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【挨拶】最近の金融経済情勢と金融政策運営和歌山県金融経済懇談会における挨拶

日本銀行副総裁 若田部 昌澄
2022年2月3日

1.はじめに

おはようございます。本日は、和歌山県の行政、経済、金融各界で活躍されている方々との懇談の機会を賜りまして、誠に光栄に存じます。ぜひ対面でお話を伺いたいと切望しておりましたが、新型コロナウイルス感染症の動向に鑑みまして、オンラインでの懇談になりました。皆様には、日頃より大阪支店の業務運営に多大なご協力を頂いており、厚くお礼申し上げます。和歌山県は、かつて南方熊楠のような世界的知識人、松下幸之助のような傑出した企業家を輩出した、歴史と文化を誇る土地です。代々の紀州藩主が、大畑才蔵のような才覚に溢れる農民を登用して紀ノ川流域の土木・治水事業を行い1、華岡青洲や本居宣長を召し抱えて学問の振興に努めたことも有名です。

本日は、世界と日本の経済の現状と見通しについて述べた後、日本銀行の金融政策運営、和歌山県経済の現状についてお話させて頂きます。

  1. 1安藤精一「『地方の聞書』解題」『日本農書全集 第28巻』農山漁村文化協会、1982年、96-119頁。

2.経済の現状と展望

(1)世界経済の現状と見通し

最初に、世界経済についてお話します。感染拡大以降の世界経済の動きを振り返りますと、感染拡大直後の2020年4から6月期には、経済活動は大幅に落ち込みましたが、その後は、比較的速いペースで回復を続けてきました(図表1)。2021年入り後は、先進国を中心に、ワクチン接種が進み、経済活動の再開も本格化しましたが、それと同時に、インフレ率も急激に高まりました。先進国の消費者物価の前年比は、米国で7%程度、欧州で5%程度と、いずれも数十年振りの高い上昇率となっています。感染拡大以前は、米欧でも、わが国と同様、デジタル化の進展などを背景に、物価は上がりにくくなっているとの理解が一般的でした。それだけに、最近の米欧のインフレ率の高まりは、専門家の間でも大きな驚きを持って受け止められています2。こうした感染拡大以降の世界経済と物価の動向を大掴みに理解するには、マクロ経済学の基本的なツールである総需要・総供給曲線の枠組みが有効です3

まず、2020年春の感染拡大直後は、ロックダウンなどの厳しい行動制限により、幅広い分野で経済活動が制約されました。この結果、個人消費を始めとする需要は大幅な落ち込みを示し、総需要曲線は、左方向に大きくシフトしました(図表2)。他方、外出・移動制限の影響に加え、感染症への警戒感もあって、労働力の供給も減少したことから、総供給曲線も左方向にシフトしました。このように、総需要と総供給が同時に減少した結果、経済活動の落ち込みが大きくなる一方で、物価の下落は比較的小幅なものに止まりました。

その後、各国の政府や中央銀行が、財政・金融の両面から大規模な景気刺激策を講じるとともに、経済活動の再開に伴って、感染症下で抑制されていた需要の巻き戻しが一斉に生じたことから、サービスよりも感染症の影響を受けにくい財を中心に、需要は急激に拡大しました。同時に、行動制限の解除に伴い、労働市場から退出していた人々が、職場に復帰すると期待されていましたが、感染症への警戒感の強い高齢者や、育児負担のかかる層を中心に、労働市場への復帰は鈍い状態が続いてきました。とくに、米国では、感染症を契機とした高齢者の早期退職の動きは大規模なものとなっており、「大いなる退職(Great Retirement)」などと呼ばれています。このように、経済活動の再開に伴い、総需要曲線は大きく右方向にシフトした一方で、総供給曲線の右方向のシフトは限定的なものに止まりました。こうして旺盛な需要の増加に供給が十分に追いつかない状態となり、経済活動水準は高まりましたが、物価もはっきりと上昇しました。最近の米欧におけるインフレ率の高まりの背景には、感染症が、需要面だけでなく、供給面にも無視できない影響を及ぼしていることがあります(図表3)。

以上が米欧を中心とした世界経済の現状ですが、先行きは、国・地域ごとのばらつきを伴いつつも、感染症の影響が徐々に和らぐもとで、先進国を中心とした積極的なマクロ経済政策にも支えられて、高めの成長を続けると予想しています。当面は、米国などでの労働市場等における供給制約が、経済活動の重石となるほか、賃金や物価の押し上げ要因となるものの、供給制約は次第に解消し、インフレ率も緩やかに低下していくと見込んでいます。ただし、供給制約の影響が長期化・拡大するリスクには注意が必要です。その他の世界経済のリスクとしては、各国におけるマクロ経済政策の今後の動向、とりわけ米国の金融政策の帰趨が資産市場と国際金融市場に及ぼす影響が挙げられます。国際金融市場での資本フローの変化は回復途上にある新興国経済に影響を及ぼし得ます4。また、中国の不動産部門などの調整が同国の潜在成長率の低下に繋がらないかも注目したいと考えます。さらに、地政学的リスクが資源価格やセンチメントに及ぼす影響も重要です。

