程度の変動が許容される幅(アローアンス)があると考えるのが自然であろう。アローアンスをどの程度みるかは政策委員間で多少見解の相違があるかもしれないが、私自身は2%を中央値としてある一定の範囲内で物価上昇率が安定する見通しが立てば、「量的・質的金融緩和」の主要な目的は達成できたと評価できるのではないかと考えている。日本のインフレ率のトラックレコードを勘案すると、インフレ期待が早々に高まらない限り、2年程度で2%の「物価安定の目標」をピンポイントで達成する可能性は必ずしも高いとは言えない。しかし、「物価安定の目標」があくまでもこうした一定のアローアンスをもった柔軟な枠組みと考えるのであれば、目標はリーズナブルであるし、達成も可能であろう。

ここで強調しておきたいのは、「量的・質的金融緩和」で目指しているのは、日本銀行法にある「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」である。具体的には、単純に物価だけが上昇するのではなく、全般的な経済状況が改善するなかで、投資や消費が伸び、企業収益が増大し、雇用・所得環境が改善するなかでバランス良く物価も上がっていく好循環を作り出していくことを日本銀行は目指している。2%というインフレ率を表面的に実現するために「国民経済の健全な発展」を犠牲にすることがあってはならない。

2%をいかにして実現するか?

2%の「物価安定の目標」実現のための波及経路(チャネル)として、日本銀行は、(1)全体的な金利低下圧力と資産価格のリスク・プレミアムを押し下げる効果、(2)ポートフォリオ・リバランス効果、(3)家計・企業や市場のインフレ期待へ働きかけてそれを抜本的に転換する効果、を想定している。それぞれについて私の見解を補足したい。

(1)の全体的な金利低下圧力と資産価格のリスク・プレミアムを押し下げる効果は既に述べた通りで、長期国債やETF、J-REITの買入れを通じてリスク・プレミアムは既に相応に抑制された状態にある。

これに関連して、日本銀行が政策の操作目標を短期金利からマネタリーベースに変えたことから日本銀行の短期金利安定へのコミットメントが弱まった、との誤解もみられるが、巨額の超過流動性の供給を通じて短期金利をしっかりとアンカーさせるという日本銀行の方針にいささかも振れはない。そもそもマネタリーベースを年間約60-70兆円に相当するペースで増やすに当たり、年間50兆円程度の中長期国債の買入れだけでは不十分であり、現在のディレクティブは相応の短期国債買入れないしは短期の資金供給オペを補完的に実施することを暗黙のうちに想定している。短期資産の買入れ規模をディレクティブに明示していないのは、「包括的金融緩和」の経験を踏まえ、短期の資金供給は執行部の裁量に任せる方が、短期金利の変動等により柔軟に対応できると政策委員会が判断しているからである。

一方、日本銀行が2年程度で2%の「物価安定の目標」の実現を目指すからには2年後の短期金利はゼロでないかもしれないと市場が受け止め、それが中長期金利に波及することは4月4日の「量的・質的金融緩和」導入直後に見られたし、そうした状況は今後も起こり得るかもしれない。この問題に対しては、「量的・質的金融緩和」が含意する自動調整機能により市場が先行きの物価動向に応じて対処することを期待している。すなわち、2%の「物価安定の目標」実現の蓋然性が高まれば、中長期金利がそれを織り込むことはある程度避けられない反面、実現の蓋然性が高まらなければ、中長期金利の水準は抑制され続けよう。重要なことは、その間、日本銀行が買入れを進めることによりプレミアムを圧縮し、経済・物価の先行きの見通しと整合的な水準よりも中長期の金利水準を抑えていくことである。これまでのところ、日本銀行による巨額の国債買入れはさまざまな金利上昇要因を抑制してきているし、先行きも買入れが進むにつれてプレミアムの圧縮効果は累積的に強まるとみている(図表10)。

