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【講演】 金融政策と企業行動:金融政策の効果波及経路と日本企業の構造変化 日本経済団体連合会審議員会における講演

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日本銀行総裁 黒田 東彦
2021年12月23日

1.はじめに

日本銀行の黒田でございます。本日は、わが国の経済界を代表する皆様の前でお話しする機会を賜り、誠に光栄に存じます。

早いもので、新型コロナウイルス感染症の発生から、約2年が経とうとしています。この間の日本経済を振り返りますと、感染症の拡大当初は、幅広い経済活動が制約され、昨年4~6月の実質GDP成長率は、前期比年率-28.5%と、リーマン・ショック直後を上回る大きなマイナスとなりました(図表1)。もっとも、その後は、企業収益がいち早く感染拡大前の水準を回復し、企業の業況感も着実に改善するなど、企業部門が牽引役となり、経済活動の持ち直しが進んでいます。こうした比較的早い景気回復の背景には、企業のウィズコロナへの柔軟な対応に加えて、緩和的な金融環境も大きな役割を果たしてきたと考えています。すなわち、感染症という大きなショックの発生にもかかわらず、企業の資金調達環境は総じて緩和的な状態が維持されたことから、今次局面では、設備や雇用の大幅な調整は回避されました。実際、日本銀行が先週公表した12月短観をみても、設備の過剰感は既に解消したほか、企業の人手不足感もはっきりと強まってきています。こうした中で、わが国企業は、感染症の影響への対応に加えて、ポストコロナを見据えた動きも開始しているように窺えます。具体的には、デジタル化と脱炭素化に向けた取り組みを加速しているほか、この間の供給制約の影響などを受けて、グローバルなサプライチェーンを見直す動きもみられ始めています。

そこで、本日は、企業行動の中長期的な変化をテーマに、そこに金融政策がどのように関わっているかを交えつつ、お話ししたいと思います。

2.金融政策の効果波及経路

はじめに、金融政策の効果が、企業等の資金調達や支出行動の変化を通じて、どのように実体経済に波及していくのか、その経路の全体像を概観します(図表2)。金融緩和を例にとりますと、その効果波及には様々なチャネルが考えられます。代表的には、第1に、企業が必要な資金を必要な時に調達できること、すなわち資金のアベイラビリティが改善するチャネル、第2に、金利が低下し、企業の資金調達コストが低下するチャネル、第3に、内外金利差の拡大などを通じて、為替レートが円安方向に動くチャネル、があります。そして第4に、金利の低下に加え、リスクプレミアムへの働きかけなどによって、株価等の資産価格が上昇するチャネルも存在します。第3の為替レートチャネルや第4の株価チャネルは、金利の低下が起点となっていることを考慮すれば、「金利チャネルの系」と言うことも出来ます。以下では、日本企業の構造変化との関わりが相対的に大きいと考えられるアベイラビリティ、金利、為替レートの3つのチャネルに焦点を当てて、順にご説明します。

アベイラビリティ・チャネル

まず、アベイラビリティ・チャネルです。このチャネルは、貸出市場や CP・社債等の資本市場で、企業が調達できる外部資金の量の変動を通じて、企業の支出行動に影響を与えるチャネルです。企業の持つ内部資金が少ないほど、また外部資金への依存度が高いほど、効果が大きくなるチャネルと言えます。中小企業を含めたわが国企業のバランスシートを長期的にみると、2000年代以降、現預金の保有が大きく増加し、自己資本比率も内部留保の蓄積により趨勢的に上昇しています(図表3)。このため、少なくとも平時では、流動性制約に服している企業の割合は低下しており、アベイラビリティ・チャネルの重要性も、従来に比べれば低下していると考えられます。

もっとも、リーマン・ショックや今回のコロナショックなど、大きなショックが発生した際には、不確実性の上昇に伴う予備的な流動性需要の高まりや、CP・社債市場の機能低下などを背景に、資金のアベイラビリティが低下し、企業の支出活動は大きく制約されます。このような局面では、中央銀行が、流動性の潤沢な供給を通じて、企業の事業継続を支えることが決定的に重要となります。実際、日本銀行は、今次局面でも、「新型コロナ対応資金繰り支援特別プログラム」を導入し、感染症の影響を受ける企業等の資金繰りの支援に努めてきました。具体的には、新型コロナ対応金融支援特別オペにより、金融機関が行うコロナ対応融資を有利な条件でバックファイナンスするとともに、CP・社債等の買入れを大幅に増額しました。こうした日本銀行の対応に加え、政府の施策や金融機関の取り組みもあって、企業の外部資金の調達環境は、過去の景気悪化局面と比べても、総じて緩和的な状態が維持されました。短観でみると、金融機関の貸出態度やCPの発行環境などの判断に関する指標は、業況感と連動して悪化することなく、底堅く推移してきたことが確認できます(図表4)。その結果、企業の資金繰りは、昨年春の感染拡大直後にはいったん悪化しましたが、大企業を中心に、比較的速やかに改善してきました。企業倒産も歴史的な低水準で推移しています。もっとも、対面型サービス業など一部の中小企業の資金繰りには、なお厳しさが残っているのも事実です。

