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【挨拶】わが国の経済・物価情勢と金融政策福島県金融経済懇談会における挨拶要旨

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日本銀行政策委員会審議委員 原田 泰
2017年11月30日

はじめに

おはようございます。日本銀行の原田です。

本日はお忙しい中、福島県を代表する皆様にお集まり頂き、懇談の機会を賜りまして、誠にありがとうございます。皆様の前でお話しできるのを大変光栄に思います。また、皆様には、日頃から私どもの福島支店をはじめ、日本銀行各部署の業務運営に多大なご協力を頂いており、この場をお借りして厚くお礼申し上げます。

日本銀行は2%のインフレ目標達成を目指して2013年4月から量的・質的金融緩和政策を行い、さらにマイナス金利、イールドカーブコントロール政策などと様々な政策を導入しています。

その結果、経済は好転しています。確かに、好転していると言っても、実質経済成長率はこのところ均して見ると1%余りですから、実感がないとおっしゃる方が多いのは分かりますが、2016年1-3月期から17年7-9月期まで、16年振りとなる7期連続のプラス成長をしています。

本日は、日本銀行が行っている金融政策について説明し、それがどのような成果を上げているのか、また、巷間言われている大胆な金融政策の危険と言われている議論をどう考えたらよいのかについてお話ししたいと思います。

1.金融緩和政策と実体経済

日本銀行が2%のインフレ目標達成を目指して2013年から量的・質的金融緩和政策(QQE)を行った結果、マネーストック、貸出などが、これまで以上に増加しています。また、名目金利の低下と予想物価上昇率の上昇によって実質金利(名目金利-予想物価上昇率)が大きく低下しています。

その結果、実体経済はどうなったでしょうか。図1は主な経済指標を見たものです。生産、輸出、消費、資本財総供給(設備投資の代理変数)はいずれもQQE導入、またはその少し前から回復を始めています。ただし、2014年の消費税増税後、消費や生産は停滞してしまいます。特に2014年末からは、世界貿易の停滞とともに輸出なども落ち込み、全体として停滞が大きくなったようです。しかし、2016年中ごろからの世界貿易の回復とともに日本の経済指標は全般に回復しています。

これらの経済変数では、QQE導入後、一進一退の時期もありましたが、ほぼ一貫して改善してきたのは雇用です。図2は雇用者数と失業率を見たものです。雇用者が増えると言っても、増えたのは非正規ばかりと言われていましたが、全雇用者に占める非正規の比率は頭打ちになっています。総務省の「労働力調査」と厚生労働省の「毎月勤労統計調査」で全体に占める非正規およびパートタイム労働者の割合を見ると、いずれも2017年入り後頭打ちとなっています。

生産性も上昇している

この間、雇用は増えているが生産性が上昇していない、生産性の上昇なき成長は続かない、だから成長戦略が大事だという議論が盛んになされています1。しかし、生産性は図3に示すように上昇していました。ここでの生産性は、OECDが推計したもので、労働時間当たりの実質購買力平価GDPです。2013年からQQEを始めた訳ですが、2012年から16年までの生産性上昇率は日本が年率1.2%で主要国の中で一番高くなっています。それ以前の10年間の平均では、日本は0.8%でしたから、日本の生産性はQQE導入後上昇しているのです。しかも、労働者一人当たりの資本装備率は低下しています2。これは、投資が十分であったならば、生産性はもっと上昇したことを意味します。

かなり昔、成長会計という手法が開発され、成長率を資本投入と労働投入と技術進歩(全要素生産性)に分解することが試みられました。この時、成長率の8割から9割が技術進歩で説明できるという計測結果が得られることに関して、技術進歩と言っても新しい資本設備を投入しなければ新しい技術を導入できないのだから、技術進歩のうちには資本の投入分、資本に体化された技術進歩が含まれているはずだという議論が盛んになされたことを思い出します。この議論は、近年注目されませんが、需要が伸びなければ新しい投資ができず、新しい投資ができなければ、進んだ技術の設備を使うことができません。供給と需要を別のものと考え、日本経済の問題は供給の問題だと考えるのは誤りです3

