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【挨拶】最近の金融経済情勢と金融政策運営新潟県金融経済懇談会における挨拶

日本銀行副総裁 若田部 昌澄
2018年12月5日

1.はじめに

日本銀行の若田部でございます。本日はお忙しい中、新潟県の行政および金融経済界を代表する皆様との懇談の機会を賜りまして、誠にありがとうございます。また、皆様には、日頃から日本銀行新潟支店の業務運営に様々なご協力を頂いております。この場をお借りして、改めて厚くお礼申し上げます。

本日は、今年3月に日本銀行副総裁を拝命しました私にとって、初めての金融経済懇談会となります。越後・佐渡の方々は、雪や峠、洪水といった厳しい自然環境を勤勉と忍耐、そして優れた才覚で克服してきたと言われております1。皆様から、当地経済の実情に関するお話を伺うことを楽しみにしております。また私どもの政策・業務運営についての忌憚のないご意見を承りたく存じます。まず私から、わが国の経済・物価情勢について簡単にご説明した後、私どもの金融政策運営についてお話ししたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

  1. 田中圭一他『新潟県の歴史【第2版】』山川出版社、2009年、7頁。

2.経済・物価の現状

最初に、経済の現状についてお話しします。わが国の景気は、緩やかに拡大しています。物価変動の影響を除いた実質ベースの経済成長率は、本年4~6月が年率で+3.0%と高めの伸びとなったあと、7~9月期は▲1.2%とマイナスになりました。これは、夏場に相次いだ自然災害に伴う一時的な要因が大きいとみています。10月以降、災害の影響で減少していた輸出や生産が増加に転じていることは、こうした見方を裏付けるものと考えています。

今回の景気回復局面は、2013年4月に日本銀行が導入した「量的・質的金融緩和」の継続期間とほぼ重なるかたちで、既に6年にわたって続いているとみられ、この12月には、戦後最長である2000年代半ばの回復局面と並ぶことが見込まれます2(図表1)。以下では、こうした長期にわたる景気回復の特徴について、2つの点を指摘したいと思います。

  1. 22013年からの日本銀行の「量的・質的金融緩和」が生産と物価上昇率を押し上げ、雇用を増やしたと評価する研究としては、以下のものがあります。宮尾龍蔵『非伝統的金融政策:政策当事者としての視点』(有斐閣、2016年)、Ryuzo Miyao and Tatsuyoshi Okimoto. 2017. "The Macroeconomic Effects of Japan's Unconventional Monetary Policies," RIETI Discussion Paper Series 17-E-065、安達誠司・飯田泰之編著『デフレと戦う 金融政策の有効性 レジーム転換の実証分析』(日本経済新聞出版社、2018年)、Giovanni Dell'Ariccia, Pau Rabanal, and Damiano Sandri. 2018. "Unconventional Monetary Policies in the Euro Area, Japan, and the United Kingdom." Journal of Economic Perspectives, Vol.32, No.4, pp.147-172

(1)今次回復局面の特徴[1]:景気回復の拡がり

第1の特徴は、景気回復の裾野に拡がりがあり、幅広い経済主体に恩恵が及んでいるということです。

まず、企業部門についてみますと、大企業のみならず、中小企業においても顕著に改善の動きがみられます(図表2)。例えば、私どもの短観調査によれば、中小企業の業況判断は、「良い」との回答が「悪い」との回答をはっきりと上回っていますが、これは1991年以来のことです。また、大規模金融緩和のもとで内需が改善する中、企業の収益も、幅広く好転しており、中でも、地方の経済を支える中小企業の収益がはっきりと増加しています。これは、企業収益の改善が、海外経済の高成長の恩恵を受けた大企業・製造業に偏っていた2000年代半ばの景気回復局面では見られなかった特徴です。

中小や地方を含めた企業部門の改善は、設備投資などの支出行動の積極化につながっているほか、雇用の増加や賃金の上昇を通じて、家計部門にも波及しています。企業による求人は大幅に増加しており、足もとの有効求人倍率は、1.6倍台と、1980年代後半のバブル期のピークを上回る水準です(図表3)。また、こうした労働需給のタイト化は全国各地に波及しており、最近では全ての都道府県で、有効求人倍率が1倍を超えています。これは、バブル期ですらみられなかった出来事です。また、失業率も幅広い地域で下がっています。