こうした企業金融の情勢を踏まえ、日本銀行は、先週の金融政策決定会合において、来年3月末に期限を迎える特別プログラムのうち、中小企業等向けの資金繰り支援措置を、さらに半年間延長することを決定しました(図表5)。最近でも新たな変異株が発生するなど、感染動向を巡っては、不確実性の高い状態が続いています。日本銀行としては、引き続き、中小企業等の資金繰り支援に万全を期す考えです。

金利チャネル

続いて、金利チャネルに話を移します。金利チャネルには、まず、名目金利ないし予想物価上昇率への働きかけを通じて、実質金利を変化させることで、企業や家計の資金調達コストに直接影響を及ぼす経路があります。政策金利の変更に伴う貸出金利やCP・社債金利の変化は、その典型です。さらに、金利の変化には、株価や為替レートなど金融資本市場の変化を通じて、間接的に実体経済へと波及する効果もあります。

この点、日本銀行は、本年3月に実施した「金融緩和の点検」において、金利の低下が経済・物価に影響を及ぼす経路に関する実証分析を行いました(図表6)。具体的には、金利低下を起点として、資金調達コスト、株価、為替レートそれぞれの変化が経済を改善させる効果について、定量的な比較を行いました。この結果、金利低下が経済を押し上げる効果は、資金調達コスト経由が3割強、金融資本市場経由が5割強でした。このように、金利の変化は、資金調達コストを通じた直接効果だけでなく、相応に大きな金融資本市場経由の間接効果も併せ持っている点を踏まえると、金利は、金融政策の根幹をなす最も重要なツールと言うことができます。

金融資本市場を通じる経路のうち、為替レートについては、この後詳しくご説明しますので、ここでは、まず、資金調達コストの経路に焦点を当てます。資金調達コストの変化は、具体的には、耐久財の消費や住宅投資、設備投資、在庫投資など幅広い国内民間需要に影響を与えます。これらのうち、マクロ経済学の創始者であるケインズは、有名な『一般理論』において、長期金利から設備投資へのチャネルを最も重視しました。現在、日本銀行は、イールドカーブ・コントロールという金融政策の枠組みのもと、伝統的な短期金利だけでなく、長期金利も低位で安定的に推移させることで、設備投資を中心とする民間需要を下支えしています1

わが国企業の固定資産投資の内訳をみると、機械投資や建設投資のウエイトが引き続き高い状況に変わりはありませんが、やや長い目でみれば、研究開発投資やソフトウェア投資といった、所謂「無形固定資産投資」が趨勢的に増加しています(図表7)。研究開発投資は、新しい製品やサービス、あるいは新しい生産プロセスを創り出すための基盤となる研究をしたり、技術を開発したりする活動です。このため、研究開発投資には、回収期間が長期にわたるプロジェクトが多く、そのことを反映して、企業の長期の資金調達ニーズも増加傾向にあると考えられます。実際、わが国企業による社債発行をみると、近年は、5年を超える長めの社債の発行量がはっきりと増加しています。日本銀行のイールドカーブ・コントロールのもとで、長めの金利もきわめて低い水準で推移していることは、研究開発投資を始めとする息の長い投資を、しっかりと下支えしていると考えています。

企業の長期的な投資が求められる分野として、近年は、気候変動への対応も、重要性を増しています。気候変動は、中長期的に経済社会に対し広範な影響を及ぼしうるだけでなく、個々の企業にとっても、グローバル市場での生き残りの成否を左右しかねない喫緊の課題となっています。こうした中、日本政府は、2050年の脱炭素社会の実現を目指して、「グリーン成長戦略」を推進しています。日本銀行も、中央銀行の立場から、この問題に貢献するため、「気候変動対応オペ」を新たに導入し、本日、初回の資金供給オペをオファーしたところです。このオペは、金融機関による気候変動関連の投融資を、金利ゼロ%という有利な貸付条件で、2030年度までという長期にわたって、バックファイナンスする制度です。本オペを通じて、日本銀行は民間部門の気候変動問題への様々な取り組みをサポートしますが、具体的にどのような投融資を行うかは個々の金融機関の判断を尊重するという、世界的にみてもユニークな金融政策上の枠組みとなっています。日本銀行としては、この制度が、企業による気候変動関連の設備投資や研究開発投資を後押ししていくことを期待しています。

