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【挨拶】最近の金融経済情勢と金融政策運営佐賀県金融経済懇談会における挨拶

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日本銀行副総裁 若田部 昌澄
2020年9月2日

1.はじめに

おはようございます。日本銀行の若田部です。佐賀県では、昨年8月および本年7月の豪雨により数多くの方が被災されたと伺っています。心からお見舞い申し上げます。本来ならば、現地に伺って皆様に直接お会いして、当地経済の現状につきまして見聞を深めるべきところ、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴いまして遠隔地からのご挨拶になりますことをお許しください。また、皆様には日頃より日本銀行佐賀事務所ならびに福岡支店の業務運営に多大なご協力を頂いております。この場をお借りして厚くお礼申し上げます。

さて、新型コロナウイルス感染症の世界的な大流行(パンデミック)は、世界経済に深刻な打撃を与えています。人的被害もさることながら、人々の雇用と所得、企業活動に深甚な影響を及ぼしています。また、長期的に見ると、人類はグローバル化、都市化、サービス経済化、すなわち、人と人が集まり密接に交流することによって大きな発展を遂げてまいりました。感染症はこうした発展の原動力に対する挑戦です。

こうした挑戦にいかに立ち向かうか。この挨拶では、3つのことをお話しします。第一に、新型感染症に端を発する今回の経済危機に対して日本銀行がどのような対応をしたのかという「これまで」の話、第二に、この経済危機が中長期的に経済に及ぼす影響と今後どのように金融政策を運営するかという「これから」の話、そして第三に佐賀県経済の現状と展望です。

2.今回の経済危機と金融政策面での対応

感染症の影響とこれまでの政策対応

はじめに、新型コロナウイルス感染症が金融・経済へ与えてきた影響とこれまでの政策対応について振り返ります。今回の感染症は、短期間に、かつ、世界中に拡がりました(図表1)。中国で流行が確認されたあと、欧米や日本などの先進国からインドや中南米などの新興国まで、ほぼ全ての国に拡大しています。2月下旬以降、欧米でも感染症が拡大し始めると、世界経済の先行き不透明感と、感染症に対する不安感の高まりから、投資家のリスクセンチメントが悪化し、国際金融資本市場は急速に不安定化しました。

内外経済も大きな影響を受けました(図表2)。多くの国が、外出制限や営業・生産活動の停止といった厳格な公衆衛生上の措置を講じ、わが国でも、4月には政府による緊急事態宣言が発出されました。こうした措置は、感染拡大を抑制する効果がある一方で、経済活動を大きく制限します。こうしたもとで、世界経済は大きく落ち込みました。また、世界的に企業の売上げが急減したことから、資金繰りが急速にタイト化しました。

今回のグローバルな危機に対して、世界各国・地域の政府・中央銀行は、リーマン・ショック時の教訓も踏まえ、スピード感を持って、積極的に対応しました。各国政府は、失業保険や現金給付を含む所得補償政策や、債務保証を含む企業の資金繰り支援などの経済対策を、前例のない規模で実施しています。わが国でも、事業規模234兆円、対GDP比約4割という、リーマン・ショック時を大きく上回る経済対策が講じられています。各国・地域の中央銀行の対応については、2つの点で共通する措置が講じられています。第1に、国債買入れなどによる大規模な流動性供給を通じた金融市場の安定確保、第2に、貸出を支援する資金供給やCP・社債買入れなどを通じた企業等の資金繰り支援です。また、今回、FRBや日本銀行を含む6中銀が協調してドルオペを拡充することで、市場へのドル資金供給を迅速に強化しました。

日本銀行も、3月以降、迅速に金融緩和を強化しています(図表3)。今次局面での日本銀行の対応は「3つの柱」に整理できます(図表4)。1つ目は、企業等の資金繰り支援のための総枠約120兆円の「特別プログラム」の導入です。この「特別プログラム」は、(1)約20兆円を上限とするCP・社債等の買入れと、(2)最大約100兆円規模になり得る「新型コロナ対応特別オペ」から構成されます。特別オペは、日本銀行が、民間金融機関が行う新型コロナ対応融資を有利な条件でバックファイナンスするものです。特別オペの対象融資には、政府が信用リスク等をカバーすることで実施されている、民間金融機関を通じた中小企業等への実質無利子・無担保融資も含まれています。これは、日本銀行と政府が、連携して企業等の資金繰りを支援する取り組みといえます。

