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【講演】2%の「物価安定の目標」の実現を確かなものに

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きさらぎ会における講演

日本銀行総裁 黒田 東彦
2014年11月5日

目次

1.はじめに

日本銀行の黒田でございます。本日は、きさらぎ会でお話しする機会を頂き、ありがとうございます。

日本銀行は、10月31日に開催された政策委員会・金融政策決定会合において、「量的・質的金融緩和」の拡大を決定しました。あわせて、「展望レポート」において、2016年度までの経済・物価見通しを公表しました。本日は、今般の決定の背景と趣旨をご説明するとともに、日本銀行の経済・物価情勢に対する認識と先行きの展望についてお話ししたいと思います。

2.「量的・質的金融緩和」および今般の拡大の意義

はじめに、「量的・質的金融緩和」の目的と効果について、振り返っておきます。

日本銀行は、昨年の4月に、2%の「物価安定の目標」を、2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に実現するために、「量的・質的金融緩和」を導入しました。「量的・質的金融緩和」は、次のような基本方針に基づいて設計されたものです。

第1に、長年にわたって日本経済を劣化させてきたデフレから脱却するために、「できることは何でもやる」ということです。第2に、日本銀行が「物価安定の目標を責任をもって実現する」と強く明確にコミットするということです。第3に、こうしたコミットメントを裏打ちする量的にも質的にも従来とは次元の異なる金融緩和を行うということです。

15年にわたるデフレの間に、人々の間には、「物価が上がらない」あるいは「物価が緩やかに低下する」という考え方が定着してしまいました。これが「デフレマインド」や「デフレ期待」と呼ばれるものです。デフレマインドが定着すると、企業や個人はそれを前提に行動するため、デフレと景気の低迷が自己実現的に長期化することになります。このような悪循環から脱却するためには、従来とは全く次元の異なる金融緩和によって、人々の間に染みついたデフレマインドを抜本的に転換する必要があります。「量的・質的金融緩和」は、まさにこうした効果を狙ったものです。

「量的・質的金融緩和」の導入以降、1年半が経過しましたが、これまでのところ、所期の効果を発揮しています。すなわち、わが国の景気は、消費税率引き上げに伴う駆け込み需要とその反動の影響を受けつつも、基調的には緩やかな回復を続けています。物価面では、「量的・質的金融緩和」を導入する直前の昨年3月の時点で−0.5%であった生鮮食品を除く消費者物価の前年比は、消費税率引き上げの直接的な影響を除いたベースでみて、1%台前半まで改善しました。

もっとも、消費税率引き上げ後の反動減は、自動車などの耐久消費財を中心にやや長引いています。また、このところ原油価格が大幅に下落しています。こうした需要面の弱めの動きや原油価格の下落は、物価の下押し要因として作用しています。生鮮食品を除く消費者物価の前年比は、昨年末から1%台前半で推移してきましたが、9月には+1.0%まで伸び率を縮小しました。もとより、消費税率引き上げに伴う需要面の弱さは既に和らぎはじめていますし、原油価格の下落は、やや長い目でみれば、日本経済に好影響を与え、物価を押し上げる方向に作用すると考えられます。ただ、短期的とはいえ、現在の物価下押し圧力が残存する場合、これまで着実に進んできた「デフレマインド」の転換が遅延するリスクもあると考えられます。日本銀行としては、こうしたリスクの顕現化を未然に防ぎ、好転している期待形成のモメンタムを維持するために、ここで「量的・質的金融緩和」を拡大することが適当と判断しました。

以下では、今回の決定の前提となった経済・物価情勢について、ご説明します。

3.わが国経済の動向

日本経済の展望

まず、前回4月の「展望レポート」公表以降半年間のわが国の景気の動きをみますと、消費税率引き上げに伴う駆け込み需要の反動減の影響が自動車などの耐久消費財を中心に大きかったことや輸出の弱さが想定以上であったことから、生産面を中心に弱めの動きとなっています。そのため、半年前の「展望レポート」において見通していた姿と比べると、今年度の実質GDP成長率は下振れています。