そもそも金融緩和と成長戦略とは対立するものではなく、両立するものです。また、成長戦略の規制緩和には、既存産業を効率化して雇用を削減するものが含まれます。そのような時、金融政策で景気が改善し人手不足を作り出すことは、規制緩和を行いやすくすることになります。

  1. 五十嵐敬喜「成長戦略で経済は成長するか」三菱UFJリサーチ&コンサルティング、2013年7月16日。
  2. 内閣府「平成29年度年次経済財政報告」の第2-2-8図を参照。
  3. 成長会計、資本に体化された技術進歩については、例えば、ディヴィッド・N・ワイル『経済成長 第2版』ピアソン桐原、2010年、183頁~186頁、216頁~217頁、参照。最近のマクロ経済学の教科書では、資本に体化された技術進歩という概念が強調されていないようである。

実感がないと言われるが、実はある

「政府は景気が良くなったと言っているが、国民には、生活向上の実感がない」と良く言われます。しかし、そもそも、生活向上の実感をどう捉えたら良いのでしょうか。世論調査は、その手掛かりになります。図4は、「お宅の生活は、去年の今頃と比べてどうでしょうか。」という質問の答えを示したものです。

図から、1年前と比べて、暮らし向きや生活が良くなった、向上したと答える人は極めて少ないと分かります。現在は5%余りですが、実質GDPが毎年10%で成長した高度成長期ですら、10%以上の人が良くなったと答えているのは1959~63年にすぎません4。人間は、なかなか景気が良くなったと感じないものなのです。それでも、「向上している」から「低下している」を差し引いた指標を作ってみますと、景気動向をかなり正確かつ敏感に反映して動いているようです。2013年に上昇した後、消費税増税で低下し、その後、景気の着実な改善とともに上昇しています。

  1. 4内閣府「国民生活に関する世論調査」では、高度成長期に「向上している」と答える割合が30%を超える時系列データも公表している。しかし、この数字は留意すべき点がある。なぜなら、1965年から91年までと94年の調査では、「お宅の生活で,去年の今頃とくらべて,何かよくなっている面がありますか,この中ではどうでしょうか。」と聞き(食生活、衣生活、電気器具・家具・自動車などの耐久消費財の面、住生活、レジャー・余暇生活、その他、よくなったものはない、を選択)、その上で、「それでは,全体としてみた場合,お宅の生活は去年よりも向上していると思いますか,低下していると思いますか,同じようなものだと思いますか。」と聞いている(調査年によって多少聞き方に違いがある)。このように具体的に聞くと、新たに購入した家電製品や昨年は行かなかったのに今年は行った家族旅行などを思い出して、「向上している」と答える人が多くなるようである。ここでは、1965年から91年までと94年では、具体的に聞いていない「この頃のお宅の暮し向きは,去年の今頃と比べて,よくなりましたか,悪くなりましたか,変りありませんか。」という質問への回答を示している。質問の違いは、「お宅の生活」と「お宅の暮らし向き」だけである。また、この調査では「やや向上している」という回答項目がないことも、向上したと答える人が少ない理由と思われる。

2.QQEへの反対論

以上述べましたように、2013年4月からのQQEによって日本経済は改善しています。にもかかわらず、QQEに反対する人は尽きません。この反対論は3つに分けられると思います。第1は、QQEと現在の日本経済の改善は関係がなく、QQEをしなくても良くなったという議論です。第2は、ある人々には良いことが起きているが、悪いことが起きている人もたくさんいるという議論です。第3は、今は良いことが起きているかもしれないけれども、将来必ずとんでもなく悪いことが起きるという議論です。

