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【講演】「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」 —低インフレを克服するための新たな金融政策の枠組み—ブルッキングス研究所における講演の邦訳

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日本銀行総裁 黒田 東彦
2016年10月8日

目次

1.はじめに

日本銀行の黒田でございます。本日は、長い伝統と実績のあるブルッキングス研究所でお話しする機会を頂き、大変光栄に思います。

金融政策を巡っては、2008年のグローバル金融危機以降、自然利子率の低下とインフレ予想の低下が生じるもとで、その有効性が損なわれつつあるのではないかとの議論が高まっています。今では主要国に共通した課題として広く認識されていますが、日本は、こうした問題に他の国々よりも早い時期から直面し、解決に取り組んできました。本日のような場を通じて、各国の経験を共有し、学界、市場関係者、中央銀行といった様々な関係者の間で意見交換を行うことは、大変有意義であると思います。

日本銀行は、15年間続いたデフレから脱却し、2%の「物価安定の目標」を達成すべく、2013年4月に「量的・質的金融緩和」、2016年1月に「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」を導入するなど、大規模な金融緩和を推進してきました。その結果、企業収益は、売上高経常利益率でみて過去最高水準で推移しています。失業率は3%程度まで低下し、20年近く途絶えていたベースアップも3年連続で実施されました。物価面では、基調的なインフレ率である生鮮食品とエネルギー価格を除いた消費者物価指数の前年比は、現在まで3年近くにわたってプラスで推移しています。このように、日本経済は「物価が持続的に下落する」という意味でのデフレではなくなりました。しかし、2%の「物価安定の目標」はなお達成できていません。

9月に行った金融政策決定会合では、これらの政策の効果に関する「総括的な検証」を行い、その内容を踏まえて、新しい金融政策の枠組みを導入しました。この新しい枠組みには、先進国における共通課題に対する日本銀行の考え方が反映されています。この後のディスカッションに先立って、そのポイントをお話ししたいと思います。

2.日本における課題と新しい金融政策の枠組み

日本における金融政策の課題は、大きく2つありました。

まず、前例のない大規模な金融緩和を行ったにもかかわらず、日本におけるインフレ予想の形成は依然としてかなりの程度「適合的」であり、2014年夏以降の原油価格の大幅下落を受けて物価上昇率が低下し、これにより予想物価上昇率が再び低下傾向をたどっていることです。一度低下したインフレ予想をどのように引き上げ、目標である2%に再びアンカーするか、これが第一の課題です。

次に、金利水準と金融緩和効果の関係です。長短金利が有意にプラス領域にあったときは、経済への影響だけを考えれば、金利は低いほど金融緩和効果が高まると考えることができました。しかし、短期金利がマイナスとなり、長期金利もきわめて低い水準まで低下すると、金融仲介機能ひいては金融緩和効果を低下させる副作用あるいはコストが生じうることが認識されました。こうした点を踏まえると、経済・物価に対して最大限の金融緩和効果を引き出すためには、最適と考えられるイールドカーブの水準や形状があるのではないか、これが第二の課題です。

これらの問いに対する答えとして、日本銀行は、今般、新たな政策枠組みである「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」を導入しました。この枠組みは、(1)オーバーシュート型コミットメント、(2)イールドカーブ・コントロールという2つの要素からなっています。それぞれについて、順にお話ししていきます。

3.オーバーシュート型コミットメント

まず、オーバーシュート型コミットメントについてです。

「物価安定の目標」を達成する上で、インフレ予想をアンカーさせることの重要性は広く共有されています。しかし、「インフレ予想はどのように形成されているのか」、「一旦低下したインフレ予想はどのように引き上げることができるのか」といった問いについては、理論的にも実証的にも十分に明らかにされていないように思われます。

日本銀行が2013年に導入した「量的・質的金融緩和」は、「物価安定の目標」に対する強いコミットメントとマネタリーベースの大幅な拡大を組み合わせることによって、金融政策レジームに変化をもたらし、人々の物価観を転換させることを企図したものです。「総括的な検証」において分析したとおり、この方法は一定の成果をもたらしました。

日本銀行は、今般、このアプローチをさらに強化し、マネタリーベースの拡大を消費者物価上昇率前年比の「実績値」にリンクさせる「オーバーシュート型コミットメント」を採用しました。「実績値」が安定的に2%を超えるまでマネタリーベースの拡大方針を継続すると約束することで、人々の物価観に一段と積極的に働きかけていくことを企図しています。