労働市場の改善は、世代という切り口でみても、拡がりをみせています。例えば、15~24歳の若年層の失業率は、1990年代後半の金融危機のもとで大幅に上昇し、その後も長らく緩やかにしか低下しませんでした(図表4)。もっとも、ここ数年で状況は様変わりしました。若年失業率はバブル期を下回る水準まで低下し、新卒採用は空前の売り手市場となっています。人手不足感がますます強まる中で、従来、職を見つけることがかなり難しいとされていた失業期間1年を超える長期失業者も、着実に減少してきています。加えて、雇用環境の好転は、これまで労働市場に参加していなかった層に、新たに就業機会を提供している面もあります。労働市場で中心的な役割を占めてきた15~64歳の人口、いわゆる生産年齢人口は、わが国では2000年頃をピークに減少しています。一方で、実際に職に就いている就業者の数は、このところ大幅に増加しています(図表5)。これは、雇用環境の改善と、政府による各種の制度整備が相まって、女性や高齢者の労働参加が促進された結果として実現したものです。こうした中、1990年代以降、緩やかに上昇してきた貧困率も、最近では、横ばい、ないし幾分低下してきているように見受けられます。

若年失業率や長期失業率の低下、さらには女性や高齢者の労働参加の拡大などは、現在の雇用や生産を増やすだけではなく、将来に向けた経済の成長力強化という点でも重要な意味を持ちます。人々は、日々、実際に働く中で技能を身につけ、生産性を高めていきます。特に、若年期に技能を磨く就業機会があるかないかの差は、その後の個々人のキャリア、さらには、一国全体でみた生産性にも大きな影響を及ぼすと考えられます。この点で、若年層に多様で安定した就業機会が提供されていることは、非常に重要です。また、失業期間が長期化すると、せっかく身につけた技能が徐々に失われてしまう惧れがあることから、長期失業率の低下も、経済の生産性を高めることにつながります。このように、労働市場が幅広く改善していることは、わが国の成長力を高めることにもつながっていくと考えています。

(2)今次回復局面の特徴[2]:物価上昇率のプラス転化

今回の景気回復の第2の特徴は、物価の下落傾向が続いていた2000年代半ばと異なり、大規模金融緩和のもとで、賃金や物価が好転していることです。消費者物価の前年比は、2013年秋以降、5年余りにわたってプラス基調を続けており、既にわが国は「物価が持続的に下落する」という意味でのデフレではなくなっています(図表6)。デフレが定着していた「量的・質的金融緩和」の導入以前の姿と比較すると、物価情勢の改善は明らかです。もっとも、日本銀行が「物価安定の目標」としている物価上昇率は2%である一方、足もとの物価上昇率は1%程度です。この点につきましては、後ほど、金融政策運営と併せて詳しくお話しいたします。

3.経済・物価の先行き

ここからは、経済・物価の先行きについて、お話ししたいと思います。

(1)経済の先行き

まず、経済の先行きについてです。わが国の景気は、2019年度から2020年度にかけて、拡大基調を続けるとみています。海外経済が総じてみれば着実な成長を続けるもとで、高水準の企業収益や雇用環境の改善が、設備投資や個人消費の増加に波及することが期待されます。

もっとも、こうした中心的な見通しには、海外経済の動向を始めとする様々なリスク要因があります。中でも、米中間の通商摩擦の帰趨についてはなお注意が必要です。両国の間には、貿易以外にも、知的所有権や技術移転、安全保障など多岐にわたる問題が存在しており、それらの解決に向けては不透明感の高い状況が続く可能性があります。現時点では、内外経済に対する影響は限定的とみていますが、問題がさらに複雑化し、長引くことがあれば、貿易面での悪影響が徐々に広がるだけでなく、企業の投資マインドの悪化や金融市場におけるセンチメントの慎重化という経路を通じて、世界経済への下押し圧力が強まっていく可能性があります。振り返りますと、保護主義的な政策が世界を席巻した時代として有名なのが、世界恐慌時の1930年代です。その後の研究によれば、世界経済の落ち込みをもたらしたのは保護主義的な政策というよりは、財政・金融政策が適切に対応せずにデフレが深刻化したことであると指摘されています3。財政・金融政策運営の重要性を、各国の政策当局者は肝に銘じなければなりません。また、グローバル・サプライチェーンを介した貿易構造は、1930年代と比べて遥かに複雑であるほか、貿易が世界経済に占める割合が高まりグローバルな資金フローも巨額化しているなど、保護主義的な動きが経済に及ぼす影響を見極めることが難しくなっている点にも注意が必要です4。日本銀行としても、この問題の帰趨と、それがわが国経済に与える影響について、しっかりと点検していく方針です。

