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【挨拶】 包摂的で持続可能な発展を目指して 日本経済団体連合会主催B20東京サミットにおける挨拶の邦訳

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日本銀行総裁 黒田 東彦
2019年3月15日

1.はじめに

本日は、B20東京サミットでお話しする機会をいただき、誠に光栄に存じます。本年私は、G20財務大臣・中央銀行総裁会議において、麻生大臣と共に共同議長を務めています。G20では、「持続可能な開発目標(SDGs)」とも関連した1、幅広い問題について議論しています。こうしたグローバルな課題への対応には官民の協力が不可欠であり、G20と並行する形で各国経済団体の皆様が一堂に会して議論されることは、大変意義深いことと考えています。

本年のB20では、「Society 5.0を通じたSDGsの達成」をテーマに、様々な分野でのイノベーションやビジネス環境の変化と、グローバルな課題への取組みについて議論が行われています。Society 5.0とは、「サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会」として、日本政府が提唱する考え方です2。そこでは、新しい技術やイノベーションを用いることで、様々な課題を官民挙げて解決していくことが期待されています。

以下では、SDGs達成に向けた最近の動きについて述べた後、「誰ひとり取り残さない」という包摂的な成長を、イノベーションを活用してどう目指していくかについて、金融面を中心に、お話ししていきたいと思います。

  1. 「持続可能な開発目標(SDGs)」は、2015年に国際連合で採択されたグローバルな開発目標。17分野の目標と169項目のターゲットから成り、2030年までの達成を目指している。2000年に採択された国連ミレニアム宣言に基づく「ミレニアム開発目標(MDGs)」の後継。
  2. 詳細は、以下の内閣府のウェブページを参照。
    https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/index.html(外部サイトへのリンク)

2.持続可能な発展に向けた最近の傾向

18世紀の産業革命以来、グローバル経済の生産性は飛躍的に上昇し、人々の生活水準も大幅に向上しました。こうした急激な経済成長を支えたのは、内燃機関等の工業的な技術の発展と、そうした新しい技術を取り入れた大規模な工業社会の実現でした。もっとも、こうした経済発展が、地球規模で負の影響をもたらしてきたことも事実です。産業革命の時期にも、工業地帯における公害や急拡大した都市の劣悪な生活環境といったものは、人々を悩ませる問題でしたが、世界的に産業の高度化が進展すると、そうした問題も世界中に広がっていきました。結果として、利潤動機や価格メカニズムという経済原理に基づいてダイナミックな発展を遂げてきた現代社会は、経済学の言葉で言う「外部不経済」という一種の市場の失敗の影響に向き合わざるを得ない状況になりました。この外部不経済の解決は容易ではありません。例えば、地球温暖化などによる気候変動問題を例にとれば、今や、一国の化石燃料消費量の増加は、他の国や、地球全体にも影響を及ぼす、「空間的な外部不経済」をもたらすようになっています。また、今日の化石燃料の大規模な消費は、将来世代にも負の影響をもたらす「時間的な外部不経済」も引き起こすと考えられます。

このような外部不経済を解消するための対応策としては、まず、各国政府による、直接的な規制が考えられますが、各種の問題が複雑化、かつグローバル化していることもあって、必ずしも十分な実効性を持つとは言い切れません。この点、近年では、民間企業・公的機関・国際機関などにより、問題解決に向けた様々な前向きな動きが進んでいます。

第1に、各経済主体が持続可能な発展の目標に沿って行動することを促すような仕組みの広がりです。環境問題に関して言えば、例えば、炭素税や省エネ補助金により民間経済主体にエネルギー節約のインセンティブを与える仕組みが挙げられます。また、各国間や企業間で温室効果ガスの排出枠を設定したうえで市場メカニズムによって排出権を取引し、外部不経済による社会的コストを内部化する動きもみられています。このほか、多くの民間企業が、SDGsや気候変動への取組みを企業の社会責任(corporate social responsibility、CSR)として対外的にコミットしています。こうした取組みに対して、株主を始めとするステークホルダーも高い関心を示しています。このような動きが広がっていけば、直接的な排出規制のような強制力をもった方法だけに頼らずとも、持続可能な経済社会の実現が可能になるかもしれません。