QQEと経済の改善は関係がない、という議論

第1の議論から始めましょう。今まで述べましたように、QQE導入後、良いことが次々と起きているのですから、私には、QQEをしなくても日本経済は良くなったとは信じられない議論です。しかし、QQEで日本経済が良くなったという私の主張を厳密に証明するのはなかなか困難です。なぜなら、2013年から現在までの日本経済について、QQEをした時としなかった時にどうなったかを比べることはできないからです。私が比べているのは、QQE導入前の2012年以前の日本経済と導入後の2013年以降現在までの日本経済にすぎません。両方の日本経済は異なるのですから、これでQQEの効果があると厳密に証明することはできません。

であるなら、私の主張をより説得力あるものにするためには、せめて今からでもQQEを止めてみる必要があります。これによって経済が悪くなれば、QQEで経済が良くなったと多くの人は信じてくれるでしょう。もちろん、これでも不十分です。2012年以前の日本経済は13年以降の日本経済とは異なるからです。

しかし、こんな実験をすれば、金利は急騰、円は暴騰、株価は暴落、経済は急降下になるでしょう。そんな危険なことは、もちろんすべきではありません。また、そんな無茶な実験をしなくても、2012年までの日本経済と2012年から現在までの日本経済の条件をできるかぎり同じにして比べようという分析はできます。そのような分析を行ってもQQEは効果ありとなります。前日本銀行審議委員の宮尾龍蔵東大教授は、VARという手法を使って、マネタリーベース拡大のショックが、生産やインフレ率を高めたことを示しています5

また、様々な時代の様々な国々と比べてみることも私の主張を補強することになるでしょう。大恐慌期、米国経済は1933年4月、金本位制を停止して金融緩和政策に転じるとともに順調に回復しますが、36-37年に緩和を縮小すると再び不況に陥ってしまいました6

図5は米国の1930年代の大恐慌期の実質GNP、マネーストック(M2)、物価のデータを整理したものです。図に見ますように、米国のGNPや物価はM2の低下とともに大きく下落し、その上昇とともに順調に回復しています。そして1937年にはM2の減少とともにGNPも物価も下落してしまいます。早すぎた出口の失敗です。しかし、金融緩和を再開すると、M2の増加とともにGNPも38年から回復します。

これまで申し上げましたように、実は、QQEをしなくても日本経済は良くなったという議論を完全に否定することは難しいのです。しかし、多くの事例を参照することで、皆様方には、そんなことはない、金融緩和が日本経済を回復させたのだと判断していただけると思います。

  1. 5宮尾龍蔵『非伝統的金融政策』「第3章 非伝統的金融政策の効果はあるのか(II)」有斐閣、2016年。
  2. 6安達誠司「第8章 量的緩和の出口は日本経済にとって危険か」、原田泰・片岡剛士・吉松崇『アベノミクスは進化する 金融岩石理論を問う』中央経済社、2017年。

QQEの効果は広がっていない、という議論

第2は、ある人々には良いことが起きているが、多くの人々に悪いことが起きているという議論です。確かに、人手不足は働きたい人には良いことですが、人を雇う経営者の立場からすると悪いことかもしれません。しかし、商品が売れなくて困るより、売れるのに売ったり作ったり運んだりする人がいなくて困る方が望ましいと思います。売れなくて経営危機ともなれば、雇用を削減しなくてはいけません。そんなことをするのは大変です。2008年のリーマンショックの後には、やむを得ず人員整理が必要になった、あれほどつらい思いをしたことはない、と多くの企業経営者の方々からお聞きしました。日本で、そんな簡単に人員整理のできる経営者の方はいらっしゃらないと思います。人余りより人手不足の方がずっと良いと思います。

景気回復の恩恵を受けているのは一部の人で、自分のところにはそんな恩恵は回ってこないという議論もあります。これは、全体としての所得は上がったが、多くの人の所得はあまり上がっておらず、格差が拡大したという議論です。では、QQE後、所得分配はどうなっているでしょうか。

厚生労働省「国民生活基礎調査」(2016年)によりますと、子供(17歳以下)の貧困率(等価可処分所得の中位値の半分以下の子供の比率)は2012年の16.3%から2015年の13.9%に低下しています7。「国民生活基礎調査」での全体の貧困率も2012年の16.1%から15.6%に低下しています。