2つ目は、金融市場の安定を確保するため、円貨および外貨について、これまで以上に潤沢かつ弾力的に供給できる枠組みを用意したことです。円貨については、イールドカーブ・コントロールのもとで、金額に上限を設けずに、必要な金額の国債を買入れることを明確にしました。外貨についても、拡充されたドルオペにより、多額のドル資金を供給してきました。

3つ目は、ETFおよびJ-REITの積極的な買入れです。この措置は、資産市場におけるリスク・プレミアムの抑制を通じて、資産市場の不安定な動きが企業や家計のコンフィデンス悪化に繋がることを防止し、前向きな経済活動をサポートすることを目的としています。

なお、5月22日、麻生副総理兼財務大臣と黒田日本銀行総裁は、感染症への対応について共同談話を発表し、政府と日本銀行は「企業金融の円滑化と金融市場の安定に努め、事態を収束させるためにあらゆる手段を講じ」、「感染収束後に、日本経済を再び確かな成長軌道へと回復させていくために、一体となって取り組んでいく」ことを明確にしています1

日本銀行の強力な金融緩和措置は、効果を発揮しています。まず、金融市場ですが、依然、神経質な状況が続いているものの、ひと頃の緊張は緩和しています(図表5)。国際金融資本市場の不安定化を反映して、3月には、株価のボラティリティ(予想変動率)が、リーマン・ショック時以来の水準まで高まりました。しかし、その後の動きをみると、感染症拡大前に比べればなお高い水準にあるものの、低下しています。また、ドル資金の調達コストも、ドルへの予備的需要の高まりから大幅に上昇しましたが、拡充されたドルオペにより多額のドル資金が供給された結果、縮小しています。このように、今回の危機に対して、各国・地域の政府・中央銀行が迅速かつ積極的に対応したことから、株式市場やドル資金市場に限らず、為替市場も含めて、国際金融資本市場は、リーマン・ショック時に比べると、比較的短期間で落ち着きを取り戻し、大きな変動は回避できています。

次に、わが国企業の資金繰りですが、引き続き、ストレスがかかっています。もっとも、日本銀行・政府の各種措置と金融機関の積極的な取り組みにより、外部資金の調達環境は、緩和的な状態が維持されています(図表6)。CP・社債の発行市場では、スプレッドが一時的に拡大しましたが、金融緩和措置を受けて縮小しています。こうしたもとで、CP・社債の発行残高は前年比10%を超える高い伸びとなっています。また、企業からみた金融機関の貸出態度は緩和的な状況を維持しており、銀行貸出は前年比6%台半ばと大きく増加しています。

  1. 「新型コロナウイルス感染症への対応についての副総理兼財務大臣・日本銀行総裁共同談話」2020年5月22日(https://www.boj.or.jp/announcements/press/danwa/dan2005a.pdf)。

内外経済の現状と先行き

ここからは、内外経済の現状と先行きについてお話しします。まず、世界経済です。世界経済は大きく落ち込んだ状態にありますが、多くの国が、感染拡大を抑えながら、経済活動を徐々に再開させる取り組みを進めています。グローバルPMIは、4月をボトムに持ち直しの動きがみられます。こうした中、例えばIMFは、世界経済は2020年下期から回復すると予想しています(図表7)。もっとも、自主的なものを含め、感染防止策が継続されるもとで、回復は緩やかであり、IMFは、「2021年の世界の実質総生産の見通しは、2019年の水準をわずかに上回るに過ぎない」としています。

わが国経済も、依然として、きわめて厳しい状態にあります。もっとも、経済活動は、なお水準は低いものの、一部に持ち直しの動きもみられます。現在も世界的に感染症の拡大が収まっておらず、先行きの不確実性はきわめて大きいですが、わが国経済も、本年後半から徐々に改善していくとみています。ただし、世界経済と同様、感染症への警戒感が続くもとでは、企業や家計の感染防止の取り組みが、経済活動を抑制する力として作用し続けると考えられます。そのため、経済活動が感染症以前の水準に戻るには、時間がかかるとみられます。日本銀行の7月の『経済・物価情勢の展望』(『展望レポート』)の見通しでは、わが国の実質国内総生産が、2019年度の水準に戻るのは、2022年度頃になるというのが中心的な見方です。

こうしたもと、物価は、感染症や既往の原油価格下落などの影響を受けて、当面、前年比マイナスで推移するとみられます。その後は、経済が改善していく中で、プラスに転じ、徐々に上昇率を高めていくと予想しています(図表8)。『展望レポート』の物価上昇率見通しは、2020年度が-0.6~-0.4%、2021年度が+0.2~+0.5%、2022年度が+0.5~+0.8%となっています。