もっとも、そうしたもとでも、雇用・所得環境の改善は着実に続いており、企業収益も高水準が維持されていることから、企業部門・家計部門ともに、所得から支出への前向きの循環メカニズムはしっかりと作用しています。日本経済は、基調的には緩やかな回復を続けていると判断しています。先行きについても、前向きの循環メカニズムが働き続けるもとで国内需要が堅調さを維持し、輸出も緩やかな増加に向かっていくと見込まれることから、わが国経済は、基調的には潜在成長率を上回る成長を続けると考えています。今般の「展望レポート」における実質GDP成長率の見通しで申し上げると、2014年度は+0.5%、2015年度は+1.5%、2016年度は+1.2%と予想しています(図表1)。

以下では、家計部門、企業部門の順に、前向きの循環メカニズムがどのように働いているかについてもう少し詳しくお話しします。

家計部門

まず、家計部門についてです。消費税率引き上げの個人消費への影響は、駆け込み需要の規模が大きかったため、反動減はかなりの規模となり、その影響も長引いています。自動車や家電などの耐久消費財や住宅投資関連の建設財などについては、反動減の大きさが企業の事前の予想を上回るものであったため在庫調整が生じており、これが生産の弱めの動きにつながっています。一方で、百貨店やスーパーなどの売上高は持ち直してきており、反動減の影響は徐々に和らいでいます。夏の天候不順の悪影響についても減衰してきている模様です。このように、個人消費は基調的には底堅く推移しており、品目によってばらつきはみられますが、全体としてみれば、駆け込み需要の反動の影響は和らいできているとみています。

この背景には、雇用・所得環境の着実な改善があります。労働需給は、雇用誘発効果の大きい国内需要主導での景気回復が続くもとで、改善を続けています(図表2)。企業は前向きな採用意欲を維持しており、完全失業率は3%台半ばとみられる構造失業率の近傍まで低下しています。こうしたもとで、賃金は春以降はっきりと上昇しており、最近は前年比で1%程度の伸びとなっています。長らく実施されていなかったベースアップが多くの企業で復活したことから、所定内給与が前年比プラスとなっているほか、夏のボーナスの増加などから特別給与がしっかりと増えています。賃金が上昇し、雇用者数も増加していることから、雇用者所得は、賃金の伸びを上回る上昇を続けています(図表3)。

なお、消費税率の引き上げにより物価上昇率が高まっていることから、「物価上昇率を勘案した実質賃金は減少しているではないか」という意見も聞かれます。この点に関しては、消費税率の引き上げによる物価上昇と、それ以外の物価上昇とを分けて考える必要があります。消費税率引き上げによる税収増は、社会保障の充実や将来の安定運営に利用され国民に還元されるものですし、物価上昇率の押し上げは一時的なものです。4月の消費税率引き上げに伴い、生鮮食品を除く消費者物価の前年比は、2%程度押し上げられている計算になりますが、これは来年度になれば剥落します。先程申し上げたとおり、労働需給の引き締まりが続くもとで、賃金は前年比で1%程度の伸びとなっており、雇用者所得はこれをさらに上回る伸びを続けています。生鮮食品を除く消費者物価の前年比を、消費税率引き上げの直接的な影響を除いたベースでみれば、このところ1%台前半で推移していますので、現在は、基調的には、賃金と物価が概ね整合的に上昇している状況と評価してよいと思います。

先行きも、雇用・所得環境の着実な改善が続くもとで、駆け込み需要の反動といった一時的な下押しの力は弱まっていくことから、個人消費は次第に持ち直しが明確になり、緩やかな増加基調を維持していくと考えています。

企業部門

次に、企業部門についてお話しします。輸出が勢いを欠いており、消費税率引き上げに伴う駆け込み需要の反動減の影響を受けて在庫調整の動きがみられていることから、このところ生産は弱めとなっています。しかしながら、企業収益は改善を続けており、主要企業の売上高経常利益率は、グローバル金融危機前の水準を上回っています(図表4)。過去の円高局面で海外生産の拡大が進んできたことは、輸出に対しては抑制要因として働く一方で、グローバルでみた企業の収益力を高める方向で作用しています。海外での収益力の高まりは、消費税率引き上げに伴う駆け込み需要の反動などの影響がみられる中にあっても、企業マインドを下支えしています。短観の企業の業況判断は、総じてみれば良好な水準が維持されています(前掲図表4)。このように、企業収益が改善を続け、企業の業況感も良好な水準を維持するもとで、企業は、4月以降の経済活動の落ち込みを一時的とみているように思います。短観の事業計画をみると、売上や収益の見通しは上方修正されており、設備投資についても引き続きしっかりと増加させていく計画となっています(図表5)。