また、QQEによって、銀行業が困難な状況に陥っているという議論もあります。低金利によって銀行の利潤が圧迫されているという議論です。しかし、まず、銀行業が困難な状況にある理由は借り手がいないからです。民間非金融法人(事業会社)は日本全体では貯蓄超過で現預金を254兆円(2017年6月末時点)8も積み上げています。もちろん、銀行とは資金を短期で調達して長期で運用するものですから、長期金利が下がれば収益が圧迫されるというのは事実でしょう。しかし、長期金利と銀行利益を単純に比べてみますと、低金利によって銀行の利益が必ず低下するとは言えないように思います。

図6は、銀行のコア業務純益と長期金利(10年物国債利回り)を比べたものです。コア業務純益とは、貸出や有価証券投資等の資金運用から得られる利益など銀行の安定的な収益を示したものです。1990年から金利はほぼ一貫して低下してきましたが、それと銀行のコア業務純益は相関しているようには思えません。1990年代の前半は金利が下がっていたのに純益は上がっていました。

1999年にゼロ金利政策を導入しましたが、その後、純益は増加、金利も上昇しました。2001年に量的緩和を導入しましたが、その後純益は増加しています。量的緩和終了後、純益も金利も低下しましたが、これはリーマンショックに依るものが大きいと考えられます。2013年にQQEを導入しますと、景気好転によって貸出先企業の経営が改善し、信用コストが減少し、当期純利益は増加しました9。すなわち、銀行業の収益は金利とともに経済全体の状況にもよる訳です。15年度と16年度にはコア業務純益が低下していますが、一部は消費税増税後の景気低迷の影響と思います。16年度以降、純益が低下しているのは事実ですが、それ以前までは良くなっていたこともご考慮いただきたいと思います。

また、銀行の利益が名目金利の上昇に依存するなら、QQEは最終的には金利を上げる政策です。物価が上がれば金利も上がるからです。物価が上がらないのに金利を上げれば、景気は悪化し、物価は低下し、却って金利をさらに下げざるを得なくなります。そのような政策を続けてきたのが1990年代からQQEの導入までだったと思います10。今後、物価の上昇とともに、金利の上昇が期待できると思います。

  1. 7等価可処分所得とは、家族の人数の平方根で世帯所得を割ったもので、これが家族構成員一人あたりの生活水準を表すと考えられている。人数そのものではなくその平方根で割る理由としては、世帯人員に共通する生活コストがあり、そのコストは世帯人員が多くなるにつれて割安になる傾向があるためである。等価可処分所得によって、家族の人数が異なる世帯の間で一人あたりの可処分所得を比べることが可能になるとされている。
  2. 8日本銀行「資金循環統計(速報)(2017年第2四半期)」より。
  3. 9当期純利益はコア業務純益と有価証券売却損益の合計から貸倒引当金純繰入額などの信用コストを差し引き、その他(特別損益など)を加減して計算される。
  4. 10名目金利、金融機関の収益、金融政策との関係については、原田泰「なぜ日本の金利は低いのか」『景気とサイクル』第62号、2016年11月。

将来、大変なことになる、という議論

最後は、今は良いことが起きているかもしれないけれど、将来必ずとんでもなく悪いことが起きるという議論について考えます。あるとき、いきなりハイパーインフレになる、円が暴落する、金利が急上昇する、債券価格が暴落するなどという議論があります11。しかし、これらの議論が主張するようなことはまったく起きそうにはありませんので、現在の議論は、日銀が金融緩和の出口に向かうと、すなわち、金融緩和の程度を縮小すると、日銀がかなりの期間、かなりの額の赤字を計上して大変なことになるという議論に収斂しているように思えます。日銀が赤字になるという議論であれば、確かに可能性があります。