(2)のポートフォリオ・リバランス効果は日本銀行が金融機関から長期国債を買入れ、巨額の超過準備を供給することを通じて、国債中心の余資運用からより期待リターンの高いリスク資産へのリバランスを促し、実体経済や資産市場の活性化を図るものである。長期国債の買入れの平均残存期間を長期化させたのもこの効果を意識したものである。

ポートフォリオ・リバランス効果は概ね以下のメカニズムを通じて働く。すなわち、日本銀行による資産買入れが直接的に民間金融機関のバランスシートにもたらす変化をみると、バランスシートの規模は変わらないが、国債等が減少し、その分日銀当座預金が増加するという形で資産サイドの構成が変化する。民間金融機関の資金運用の観点からは、運用資産が減少し日銀当座預金が増加することで、ポートフォリオ全体の収益性が低下するため、収益性維持のために期待リターンのより高い資産にポートフォリオをシフトさせる、すなわちリスク性資産への投資や貸出等を積極化することが期待される(図表11)1

このように、日本銀行は巨額の超過準備を供給することで、銀行や生命保険会社、年金基金など主要な投資家の投資行動の変化を後押しすることを狙っている。リバランスの動きが各投資家に広がっていくかどうかはそれぞれの投資家に関わる固有の規制・会計といった制度的要因もあって一概に論じることはできないし、またもとよりそうした変化は一朝一夕に生じるものではないであろうが、私は各投資家がリバランスの制約となり得る制度的要因のなかでも様々な知見を集め、工夫していくことを期待している。

(3)の期待への働きかけを通じた効果については、一般に、インフレ期待の形成は適合的期待(過去の動向を踏まえて、これまでの期待を徐々に修正しながら、期待を形成すること)の要素が含まれており、日本のように低インフレないしはデフレが長く続いたなかでは、家計・企業や市場のインフレ期待も相応に低めとなっているとみられる。もっとも、現実の消費者物価(除く生鮮食品)の前年比上昇率は、このところの円安による燃料高や電力料金引き上げといったコストプッシュ要因に加え、薄型テレビやパソコン等のIT関連財の価格下落がある程度まで進展したことから、足許ではゼロ%となった。このようななかで、消費者物価(除く生鮮食品)の前年比はこの夏場にかけて足許のゼロ近傍からプラスに転じていくことを見込んでいる。

現実の物価がある程度持続的にプラスとなれば、家計・企業や市場の期待インフレ率もそれに応じて上方に緩やかにシフトする可能性があろう。内閣府の消費動向調査や日本銀行の生活意識に関するアンケート調査、あるいはエコノミストや市場参加者への各種アンケート調査結果でみた期待インフレ率も、一部は消費税率引き上げの蓋然性の高まりによるものと識別することが困難ではあるものの、既に上昇を示唆するものがみられる。こうした期待インフレ率の変化が現実の物価にフィードバックし、またそれが期待インフレを高めるというフィードバックループが生じることで、中期的なアンカーであるインフレ期待が上向くというメカニズムを日本銀行は期待している。

  1. その際、気をつけなければならないのは以下の点である。すなわち、民間金融機関が日銀当座預金から期待リターンのより高い資産にシフトさせるとその分だけ日銀当座預金が減少するといった誤解がしばしば見受けられるが、個々の民間金融機関の行動によって日銀当座預金の総量は変化しない。例えば、ある民間金融機関が日銀当座預金から株式へと資産の一部をシフトしても、それは他の金融機関の日銀当座預金を増やすため、日銀当座預金の総量は変化しない。

賃金と物価

より実体経済に即したチャネルについて考えると、GDPギャップの縮小と同様に、「物価安定の目標」の達成に重要なのはやはり賃金の上昇である(図表12)。本年2月の金融経済懇談会で私は2%の物価上昇率の実現と整合的な賃金上昇は4%程度の大幅なものであると述べた。しかし、近年の労働生産性の伸び率鈍化を勘案すると、整合的な賃金上昇はこれより低めの2%程度となる可能性があると考えるに至った。これは生産性の伸びの高い状態では同じ物価上昇を実現するのと整合的な賃金上昇率も高くなるのに対し、生産性の伸びが低下するとそれと整合的な賃金上昇率も低下するためである(図表13)。