インフレ予想の低下への対応策として、インフレ目標を現在の2%からさらに——例えば4%に——引き上げるとの案が、ブランシャール・マサチューセッツ工科大学名誉教授やウィリアムズ・サンフランシスコ連銀総裁等によって提言されています1、2。しかし、日本の経験を踏まえますと、インフレ目標を引き上げただけで様々な経済主体のインフレ予想が引き上げられるという主張は、やや現実を簡単化しすぎているように感じられます。

インフレ予想をリ・アンカーするためには、中央銀行の物価安定に対する信認を高めることが必要です。そのためには、先行きの金融政策運営に対するコミットメント——いわゆる「フォワード・ガイダンス」——を活用することが有効と考えられます。もっとも、フォワード・ガイダンスの設計は容易ではありません。当たり前のことを約束したのでは意味がない一方で、中央銀行の政策余地を過度に狭める無謀な約束は、人々に「中央銀行は、結局は約束を反故にするのではないか」と思われ、信じてもらえません。時間的不整合性と呼ばれる問題です。

こうした問題に対する日本銀行の答えは、実績値に基づいた強力なコミットメントを、マネタリーベースの拡大と組み合わせることで、「大胆だが無謀ではない」コミットメントを行った点にあります。金融政策の効果が実体経済に波及するには時間的なラグが存在することを考えると、中央銀行が実績値に基づいたコミットメントを行うことは異例です。コミットメントの対象は、マネタリーベースの拡大、および、それと表裏の関係にある中央銀行の国債保有額の増加です。このことは、金融緩和の重要な要素をコミットメントの対象とすることで、「実績値」が安定的に2%を超えるという基準を満たすまでしっかりと金融緩和を継続することを強く示唆しています。実際、物価上昇率がゆっくりと高まっていく通常のケースでは、コミットメントの条件を満たすまで、マネタリーベースの拡大と低いイールドカーブが続くでしょう。一方で、予想外の急激な物価上昇があった場合には、長短金利の操作で対応可能です。したがって、このコミットメントは、きわめて強力で、かつ、必ず守ることができるものになっています。

また、インフレ予想を上昇させるためにインフレ目標を引き上げた場合、それは一時的な対応ではなく永続的な政策となり、物価の安定という中央銀行にとっての法的な責務がどこまでのインフレ率を許容しているのかという問題が生じえます。今回の日本銀行の新しい枠組みは、そのような問題を生じさせることなく、金融緩和効果を最大限得るための枠組みとなっています。

いずれにしましても、インフレ予想の形成や、これを引き上げるための方策に関する議論はまだまだ発展途上であり、今後、一段と深化していくことが強く期待されるところです。

  1. Olivier Blanchard, Giovanni Dell’Ariccia and Paolo Mauro (2010), "Rethinking Macroeconomic Policy," Journal of Money, Credit and Banking, vol.42, issue s1, pp.199-215. を参照。
  2. John C. Williams (2016), "Monetary Policy in a Low R-star World," FRBSF Economic Letter, 2016-23. を参照。

4.イールドカーブ・コントロール

次に、イールドカーブ・コントロールについてお話しします。

中央銀行による金利操作については、伝統的に「短期金利の操作はできるが、長期金利の操作はできない」と考えられてきました。一方で、グローバル金融危機以降、主要国の中央銀行は、短期金利のゼロ制約に直面するもとで、資産買入れによって長期金利に直接働きかけてきました。広く「量的緩和(QE)」と呼ばれている政策です。実務的には、いずれの中央銀行も、国債の買入れ額を操作目標とし、それに沿った買入れの結果として長期金利が内生的に決まるという枠組みを採用してきました。

しかし、「総括的な検証」では、国債買入れが長期金利に及ぼす影響は、時々の状況によってかなり異なることが分かりました。つまり、国債の買入れ額を操作目標として事前に決めてしまうと、実現する長期金利は、中央銀行が最も望ましいと考える水準よりも高過ぎたり低過ぎたりしうることになります。こうした問題意識のもとで、日本銀行は、主要国の中央銀行で初めて、長短金利に操作目標を明示的に設定する「イールドカーブ・コントロール」の導入に踏み切りました。

「イールドカーブ・コントロール」は、野心的な取り組みです。ただ、実は、資産買入れを行っている主要国の中央銀行は、既に「政策目的の実現のためにはどのようなイールドカーブが望ましいのか」という課題に直面しているはずです。本来、その問いに対する答えなしに、適切な国債買入れの金額は決められないからです。