先行きの設備投資については、企業収益が改善傾向を続ける中で、緩和的な金融環境にも支えられて、緩やかな増加基調をたどると考えています。これに加えて、次のような事情も設備投資が増加しやすい環境を作り出しています。第1に、長引くデフレのもとで投資が抑制されていたために、設備の老朽化がかなり進んでいることです。円滑な生産に支障をきたす事例も生じていることから、「維持・更新投資」のニーズは高まってきています。第2に、人手不足で賃金が上昇する一方で、銀行貸出の金利は既往最低水準で推移するなど、企業の資金調達コストは低水準にあることです。そのため、追加の労働力を確保するより、「省力化投資」を行う方が有利になってきています。第3に、過度な円高水準の修正が始まって2年近くが経過するもとで、研究開発やマザー工場の拠点を再構築するために、再び国内での投資のウエイトを高める動きがみられてきていることです(図表6)。

こうした環境のもとで、企業部門においても、所得から支出、すなわち、企業収益から設備投資への前向きの循環メカニズムがしっかりと働き続けていると考えています。

4.わが国の物価情勢

次に、物価情勢についてご説明します。先程申し上げたように、昨年3月時点で−0.5%とマイナス圏にあった生鮮食品を除く消費者物価の前年比は、その後プラスに転じ、消費税率引き上げの直接的な影響を除いたベースでみて、1%台前半まで改善しました(図表7)。月々の物価は様々な要因で変動しますが、物価の基調的な動きは、経済全体としての需給ギャップと予想物価上昇率によって規定されると考えられます。「量的・質的金融緩和」導入以降の物価情勢の改善は、需給ギャップの改善と予想物価上昇率の上昇を背景とするものです。

まず、需給ギャップについてです。需給ギャップとは、労働力や設備といった生産要素の稼働状況を表す指標であり、過去の平均的な稼働状況をゼロと定義しています。その動きをみると、雇用誘発効果の大きい国内需要の堅調さを受けて雇用が増加を続けるもとで、労働面を中心に着実に改善しており、最近では過去の平均並みであるゼロ近傍となっています(図表8)。先行きも、基調的に潜在成長率を上回る成長が続くもとで、労働需給の引き締まりが継続し、設備の稼働率もさらに高まっていくとみられることから、需給ギャップはプラス幅を拡大していくと考えています。そうしたもとで、需給面からみた賃金と物価の上昇圧力は、着実に高まっていくと見込まれます。

次に、予想物価上昇率ですが、これまでのところ、全体として上昇してきました。マーケットのデータやサーベイ調査などの各種の指標は、振れを伴いつつも、やや長い目でみれば上昇してきたと評価できます(図表9)。また、こうした予想物価上昇率の高まりは、労使間の賃金交渉や企業の価格設定行動、家計の消費行動など様々な経済活動に変化をもたらしていると考えられます(図表10)。労使間の賃金交渉においては、この春、多くの企業が、デフレのもとで久しく行われていなかったベースアップの慣行を復活させました。企業の間では、これまでの低価格戦略から、付加価値を高めて販売価格を引き上げる戦略に切り替える動きがみられます。家計の低価格志向は和らぎつつあり、これまでよりも、地理的利便性や付加価値の高い商品を好む傾向が強まっているように窺われます。こうした経済活動の変化は、企業や家計の将来の物価に対する見方が変わり、予想物価上昇率が徐々に高まってきていることを示唆するものと考えられます。問題は、こうした変化が今後も継続するかどうかという点です。後程詳しく申し上げるように、このところ、消費税率引き上げ後の需要面の弱めの動きや原油価格の大幅な下落が物価の下押し要因として働いており、こうした下押し圧力が残存する場合、予想物価上昇率の改善が遅延するリスクがあります。今般の「量的・質的金融緩和」の拡大は、このようなリスクを未然に防ぐことを狙いとしています。日本銀行としては、今般の措置も含めて、引き続き「量的・質的金融緩和」が効果を発揮するもとで、予想物価上昇率は、先行きも上昇傾向をたどり、「物価安定の目標」である2%程度に向けて次第に収斂していくと考えています。