2%の賃金上昇の実現と整合的な労働需給については幅をもってみる必要があるが、期待の上昇を織り込まないベースの賃金版フィリップスカーブからは、大まかにみて完全失業率で3.0-3.5%程度というところかと思う。直近の完全失業率は4.1%であるので、3.0-3.5%のゾーンは達成不可能な水準ではなかろう。

「量的・質的金融緩和」が念頭としている向こう2年程度という「物価安定の目標」実現のタイムフレームの下で、このように完全雇用に近い状態が実現するかどうかは依然定かでない。雇用・賃金は景気に遅行するため、経済が緩やかな回復軌道に復し、それが賃金に波及するには相応のタイムラグがあろう。もっとも、先に述べたように一般にインフレ目標政策は柔軟な枠組みである。繰り返しになるが、重要なことは2年間で2%を機械的にピンポイントで達成することではなく、労働需給の引き締まりの結果、向こう2年程度でそうした道筋が見通せるようになるということであると私は考えている。

ベースアップに向けた環境整備

デフレ脱却に向けた賃金上昇の重要性についての認識が広がるにつれ、政府が経済界に対し賃上げを要請するといったこれまでにない動きもみられている。また、実際に既に特定の業種・企業によっては賞与の引き上げがみられるほか、非製造業の一部では人材獲得競争等に伴い雇用がひっ迫していることなどから、基本給の引き上げ(ベースアップ)に向けた動きもみられ始めている。しかし、多くの企業は固定費負担の増大を懸念してベースアップには依然消極的である。先に挙げた一部非製造業の例でもベースアップは正社員に限られ、大多数の非正規雇用の労働者にはその恩恵は今のところ及んでいない。

こうしたベースアップの幅広い実現といった問題は、雇用制度・慣行の柔軟性確保の問題と深く結びついており、コンセンサス形成は容易でないかもしれない。もっとも、以下に述べるとおり日本経済の頑健性は足許強まってきており、先行きの経済はそうした労働市場の構造改革をサポートする方向にあるとみている。

3.内外経済・物価情勢

日本経済の現状と先行き

リーマン・ショック後も2011年の東日本大震災やタイの大洪水、2012年からの中国経済の減速など日本経済は度重なる逆風に見舞われたが、足許はそうした影響を乗り越え、自律回復への道筋がようやく視野に入ってきている。世界経済をとりまく不確実性は引き続き大きく、私の見解ではリスク分布は下方にやや厚いものの、先行き世界経済を揺るがすテールリスクが顕在化しない限り、外部環境は日本に全体として概ねポジティブに作用するとみられ、足許は引き続きデフレ脱却に向けた好機と考える(図表14)。

既に底堅さを増しつつある内需との比較で出遅れていた輸出は米国向け自動車輸出主導で持ち直しており、企業からのヒアリング等を踏まえると製造業の生産はこの4-6月期、7-9月期ともに緩やかな増勢を辿る見通しである(図表15)。後述する中国経済のもたつきが懸念材料だが、米国経済の頑健性が維持される限り日本の回復の著しい制約要因とはなりにくいであろう。

個人消費は、この1-3月期はマインド改善や資産効果に支えられた面が大きかったとみられるが、このところの金融市場の情勢変化でも家計のマインドは概ね堅調を維持しており、先行きも雇用・所得環境の緩やかな改善に支えられる形で増勢を続けるとみられる(図表16)。アネクドータルな情報では5月下旬以降の金融市場の情勢変化でも高額消費への影響は大きくはみられない。また、先の経済対策の効果から7-9月期以降は公共投資の寄与が再び高まると見込まれる(図表17)。こうしたなか、これまで低迷してきた設備投資も、資本財出荷や資本財総供給といった機械投資の一致指標をみると、この4-6月期からようやく持ち直しに向かう動きがみられはじめており、省エネ・防災関連のほか設備の維持・更新のためのペントアップ需要が出ている模様である(図表18)。短観(6月調査)にみる企業の設備投資計画からは先行き緩やかな増勢が期待できる。