この議論を展開される方々は、日銀が損失を計上すると人々が認識しただけで、現実に損失を計上しなくても、円が暴落したり、過度のインフレに襲われたりすると主張します12。しかし、もしそうであるなら、なぜ今それが起きないのでしょうか。いつも私はこう聞いているのですが、答えてもらったことはありません。

私は、金融緩和の出口で、日銀の損益計算書が赤字になることがあり得ますが、経済には何も起きないと考えています。その理由についてお話をしたいと思います。

まず、歴史に聞くことにしましょう。これまで中央銀行が赤字または債務超過になったのは、1980年以降確認できるもので20ぐらいの国で例があるようです13。すべての例で詳しいことはよく分からないのですが、そのうち、インフレなど経済の大混乱が起きていたのは80-90年代のジャマイカ、フィリピン、ベネズエラが挙げられます。一方、70年代の西ドイツ、90-2010年代のチェコ、90年代から現在までのチリ、2000-10年代のスイスなどでは、インフレの高まりなどは見られていません。これらの国で何も起きなかった理由は明らかです。これらの国の中央銀行資産の大部分は外貨資産です。インフレになれば、自国通貨が下落して、外貨資産の自国通貨建ての価値は上昇します。つまり、中央銀行資産の毀損がインフレをもたらすなら、インフレそれ自体に資産価値の回復をもたらすメカニズムがあるからです。つまり、大変なことは起きようがないのです。

では、ジャマイカなどでなぜ急激なインフレを抑制できなかったのでしょうか。中央銀行が政府の肩代わりをしてマネーを増大させたとともに、増大したマネーを吸収するために高金利の債券を発行し、結果として利払いが増えて、中央銀行の損益が赤字となりました14。そもそも、中央銀行が政府の肩代わりのためのお札を刷っていれば、中央銀行の資産状況にかかわらず必ずインフレになります。しかし、日本の場合は、私が度々述べていますように、QQEの導入とともに財政赤字が減少しています15。一般政府の財政収支赤字の対GDP比は、QQEが始まる前の2012年の8%から2016年には2%と大きく改善しました。もちろん、このうち8兆円16、1.5%分は消費税増税のお蔭ですが、残りの4.5%分はQQEを含む経済政策で景気が回復しているお蔭ということになります。

また、2%という物価目標が付いています。これは、物価の2%目標を達成する目途が得られたときには金融緩和の程度を縮小する、または引き締めるということです。ジャマイカなどとは全く状況が異なります。

  1. 11このような議論を、原田・片岡・吉松前掲書は「岩石理論」と呼んで整理、批判している。
  2. 12植田和男「自己資本と中央銀行」(2003年度日本金融学会秋季大会における講演要旨)は、中央銀行が債務超過に陥ると、中央銀行の信認低下による通貨価値の下落や高率のインフレ、決済システムの機能低下などの問題が発生すると指摘されていると一般論として述べている(必ずしも自身の主張として述べている訳ではない)。
  3. 13Vaez-Zadeh, Reza, "Implications and Remedies of Central Bank Losses," in Downes, Patrick and Reza Vaez-Zadeh ed. The Evolving Role of Central Banks, Central Banking Department, International Monetary Fund, Washington, 1991. Stella, Peter, "Central Bank Financial Strength, Policy Constraints and Inflation," IMF Working Paper, WP/08/49, 2008.
  4. 14Stella前掲論文。Lamberte, Mario B., "Central Banking in the Philippines: Then, Now and the Future," Discussion Paper Series No. 2002-10, Philippine Institute for Development Studies, 2002.
  5. 15例えば、原田泰「わが国の経済・物価情勢と金融政策-岐阜県金融経済懇談会における挨拶要旨」日本銀行、2017年6月1日。また、財政赤字の縮小は、日銀が政府赤字の肩代わりをすることになる可能性を小さくする。
  6. 16財務省「日本の財政関係資料(平成29年4月)」、22ページ。

なぜ出口が問題なのか

「80-90年代のジャマイカ、フィリピン、ベネズエラと日本はまったく異なると分かった、スイスなどの中銀の資産が外貨資産である場合も分かった、では、日本のように資産の大部分が自国国債である場合はどうなるのか」というご疑問があると思います。