もっとも、以上の経済・物価の見通しについては、不透明感が強く、下振れリスクの方が大きいと考えています。第一に、最大の不確実性は、感染症の帰趨とその内外経済への影響です。今後のわが国における感染症の動向次第で、厳格な公衆衛生上の措置が再び導入される場合には、経済活動が大きく抑制される可能性があります。第二に、実体経済の落ち込みが続き、経済主体の課題が資金繰りから支払い能力の問題に移る場合には、金融部門への影響を通じて、実体経済をさらに下押しする負の連鎖が生じる惧れがあります。第三に、企業や家計の中長期的な成長期待が低下して、支出スタンスが慎重化するリスクにも注意を要します。これらのリスクに関する今後の動向には最大限の注意が必要です。この他にも、米中間の緊張の高まり、地政学的リスク、保護主義的な動きの強まり、自然災害など、様々なリスクがあります。こうした経済のリスク要因が顕在化した場合には、当然、物価にも大きな影響が及ぶことになります。このように、感染症の経済・物価への影響には大きな不確実性があることから、当面、感染症の影響を注視し、必要があれば、躊躇なく追加的な金融緩和措置を講じていく考えです。

3.ウイズ・コロナの世界と今後の金融政策運営

コロナ・ショックの性質

ここまでは、「これまで」の経済情勢と政策対応や、今後の経済・物価の中心的な展望をお話ししました。次に、きわめて不確実性が高い「これから」について、中長期的な視点も交えながら、やや掘り下げて話をいたします。その前に、まず、今回の経済危機の性質について、これまでの経済危機と比較して考察してみます。

第一の特徴は、今回のショックの発生源が、新型感染症の拡大という経済の外部に起因するショックであることです2。過去の景気循環に例をとると、原因が一時的な外的ショックの場合には回復も速やかに進むと考えられます。ただし、感染症の影響が長引き、外的ショックが継続する可能性については留意が必要です。また、外的ショックが金融市場の不安定化や金融危機につながることがあれば、危機はより深刻化します。

第二の特徴は、総需要と総供給の双方にショックが発生していることです。経済学では、通常、経済に対するショックの源泉が総需要か総供給かを区別します。とはいえ、この区別はそれほど単純ではありません。総需要と総供給は関連しあっています。最初はウイルスへの感染や、その感染を恐れての時短、休業、操業停止、移動規制、社会的距離の確保といった供給側から始まった負のショックが、所得の減少と支出の減少を通じて需要側に負のショックを引き起こし得ます3。また、その後の政策対応によって、総需要と総供給の関係は変わり得ます。

第三の特徴は、不確実性です。感染流行動向の不確実性、新型感染症に対して有効なワクチン、あるいは治療薬が開発されるかどうかの不確実性などが挙げられます。こうした不確実性があると、家計や企業は支出を手控える可能性があります4

このような特徴を持つ感染症ショックは、物価にどのような影響をもたらすでしょうか。物価はインフレ傾向、あるいはデフレ傾向になるのでしょうか。これまでの経済危機の経験から、総需要が総供給を下回る時には、物価はデフレ傾向になることがわかっています(図表9)。感染症の事例についてみると、イングランド銀行の外部政策委員を務めているテンレーリョは、13世紀からの英国の消費者物価を見て、パンデミックの後にはインフレ率が下がる傾向があると述べています5(図表10)。

また、金融政策を運営するうえでも重要な自然利子率について6、過去のパンデミック後の動向を分析した研究では、20年程度かけて低下し、さらに20年程度かけて流行前の水準に戻るとの傾向が示されているものがあります7。自然利子率が下がる中では、それに合わせて実質金利を引き下げないと、経済にデフレ圧力がかかり得る点にも注意が必要です。

もっとも、歴史は有益ですが、その応用には注意が必要です8。特に、自然利子率は、医療の進歩や公衆衛生の改善が労働力の質的・量的側面に及ぼす影響、人口動態の変化、生活様式の変容、国際的相互依存の深化などによっても影響を受けます。また、大規模な財政政策が発動されると、自然利子率には引き上げ圧力がかかるという研究もあります9