このように需要項目間で強弱の差はあるものの前向きの動きが見られるなかで日本経済は徐々にではあるが頑健性を強めつつあり、そうしたなかで出遅れていた雇用・所得環境も次第に改善していくことが期待される。

世界経済の先行きとリスク要因

日本経済の自律成長軌道への復帰の前提として、海外経済が昨年来の減速した状態を脱して緩やかな回復軌道に復することが重要だが、その点ではフィスカル・ドラッグの下でも底堅い米国経済がプラス材料である一方、中国をはじめ新興国にはっきりとした加速の兆しがみられない点はやや気がかりである。改訂されたIMFの世界経済見通しでも、2013年から2014年にかけて成長率は徐々に高まる見通しながら、見通し自体は米国も含めこのところ切り下がっている(図表19)。もっとも、新興国の世界経済の牽引役としての影が薄くなるなかでも、頑健性を増す米国の牽引力はしっかりしたものとなることが期待され、全体として世界経済の緩やかな回復軌道への復帰シナリオに大幅な狂いはなかろう。

米国は、先の4-6月期は財政緊縮の影響からソフトパッチ気味であったが、足許7-9月期以降は財政緊縮の影響が限界的に剥落するなかで、堅調な消費者マインドや住宅市場の持ち直しに支えられ、景気は次第に底堅さを増すと見込んでいる(図表20、21)。歳入の好調から債務上限問題が秋以降に先送りされたことも当面のテールリスクを減じる要素と判断している。

欧州は引き続き低迷しているが、各国が財政緊縮一辺倒でなくなり、緊縮策に修正の動きがみられること、域外輸出に一部明るさがみられること、また家計・企業マインド面でも改善に向けた動きがみられはじめていることもあり、一段と見通しを引き下げていく局面ではなくなってきている(図表22、23)。

一方、新興国は米国の資産買入れの早期縮小観測をきっかけに世界的なリスクオフの流れとなるなかで、資金流入ペースの鈍化ないしは流出が生じている点が気がかりである。基本的には、米国において金融緩和の早期縮小が議論され始めた背景に、米国経済が着実に回復を続けていることがあり、そのこと自体は、新興国も含めた世界経済にとってプラスである。もっとも、このような思惑が、急激な資金フローの変化を引き起こし、一部の新興国で景気動向の悪化を招いたり、資金調達面での困難を引き起こすことがないかどうか注意深く見守っている(図表24)。

また、中国は人口問題や過剰設備問題など構造問題への対処を優先して当局がやみくもに成長を追求しない姿勢が鮮明にみられ、目先成長率が顕著に回復することは期待薄である(図表25)。成長率が8%割れとなるなかでも労働市場が堅調なことは潜在成長率の低下を示唆していると考えられる。このため、当局は成長率が高まらない中でもインフレを警戒している(図表26)。また、6月には、短期金利が一時期急騰する局面がみられたが、そもそも期末にかけて資金需給がタイト化しやすい時期であったことに加えて、信用拡大が急ピッチで進んでいることを受けて、政策当局が流動性リスク管理の強化を促すスタンスを鮮明にしたことが影響したと理解している(図表27)。もっとも、こうした中国当局の姿勢は成長の質を高め、中長期的には世界経済の安定に寄与するものと考えている。