  1. 2Furman, J., 2022, "Why Did Almost Nobody See Inflation Coming?" Project Syndicate, January 17.
    https://www.project-syndicate.org/commentary/2021-us-inflation-forecasting-errors-economic-models-by-jason-furman-2022-01.
  2. 3現実には、今回の感染症は、対面型サービス部門に特に強い負の影響を及ぼすなど、部門別の違いは極めて重要です。とはいえ、経済全体の動向を理解するには、これまでの分析手法も有効と考えます。
  3. 4国際的な金融循環については、以下の展望論文を参照してください。Miranda-Agrippino, S., and H. Rey, 2021, "The Global Financial Cycle," NBER Working Paper No. 29327. https://www.nber.org/papers/w29327.

(2)日本経済の現状と見通し

次に、日本経済です。日本経済の需要の回復は、高齢者を中心に消費者の感染症への警戒感が根強いことなどが影響し、欧米よりも、緩やかなペースに止まってきました。もっとも、昨年の秋口以降は、感染の落ち着きと緊急事態宣言の解除を受けて、サービス消費が回復傾向に転じる中で、わが国経済も、持ち直しが明確になってきています。

先行きのわが国経済は、感染症によるサービス消費への下押し圧力や供給制約の影響が和らぐもとで、外需の増加や緩和的な金融環境、政府の経済対策にも支えられて、回復していくとみられます。その後も、所得から支出への前向きの循環メカニズムが、家計部門を含め経済全体で強まる中で、わが国経済は、潜在成長率を上回る成長を続けると予想しています。実質GDPの成長率で表しますと、2020年度は-4.5%でしたが、2021年度は+2.8%とプラス転化し、2022年度は政府の経済対策の効果などから+3.8%へと加速する見通しです(図表4)。ただし、こうした見通しを巡っては、オミクロン株などの変異株を含む感染症の動向やその内外経済への影響を中心に、当面は下振れリスクが大きいとみています。そう申し上げたうえで、以下では、中心的な見通しの背後にあるメカニズムについて、少し詳しくご説明します。

まず、企業部門では、堅調な海外需要を起点とした、所得から支出への前向きの循環が先行きも働き続けると考えています(図表5)。輸出や生産は、昨年夏場には、東南アジアの感染拡大に起因する部品調達難の影響から一旦落ち込みましたが、秋以降は、そうした影響が和らぐ中で、回復しています(図表6)。先行きも、デジタル関連を中心としたグローバル需要の堅調な拡大に支えられて、輸出や生産は基調として増加を続けるとみていますが、オミクロン株がサプライチェーンに及ぼす影響には注意が必要です。企業収益は、資源価格の上昇による交易条件の悪化の影響を受けつつも、内外需要の増加を背景に、改善基調を続けると予想しています。そうしたもとで、設備投資は、対面型サービス部門の弱さは当面残るものの、企業収益の改善や緩和的な金融環境などに支えられて、デジタル関連投資や脱炭素化関連の研究開発投資といった成長分野を中心に、増加傾向が明確になっていくとみています。

こうした所得から支出への前向きな循環は、企業部門から家計部門へと徐々に拡がっていくと想定しています(前掲図表5)。個人消費は、当面、オミクロン株など感染症への警戒感が重石となるものの、ブースター接種も含むワクチンの普及などにより感染抑制と消費活動の両立が進むもとで、サービス等のペントアップ需要の顕在化もあって、回復していくと予想しています(図表7)。その後は、雇用者所得が人手不足感の強い業種での賃金上昇や正規雇用の増加などを受けて改善するもとで、個人消費は、ペースを鈍化させつつも、緩やかな増加を続けるとみています。

(3)物価動向

続いて、物価動向です。生鮮食品を除く消費者物価の前年比は、携帯電話通信料引き下げの影響がみられるものの、エネルギー価格の上昇を反映して、足もとでは+0.5%となっています(図表8)。先行きは、当面、エネルギー価格が上昇し、原材料コスト上昇の価格転嫁も緩やかに進むもとで、携帯電話通信料下落の影響も剥落していくことから、振れを伴いつつも、春頃には1%程度にまでプラス幅を拡大すると予想しています。その後は、エネルギー価格上昇による押し上げ寄与は減衰していきますが、需給ギャップの改善やインフレ予想の高まりなどによる基調的な物価上昇圧力は高まっていくことから、2023年度までの見通し期間終盤にかけて1%程度の上昇率が続くと考えています。