とはいえ、短期的には、感染症がもたらす総需要への負のショックが総供給への負のショックを上回る可能性があるうえに、感染症をめぐる不確実性が高いために民間の消費・投資活動が手控えられる可能性があります。したがって、当面は、インフレ率が低下するリスクに警戒する必要があります。さらに中長期的には、成長期待、インフレ予想、貯蓄率の動向に注意を払う必要があります。ことに注意すべきは、一時的とされる外的なショックが、持続的な停滞に結び付く可能性です。長期停滞論、いわゆる「日本化」の懸念は、主要先進国で新型感染症拡大前から論じられてきたものですが、今回の感染症もまた人々の態度や、子供の健康状態等に履歴効果をもたらしかねません10。物価の上振れ、下振れ両リスクに対応するために、日本銀行としては、「物価安定の目標」に、引き続き強く関与していくことが必要であると考えています。

  1. 2ニューヨーク市立大学のクルーグマン教授は、これまでの米国の景気循環を外的ショックによるものと、金融危機を伴う内的ショックによるものとに分け、前者の回復は素早く、後者の回復には時間がかかったと論じています。Krugman, Paul (2020) "The Audacity of Slope: How Fast a Recovery?" Princeton Bendheim Center for Finance webinar, May 15, 2020, https://www.youtube.com/watch?v=h1ZiTIou0_8.
  2. 3シカゴ大学のゲリエリ教授らは、複数の企業部門の存在を想定し、各企業部門の補完性を考慮すると、負の供給ショックがそれを上回る負の需要ショックをもたらし得ることを理論的に明らかにしている。Guerrieri, Veronica, Guido Lorenzoni, Ludwig Straub, and Ivan Werning (2020) "Macroeconomic Implications of COVID-19: Can Negative Supply Shocks Cause Demand Shortages?" NBER Working Paper Series, No.26918. 「金研ニュースレター特別号 新型コロナウイルス感染症の経済学(3)」(日本銀行金融研究所、2020年5月、https://www.imes.boj.or.jp/japanese/newsletter/nl202005J3.pdf)に解説がある。
  3. 4 Bloom, Nicholas (2014) "Fluctuations in Uncertainty," Journal of Economic Perspectives, 28(2), pp.153-76.;森川正之(2016)『サービス立国論――成熟経済を活性化するフロンティア』日本経済新聞出版社、275-88頁;Barrero, Jose, and Nicholas Bloom (2020) "Economic Uncertainty and the Recovery," paper presented at the 2020 Jackson Hole Economic Policy Symposium hosted by the Federal Reserve Bank of Kansas City, August 28, 2020, https://www.kansascityfed.org/~/media/files/publicat/sympos/2020/20200806bloom.pdf.
  4. 5Tenreyro, Silvana (2020) "Covid-19 and the Economy: What Are the Lessons So Far?" speech given at London School of Economics webinar, July 15, 2020, https://www.bankofengland.co.uk/-/media/boe/files/speech/2020/covid-19-and-the-economy-speech-silvana-tenreyro.pdf.
  5. 6自然利子率については、以下の講演で解説した。若田部昌澄「最近の金融経済情勢と金融政策運営――青森県金融経済懇談会における挨拶」2019年6月27日(https://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2019/ko190627a.htm/)。
  6. 7この研究では、14世紀の黒死病から第二次世界大戦後の香港風邪までの、死者数が10万人を超えた19の感染症を経験した欧州主要諸国を対象として、自然利子率は流行後20年程度かけて1.5%ほど低下し、それから20年程度をかけて流行前の水準近くまで戻るとしている。Jorda, Oscar, Sanjoy R. Singh, and Alan M. Taylor (2020) "Longer-Run Economic Consequences of Pandemics," NBER Working Paper Series, No.26934. 「金研ニュースレター特別号 新型コロナウイルス感染症の経済学(4)」(日本銀行金融研究所、2020年5月、https://www.imes.boj.or.jp/japanese/newsletter/nl202005J4.pdf)に解説がある。
  7. 8 1918年発生のインフルエンザ・パンデミック、通称「スペイン風邪」から何を学べるかについて研究論文を展望したものとして、以下がある。Beach, Brian, Karen Clay, and Martin H. Saavedra (2020) "The 1918 Influenza Pandemic and Its Lessons for COVID-19," NBER Working Paper Series, No.27673.
    中央銀行家が歴史を利用する際の一般的な留意点については、以下を参照。Saunders, Austen (2020) "Thinking Historically," Bank Underground, July 30, 2020, https://bankunderground.co.uk/2020/07/30/thinking-historically/#more-6698.
  8. 9Goy, Gavin, and Jan Willem van den End (2020) "The Impact of the COVID-19 Crisis on the Equilibrium Interest Rate," VoxEU, April 20, 2020, https://voxeu.org/article/impact-covid-19-crisis-equilibrium-interest-rate.
  9. 10Kozlowski, Julian, Laura Veldkamp, and Venky Venkateswaran (2020) "Scarring Body and Mind: The Long-Term Belief-Scarring Effects of COVID-19," NBER Working Paper Series, No. 27439; Aksoy, Cevat Giray, Barry Eichengreen, and Orkun Saka (2020) "The Political Scar of Epidemics," IZA Discussion Papers Series, No.13351, Institute of Labor Economics (IZA), http://ftp.iza.org/dp13351.pdf.
    子供の健康状態への影響については、Beachらの前掲論文と、中田大悟「パンデミックの長期的課題――子供への影響を中心に」(小林慶一郎・森川正之編著『コロナ危機の経済学――提言と分析』日本経済新聞出版、2020年、331-44頁)が論じている。