以上総じて、先行き、世界経済は米国等での財政面からの下押し圧力が弱まる下で、緩和的な金融環境にも支えられ、緩やかな回復軌道に復するとみている。そうした回復軌道への萌芽として、(1)グローバルに堅調な家計部門のコンフィデンス、(2)製造業の良好な出荷在庫バランス、(3)欧州における財政緊縮路線の軌道修正、といった点を指摘できる。地域別には住宅投資の回復に支えられた米国の牽引力に着目している。また、緩和的な金融環境という点では、金融機関の資金調達環境の改善などが挙げられる。欧州債務問題の不透明感は強いものの、総じて国際金融資本市場の動揺と世界経済の大きな下振れにつながるテールリスクが後退したことに加え、このところの一次産品価格の落ち着きもプラス材料である(図表28)。

先行きのリスク要因としては、先に挙げたFRBの資産買入れペースの鈍化に伴う新興国をはじめとしたグローバルな金融市場への影響と、世界的なディスインフレ傾向に着目している。金融市場への影響については、前述のようにFRBの政策意図が市場に浸透していくなかで世界経済の成長拡大とともにその影響が次第に吸収されていくことが期待される。一方、世界的なディスインフレ傾向については、特に米国の足許のインフレ率低下が、FRBがみているように一時的なものかどうかに注目している。

4.終わりに〜福島県経済について〜

結びにあたり、福島県経済について少しお話し申し上げる。

足許の県内景気は、海外需要の改善や復旧・復興関連需要の増加などを背景として、持ち直している。公共投資が、除染作業や震災復旧工事を中心に、全国を大きく上回るペースで増加を続けているほか、住宅投資も、被災住宅の建て替えや避難者の方々の移転需要などから、大幅な増加が続いている(図表29)。また、観光業についても、依然として厳しい状況にはあるが、NHK大河ドラマの効果もあって、会津方面を中心に、少しずつ明るさを取り戻しつつあるようだ。先月初めに当地で開催された東北六魂祭も大盛況であったと伺っている。

先行きについても、復旧・復興関連の需要が高水準を持続すると見込まれるなかで、生産面の上向きの動きもあって、県内景気は、次第に持ち直しの動きが明確になってくるものと期待される。

もっとも、当地に関しては、震災、特に原発事故の影響が残るなかにあって、経済の復興に向けて今後克服していかねばならない課題がなお少なくないのが実情である。福島県の統計によると、避難を余儀なくされている方の数は、依然として15万人を数える。いわゆる風評被害も根強く、農業や食品業、観光業など広い分野に未だに影響が及んでいる。企業の生産活動は持ち直しつつあるが、鉱工業生産の水準は、震災以降一貫して全国平均を10ポイントほど下回って推移している(図表30)。また、雇用面でもミスマッチや被災者雇用等の課題がある。

こうした課題の克服に向けて、まず、除染作業や避難区域の再編を含めた広い意味での環境回復、避難者の方々の生活再建を、出来る限り迅速に進めていくことが大事である点はもちろんだが、県経済の復興という観点からは、雇用機会の創出に繋がる成長企業、成長産業の育成が特に重要と考えられる。この点、福島県復興計画において、農林水産業や観光業の再生・復興とともに、創薬拠点の整備を含めた医療関連産業の集積、再生可能エネルギーの導入拡大や関連産業の誘致といった方向性が示されていることは、中期的な視点から成長分野を育成していく取り組みとして注目に値すると思う。

当地は、首都圏という大きなマーケットに隣接している「地理的なメリット」、東北で最大の製造品出荷額を誇る点に象徴される「製造業集積の高さ」、さらには、温泉や農産物を含めた豊かな自然に代表される「多様な観光資源の存在」など、従来から様々な魅力や強みを有し、それを活かしながら発展してきた地域である。復興計画で示されている様々な取り組みを、こうした元来の魅力や強みをフルに活かす形で進めていくことができれば、県経済の復興も、より強く、スピーディーに実現していけるのではないかと思う。今後、産官学一体となった様々な取り組みが着実に実行され、福島県経済の復興とさらなる発展に繋がっていくことを心より祈念している。