  1. 3例えば、Douglas A. Irwin. 2017. Clashing over Commerce: A History of US Trade Policy. Chicago: University of Chicago Press, pp.397-400
  2. 4大恐慌当時の貿易財は一次産品が多かったのに対して、現在は製造品が多くなっていますが、貿易に占める製造品の割合が大きくなると、所得の変動に対して貿易量がより大きく変動する傾向が指摘されています(Douglas A. Irwin. 2012. Trade Policy Disaster: Lessons from the 1930s. Cambridge: MIT Press, p.167n25)。

(2)物価の先行き

物価の先行きについては、わが国の消費者物価の前年比は、景気の拡大基調が続くもとで、徐々に上昇率を高めていくと想定しています。物価の先行きは、基本的に、経済全体でみた需要と供給のバランスと、先行きの物価に対する人々の予想という2つの要因によって規定されると考えられます。このうち、需要と供給のバランスについては、景気が拡大基調をたどるもとで、今後とも、需要が供給を上回る傾向が続くとみています。これに伴って現実の賃金や物価が上昇していけば、人々の予想物価上昇率も徐々に高まり、緩やかな物価上昇が実現しやすくなると考えています。

物価の見通しについても様々なリスク要因があります。例えば、先行き、需要超過の状態が続いても、現実の賃金や物価がなかなか上昇しない可能性は否定できません。また、賃金や物価が上昇したとしても、それが一時的な現象として捉えられ、人々の予想物価上昇率が高まらない可能性もあります。さらに、2019年10月に予定されている消費税率の引き上げも、経済・物価に対するリスク要因として挙げられます5

わが国の家計は、長期にわたって価格の引き上げを経験してこなかったこともあり、値上げに対して敏感に反応しがちですし、企業は、そうした家計の行動を前提に価格の引き上げに慎重となっています。景気の改善が続けば、企業や家計のこうした慎重な姿勢は、次第に薄れていくとみていますが、いつ変わるかについては不確実性が付きまといます。ただ、緩やかな物価の上昇を伴う経済の拡大がなぜ望ましいのか、そしてそれを実現する日本銀行の決意について皆様方の理解が十分に得られていないことも影響しているとすれば、日本銀行としては、適切な情報発信に向けて、謙虚に工夫を重ねていきたいと思います。この点につきましては、この後、金融政策運営の考え方と共にお話しさせて頂ければと考えています。

  1. 52016年9月の日本銀行の「総括的な検証」が示すように、物価上昇率が当初の想定通りに2年以内で目標とする2%に届かなかった理由としては、原油価格の下落、新興国経済の変調に加え、消費税率の引き上げがありました。日本銀行では2019年10月の消費税率の引き上げによる家計の純粋な負担額は、2014年4月に実施されたときよりは、規模が小さくなると試算しています。もっとも、消費税率引き上げが人々の消費行動、物価予想などに与える影響については注意深く点検する必要があります。

4.日本銀行の金融政策運営

そこで、金融政策運営に話題を進めます。現在、日本銀行は、市中で保有されている国債を大量に買入れることを通じて、10年物の国債金利をゼロ%程度というきわめて低い水準に維持することなどにより、大規模金融緩和を続けています。また、こうした金融緩和を、先行きも継続していくことを約束しています。以下では、なぜ日本銀行が今もなお金融緩和に取り組んでいるのか、何を目指しているのか、その原点に立ち戻ってお話ししたいと思います。

(1)デフレの弊害

日本銀行はなぜ「物価の安定」を目指しているのでしょうか。そもそも市場経済の主役は、家計であり企業です。ただ、市場経済は政府や公的機関が適切に補完をしないとうまく運営されないことがあります。物価の安定もそうした公的機関が関与すべき事柄の一つです6

日本銀行の金融政策の理念は、日本銀行法で定められています。第2条には、「日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資する」とあります。「物価の安定」そのものではなくて、それを通じた人々の雇用や所得の改善といった「国民経済の健全な発展」こそが究極の目的です。そのことを指摘したうえで、歴史をひも解いてみると、第二次世界大戦後の高インフレーションや、1970年代の狂乱物価といった急激な物価上昇だけでなく、戦前の昭和恐慌の頃のひどい物価下落、あるいは1990年代後半から約15年にわたって物価が下落した状況は、経済に負の影響をもたらしてきました。

