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【挨拶】わが国の経済・物価情勢と金融政策長野県金融経済懇談会における挨拶要旨

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日本銀行政策委員会審議委員 安達 誠司
2020年11月12日

1.はじめに

日本銀行の安達でございます。この度は、長野県の行政、財界、金融界を代表される皆様とオンライン形式で懇談させていただく貴重な機会を賜り、誠にありがとうございます。また、皆様には、日頃から日本銀行松本支店および長野事務所の業務運営に対し、ご支援、ご協力を頂いておりますことを、この場をお借りして改めて厚く御礼申し上げます。

本日は、わが国の経済・物価情勢と日本銀行の金融政策運営につきまして、私の考えを交えつつお話しします。その後、皆様から、長野県経済の動向や日本銀行の業務・金融政策に対する率直なご意見をお聞かせいただければと存じます。

本来、長野県を訪問し、皆様と対面で懇談させていただくことを考えておりましたが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、今回、やむなくオンライン形式により開催させていただくことになりました。訪問が叶わず大変残念ですが、皆様との懇談を通じて、長野県の現状や課題に対する理解を深めるとともに、頂いたご意見を日本銀行の業務や政策判断に活かしてまいりたいと考えております。どうぞよろしくお願い申し上げます。

2.感染症の影響と内外経済の動向

感染症の動向

はじめに、新型コロナウイルス感染症の動向を振り返ります。今回の感染症は、1月に中国で流行が確認され、2月下旬から欧州へと拡大していきました。4月頃に欧米での感染者数拡大は一旦ピークアウトしますが、その後は中国以外の新興国へと感染が急速に拡大していきました。足許でも、米国と欧州において再拡大の動きがみられるなど、感染症の動向は予断を許さない状況です(図表1)。

この間、わが国では、3月下旬から感染者が急速に増加し、4月には政府による緊急事態宣言が発出されました。5月に緊急事態宣言は解除されましたが、7月頃から感染者数が再び増加し、その後減少に転じた後は一進一退で推移しています(前掲図表1)。もっとも、わが国の感染者数の拡大ペースは他の主要国と比較すると緩やかであり、重症者数や死亡者数も抑制された状況が続いています。

海外経済の動向

こうした感染症の拡大に歯止めをかけるべく、多くの国が外出・移動制限によって経済活動を抑制する措置を講じました。このため、本年前半、とくに4-6月期の世界各国の実質GDP成長率が大幅な落ち込みをみせたことは記憶に新しいところです(図表2)。

しかし、その後先進国を中心に経済活動が徐々に再開され、世界経済は底打ちし、夏場以降、総じてみれば持ち直しに転じたとみられます。企業の景況感を示すPMIは、景気判断の分かれ目となる50ポイントを上回って推移しています(図表3)。また、10月に公表されたIMFの世界経済見通しでは、多くの国・地域の2020年の経済成長率の見通しが上方修正されました(図表4)。

国内経済の動向

日本経済に目を転じますと、欧米先進国と同様、4-6月期をボトムに持ち直しているとみられます。特に、欧米、中国向けの輸出の回復に伴い、自動車関連や情報関連など、製造業の生産の回復傾向が徐々に明確になってきています(図表5)。

しかし、今回の感染症拡大による影響は、企業の業種や家計の属性によって大きく異なるため、経済全体としては持ち直しつつあるとはいえ、回復ペースも属性によってばらつきがみられます。これは他の主要国においても観察される現象です。

企業活動をみると、製造業の回復は比較的堅調である一方で、非製造業の回復は緩慢です。また、非製造業の中でも、インターネット関連に代表される情報通信は、在宅勤務の拡がり等もあって業績が好調な企業がみられる一方で、消費関連では回復の実感がなかなか得られない企業も少なからず見受けられます。小売業の中では、家電販売やネット通販等、「巣ごもり消費」拡大に支えられて業績が好転する企業がみられる一方で、旅行・宿泊、飲食といった対面型サービス業では厳しい業況が続いています(図表6)。

こうした属性による感染症拡大の影響の違いが顕著に表れているのが、雇用の状況です。足許、わが国の完全失業率は3.0%と、他国と比較すると低水準となっています(図表7)。こうした背景には、後述するように政府と日本銀行の政策対応が効果を発揮している側面もあると思われますが、雇用形態別の就業者数をみると、正規社員については前年比プラスを維持している一方で、非正規の雇用は対面型サービス業を中心に減少している姿が窺われます(前掲図表7)。今後の非正規雇用の動向については、注意深くみていく必要があると考えています。