  1. 因みに、ケインズは、『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936年)において、金融政策の枠組みとして、イールドカーブ・コントロールの可能性にも言及しています。
    「中央銀行が、短期手形に対する単一の銀行利率を発表する代わりに、あらゆる満期の一流債券を指定価格で売買するための複合的な付け値を発表することは、おそらく貨幣管理の技術上なしうる最も重要な実際的改良である。」(塩野谷祐一訳)
    大恐慌期のケインズの金融政策についての考え方も含め、イールドカーブ・コントロールの歴史については、次の講演も参照して下さい。
    雨宮正佳「イールドカーブ・コントロールの歴史と理論――金融市場パネル40回記念コンファレンスにおける講演――」(2017年1月)

為替レートチャネル

次に、為替レートチャネルです。為替レートは、金融政策が直接目標とする対象ではありませんが、内外金利差の変化などを通じて、間接的に金融政策の影響が及びます。とは言え、どの年限の金利差が影響するかは、その時々の市場動向に大きく左右されるうえ、経済学者の間でも現実の為替レートの動きをうまく説明・予測できるモデルの構築は、理論的にも実証的にもきわめて難しいことが知られています。

為替レートの変動は、貿易相手国との間で、財やサービスの相対価格を変化させ、ひいては企業の様々な意思決定に大きな影響を与えます。このため、為替レートは、経済や金融のファンダメンタルズを反映して、安定的に推移することが何よりも重要です。この点について、トリシェ元欧州中央銀行総裁は、日米欧の中央銀行が、同じ2%の物価目標を目指して金融政策運営を行っていることが、為替レートの中期的な安定に繋がっている可能性を指摘しました2。たしかに、かつては、わが国企業が、為替レートの過度な変動に悩まされる局面が度々ありました。しかし、日本銀行が2013年に2%の物価目標を採用し、大規模な金融緩和を開始して以降、為替レートのボラティリティは低下しています(図表8)。このことは、企業の事業環境を巡る不確実性を低下させるうえで、重要な役割を果たしてきたのではないかと思います。

そのうえで、為替レートは、大きく分けて3つの経路を通じて、経済・物価に影響を与えます。第1に、為替円安は、自国で生産する財やサービスの価格競争力を高めることで、輸出数量の増加に繋がります。第2に、為替円安により、名目の輸出金額や海外事業の円建て収益は増加します。第3に、為替円安は、輸入コストの上昇を通じて、家計の実質所得や内需型企業の収益を下押しします。このように、為替レートは、経済・物価に様々な影響を与えますが、それぞれの影響の大きさは、日本企業のグローバル化に伴って、中長期的に変化しています。以下では、この点を少し掘り下げてご説明したいと思います。

まず、為替レートが輸出数量に及ぼす影響についてです。リーマン・ショック以前は、為替円安が進行すると、やや時間差を伴って輸出数量が増加するという関係が、比較的明確に観察されました。もっとも、為替円安によって輸出数量が増加する度合い、すなわち輸出の為替感応度は、リーマン・ショック以降大きく低下しており、最近は為替円安が輸出数量の増加に繋がりにくくなっています(図表9)3。この背景には、わが国企業が、リーマン・ショック直後に急激に進んだ為替円高を受けて、相対的に採算性の低い品目の海外生産シフトを進める一方で、日本国内では、価格競争に巻き込まれにくい高付加価値の財の生産に特化してきたことが影響しています。こうした生産拠点のシフトは、企業の価格設定行動にも、大きな変化をもたらしています。すなわち、かつては、自動車がその典型ですが、為替円安が進行すると、現地通貨建ての輸出価格を引き下げることで、輸出数量の増加を図る動きがみられました。しかし、近年は、輸出品の高付加価値化を受けて、そうした動きは影を潜め、むしろ、為替円安が進行しても、現地通貨建ての輸出価格を維持する傾向が強まっています。