物価が下がるというと、モノが安く買えるので良いことだと思われがちですが、実際には次のような大きな弊害があります。第1に、物価が下落するということは、自分が買うモノやサービスの値段だけでなく、自分が勤めている会社が売っているモノやサービスの値段も下がるということです。勤め先の売上が減少すれば、自分の給与も減り、支出できる額も減りますし、人員整理によって雇用を減らすことにもつながります。そうなると、経済活動全体が萎縮します。

第2に、物価の下落は、経済政策運営においても困難をもたらします。物価が下落する経済では、税収も上がりにくくなります。また、物価が下落すると金融政策にも支障がでてきます。通常、経済に下押し圧力がかかると、金利を低下させて経済を下支えする必要が生じます。しかし、物価が下落すると理論的にも経験的にも、金利水準はゼロ近傍まで低下する傾向があり(図表7)、金利を下げる従来の政策だけに頼ると金融政策の余地は小さくなるため、不況がより深刻なものとなってしまいます。

第3に、物価が下落するもとで不況が長期化すると、先ほど申し上げましたように、経済の成長力が削がれるとともに、物価が上がらないことを前提とした慣行や考え方が社会に根付いてしまうリスクがあります。他国では、物価が緩やかに上昇するもとで名目国内総生産(GDP)や名目所得が着実に増加していくことが当たり前になっています。わが国経済において、デフレの長期化のもとで名目GDPや名目所得が長らく頭打ちとなってきたことは、世界的に見てきわめて特異な状況であったといわざるをえません(図表8)。物価下落は、たとえそれが加速しない緩やかなものであっても、経済に大きな負の影響をもたらしうるのです。

  1. 6そもそも物価とは、一つ一つのモノやサービスの価格とは異なり、経済に存在するあらゆるモノやサービスの価格を総合したものです。こうした物価は、長期的には、経済で取引されるモノやサービスの総量と貨幣との関係で決まります。つまり、長期的には、経済にある貨幣の量が増えれば、物価は上がり、貨幣の量が減れば、物価は下がります。現代社会では、この貨幣は、銀行貸出等の結果生じる銀行預金が中心なのですが、その大元を発行するのは中央銀行です。

(2)2%の「物価安定の目標」

こうしてみると、国民経済が健全に発展していくために必要な「物価の安定」は、急激な物価上昇だけでなく、物価下落も回避することだといえます。喩えて言えば、部屋の温度を快適に保つようなものでしょうか。部屋の温度は暑すぎても寒すぎてもいけません。では文字通りのゼロが良いのでしょうか。物価上昇率がゼロ%程度になる状況では、先ほど申し上げたように、金利操作を通じた金融政策の対応余力は限られることになります。そのもとで、何らかの要因で経済に下押し圧力が加わりますと、景気の停滞や物価の下落が長期化するリスクがあります。そう考えると、「経済の適温」、すなわち中央銀行が目指すべき物価上昇率は、文字通りのゼロではなく、物価下落に陥らないための余地を確保したある程度のプラスであるとの結論が導かれます7

その「経済の適温」について、世界各国の中央銀行の間では物価上昇率目標を採用する国が増えており8、先進国・地域では、その目標水準を2%程度とすることが世界標準となっています(図表9)。金融経済は国際的に密接に結びついていますので、他の国々が2%を目指しているときに自国も2%を目指すことは、重要な意味をもっています。例えば、日本銀行の金融政策は、為替相場を目的とするものではありませんが、わが国が米国や欧州を含む多くの国と同じ物価上昇率を目指すことは、長期的には為替相場の安定を通じて、企業の皆様の意思決定をしやすくし、安心して企業活動を継続できる環境づくりに貢献するものと考えています。

こうした考えに基づいて、日本銀行は、2%の物価上昇率を「物価安定の目標」とし、その実現にコミットしています。これは、国民の皆様に対する日本銀行の約束であり決意表明です。この約束が守られる限り、あのデフレの時代を繰り返すことはありません。現在、わが国の物価上昇率は、着実に改善していますが、依然として1%程度と、2%との対比では途半ばにあります。再び経済への下押し圧力があるとデフレに戻ってしまうかもしれません。日本銀行としては、2%の実現を目指して大規模金融緩和を今後も継続し、景気の改善を十分に長く持続させることで、「経済の適温」まで物価上昇率の高まりを促していく方針です9