第2に、最近の技術革新による、これまででは考えられなかったような形での問題への対処の可能性です。エネルギーや環境に関しては、これまでにも、公害の広がりや、1970年代の石油ショックもきっかけとして、エネルギー消費量を抑制した工業製品の開発が進んできました。さらに、最近では、人工知能(AI)やモノのインターネット(IoT)といったデジタル技術の飛躍的な発展により、エネルギー需要のきめ細かな管理や、気候の局地的な予測などが可能になり始め、エネルギー効率の一段の向上に寄与しています。また、先に述べた排出権取引では、分散型台帳技術を活用して取引コストを削減し、市場を拡大させようという動きもみられています。Society 5.0においては、こうした新しい技術を活用しながら、グローバルな課題に対応し、持続可能な社会を実現してくことが期待されています。

3.包摂的成長と技術革新――金融の観点から

言うまでもなく、技術革新は、中央銀行とかかわりが深い金融分野にも大きな変化をもたらしています。こうした変化は、SDGsの主要な目的の一つである包摂的成長を実現する上で、重要な意味を持つと考えています。包摂的成長とは、「誰ひとり取り残さず、成長の成果を社会の構成員すべてが公正に享受できるようにする」という考え方です。先ほど述べたように、産業革命以降、グローバル経済は飛躍的に成長してきましたが、その成長の成果を享受できない人々が多く残されてきたことも事実です。様々な分野において、雇用、教育、新しい技術などの機会にアクセスできる人とできない人が存在してきました。こうした格差をなくすことも、グローバルにみて重要な課題となっています。

金融分野においては、「誰ひとり取り残されることなく金融サービスにアクセスでき、その恩恵を受けることができるようにする」という金融包摂が、重要な政策課題として多くの国で掲げられています。ここで注目すべき点は、最近の「フィンテック」と呼ばれる金融分野の新しい技術には、金融包摂を進めていくことができる面もあるということです3。新興国や発展途上国におけるモバイル決済の普及は、フィンテックが金融包摂に貢献する典型的な例と言えるでしょう。銀行店舗や有線通信回線などの社会インフラが十分に行き渡っていない地域で、スマートフォンを用いたキャッシュレス決済などの新しい金融サービスが急速に普及することがあります。これは、「蛙飛び(leapfrogging)現象」と呼ばれ、既存の金融サービスにアクセスできなかった人々が、新しい技術によって、一気に利便性の高い金融サービスを利用することができるようになる現象として知られています。

例えば、中国では、電子商取引やソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を運営する企業が提供する、スマートフォンを用いた決済サービスが2013年頃から急速に普及し、大都市では現金がなくても日常生活が可能なほどにキャッシュレス化が進みました。ビッグデータやAIによる与信リスク管理などを活用したオンライン融資サービスも急速に普及し、個人や中小企業も手軽にアクセスできるようになっています。また、銀行産業が未発達であるがゆえに銀行口座の保有や金融サービスへのアクセスが限られているアフリカでも、モバイル端末を利用した現金引出しや短期融資などの金融サービスが利用されるようになってきています。このほか、金融インフラの発達が物理的に制約されていた島嶼国などにおけるモバイル決済の広がりや、交通渋滞の激しい東南アジアの大都市におけるタクシー配車サービスからのモバイル決済の発展など、それぞれの国や地域の実情に沿ったフィンテックの活用例がみられています。

このようにフィンテックは、利便性の向上や金融仲介の活発化を通じて経済成長へ寄与するとともに、金融包摂など社会的問題の解決にも貢献し得ると考えられます。

一方、フィンテックの急速な普及に際しては、いくつか注意すべき点もあります。まず、サイバーセキュリティ対策や個人情報保護などを含め、取引の安全性を確保する必要があります。また、マネーロンダリングやテロ資金供与などに悪用されるリスクにも対応しなければなりません。さらに、金融システムの安定性を確保することも重要です。特に金融監督体制が整っていない国においては、信用の拡大を可能にするようなフィンテックの普及は、金融包摂に貢献する一方で、金融の不安定化につながるリスクを高める可能性が指摘されています4

  1. 3フィンテックの金融経済への幅広い影響や、中央銀行の取組みについては、以下を参照。
    日本銀行「決済システムレポート・フィンテック特集号」、2018年2月
  2. 4Sahay, R., M. Cihak, P. N'Diaye, A. Barajas, S. Mitra, A. Kyobe, Y. N. Mooi, and S. R. Yousefi "Financial Inclusion: Can It Meet Multiple Macroeconomic Goals?" IMF Staff Discussion Note 15/17, International Monetary Fund, 2015.