こうした需給ギャップや予想物価上昇率の動きを背景に、消費者物価の前年比(生鮮食品を除き、消費税率引き上げの直接的な影響を除くベース)は、当面現状程度のプラス幅で推移したあと、次第に上昇率を高め、2015年度を中心とする期間に、「物価安定の目標」である2%程度に達する可能性が高いと考えています。その後は、中長期的な予想物価上昇率が2%程度に向けて収斂していくもとで、マクロ的な需給ギャップはプラス幅の拡大を続けることから、強含んで推移すると予測しています。「展望レポート」における見通しで申し上げると、2014年度は+1.2%、2015年度は+1.7%、2016年度は+2.1%と予想しています(前掲図表1)。

5.経済・物価の上振れ・下振れ要因

これまで、日本銀行が考えている標準的な経済・物価の見通しについてご説明してきました。しかし、こうした見通しには経済・物価それぞれについて上下に振れる可能性があるいくつかの要因があります。ここでは、そのすべてをご説明する時間はありませんので、経済・物価両面に関わる2つの重要な要因についてお話ししたいと思います。

ひとつめは、消費税率引き上げの影響とそれが企業の価格設定行動の変化につながらないかという点です。先程述べたとおり、税率引き上げに伴う駆け込み需要の反動減や実質所得減少の影響はなお残存しており、引き続き見極めていく必要があります。また、税率引き上げ以降の消費動向が、先行きの企業の価格設定行動にどのような影響を及ぼすかについても不確実性があります。この点、企業はこのところの経済活動の落ち込みを一時的なものとみているようであり、低価格戦略から、付加価値を高めつつ販売価格を引き上げる戦略に切り替える動きが続くと考えています。ただ、消費税率引き上げ後の消費の落ち込みを受けて再び低価格戦略を志向する動きが拡がるようなことがないか、注意してみていく必要があると考えています。

ふたつめは、最近の世界経済に関する慎重な見方と原油をはじめとする国際商品市況の大幅な下落についてです。今回の「量的・質的金融緩和」の拡大措置を理解して頂く上でも重要な要因ですので、やや詳しめにお話しします。

まず、世界経済の標準的な見通しとしては、先進国を中心に緩やかに成長率を高めていくと考えています。ただ、このところ、金融資本市場を中心に、世界経済の先行きに対する慎重な見方が強まっています。地域別にみると、まず、欧州で、製造業部門を中心に前向きなモメンタムがやや鈍化しており、マインドの一段の慎重化が懸念されています。物価面では、ディスインフレ傾向が長引き、デフレに陥るリスクが意識されています。中国については、政府が構造改革と景気下支え策に同時に取り組んでいくもとで、総じて安定成長を続けると考えられますが、不動産市場の調整が長引き、経済や金融に悪影響を及ぼすリスクが警戒されています。

こうしたもとで、夏場ごろから原油をはじめとする国際商品市況が大幅に下落しています。この背景には、供給面と需要面の双方の要因があると思われます。すなわち、供給面では、シェールオイルの増産といった趨勢的な供給量の増加に加え、ここに来て、地政学的リスクに対する警戒感が幾分後退するもとで、一部産油国が産出量を増加させていることが指摘できます。一方、需要面では、世界経済の下振れリスクが意識されるもとで、原油などの需要予測が慎重化したという要因が考えられます。こうした双方の要因が、国際商品市場での反応とあいまって、大幅な下落につながったと考えられます。

では、日本経済や物価形成への影響はどうでしょうか。まず、日本は資源輸入国ですから、基本的には、経済活動に好影響を与え、長い目でみれば物価の押し上げ要因となると考えられます。特に、国際商品市況下落が供給面や市場の反応などの要因によるものであれば、この点はより明確です。一方で先行きの世界需要の弱さを示唆している場合には、国際商品市況の下落そのものはプラス材料だとしても、将来の世界経済の弱さという懸念材料も同時に考えておかなければなりません。現時点において、この点は明確ではありませんが、引き続き、世界経済の動向を注視していく必要があると考えています。

また、物価形成の面では、原油価格の下落が、長い目でみれば物価の押し上げ要因である一方で、当面の消費者物価の下落をもたらすことの意味を考える必要があります。冒頭で申し上げたとおり「量的・質的金融緩和」は、2%の消費者物価上昇率を安定的に達成する、という日本銀行の強いコミットメントとそれを裏打ちする異次元の大規模緩和によって、人々のデフレマインドを払しょくし、予想物価上昇率を引き上げることを狙った政策です。これまでこのメカニズムは所期の効果を上げ、予想物価上昇率は全体として上昇しています。そこで、このメカニズムの核である「予想物価上昇率」の好転のモメンタムが、当面の消費者物価上昇率の伸び悩みによって弱まることはないのか、ということが問題になります。