なお、金融緩和を続けていく上では、物価に対する効果だけでなく、金融市場・金融システムへの影響も間断なく点検することが必要です。そのことが政策の持続性を向上させ、結果として、2%の実現の蓋然性を高めることになると考えています10

  1. 7そもそも物価上昇率目標を初期から提唱していた人々は、プラスの物価上昇率を目標とすることの最も説得的な目的はデフレに陥る危険性を回避することにあると考えていました(Ben S. Bernanke, Thomas Laubach, Frederic S. Mishkin, and Adam S. Posen. 1999. Inflation Targeting: Lessons from the International Experience. Princeton: Princeton University Press, pp.29-30)。
  2. 8現在では、定義によりますが、40程度の中央銀行が物価上昇率目標を採用しています(José De Gregorio, Barry Eichengreen, Takatoshi Ito, and Charles Wyplosz. 2018. IMF Reform: The Unfinished Agenda. London: CEPR, p.12)。
  3. 9なぜ2%なのか、あるいは最も望ましい物価上昇率が何%なのかについては、様々な議論があります。最近の学界では、2008年からの世界的金融危機を経て、デフレに陥る懸念を見越して、望ましい物価上昇率はプラスとみなす研究が増えてきていますが、具体的な数値についてはゼロに近いプラスから6%程度までと幅があります。また、これとは視角が異なる研究として、安達誠司氏は、1983年から2017年第2四半期までの日本経済のデータを用いて、インフレ・レジームにおいて一定の条件のもとで成立すると考えられるインフレ率は、消費者物価指数(除く生鮮食品、エネルギー)の上昇率でみて1.94%であると論じています(「2%のインフレ目標は妥当か」『景気とサイクル』、第64号、2017年、3-16頁)。
  4. 10実際、日本銀行は、個別金融機関への考査・モニタリング、『金融システムレポート』などによる幅広い情報提供、各種金融規制の整備に対する協力など、様々な取り組みを行っています。

(3)幅広い主体に向けたコミュニケーション

私は、政策効果を最大限に発揮するためには、日本銀行が目指す経済の姿やその背景となる考え方を、できるだけ多くの方に分かっていただけるように情報発信や対話をしていくことが重要だと考えています。私たちが学校で習った伝統的な金融政策は、金利の引き上げと引き下げが中心で、比較的分かりやすかったように思います。もっとも、日本では1990年代後半以降、米国や欧州ではリーマン・ショックのあった2000年代後半以降、短期金利がゼロ%近くとなり、伝統的な金融政策では対応できない状況となりました。そのもとで各国が積極的に講じてきたのが非伝統的金融政策と呼ばれるものです。これは、世界経済がグローバル金融危機から脱出するうえできわめて強力な効果を発揮しました。しかし、同時に、金融政策が非常に複雑なものとなり、一部の専門家以外の方々にとっては分かりにくいものになってしまった面があります。海外でも、中央銀行の公表文は経済学博士でないと理解できないなどと揶揄されているようです。

確かに、日本銀行が現在行っている政策に技術的な側面はあり、市場参加者や海外当局者といった専門家の理解を得るため、私どもは情報発信を積極的に行っていくことが求められます。もっとも、中央銀行は、専門家だけでなく、日本経済の主役であり原動力たる家計や企業にも働きかけを行っていくことが重要です11。家計や企業の方々に対しては、技術的な側面が強い政策運営の細部よりも、そのエッセンス――日本銀行が何を目指し、それをどのように実現しようとしているのか――を、繰り返しお伝えしていくことが重要ではないかと感じています。

例えば、日本銀行によるアンケート調査によると、物価が上がると生活が苦しくなると考えている家計が多いのが現状です(図表10)。自分の所得が上がらないのに物価が上がるのは誰でも嫌に決まっています。価格上昇に対する家計の許容度がなかなか上がらないのも当然に思えますが、緩やかな物価上昇が実現していた過去の局面では、賃金は概して物価のペースを上回って上昇し(図表11)、家計の購買力は高まっていました。価格上昇に厳しい目を向けがちな家計の慎重なスタンスを転換していくためには、こうした経済の基本的なメカニズムを人々に分かりやすく伝えていくことも重要となります。また、金融政策の効果は、経済の状況によっても変わってきます。民間企業がモノや人への前向きな投資やイノベーションに取り組む一方、政府がそうした未来への投資を促進する環境を整備したり、財政の信認を確保しながら教育、科学技術振興等の有益な支出を行ったりすれば、わが国経済の期待成長率が高まることが見込めます。期待成長率が高まれば、企業の投資意欲や家計の消費意欲はより大きく高まり、2%の「物価安定の目標」への道筋はより確たるものとなるはずです。このように、様々な経済主体の取り組みと日本銀行の金融政策との間には、相乗作用が働きます。その意義を各主体との間で共有していく観点からも、幅広い方々へ向けた私どもの効果的なコミュニケーションが求められています。