こうした見通しでは、需給ギャップの改善が続くもとで、企業の価格設定スタンスは徐々に積極化し、原材料コスト上昇の価格転嫁も緩やかに進むと考えています。前回の『経済・物価情勢の展望』(いわゆる展望レポート)までは、感染症や海外経済に起因する経済の下振れが物価に波及するリスクに加えて、物価は上がりにくいことを前提とした企業慣行や考え方が根強く残るもとで、需給ギャップの改善や原材料コストの上昇との対比で、物価の上昇ペースが鈍くなる下振れ方向のリスクを、より強く意識していました。もっとも、今回は、こうした下振れリスクだけでなく、最近の企業間取引での物価上昇や短観における企業のインフレ予想の高まりなどを踏まえると、上振れ方向のリスクも同時に意識されます。具体的には、先行き、個人消費の回復が続くと予想される中で、企業間取引だけでなく、川下の消費者段階でも、コスト上昇の販売価格への転嫁が想定以上に加速する可能性があります。このため、今回の展望レポートでは、物価全体のリスクバランスについて、上振れリスクと下振れリスクが概ね見合っていると判断することにしました。

3.金融政策運営

次に、金融政策についてお話します。昨年12月の金融政策決定会合では、本年3月に期限を迎える新型コロナ対応資金繰り支援特別プログラム(特別プログラム)について、中小企業等向けの資金繰り支援を半年間延長する一方で、大企業等向けは期限どおり終了することを決定しました。そもそも、特別プログラムは流動性危機への対応でした。感染症が最初に日本で流行したときには、企業は緊急的に流動性を求めて市場に殺到します。一方で、資金の出し手は少なくなりますから、市場での金利が急騰し、企業等が必要な資金を円滑に調達できなくなる惧れすらあります。特別プログラムは、企業等の資金繰り支援を目的としたものでした5。現在、コロナ禍は完全に収束してはいませんが、企業等の資金調達環境はかなり落ち着いてきています。ただし、中小企業の資金繰りには依然として不確実性が残っておりますので、引き続きしっかりと支援を続けていきます。

しかし、特別プログラムの修正は、現在行っている金融緩和政策の終わりを意味するものではありません。先ほど申し上げたように、日本では、物価上昇率はまだ2%の「物価安定の目標」に安定的かつ持続的に達しておりません。海外の中央銀行が、自国の物価上昇率が目標率を超えて上昇する中で、金融緩和政策の修正に乗り出しており、日本銀行も金融緩和政策の修正をすべきではないか、そうした議論をしているのではないかという推測が出ております。そもそも論として、現代では、金融政策は自国の雇用や所得などが安定的に発展するように、自国の物価の安定を目指して運営されるものです。現在は金本位制でもなければ、固定相場制でもありません。変動相場制のもとでは、中央銀行は自国の経済の安定化に専念するのが基本ですし、金融政策の正常化とは、「物価安定の目標」を安定的かつ持続的に達成することです6。感染症からようやく経済が持ち直している現状においては、目標達成前の金融政策の引き締めは、経済の回復の腰折れを招きかねず、時期尚早と言わざるを得ません。

  1. 5この意味では、特別プログラムは、金融危機時の流動性供給と似ています。
  2. 6ただし、資本フローや貿易、商品市場を通じた金融政策のスピルオーバーとそれがもたらす金融・貿易循環は重要な問題です。もっとも、それによって日本銀行の金融政策の自律性が制限されることはありません。

(1)欧米と比較した日本の物価動向

このことを最近の物価動向に即して、さらに詳しく説明します。先ほども申し上げたとおり、現在、生鮮食品を除くコアCPIの上昇率は、+0.5%にまで上昇しています。もっとも、さらにエネルギー要因も除いた、いわゆるコアコアのCPIでみたインフレ率は、-0.7%です。ただし、物価統計は、一時的な要因に影響される性質があり、この数字には、昨年4月に行われた携帯電話通信料の引き下げが影響しています。エネルギーを除くだけでなく、携帯電話通信料の引き下げなどの一時的な要因も除いた基調としてみれば、+0.7%となっています7

経済では常日頃から様々な個別価格は変動しますので、全体の物価が一時的に変動するのは、どこの国でも同じです。けれども、こうした一時的な要因によって経済全体の物価が左右されるようでは、物価が安定しているとは言えません。本来であれば、ある財やサービスの個別価格が低くなっても、節約された分で他の財やサービスへの支出が増えていきますので、やや長い目でみれば、物価への影響は小さくなるはずです。わが国で、一時的な要因が強く出る理由は、基調となる物価上昇率が低くなっていることにあります。日本銀行が「物価安定の目標」として、0%でなく2%を掲げている理由はいくつかありますが、その一つは物価上昇率が0%であると一時的要因からデフレに陥りやすいことが挙げられます。