次に、為替レートが企業収益に与える影響についてです。まず、為替円安は、輸出採算の改善を通じて、国内輸出企業の収益の増加に繋がります(図表10)。この円安時の輸出採算の改善効果は、国内で生産する輸出品の高付加価値化を背景に、近年、強まっていると考えられます。さらに、為替円安は、グローバル企業の海外事業の円建て収益を押し上げます。わが国企業は、1990年代以降、旺盛な海外需要を取り込むべく、海外生産を拡大する傾向にありました。さらに、リーマン・ショック以降の急激な円高を受けて、海外生産比率は一段と高まりました。この結果、為替円安が海外事業の円ベースでみた収益を押し上げる効果は、以前よりも大きくなっています。実際、近年、海外子会社からの配当の受け取りを含む経常利益は、日本国内での本業の稼ぎに当たる営業利益を、はっきりと上回るペースで増加しています。また、このことは、国際収支統計でみると、所得収支に含まれる直接投資収益の拡大として表れています(図表11)。以上のように、為替円安の企業収益への影響を考えるうえでは、わが国経済が、伝統的な貿易収支だけではなく、所得収支でも稼ぐ国へと変貌している事実を十分に踏まえる必要があります。

最後に、為替円安による輸入コスト上昇の影響についても触れておきます。わが国の国内で需要される財のうち、輸入品が占める割合を示す「輸入ペネトレーション比率」は、趨勢的に上昇しています(図表12)。財別にみると、この傾向は、とくに耐久消費財で顕著です。こうした輸入ペネトレーション比率の上昇により、為替レートが財価格に及ぼす影響は、ひと頃に比べて大きくなっていると考えられます。実際、日本銀行スタッフが定量的に分析した結果をみると、近年は、為替円安が耐久消費財の価格を押し上げる効果が強まっていることが確認できます4。このため、為替円安が、物価上昇を通じて家計所得に及ぼすマイナスの影響も、強まっている可能性があります。

以上のように、為替レートの変化がわが国経済に及ぼす影響は、構造的に変化しています。それでもなお、わが国における為替円安の動きは、方向としてみれば、経済と物価をともに押し上げるという基本的な構図に変化はない、と考えています。そして、わが国の消費者物価の上昇率は2%の物価目標を下回っていること、また、わが国のファンダメンタルズに照らせば、資本逃避を懸念するような状況にはないことを踏まえると、わが国にとって、為替レートの円安方向の動きは、基本的にプラスの効果の方が大きいということになろうかと思います。ただし、為替円安にはプラス、マイナス両面の影響があり、またそれらは個々の経済主体の事業内容や支出構造によって現れ方が様々であることには、十分な留意が必要であると考えています。

  1. 2Jean-Claude Trichet, "Central Banking in the Crisis: Conceptual Convergence and Open Questions on Unconventional Monetary Policy," Per Jacobsson Lecture 2013.
  2. 3この点に関する実証分析は、日本銀行「経済・物価情勢の展望」(2018年4月)のBOX2を参照して下さい。
  3. 4この分析については、日本銀行「経済・物価情勢の展望」(2016年10月)のBOX4を参照して下さい。

3.日本経済の成長力強化と物価安定目標の実現に向けて

次に、これまでご説明してきた金融政策と企業行動の関係を踏まえ、ポストコロナにおける日本経済の成長力強化に向けた課題について、お話しします。

わが国経済は、日本銀行が「量的・質的金融緩和」を開始した2013年以降、コロナショック発生直前の2019年まで、平均すると年+0.9%のペースで成長してきました。この間、わが国企業は、政府の政策の後押しもあって、「働き方改革」など労働環境の整備に努め、女性や高齢者の労働参加を強力に促してきました(図表13)。その結果、この間の雇用者数は、人口減少という逆風にもかかわらず、400万人を超える大幅な増加を示しました。もっとも、最近では、女性の労働参加率が既に米国を上回る高い水準に達し、人口の多い「団塊の世代」も70歳台半ばを迎える中で、女性や高齢者を牽引役に労働参加率をさらに上昇させていくことが難しい局面に入ってきています。そうした中で、わが国経済が成長力を維持・向上させていくためには、資本ストックの蓄積を図るか、生産性を高めていく必要があります。

この点で、設備投資や研究開発投資は、重要なカギを握ります。これらの投資は、新しい生産プロセスを導入したり、新しい財やサービスの誕生を促したりすることで、将来の需要自体を拡大させる効果を持ちます。また、新たな設備により、革新的な技術が生産工程に導入されると、生産性も高まります。さらに、多くの企業が連なるサプライチェーン全体について、デジタル化や脱炭素化を進める場合には、「投資が投資を呼ぶ」好循環に繋がる可能性も秘めています(図表14)。