3.政策対応とその効果

政府・日本銀行の政策対応

感染症拡大による世界経済の急速な悪化を受けて、世界各国の政府・中央銀行は極めて迅速に対応策を講じてきました。特に、政府部門による失業保険や現金給付を含む所得補償政策や、債務保証、および中央銀行による積極的な資金供給といった企業の資金繰り支援等は、主要国において共通した政策措置でした。これに加えて、中央銀行による国債、社債、CP等の積極的な買入れ、および、FRBや日本銀行を含む6中銀によるドル資金供給(ドルオペ)は、本年3月の世界的な株価急落や長期金利の上昇が世界的な金融危機に深化していくプロセスを防いだ点で大きな役割を果たしたと考えられます。

日本銀行も、政府による大規模な経済対策と歩調を合わせ、3月以降、政策対応を行ってきました。具体的には、大きく「3つの柱」に整理できます(図表8)。1つ目の柱は、企業等の資金繰り支援のための総枠約140兆円の「特別プログラム」の導入です。この「特別プログラム」は、約20兆円を上限とするCP・社債等の買入れと、最大約120兆円規模になり得る「新型コロナ対応金融支援特別オペ」の2つから構成されます。特別オペは、日本銀行が、民間金融機関が行う新型コロナ対応融資を有利な条件でバックファイナンスするものです。特別オペの対象融資には、政府が信用保証を付けることで信用リスク等をカバーした上で、民間金融機関を通じて実施する中小企業等への実質無利子・無担保融資も含まれています。

2つ目の柱は、金融市場の安定を確保するため、円貨および外貨について、潤沢かつ弾力的に供給できる枠組みを用意したことです。円貨については、イールド・カーブ・コントロールのもとで、金額に上限を設けずに、必要な金額の国債を買入れることを明確にしました。外貨についても、拡充されたドルオペにより、多額のドル資金を供給してきました。

3つ目の柱は、ETFおよびJ-REITの積極的な買入れです。この措置は、資産市場におけるリスク・プレミアムの抑制を通じて、資産市場の不安定な動きが企業や家計のコンフィデンス悪化に繋がることを防止し、将来に向けた前向きな経済活動をサポートすることを目的としています。

なお、これらの政策を決定するにあたり、3月は金融政策決定会合の日程を前倒しして政策決定を行いました。5月22日には、臨時の金融政策決定会合を開催して中小企業等の資金繰り支援のための「新たな資金供給手段」の導入等を決定した後、麻生副総理兼財務大臣と黒田日本銀行総裁が共同談話を発表し、政府と日本銀行は「企業金融の円滑化と金融市場の安定に努め、事態を収束させるためにあらゆる手段を講じ」、「感染収束後に、日本経済を再び確かな成長軌道へと回復させていくために、一体となって取り組んでいく」ことを内外に示しました。このような政府と日本銀行の明確な姿勢は、日本経済の先行きに対する安心感の醸成に寄与したものと考えています。

政策効果に関する一考察

政府と日本銀行によるこれまでの政策対応は、概ね効果的に機能していると考えられます。政策の効果は、感染症の影響により経済活動が急速かつ大幅に落ち込んだもとにあっても、倒産件数や失業者の増加がこれまでのところ限定的なものとなっていることにも現れています。

例えば、日本銀行が推計している日本経済の需給ギャップをみると、感染症の拡大とその抑止策が企業・家計の経済活動を強く制約し、労働時間や資本稼働率を中心に急激に低下したことから、本年4-6月は-4.83%と、リーマン・ショック直後の2009年1-3月期(-5.40%)、および同4-6月期(-5.53%)に次ぐマイナス幅となりました。このように、今回の経済活動の落ち込みは、リーマン・ショック時と比べてもそれほど大きく変わらないにもかかわらず、現時点では、雇用調整の程度が相対的に小幅にとどまっています。これには、雇用調整助成金の拡充や資金繰り支援などの各種政策が迅速に実施されたことにより、倒産・廃業や失業者の増加がある程度抑制されていることが影響していると考えられます。

4.ウィズ・コロナの日本経済

アフター・コロナからウィズ・コロナへ

感染症拡大局面の当初は、感染症収束後の経済再開に備えて、倒産や失業の増加を防ぎ、いかに経済を持ちこたえさせるかという点に政策対応のプライオリティが置かれていたように思います。このため、感染症が拡大する前の経済状態(ビフォー・コロナ)に回復することを企図した政策運営がなされてきた側面があると考えられます。私自身は、経済を持ちこたえさせるという意味での政策目的は、概ね達成されつつあるのではないかと考えています。その一方で、感染症の拡大が本格化してから半年以上が経過した現時点においても、感染症のリスクが完全に払拭されるという意味での正常化(アフター・コロナ)への展望が見えてくるのには時間がかかると感じられている方が増えてきているのではないでしょうか。