4.公的部門の役割

このように、技術進歩は、環境保護や金融包摂などのグローバルな課題に対処するうえで大きな役割を果たし得ると考えられます。では、そうした課題に新しい技術を活用しつつ対処していくうえで、公的部門が果たし得る役割は何でしょうか。これまで取り上げてきた問題や、G20での最近の議論なども踏まえ、重要と思われる点を3点指摘したいと思います。

第1に、新しい技術の恩恵を受けにくい人々へのサポートです。最近では、AIやロボットの普及によっていくつかの職業が取って代わられるのではないかという懸念が聞かれています。昨年アルゼンチンが議長国を務めたG20でも議論されましたが5、こうした影響を受ける人々にセーフティーネットや教育訓練の機会を提供することは、公的部門の重要な役割です。また、先ほど述べたように、フィンテックは金融サービスにアクセスできる人の範囲を大きく広げる可能性をもっていますが、一方で、例えば機械による与信審査などの技術により、特定の条件や属性を有する人々が不利益を受けることはないかとか、デジタル技術への習熟度によって取り残される人々が生じないかといった側面にも目を向ける必要があります。この点に関して、日本の議長国の下で開催される今年のG20では、高齢化が金融包摂に与える課題と政策対応を取上げ、デジタル技術の普及・発展に伴い、高齢者の金融サービスへのアクセスが悪化するのではないか、万人にとって便利で使いやすい金融サービスをどのように提供するか、という問題についても議論する予定です。

第2に、経済・金融・社会の安定性の確保です。景気後退や金融の不安定化により失業が増えたり投資が減退したりすると、新しい技術を導入して様々な経済・社会問題に対応することも難しくなります。また、新しい技術が悪用されて社会の不安定化につながり、技術に対する懐疑論が広がるような事態が生じれば、技術の活用はますます難しくなります。この点、G20では、金融分野の技術革新に関して、特に暗号資産やその背景にある技術に着目し、それらの潜在的な便益を生かしつつ、様々なリスクを抑える方策について議論してきています。

第3に、国際協調の重要性です。様々な問題がグローバル化する中では、各国当局間の協調が不可欠になってきています。例えば、環境問題に関しては、各国の中央銀行や金融監督当局が参加する金融安定理事会(FSB)が、気候変動に関する企業の財務リスクや取組み姿勢の開示を支援する民間主導のタスクフォースを設置し、そこでは企業の一貫した情報開示のために推奨される要件について、取りまとめが行われました6。このほか、G20では、インフラ投資における環境・社会・企業統治(ESG)の重視なども含め、環境問題に関する様々な多国間の取組みを行っています。

  1. 5G20で議論された「仕事の未来」に関する報告書は、以下のサイトで入手可能。
    http://www.oecd.org/g20/g20_menu_of_policy_options_for_the_future_of_work_fwg-executive_summary.pdf(外部サイトへのリンク)
  2. 6詳しくは、タスクフォースのウェブサイトに掲載されている、以下の報告書等を参照。
    Recommendations of the Task Force on Climate-related Financial Disclosures, June 2017.
    https://www.fsb-tcfd.org(外部サイトへのリンク)

5.おわりに

以上、新しい技術が環境保護や金融包摂といったグローバルな課題への対応にどのように貢献し得るか、その際の公的部門の役割は何かといった点についてお話してきました。100年ほど前にシュムペーターが強調したように、イノベーションの担い手となるのは民間の企業家ですが、SDGsに関係するような現代のグローバルな課題への対応には、公的部門も重要な役割を果たし得ると考えられます。日本銀行も、経済・物価・金融の安定の確保のほか、フィンテックの健全な発展に向けた取組み、地域活性化を支援する金融機関のサポート、金融知識の普及などを通じて、貢献していきたいと考えています。

本日のB20サミットでの議論をきっかけに、SDGsの達成へ向けた官民の協力がさらに進展することを願って、私の話を終えたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。