ウイズ・コロナの経済社会

ワクチンや治療法が確立すれば、現在のショックは過ぎ去り、かつての時代に戻るかもしれません。しかし、ワクチンや治療法が存在しても、今後は新型感染症との共存を意識せざるを得ないかもしれません。

冒頭述べたように、感染症は、グローバル化、都市化、サービス経済化への挑戦でもあります。人間は社会的・社交的動物であり、人と人との交流が密になることで、新しいアイディアを生み出し、創造性、イノベーション、生産性の向上を実現してきました(図表11)11

そもそも、イノベーションは、その時々の技術水準や制度、人的ネットワークなど社会でのつながりの中で生まれるものです12。また、グローバル化は生産性向上の原動力です。グローバル化というと、ヒト、モノ、サービス、カネの国際的相互依存性の増大を指すことが多いですが、忘れてはいけないのは知識の移動の側面です。日本企業の輸出・対外直接投資、外資企業の日本国内での研究開発活動、国際共同研究などは生産性や特許の質に影響を及ぼすことが知られています13。都市も、基本的には人々が交流する知識創造の場所として捉えることができます14

感染症によって、これまでの動きは終焉を迎えるのでしょうか。経済論壇では、グローバル化、都市化、サービス経済化、果ては資本主義経済の終焉論まで、議論が活発になっています。私の考えは、これまでの動きは修正を迫られるものの、終わらないというものです。その理由は何よりも、人間が社会的・社交的動物であり、どのような手段を用いてでもつながろうとするところにあり、それが人間の強みだからです。今回の危機で、生活・衛生物資の輸入、知識のグローバルな交換がきわめて重要なことが分かりました。ワクチンや治療法についても、私たちは世界中の研究者たちの研究開発活動に期待している状況です。

もっとも、感染症と、それ以外にも起きている様々な変化への適応は進んでいくと考えられます。例えば、グローバル・サプライチェーンについては、これまで以上に安全保障、公衆衛生保障を考慮しながらの再編が進むと考えられます。ただし、過度な国内への集中も有事の際にはリスク要因になりますので、経済的必要性や自然災害などのリスク要因とバランスをとることになるでしょう。都市の再編も、同じように分散と集中のバランスをとることになるでしょうが、テレワークによってこれまでの働き方が見直され、大都市から地方への移住が進むことも考えられます。ただし、その場合も受け入れる側の魅力を増す工夫が重要になるでしょう。

  1. 11藤田昌久・浜口伸明「文明としての都市とコロナ危機」小林・森川編著、前掲書、301-14頁。
  2. 12Potts, Jason (2019) Innovation Commons: The Origin of Economic Growth, Oxford: Oxford University Press.
  3. 13「日本企業は輸出もしくは対外直接投資を行うことで生産性を2%上昇させる。また、外資企業が日本国内で研究開発活動を行うことで日本企業の生産性が向上することもわかっている。さらに、国際共同研究を実施することで日本企業の生み出す特許の質(引用数)が大幅に改善されることも、データによって実証されている」(戸堂康之「コロナ後のグローバル化のゆくえ」小林・森川編著、前掲書、115頁)。
  4. 14Glaeser, Edward (2011) Triumph of the City: How Our Greatest Invention Makes Us Richer, Smarter, Greener, Healthier, and Happier, New York: Penguin Press.(エドワード・グレイザー『都市は人類最高の発明である』NTT出版、2012年);藤田昌久・浜口伸明前掲論文;Duranton, Gilles, and Diego Puga (2020) "The Economics of Urban Density," Journal of Economic Perspectives, 34(3), pp.3-26.