この点、感染症拡大の抑制を最優先するのであれば、ロックダウンなどにより経済活動を抑制することが有効であることは事実ですが、社会生活に相当なインパクトを及ぼすこともわかってきました。日本の場合は、感染症が収束したとはいえませんが、これまでのところ重症者や死亡者が顕著に増加する事態は避けられています。こうしたこともあり、最近では、アフター・コロナの到来を待つよりも、ウィズ・コロナを前提とした経済活動を模索する動きが徐々に広がりつつあるように感じています。

ウィズ・コロナの視点からみた変化の兆し

こうしたウィズ・コロナの世界がもたらす変化について、以下でお話しさせていただきたいと思います。

リーマン・ショック以降、経済学者の間では、世界経済の成長の限界、もしくは成長フロンティアの枯渇を懸念する見方が示されるようになってきました。ハーバード大学のサマーズ教授らが提唱した長期停滞(Secular Stagnation)論などが代表例です。先進国を中心に、潜在的な経済成長率が低下している可能性が指摘されていた中で、今般の感染症拡大により、長期停滞がより深刻化するといった懸念が高まっていると考えられます。特に、感染症の拡大により、2000年代以降の世界経済の成長を牽引してきたとされる「グローバル化」、「都市化」、「サービス経済化」といった要素に、強い逆風が吹いているといえます。仮に今後数年間、感染症と共存せざるを得ないウィズ・コロナの時代が続くとすれば、感染症拡大前の成長経路に復することはより困難になる可能性があります。

ウィズ・コロナの視点から、最近の経済における変化の兆しを考えてみると、いくつかの可能性をみてとることができます。

第1に、デジタル化の動きです。感染症拡大に収束の兆しがみえない中で、比較的堅調な伸びを示しており、企業が積極的な姿勢を維持しているのがデジタル投資です。これは、在宅勤務の普及に代表されるように、感染症の拡大を抑制しながら経済活動を続けていくうえで不可欠な投資です。特に感染症拡大の影響を強く受けている対面型サービス業は厳しい事業環境に直面していますが、労働集約的な側面が強く、生産性の向上が課題とされてきましたので、デジタル投資の促進は、こうした環境を克服する以上の意味合いを持つ可能性もあります。また、デジタル投資の進展は、クラウド向けをはじめとする様々な関連分野における新たな需要の拡大に繋がることも期待されます。

第2に、都市機能の分散化です。米国では、感染を回避する観点から、都市部から郊外に住居を移す動きがみられているようです。日本においても、7月、8月、9月と、東京都からの転出者数が転入者数を上回ったことが話題になりました。こうした動きがウィズ・コロナの世界への変化を先取りするものかを見極めるには時期尚早ですが、長い目で見ると、在宅勤務の普及といった現象は、都市機能の分散化に影響していく可能性も考えられます。

第3に、企業立地の見直しです。感染症の拡大は、世界的な物流網に大きな影響を及ぼしました。その結果、企業の中には、最適なサプライチェーンを構築する観点から、工場や物流拠点などの立地を再検討する動きもみられるようです。

都市経済学者のリチャード・フロリダ氏は、著書『グレート・リセット』において、新しい成長プロセスをもたらすイノベーションは大不況という逆境の中から生まれるということを、戦前の世界大恐慌以降の米国の低成長期の事例から説得的に指摘しています。逆境こそ新たな成長の源泉という見方に立てば、ウィズ・コロナの世界に適応していくために社会構造の改革に取り組んでいく過程で、次世代のイノベーションが生まれる素地ができあがるのかもしれません。そうした意味においても、ウィズ・コロナを展望した社会の変化については、今後も注意深くみていく必要があると考えています。

5.ウィズ・コロナの世界と今後の金融政策

本年3月に日本銀行審議委員に就任して以降、私は、感染症の拡大に際して、まずは企業に対する潤沢な流動性供給を通じて倒産と失業の増加を回避すべきであると申し上げてきました。それは、政府は感染症の拡大を抑制することを企図して、政策として経済活動を抑制しましたので、それによって家計・企業が受けた負の影響については、何らかのかたちで政策的に支えることが適切であると考えたためです。そして、2%の物価安定目標の実現に向けた金融政策は、感染症の収束後に、アフター・コロナ下での金融政策のあり方として再検討すべきであると考えていました。

もっとも、最近の情勢を鑑みると、少なくとも当面の間はアフター・コロナの世界を展望することは難しく、ウィズ・コロナの世界における新しい社会や経済の姿を展望する必要が生じつつあるように感じています。

こうした中、本年8月にFRBは今後の金融政策に関する枠組みの変更を公表しました。この枠組みの変更においては、一時的にインフレ率の上振れを許容するという平均インフレ目標の導入が注目されていますが、それと同時にこれまでと同様、最大雇用の実現も謳われています。FRBは、インフレ率の目標値からの上振れをある程度許容しても、可能な限り多くの雇用を実現することを目指す政策を採用しようとしていると考えられます。あくまで個人的な見解ですが、こうした変化には、経済環境の悪化による影響を受けやすい、限界的な雇用の変化により目配りしていこうとする政策観の変化を感じます。こうした点は、米国固有の文脈で生じている面が強いですが、金融政策を考えるうえで大変興味深いものです。