バーナンキ前FRB議長は、最近のブログで、2010年10月のFOMC(連邦公開市場委員会)における議論を紹介しながら、事前に決めた額の国債を買い入れる量的緩和政策と、長期金利の固定化(ペッグ)政策の比較をされています3。このなかで、バーナンキ氏は、中央銀行が長期金利をペッグしようとすると、膨大な額の国債買入れが必要となってバランスシートの操作性を失うリスクがあり、それゆえ、FRBは長期金利ペッグではなく量的緩和を選択した、と指摘しておられます。

この懸念は十分に理解できるものですが、私からの回答は二つあります。一つは、日本銀行の新しい枠組みでは、毎回の金融政策決定会合において、長期金利の誘導目標を設定していくということです。その時々の経済・物価・金融情勢に応じて、「物価安定の目標」の実現のために十分な緩和効果を得るよう、イールドカーブをコントロールしていきます。もう一つは、日本銀行は既に、きわめて多額の国債買入れを行っていること、そして、これとマイナス金利政策の組み合わせによって、ある程度、長期金利を操作することができているということです。「総括的な検証」でお示ししていますが、こうした組み合わせは、長期金利の押し下げに強力な効果を発揮しています。新たな枠組みへのシフトによって、日本銀行のバランスシートの拡大がこれまでと大きく異なるものとなってしまうことはないと考えています。

なお、ハーバード大学のロゴフ教授は、近著で、「量的緩和」による政策効果は伝統的な金利政策に比べて不確実性が高く、その制度設計(calibration)やコミュニケーションが難しいと指摘したうえで、現金の廃止も視野に入れて、マイナス金利政策の有効性を主張しています4。こうした問題意識は私も共有しますが、現金の廃止は一朝一夕にはできません。マイナス金利政策と資産買入れは、必ずしも相互に排他的なものではありません。日本銀行は、現実に存在する金融システムや金融市場の構造を踏まえたうえで、マイナス金利政策と資産買入れを適切に組み合わせ、イールドカーブ全体をコントロールすることで、一段と効果的な金融緩和を推進していくことができると考えています。

このように、イールドカーブ・コントロールを進めていくためには、どのような長短金利水準が適切かについて、理論的にも実証的にも、これまで以上に詳細な分析が必要となります。この点、短期金利に焦点を当てた伝統的な「自然利子率」の概念や「金融政策ルール」では不十分であり、イールドカーブ全体を対象とした議論や研究を深めていくことが必要と考えられます。

なお、こうした課題は、既に資産買入れによる保有資産の増加を停止しているFRBにとっても無関係ではありません。資産買入れによる金融緩和効果について、ストックの買入残高が重要と考えるストック・ビューの立場に立てば、米国では、FRBが多額の国債を保有していることによる金融緩和効果が今も働いています。そうだとすれば、今のFRBにとって望ましい短期金利の水準は、多額の国債を保有していなかった場合のそれとは異なってくるように思われます。

また、欧州や日本の経験から、イールドカーブが過度に低下・フラット化した場合には、金融機関の収益への下押し圧力を通じて金融緩和の波及メカニズムを弱めうるほか、保険・年金の運用利回りの低下を通じて消費者のコンフィデンスに悪影響を及ぼしうることなどが明らかになりつつあります。これらの点は、マクロプルーデンス上の関心にとどまらず、金融緩和のマクロ的な波及効果や影響といった観点からも議論していく必要があります。いずれにしても、金利が歴史的な低水準となる中で、今後、金融政策を運営していくにあたっては、分析対象を短期金利からイールドカーブ全体に広げていくことが不可欠のように思われます。

  1. 3Ben Bernanke (2016), "What tools does the Fed have left? Part 2: Targeting longer-term interest rates," Ben Bernanke’s Blog, Brookings Institution, March 24. を参照。
  2. 4Kenneth S. Rogoff (2016), "The Curse of Cash," Princeton University Press. を参照。

5.おわりに

この場では一部しかご紹介できませんが、日本銀行の「総括的な検証」は、国債買入れによる長期金利の押し下げ効果、インフレ予想の形成メカニズム、マイナス金利政策の効果と影響といった近年の金融政策を巡る注目の論点について、幅広い視点から様々な分析に挑戦しています。

低成長・低インフレ下での金融政策のあり方が、世界の主要国の共通課題となるなかで、日本銀行の「総括的な検証」とそれを踏まえた新たな政策枠組みの導入が、建設的な議論のきっかけとなることを期待し、私からの話といたします。

ご清聴ありがとうございました。