この点、原油価格のような一時的な要因によって実際の物価上昇率が多少変化しても、中長期的な予想物価上昇率はあまり影響を受けないというのが基本的な考え方です。たとえば、米国では、原油価格の下落にもかかわらず、中長期的な予想物価上昇率を示す指標は、さほど変化していません(図表11)。ただ、米国の場合には、長年にわたって予想物価上昇率が中央銀行の設定する目標近傍にアンカーされている一方で、わが国は、「量的・質的金融緩和」によってデフレマインドを抜本的に転換しようとしている最中にあります。わが国では、米国などに比べれば、実際の物価上昇率の変化が予想物価上昇率の形成にも相応の影響をもたらす可能性があると考えておくべきだと思います。現実の社会を考えても、米国などでは、中央銀行の金融政策運営によって均してみれば毎年2%程度の物価上昇が実現する、ということを前提に賃金や価格決定が行われていると考えられます。そうした国では一時的に物価が上がったり下がったりしてもいずれ2%に戻るだろうと予想されますので、中長期の予想物価上昇率はあまり動きません。一方で、日本においては、長きにわたったデフレのあと、ようやく、この春の労使間の賃金交渉で物価上昇率の高まりが意識され、多くの企業でベースアップが実施されたところです。企業の価格設定行動も変化の途上です。こうした状況を踏まえると、リスク要因としては、現在の物価下押し圧力が残存する場合に、これまで着実に進んできたデフレマインドの転換が遅延する可能性も否定できません。これは「量的・質的金融緩和」の核となるメカニズムに関するリスクです。今回の緩和の拡大は、こうしたリスクの顕現化を未然に防ぎ、好転している期待形成のモメンタムを維持するために、実施するものです。

6.日本銀行の金融政策運営

今般の措置のポイント

今般の措置の具体的な内容は、以下のとおり、質量ともに大規模なものです(図表12)。

第1に、金融市場調節の操作目標であるマネタリーベースの増加額を、これまでの「年間約60〜70兆円」から「年間約80兆円」に約10〜20兆円増加します。

第2に、各種の資産買入れ額を拡大します。まず、長期国債については、日本銀行の保有残高の増加額を「年間約50兆円」から「年間約80兆円」に約30兆円拡大します。また、買入れ国債の平均残存年限を「7年程度」から「7〜10年程度」に最大3年延長します。このところのイールドカーブの形状をみると、5年金利が0.1%近くに低下するなど、短期から中期のゾーンで大幅な低下が進む一方、長めのゾーンは相対的に高めの水準にとどまっています。今回の措置は、イールドカーブの全体にわたって一段と低下圧力を及ぼすことを狙ったものです。

また、ETF、J-REITについては、日本銀行の保有残高の増加額を、それぞれ「年間約1兆円」から「年間約3兆円」、「年間約300億円」から「年間約900億円」に、3倍に増加します。ETFについては、新たにJPX日経400に連動するものを買入れ対象に加えます。

これらの措置は、実質金利や資産価格などに影響を与え、民間需要の増加、ひいては需給ギャップの改善をもたらすと考えています。また、日本銀行としては、この機会に2%早期実現へのコミットメントを改めて強調したいと思います。大規模なアクションは、このコミットメントを裏打ちするものです。これらによって、好転している予想物価上昇率のモメンタムが維持され、「量的・質的金融緩和」のメカニズムがしっかりと働き続けると考えています。

先行きの政策運営については、日本銀行は、これまでと同様、2%の「物価安定の目標」の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで、「量的・質的金融緩和」を継続します。その際、経済・物価情勢について上下双方向のリスク要因を点検し、「物価安定の目標」を実現するために必要になれば、躊躇なく調整を行う方針についても、従来と何ら変わりはありません。

2%の「物価安定の目標」を実現することの意義

日本銀行は、「量的・質的金融緩和」の導入当初から、2%の「物価安定の目標」の早期実現に強くコミットしています。物価の下振れリスクが大きくなったのであれば、追加的な措置を行うことは当然の論理的帰結です。その意味で、今般の措置は、我々の揺るぎないコミットメントを示すものに他なりません。