今回のコロナショックを機に、デジタル化と脱炭素化の流れは全世界的に加速しています。こうした中で、わが国企業も、競争力を維持・向上させる観点から、この2つの分野での対応をしっかりと進めていく必要があります。この点で、わが国民間企業の研究開発投資のGDP比率は、主要先進国よりも高めで推移していることは心強いところです(図表15)。しかし、業種別にみると、自動車の電動化を進めている輸送用機械と、医薬品を含む化学、電気機械の3業種で全体の7割近くを占めており、研究開発投資の裾野を拡大させる余地は大きいように窺えます。デジタル化や脱炭素化の取り組みは、日本全体で進めていく必要がある点を踏まえると、幅広い業種で研究開発投資に取り組むことは喫緊の課題です。その際には、強力な知的基盤を持つ日本の大学への研究支援などを通じて、中長期的な視点から、基礎研究を推進していくことも重要な課題であると思われます。

生産性の向上のためには、企業の教育訓練投資など、人的資本への投資拡大を通じて、AIなどの高度なスキルを持つ人材を育成・確保することも必要です。実際、学術的な研究でも、企業の教育訓練投資は、サービス産業を中心に、企業の生産性をはっきりと高める効果を持つことが確認されています5。さらに、教育訓練投資によって労働生産性が高まった企業は、従業員の賃金を引き上げる傾向があります。つまり、教育訓練投資は、企業の費用負担による投資ではありますが、労働者にも賃金上昇というかたちで恩恵をもたらします。こうして生産性の向上と賃金の上昇という好循環が形成されれば、研究開発によって生まれてくる新たな製品やサービスに対する家計の購買力も高まっていくと考えられます。

本日縷々ご説明したように、日本銀行の大規模な金融緩和は、アベイラビリティ・チャネルや金利チャネルを通じて、事業活動や投資に取り組みやすい環境を提供しています。また、為替レートの安定的な推移も、企業活動を巡る不確実性の低下に繋がっています。そして、金融政策判断の拠り所となる日本のインフレ率は、欧米と異なり、物価目標を下回って推移しています6。このため、日本銀行の政策スタンスは、現在の「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」による強力な金融緩和を、粘り強く続けることが基本となります。このように、現在は、わが国企業にとって、低金利とこれまでに蓄積した内部留保を有効活用し、デジタル化や脱炭素化に向けた投資を増やしていくのに望ましいマクロ経済環境と言えます。企業の支出行動が積極化し、それに伴ってわが国経済の成長力が高まっていけば、金融緩和効果は一段と強まり、2%の物価目標の実現にも近づいていくことが期待できます。

  1. 5森川正之『生産性 誤解と真実』日本経済新聞出版社、2018年
  2. 6日本のインフレ率が欧米よりも低い背景については、例えば、黒田東彦「最近の金融経済情勢と金融政策運営――名古屋での経済界代表者との懇談における挨拶――」(2021年11月)を参照して下さい。

4.おわりに

最後に、来年の日本経済の展望とわが国企業への期待を一言申し上げて、本日の話を締め括りたいと思います。

来年は、これまで下押しとなってきた感染症の影響と供給制約が和らぐもとで、政府の新たな経済対策のプラス効果も加わってくるため、わが国の景気回復は本格化していく見通しです。来年は、マクロ経済的にみれば、ポストコロナに向けて本格的に歩み出すチャンスと言えます。

その際には、コロナ以前から積み重ねてきた事業モデルに囚われることなく、より高い収益性が見込まれるビジネス領域にヒト、モノ、カネといったリソースを大胆にシフトさせることがきわめて重要です。この点、米国では、感染症の拡大局面で、大規模な解雇やレイオフが行われました。このことは、経済活動が急速に再開した本年入り後の深刻な人手不足と供給制約、さらにはインフレ率の急速な高まりに繋がっているとみられます。他方、やや長期的な視点でみると、米国では、ポストコロナ社会に向けて、労働市場を通じたダイナミックな生産要素の移動が生じると予想されます。翻って、わが国企業は、感染症下の厳しい状況の中にあっても、長期雇用を重視し、基本的に企業内で労働力を維持してきました7。このことは、雇用の安定を確保し、経済再開への速やかな対応を可能とする素地を提供してきました。そうした中で、わが国企業がポストコロナ時代に予想される経済の構造変化に適応していくためには、個々の企業の内部で、より高い収益性が見込まれる事業に、経営資源を大胆に移していくことが不可欠です。来年が個々の企業にとって、ひいては日本経済全体にとって、新たな飛躍の一年となることを心より期待しています。

ご清聴ありがとうございました。

  1. 7感染症下でみられた日米間の企業行動や労働市場の違いについては、黒田東彦「日米経済界への期待:コロナ危機からの経済回復と気候変動問題への取り組み――第58回日米財界人会議における挨拶の邦訳――」(2021年10月)も参照して下さい。