金融政策の進化

感染症のショックによる所得や雇用の変動を和らげるだけでなく、やや長い目で、感染症に対応した経済への望ましい転換を円滑に進めるのにも、経済安定化政策の役割が欠かせません15。こうした観点も踏まえ、ここからは、私が金融政策の進化にとって重要と考える点についてお話ししたいと思います。

今回の経済危機で、中央銀行は、リーマン・ショック時の経験と教訓を生かして、迅速な対応、中央銀行間の協調、政府との協調等を一段と心掛けました。

第一に、「迅速な対応」の中心である流動性供給について、今回の危機の性質を反映して、その範囲と手段を拡大してきました。リーマン・ショック時には、中央銀行はウォルター・バジョットのいう「最後の貸し手(Lender of Last Resort)」から、「最後の市場の作り手(Market Maker of Last Resort)」、「最後のグローバルな貸し手(Global Lender of Last Resort)」へと進化しました16。今回の危機に際しては、広範な経済主体が需要の蒸発と資金繰りの問題に突如直面しました。それを受けて、中央銀行の流動性供給に際しては、金融機関のみならず、企業や個人事業主、家計への円滑な金融の支援も意識されました。さらに、6中銀スワップを活用したドルオペの拡充は、FRBや日本銀行を含む主要中央銀行間の情報交換の中から実現したものであり、中銀の国際協調の賜物と言えます。

関連して、「迅速な対応」を支えるべく、高頻度データの重要性が認識されるようになりました。高頻度データは速報性に優れています。今回の危機によって、危機前から利用されてきた日次の物価、売上げデータに加えて、繁華街の夜間人口の動きから飲食業の状況を把握する、国内の世界文化遺産の滞在者数から旅行の状況を把握するといった移動情報も利用されるようになりました17。もっとも、こうした高頻度データの利用には、現時点では課題もあります18。高頻度データの多くはサンプルに偏りがありますし、季節調整もされていません。高頻度データの利用には改善の余地があり、公的データの代替物ではなく補完物と捉えるべきでしょう。また、高頻度データを解釈するには、経済情勢の変化の背景を知る必要があります。この点、日本銀行が、本支店のネットワークを駆使して、企業へのヒアリングから得ている知見は引き続き不可欠です。今後は、公的統計、企業ヒアリング、さらには中長期的な傾向を見極めるための歴史分析などとともに、高頻度データを効果的に組み合わせて、政策決定の判断に生かしていくことが重要です。

第二に、今回のような経済危機では、財政政策と金融政策が連携・協調するのは必要不可欠です。ただし、この連携・協調は、政府と中央銀行がそれぞれの役割分担を守りながら行われています。中央銀行は、基本的に流動性を供給する、すなわちお金を供給し、貸し出すことはできても、お金を使うことはできません。お金を使うことができるのは民間であり、政府です19。中央銀行の役割は金融政策であり、財政政策、感染症にかかわる公衆衛生、成長、貿易、都市政策等は政府の役割です。

こうした連携・協調は、物価動向にも良い影響を与えます。感染症で自然利子率に下方圧力がかかるとするならば、大規模財政政策は自然利子率を押し上げる方向に働き得ますし、さらに規制改革やその他の市場環境の整備で人々の成長期待を押し上げることも重要です。特に、テレワーク、デジタル・トランスフォーメーションを一層推進するには、情報通信技術(ICT)およびそれと補完的な労働者の訓練・組織再編への投資が不可欠です。1990年代以降これまで、投資全般が低迷する中、日本のICT投資も低迷を続けてきました(図表12)20。ICT投資を節約すべきコストとしてではなく、将来に向けての投資として捉える前向きの視点が必要です。

このように金融政策と財政政策が連携・協調することは、感染症という大きなショックに直面する不確実性の大きい現状で、国民や金融市場に安心感を与えるだけでなく、金融政策と財政政策の相乗的な効果、いわゆる「ポリシー・ミックス」の効果を高めていくことが期待されます。