ここで、出口とは、金融緩和の結果、物価上昇率2%の達成が見えるようになるので、金融緩和を止めて金利を引き上げ、マネタリ-ベースを縮小するということです。出口では金利を上げなければなりませんが、例えば、その方法として、現在日本銀行が行っているマイナス金利政策を取りやめて、超過準備に課す付利を引き上げる、または、日銀保有の国債を売却する、といった方法が考えられます。

出口政策について、現時点で決まっていることは何もありませんが、この場の議論としては、付利の引き上げで考えたほうが分かりやすいと思いますので、これで説明いたします。出口が危険と主張している方々によりますと、日本銀行が付利を引き上げていっても、過去、日銀が購入した国債の金利は低いままですから、日銀の収益が大変な赤字になるというのです。確かに、高い金利を払いながら、低い金利を受け取るのですから、赤字になる可能性があります。この結果、日銀の収益が赤字になれば、通貨の信認が失われ、ハイパーインフレ、円の暴落、金利の高騰が起きるというのです。

しかし、今は長期国債でも利回りは0%近傍ですが、90年代の中ごろまでは3%でした。実質経済成長率が高く物価も上がっていたからです。物価が上がればいずれ金利も上がります。ということは、いずれ、より高い利回りの国債を買えることになります。もちろん、そうなるまで、低い金利の国債を持ちつつ、景気の過熱を抑えるために銀行に対して高い金利を支払わなければならないという局面があります。しかし、最終的には、ほとんどコストのかからない当座預金と現金とで高い金利を得られる国債を買うのですから、中央銀行は長期的には必ず利益を得ることができます。長期的に見た場合、日銀が損失を負うことによる危険など存在しません。

そもそも、金融緩和の過程で、景気が改善し、税収が増大して財政赤字の対GDP比の改善があったのですから、出口の時に生じる一時的な日銀の赤字のみを問題にすることは木を見て森を見ない議論です。

また、米国や欧州の中央銀行が出口に向かっているのだから、日本も向かうべきだという意見があります。しかし、日本の出口が遅れているのは当然のことです。まず、これらの国の消費者物価上昇率は2%にはいかなくても1%台半ばで推移しています。1%に満たない日本とは状況が違います。さらに、日本が大規模な量的緩和政策に踏み切ったのは2013年ですが、これらの国は2008年には量的緩和政策を始めています。日本は、これらの国と比べて大規模な量的緩和の開始時期が遅いのですから、出口に向かう時期が遅くなることについても不思議はありません。

3.2%物価目標達成の道筋

以上申し上げましたように、QQEは大きな成果を上げています。また、その危険とか副作用とか言われているものも、根拠がありません。問題は物価が上がっていないことだけです。これに関連して、人手不足なのになぜ賃金や物価が上がらないのかという疑問が良く聞かれます17。私の答えは、人手不足が不十分だからだということにつきます。賃金が上がれば物価も上がります。賃金が上がればコストが上がりますが、所得が増えることで需要も増加し、コストの上昇を物価に転嫁しやすくなるからです。以下、時間も限られていますので、物価についてのみ説明させていただきます。

図7は、物価上昇率と需給ギャップの関係を示したフィリップス・カーブです。ここには、1983年1-3月期から2013年1-3月期まで、1983年1-3月期から1995年10-12月期まで、1996年1-3月期から2013年1-3月期まで、2013年4-6月期から2017年7-9月期まで、それぞれの需給ギャップと物価の関係を示す回帰線を示しています。いずれの回帰線でも、需給ギャップが2%台半ば以上にならないと物価は2%になりません。1983年1-3月期から1995年10-12月期までの回帰線で考えると、需給ギャップが2%台半ばになれば良いわけですが、その時の現実の消費者物価上昇率は1.5%でした。つまり、1%台半ばの物価上昇が続いて、かつ需給ギャップが2%台半ば程度になれば2%の物価上昇になるということです。現在の需給ギャップは1%台前半ですから、さらに需給ギャップのプラス幅が2%台半ばにまで拡大し、それと同時に、物価も1%台半ばで上昇していなければならないということです。