日本については、他国と比べると感染症の拡がりは抑制されているとはいえ、アフター・コロナの世界を展望しづらい状況に大きな差はないように思います。こうした環境において、政府は様々な改革を積極的に推進しようとしています。一般論として、社会経済の構造を大きく見直す過程では、痛みを伴う可能性を否定できません。こうしたもとでは、痛みを和らげるセーフティネットの存在がより重要性を帯びてくるのではないかと考えています。私は、ウィズ・コロナの世界において、金融政策はこうした改革を直接的に後押しするというよりは、緩和的な金融環境の提供を通じてある種のセーフティネットとしての役割を果たすことができるのではないかと考え始めています。緩和的な金融環境を維持することは、中長期的にみて、経済活動が正常化し、物価安定の目標の達成に向けて動いていく基礎にもなると考えています。

これまでのところ、日本銀行が進めてきた各種の流動性供給の効果もあって、企業の資金繰りには厳しさはみられるものの、大きな問題は生じていないようです。もっとも、依然として先行きに対する不確実性は高く、経済の回復ペースが想定を大きく下回る場合には、企業による将来に向けた前向きな展望が失われ、倒産や廃業が増加するといったリスクを完全に排除することはできません。そうした事態を回避すべく、今後も経済動向を注意深くモニタリングしながら、緩和的な金融政策のスタンスを維持することが、ウィズ・コロナの世界においても求められると考えています。

6.おわりに ――長野県経済について――

最後に、長野県経済について、日本銀行松本支店の調査を通じて承知している情報も踏まえて、お話ししたいと思います。

長野県は、IT・機械関連を中心とした製造業が集積し、優れた技術力を武器に、グローバル市場に対して競争力の高い製品を提供する最先端の「ものづくり県」であるとともに、日本アルプスに囲まれた国内有数の観光県でもあります。

長野県経済の現状をみると、経済活動が徐々に再開するもとで、生産など一部に持ち直しの動きがみられるものの、内外における新型コロナウイルス感染症の影響から、厳しい状況が続いています。感染症の帰趨や、それが長野県経済に与える影響の大きさといった点については、極めて不確実性が高い状況ではありますが、こうした中でも産学官の力を結集した様々な取組みが進められています。

なかでも、地域産業のデジタルトランスフォーメーションを推進する「信州ITバレー構想」に関する取組みに注目しています。この構想では、「快適な住環境」や「首都圏からのアクセスの良さ」という地理的メリットを活かし、IT分野の人材や企業を集積させつつ、製造業から観光業に至るまで幅広い産業のIT利活用を促進することを掲げています。2018年度から取り組まれているこの施策は、中核を担うものづくり産業との融合を図ることで、IT技術で長野県産業の新時代を切り開こうとする意欲的な取組みであると考えます。昨年開所された「AI活用/IoTデバイス事業化・開発センター」では、製造業のAI活用やIoT導入への支援を進めており、新製品の開発や新技術の普及など、企業の生産性向上について早くも成果の芽が出始めていると伺っています。

また、最近需要が高まっている「ワーケーション」の取組みにも注目しています。長野県は、首都圏からのアクセスが良いことに加え、夏は山岳リゾート、冬はスノーリゾートと通年でワーケーションが楽しめる強みがあります。2018年度から推進されている「信州リゾートテレワーク」では、軽井沢や白馬などモデル地域を順次増やされていると伺いました。首都圏では、テレワークを常態化したり、オフィスを削減する動きがみられる中、長野県では、別荘地で森林浴やキャンプを楽しみながら仕事を行ったり、複数のワーキング拠点を旅しながら働くスタイルも可能です。こうした特徴を活かして、首都圏等のIT人材・IT企業を呼び込み、観光のみに止まらず、地元企業との交流の場も設けて、ものづくり産業との連携を通じた新しいビジネスの創出にも取り組まれているものと認識しております。ワーケーションによるロングステイを通じて、より多くの人に魅力を知ってもらえれば、IT分野を中心とする新たな人材の流入に繋がることも期待できます。

こうした取組みは、4月以降、東京都から長野県への転入者数が転出者数を上回っている点をみても、追い風が吹いていると考えられます。潜在的な魅力や特徴を活かして、新たな人材を確保、活用することは、わが国経済全体にもプラスの影響を及ぼすものと考えます。

皆様のこうした前向きな取組みが結実し、長野県の経済が一層の発展を遂げられることを祈念しまして、挨拶の言葉とさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。