そして、第三に、これらも踏まえ、金融政策のあり方を改善すべく、継続的に議論を深めていく必要があります。現在、幾つかの海外の中央銀行で、金融政策の枠組みをレビューする動きがみられます。例えば、物価の一時的な下振れが続く場合には、一時的な上振れを許容するという「埋め合わせ戦略(makeup strategy)」について、議論がなされております。この背景には、金融危機後、先進国において、低成長・低インフレ・低金利が長期化し、そのもとで自然利子率が低下していることから、政策金利が名目金利下限制約に達しやすくなっており、金融政策の有効性を高めることが難しくなってきているという事情があります。8月27日、FRBは、時間を通じて平均的に2%のインフレ率を達成するために、インフレ率が継続的に2%を下回った場合には、当面の間2%を上回るインフレ率を目指す可能性が高いという「平均インフレ率目標」と「埋め合わせ戦略」を採用しました21。この点、「日本化」という言葉に象徴されるように、わが国こそ同じ課題に直面しており、日本銀行でも、その課題の克服のため様々な先進的な努力を続けてきました。特に、2016年9月には、それまでの政策の経験等を踏まえたうえで、「総括的な検証」を行い、現在の「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」を導入しています。こうした金融政策のあり方を巡る議論は、今回の感染症による危機を踏まえて、一層検討が進むでしょう22。日本銀行でも、海外中銀における議論の状況なども参考にしつつ、ウイズ・コロナ時代の金融政策のあり方について、検討を深めていくべきだと考えています。

  1. 15歴史を紐解けば、19世紀後半に進展したグローバル化の動きが逆転したのは、経済安定化に失敗した1930年代の大恐慌の時でした。James, Harold (2001) The End of Globalization: Lessons from the Great Depression, Massachusetts: Harvard University Press.(ハロルド・ジェイムズ『グローバリゼーションの終焉――大恐慌からの教訓』日本経済新聞出版社、2002年)
  2. 16中曽宏「金融危機と中央銀行の『最後の貸し手』機能」世界銀行主催エグゼクティブフォーラム「危機は中央銀行の機能にどのような影響を及ぼしたか」における講演、2013年4月22日(https://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2013/ko130423a.htm/)。
  3. 17『経済・物価情勢の展望』(2020年4月)のBOX1、2(https://www.boj.or.jp/mopo/outlook/gor2004b.pdf)、同(2020年7月)のBOX1、3(https://www.boj.or.jp/mopo/outlook/gor2007b.pdf)を参照。
  4. 18高頻度データに積極的に意義を見出すものとしては、以下を参照。Haldane, Andrew G. (2020) "The Second Quarter," speech, June 30, 2020, https://www.bankofengland.co.uk/-/media/boe/files/speech/2020/the-second-quarter-speech-by-andy-haldane.pdf.
    慎重な意見としては、以下を参照。The Economist (2020) "Why Real-Time Economic Data Need to Be Treated with Caution," The Economist, July 23, 2020, https://www.economist.com/finance-and-economics/2020/07/23/why-real-time-economic-data-need-to-be-treated-with-caution.
  5. 19パウエルFRB議長も、2020年4月29日の記者会見で次のように述べている。"I would stress that these are lending powers and not spending powers. The Fed cannot grant money to particular beneficiaries. We can only make loans to solvent entities that the -- with the expectation that the loans will be repaid. Many borrowers will benefit from our programs, as will the overall economy." https://www.federalreserve.gov/mediacenter/files/FOMCpresconf20200429.pdf.
  6. 20米国と比較しての日本の労働生産性の低さの原因は、5割程度が資本装備率の低さ、すなわち投資の少なさにあるという研究もあります。「2012年において日本の労働生産性は米国の59%であり(格差の大部分は非製造業)、格差のうち52%は日本の資本装備率の低さが、37%はTFPの低さが生み出していた」(深尾京司「生産性低迷の原因と向上策」内閣府研究会『選択する未来2.0』第6回会議報告用資料、2020年4月15日、https://www5.cao.go.jp/keizai2/keizai-syakai/future2/20200415/shiryou1.pdf)。
  7. 21"Statement on Longer-Run Goals and Monetary Policy Strategy," August 27, 2020, https://www.federalreserve.gov/monetarypolicy/files/FOMC_LongerRunGoals.pdf.
  8. 22海外での議論については、若田部前掲講演(2019年6月27日)で紹介した。

4.佐賀県経済の現状と展望

次に、佐賀県の経済についてお話しします。全国と同様に、新型コロナウイルス感染症の影響から、佐賀県の景気は持ち直しの兆しはみられるものの、全体としては弱い動きが続いています。