  1. 17玄田有史編『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』慶應義塾大学出版会、2017年。

なぜ2%インフレが必要か

ここで改めて、なぜ2%インフレが必要なのかを、日本銀行の公式見解に私の考えを追加する形で述べたいと思います。

公式見解を私なりに要約させていただくと、第1に、消費者物価上昇率の統計には上方バイアスがあり、ゼロ%インフレを目指すことはデフレを目指すことになりかねません、第2に、ゼロ%インフレを目指せば長期的に成立する均衡金利も、名目で見ると、低いものになってしまいます。そうであると、いざ不況の時には金利を下げる余地がほとんどないという状況になります。それを避けるために、インフレ率の上昇によって得られる名目金利の「のりしろ」が必要です。また、インフレの時には金利を引き上げることによって対処できるので、デフレの対処より易しいということもあります。第3はグローバルスタンダードです。世界の主要国が皆2%インフレ目標を持っているときに、日本だけ、より低い目標を持てば、結果として円高をもたらし、企業の投資計画に混乱を与えるということになります。また、世界と同じインフレ率を保てば、長期的には為替の安定に寄与するということだと思います。

これらの議論のうち、第2と第3の理由について、私の考えを補足します。第2の「のりしろ」論は、過去、日銀が唱えていた「のりしろ」論とは全く異なります。これまでの「のりしろ」論は、金利が低すぎれば不況の時に刺激策がなくて困るので、景気回復が十分でなくても、早めに引き上げるということでした。その結果は、大失敗です18

十分な物価上昇のモメンタムを確認してから利上げを行うことが正しいのりしろ論です。現在の日銀ののりしろ論は、過去の誤ったのりしろ論とは全く異なるものであることを強調しておきたいと思います。

第3のグローバルスタンダード論から導かれる為替の安定は、ある程度は、事実としても正しいと思います。2%インフレ目標を掲げQQEを行ってからは円の対ドルレートは、100円から120円の間を動き、ほぼ110円程度で「安定」しているように思えます。リーマンショック前後で120円から80円にまで上昇したことを考えれば、安定していると言っても良いのではないかと思います。

さらに2%インフレ目標にコミットする理由があります。これは実際にどれだけ景気が良いかよく分からないことです。具体的に言えば、それ以上引き下げたらインフレになるという限度である構造失業率がいくらなのか、実はよく分かりません。仮に構造失業率を3.5%などとする推計値をもとに19、金融緩和を止めていたら、現在の2.8%の失業率は実現していません。今後さらに低い失業率が実現するだろうと思います。直接物価を目標にしたからこそ、より低い失業率を実現し、バブルにもなっていません。賃金の上昇を見て、非製造業の企業などにおいてはビジネスプロセスの改善や省力化投資も進んでいます。

  1. 182007年2月の利上げを巡る金融政策決定会合での議論が2017年7月31日公開されたが、当時の岩田一政副総裁は、時事の取材に対して、「利上げは失敗だった」と述べている。同じ取材に対し、水野温氏審議委員は、「景気が悪化したときに金融緩和ができるよう、或る程度の利上げをしておいて、政策的なのりしろを作っておきたいとの思いがあった。」と述べている(時事通信2017年7月31日08:52配信)。水野委員の認識が過去の日銀の「のりしろ」論である。
  2. 19厚生労働省「労働経済の分析 平成27年版」、内閣府「経済財政白書 平成27年度」、日本銀行「経済・物価情勢の展望(展望レポート) 2014年10月」(基本的見解)などは、UV分析という手法によって構造失業率が3%台前半から半ば程度だと試算していた。日本銀行においては、その後、「展望レポート(基本的見解)」の本文から落ち、注において「構造失業率を一定の手法で推計すると、このところ3%台前半から半ば程度であると計算される」と記されるようになり、2016年4月公表分以降は基本的見解の注からも削除され、背景説明の注のみで説明されるようになった。その後、2016年7月公表分からは、注からも構造失業率の数字が落ち、かつ「ここでの構造失業率はNAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment [インフレ率を加速させない失業率])の概念と異なり、物価や賃金との直接的な関係を表す訳ではない」という説明が加わった。なお、構造失業率のグラフは現在も示されており、それによれば現在は3%程度となっている。