もっとも、こうした日本銀行の方針に対しては、「成長率が高まらないもとで、物価だけが上昇するのは望ましくないのではないか」とか、「必ずしも2%にこだわる必要はないのではないか」といった意見も聞かれているところです。消費税率引き上げにより物価上昇が強く実感されることが、こうした見方を後押ししている面があります。

我々は、「物価が上がりさえすればよい」と思っている訳ではありません。しかし、緩やかな物価上昇を実現することは、悪い「デフレ均衡」から脱却するための必要条件です。デフレのもとでは、企業や家計がリスクテイクを消極化する中で、価格の下落、売上・収益の減少、賃金の抑制、消費の低迷、価格の下落という悪循環が続きます。こうした「デフレ均衡」から抜け出すためには、人々の期待を変化させ、経済主体が「緩やかに物価が上昇する」ことを前提に行動する状況を作り出す必要があります。そのような状況になれば、デフレ下での悪循環とはちょうど逆の循環が作用します。つまり、価格の緩やかな上昇を起点として、売上・収益の増加、賃金の上昇、消費の活性化、価格の緩やかな上昇というかたちでの経済の好循環が実現するということです。2%の「物価安定の目標」を達成することの意義は、「デフレ均衡」という「縮小均衡」を脱却して、国民生活がより豊かになる状況のもとで物価も緩やかに上昇する「拡大均衡」への転換を実現することにあります。

「縮小均衡」から「拡大均衡」への移行は、わが国の経済・社会システムに大きな変化をもたらすものです。それだけに、その移行過程においては、業種や企業規模、地域、あるいは所得環境等によって、メリットやデメリットが異なったかたちで現れることは避けられない面があります。しかしながら、「拡大均衡」への転換が実現すれば、そのメリットは、国民の皆様に幅広く行きわたることになります。より長い目でみた国民生活の豊かさを実現するためにも、今が正念場だと思います。

また、「2%の物価上昇率にこだわる必要はなく、1%程度でも十分ではないか」との意見も聞かれるところです。この点については、諸外国の例をみても明らかなように、物価上昇率は、景気変動に伴って、ある程度の幅をもって上下に変化するものであることを理解しておく必要があります。ある時点の物価上昇率が1%程度であるからといって、将来にわたってその水準で安定するという訳ではありません。「2%」の物価上昇率を目標とすることがグローバル・スタンダードとなっているのは、景気変動に伴って物価上昇率が変化することを勘案した上で、デフレに陥らないための「経験知」と言えます。本日、ご説明したように、「量的・質的金融緩和」のもとでデフレマインドの転換は着実に進んできています。今、この歩みを止めてはなりません。デフレという慢性疾患を完全に克服するためには、薬は最後までしっかりと飲み切る必要があるのです。中途半端な治療は、かえって病状を拗らせるだけです。

さらに、「2%を目指すにしても、2年程度という期間にこだわることはないのではないか」という意見もあります。この点、日本銀行は、昨年4月、「物価安定の目標」を「2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に」実現すると宣言して、「量的・質的金融緩和」を導入しました。同じ月に公表した「展望レポート」では、2015年度の消費者物価上昇率の見通しを政策委員の中央値で1.9%と公表しました。その後、この見通しは、最新の展望レポートでは幾分下振れていますが、引き続き、「2015年度を中心とする期間に2%程度に達する可能性が高い」と予想しています。2%の「物価安定の目標」を2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に実現するという方針に変わりはありません。

今回の原油価格の下落でもわかるように、実際の消費者物価の計数は、需給ギャップや予想物価上昇率のような基本的な要因のほかにも様々な要因の影響を受けます。2年ちょうどで2.0%にできる中央銀行は世界中にありません。だからといって、「いつかは2%にする」というのでは、デフレマインドが蔓延していた企業や家計が「これからは2%を前提として行動しよう」とは思わないでしょう。デフレ期待を払しょくし、人々の気持ちの中に2%を根付かせるには、それなりの速度と勢いが必要なのです。これが、日本銀行が2%の達成時期にこだわる理由です。同時にそれは、今回の措置によって期待形成のモメンタムを維持することを重視した理由でもあります。

最後に昨年4月に言ったことをもう一度繰り返します。「物価安定の目標」を早期に実現するため「できることは何でもやる」。

ご清聴ありがとうございました。