この懇談会にご出席の皆様も、日々の複雑な実務に携わる一方で、住民や顧客には分かりやすいメッセージを伝えていくことが必要な場面があるのではないかと想像します。金融政策も同じです。本日はこうしたことも意識して、金融政策運営のエッセンスとなる考え方を中心にご説明しました。

  1. 11家計や企業の予想への働きかけを重視する研究としては、例えば、Olivier Coibion, Yuriy Gorodnichenko, Saten Kumar, and Mathieu Pedemonte. 2018. "Inflation Expectations as a Policy Tool?" NBER Working Paper, No. 24788があります。

5.おわりに

最後に、新潟県経済についてお話ししたいと思います。新潟県の景気は、着実に回復を続けています。好調な海外需要などを背景に、輸出と生産が高めの水準を維持しています。高水準の企業収益のもとで、能力増強や省力化を目的とした設備投資が増加しています。労働需給が引き締まる中で、雇用者所得は緩やかに増えており、個人消費も緩やかに回復しています。

一方、新潟県では、人口の減少、人手不足や県内最終需要の伸び悩みといった課題も生じています。新潟県経済には、そうした課題を克服し、経済成長を遂げるうえでの幾つかの「強み」があると考えています。

例えば、当地には、金属、機械、食料品、素材、建設などの幅広い分野で高い技術力を有する産業の集積がみられます。また、情報通信産業についても、新たなIT企業が立ち上がるなど活躍が始まりつつあります。伝統的に強い産業がグローバル化や技術進歩に対応していくとともに、情報通信などの新しい産業も立ち上がっていくことで、新潟県経済の成長力が一段と高まると期待されます。

また、当地には、多様な文化と歴史、豊かな自然と食が存在します。本年夏、私は東京国立博物館で『縄文――1万年の美の鼓動』を鑑賞しました。そこで展示された新潟県十日町市笹山遺跡出土の国宝火焔型土器の雄渾な美に圧倒されました。また、新潟というと日本酒が有名ですが、その日本酒は江戸時代に米余りによる安値化を背景に、製品の多様化と高度化を図った企業家精神のたまものでした12。さらに、今でこそ、うまい米の代名詞とされるコシヒカリも、そこに至るまでは数多くの困難を乗り越える努力が必要でした13

加えて、成長する北東アジアに近いことも大きな利点です。当地は、極東ロシアや中国、朝鮮半島などの対岸地域と歴史的に密接な関わりを持っています。北前船貿易の伝統を有する新潟県は、現代では日本海側最大の交流拠点として、貿易、観光の両面で、成長著しいアジアの需要を取り込むポテンシャルを有しています。

来る2019年1月は、新潟港が貿易港として逸早く世界に開かれてから150年の節目になります。冒頭申し上げたように、越後・佐渡の方々は持ち前の勤勉さと忍耐と才覚でもって課題を克服してきました。皆様がこうした「強み」を活かしながら、デフレ克服と地方活性化のトップランナーとなることを期待して、私からのご挨拶とさせて頂きます。

ご清聴ありがとうございました。

  1. 121600年代後半に酒造業を起こした魚沼塩沢の武左衛門は杜氏を京都から、また同じ塩沢の嘉右衛門は杜氏を江戸から招き、消費地の嗜好をつかもうとしたといいます(田中圭一他『新潟県の歴史【第2版】』山川出版社、2009年、166-7頁)。
  2. 13そもそもコシヒカリには、味よりも量が重視された戦時中の1944年に新潟県農事試験場で交配され、その後育種事業が中断した経緯があります。コシヒカリとして誕生してからも、ライバルよりもブランド価値を高めるために新潟県の農協はマーケティングの努力を惜しみませんでした(酒井義昭『コシヒカリ物語――日本一うまい米の誕生』中公新書、1997年)。