4.終わりに

では、以上お話ししたことをまとめます。日本銀行が量的・質的金融緩和政策を行った結果、マネーストックや貸出などが増大しています。名目金利も実質金利も低下しています。その結果、生産、輸出、消費、設備投資は、いずれも増加しています。

それにもかかわらず、QQEに反対する人は尽きません。しかし、すでにご説明しましたように、これらの反対論は、いずれも根拠がありません。

問題は物価が上がっていないことだけです。これに関連して、人手不足なのになぜ賃金や物価があがらないのかという疑問がよく聞かれます。私の答えは、人手不足が不十分だからだということにつきます。現行の金融政策を続けていけば、景気が改善して人手不足がさらに進み、賃金と物価がともに上昇する局面が表れてきます。その上昇のモメンタムが十分に大きければ、日本銀行は金融緩和の程度を縮小することになります。

金融緩和から縮小に向かう過程で出口の危険があるという議論がありますが、すでにご説明しましたように、そのような危険は存在しません。

最後に、福島県経済についてお話しします。

東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故から、6年と8か月が経過しました。この間、公共インフラの復旧と整備が進むとともに、いわゆる面的除染が概ね終了し、避難指示区域はこの春に県全体の約2.7%まで縮小しました。震災からの復興は、県民の皆様のご努力により、着実に進展しています。もっとも、避難者数は今なお5万人を超えているなど、復興は道半ばとも言えます。「ふくしまからはじめよう。」とのスローガンのもと、さらなる復興に向けたチャレンジを続ける福島を心より応援して参りたいと思います。

さて、足もとの県内景気は、震災からの復興需要によって公共投資や住宅投資が高水準にあるもと、雇用・所得環境の改善に伴う個人消費の持ち直しなどから、緩やかな回復基調を続けています。

もっとも、復興需要がピークアウトするなか、全国的な景気拡大の県内への波及は他の地域に比べて出遅れているように窺われます。すなわち、復興需要に関しては、例えば、公共投資は、公共工事請負金額でみて、震災前の5倍強となった2014年度をピークに、足もと4倍弱に減少しています。その一方で、これを補うことが期待される製造業の生産拡大の動きは、現状では微弱なものに止まっており、全国との格差が広がりつつあります。この背景には、被災による工場閉鎖に加え、原発事故の風評被害もあってサプライチェーンから切り離されたり、製品が海外生産シフトの対象となるといった構造的な要因が影響している可能性もあります。

しかしながら、私は、福島県の製造業も遠からず県内経済を力強く牽引していくようになると期待をしています。当地には、世界的に高いシェアを持つ企業が幾つも存在します。これは、技術力の高さとヒューマンリソースの質量両面での豊かさの証左に他なりません。今年の全国新酒鑑評会で金賞受賞数が5年連続第1位となったのは、正に危機を乗り越える福島県民の突破力の表れでした。そして、当地では現在、官民を挙げて、再生可能エネルギーの推進や、医療関連・ロボット関連産業の集積、研究開発拠点の整備が進められています。今後の成長分野を創生していくタネにも事欠きません。実際、太陽光のほか、バイオマス、小水力などの発電プロジェクトが県内各地で広がってきているのは皆様ご存知のとおりです。

こうした復興・創生に向けた福島県民の皆様のご努力に敬意を表し、それが福島県経済の自律的で持続的な成長に繋がっていくことを祈念いたしまして、私の挨拶とさせて頂きます。

最後に、あらためましてお礼申し上げます。ご清聴、ありがとうございました。