このところ、佐賀県でも、人口減少や高齢化といった構造問題に直面しています。もっとも、人口減少や高齢化の下でも経済成長は可能です23。そこでのカギとなるのは、絶えざる新しい知識の創造と活用です。

当県の特長を生かした、将来の成長に向けた取り組みのうち、3つに注目します。1つめは、第一次産業の振興と販路の拡大です。当地は佐賀平野・有明海・玄界灘という豊かな自然資源と、福岡という一大消費地に隣接する利点を生かして、古くから農業・漁業・養殖業が盛んであり、ハウスみかんや養殖のりは生産量全国1位を誇り、確固たる地位を築いています。さらに、最近では、高級牛肉の「佐賀牛」や地元日本酒の輸出振興のほか、2018年に開発した苺「いちごさん」の全国ブランド化など、官民一体となって県産品の更なる高付加価値化に向けた取り組みが進められています。また、ごく足もとでは、新型感染症への対応として、県の特産品をネット販売する「SAGAマルシェ」を開設して販路開拓に注力されていると伺っています。

2つめは、多種多様な産業の集積です。佐賀県は、日本初の反射炉を生み出すなど、わが国の産業近代化の先駆者であり、現在もその進取の気風は地元の製造業に継承されていると思います。九州に自動車や電機部品関連の製造業が集積する中で、地元企業にもそのすそ野がさらに広がっているほか、県北部に化粧産業の集積を図る「唐津コスメティック構想」も着実に成果を出しています。非製造業では、交通の要衝である鳥栖市近郊が九州の一大物流拠点となっています。また、当地発のIT企業がAIやIoT・ROBOTICS等の最先端技術を様々な業種や産業と融合させる事業を幅広く展開しているほか、足もとでは、自治体の積極的なバックアップのもと、東京などのIT企業が県内にオフィスを開設する事例が増えていると伺っています。こうした、多種多様な産業の集積は今後の当地経済の成長の大きな原動力になると考えます。

3つめは、観光です。佐賀県は、吉野ケ里遺跡、日本陶磁器発祥の地である有田町、世界文化遺産の三重津海軍所跡、歴史と伝統のある嬉野温泉・武雄温泉など、数多くの観光資源に恵まれています。現在、新型感染症の影響から当地でも観光は厳しい状況が続いておりますが、5月に開催されたWeb有田陶器市では、予想以上の注文が寄せられ、関係者からは観光のすそ野を広げ、販売チャネルとして手応えを掴んだとの声が聞かれたと伺っております。このほか、県では県内観光地を自転車で周るサイクルツーリズムの推進や自然共生型アウトドアパークの整備など、オープンエアで楽しむ長期滞在型旅行を提案されています。こうした取り組みは、ウイズ・コロナ時代の新たな観光の創出にもつながるものと考えます。

佐賀の人々は、松浦党のアジア貿易、伊万里焼などの南蛮貿易、さらには長崎御番といった、海外との関わりが深い歴史を有しています。また、幕末佐賀藩の名君鍋島閑叟に代表されますように、当時の佐賀は海外からの知識をどん欲に摂取し実践すべく、教育と科学技術の振興に力を入れてきました。人々の進取の精神によって、佐賀県が益々発展することを期待しています。

  1. 23人口減少・高齢化と経済成長の関係については、以下で論じている。若田部昌澄「最近の金融経済情勢と金融政策運営――愛媛県金融経済懇談会における挨拶」2020年2月5日(https://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2020/ko200205a.htm/)。

5.おわりに

冒頭述べましたように、新型感染症の影響には、きわめて深刻なものがあります。日本銀行は、ここまで金融市場の安定や企業等の資金繰りには積極的に対処してきましたが、感染症の影響が持続する中で、経済・物価動向については引き続き最大限の警戒が必要です。今後も、政府と一体となって協調・連携し、危機に対応してまいります。

感染症は大きな挑戦ですが、人類は、これまでも感染症との闘いに打ち勝ってきました。弘化3(1846)年、佐賀藩で天然痘が大流行したあと、鍋島閑叟は、嘉永2(1849)年、当時としては最新式の牛痘法による種痘を命じています24。その際、嫡子淳一郎(のちの直大)と娘貢姫にも摂取させ、科学的知識の啓蒙・普及に努めました(図表13)。今回の試練についても、人類は人知を尽くして克服していくことを確信しております。

  1. 24杉谷昭・佐田茂・宮島敬一・神山恒雄『佐賀県の歴史 第2版』山川出版社、2013年、227頁。