ここで、米国や欧州と比較して、日本の物価動向の特徴をみてみましょう。そこには二つの特徴があります。第一に、日本ではサービス価格がほとんど上がっていません(図表9)。日米欧の物価動向を比較しますと、感染拡大前までは、どの地域でも財価格は似た動きをしております。サービス価格の大部分を規定するのは賃金です。日本でサービス価格が上がらないのは賃金が上がらないのが大きな要因です。なお、感染拡大後は、供給不足や対面型サービスから財消費へのシフトを反映して、米欧では財価格が上がっております。

第二に、日米欧を比較すると、人々が5年あるいは10年後といった将来について物価がどうなるかと考える予想――中長期のインフレ予想――の水準が異なることです(図表10)。例えば、エコノミストによる中長期のインフレ予想をみますと、米国が一番高く、欧州がそれに続き、日本が低い水準にあります。エコノミストと同様に家計や企業も将来について物価が上がらないと予想すると、現実にも物価が上がらないということになります。

  1. 7その他、帰属家賃の計算など、消費者物価統計には各種の課題があります。総務省統計局「消費者物価指数における課題とその対応について」2017年4月。
    https://www.soumu.go.jp/main_content/000480857.pdf.
    なお、よく価格が変わらずに量が変わるものについて価格調整はどう処理されているのかという疑問があります。こうした「隠れた値上げ」も、基本的には消費者物価指数には反映されています。
    https://www.stat.go.jp/data/cpi/4-1.html.
    物価指標の問題については、渡辺努『物価とは何か』講談社、2022年、11-75頁も有益です。

(2)金融政策の方向性

以上のことから、金融政策の方向性も自ずと決まってきます。それは、わが国の賃金を上げ、中長期のインフレ予想を上げることです。では、賃金を上げるにはどうすればよいのでしょうか。賃金が上がるには労働者の生産性の上昇が必要だという議論があります。これは景気循環を通してみると、概ね正しい議論ですが、いくつかの注意が必要です。現在のように経済全体の供給が需要を上回る状態――マイナスの需給ギャップが存在する場合――では、計測される生産性は必ずしも正しい数字になりません。要するに、需要がないから売れておらず、その分労働者の生産性が低くみえる、ということが起きるからです8。現在、日本では労働市場で完全雇用が達成されているとは言えませんので、労働生産性の測定には注意が必要です。また、景気循環と経済成長の間には、相互に強め合う関係がみられます。労働生産性の上昇には設備、教育訓練、研究開発など有形無形各種の投資が必要になります。そうした投資は好況の時には増え、不況の時には削られてしまいます。各種の投資があってこそ、賃金も生産性も上がっていきます9

したがって、賃金が上がるためには、経済全体の需要が増え経済が温まり、労働市場が引き締まっていく必要があります。それが投資の増加とも相まって労働者の生産性を上げていきます。これを「高圧経済論(High-Pressure Economy)」と呼びます10。もともとは米国で言われた考え方ですが、今の日本でこそ、高圧経済論を必要としています。しかし、企業にとっては、単なる賃金の引き上げは収益を圧迫します。そこで重要なのは企業が価格を上げることができる環境にあることです。企業にとっては賃金と物価の間にも相互に強め合う関係がみられます(図表11)。企業が価格を上げることができ、それによって賃金や投資が増え、賃金を受け取った家計が消費支出に回していくという良い循環を作ることが必要です(図表12)。

需要面については、現在、企業と家計には多額の「待機資金」があります(図表13)11。すなわち、企業部門では、感染拡大以降、不確実性の高まりなどを背景に、設備投資などへの支出は収益の改善対比で抑制される傾向にあったため、企業の現預金は積み上がっています。家計部門でも、外出機会の制限による消費機会の喪失や予備的貯蓄の増加により、手元資金が大きく積み上がっています。これらが支出されると、前向きの循環が強まります。こうした待機資金が活用されるためには、企業・家計の成長期待と、予想インフレ率という二つの「予想」が上がる必要があります(図表14)。政府の財政政策と日本銀行の金融政策といったマクロ経済政策と、政府の成長・分配政策が相乗効果を発揮して、総需要が拡大していくことを期待しています。

なお、金融政策の効果波及を巡っては、昨今一部で「悪い円安論」が唱えられています。為替の経済に及ぼす影響については、昨年12月の黒田総裁講演と1月に公表した展望レポートで詳しく分析しておりますが12、ここでは3点強調します。第一に、現在たしかに交易条件は悪化しておりますが、その要因の大部分は、外貨建てでみた原油などの輸入価格の上昇によるもので、為替の影響は相対的に小さめです(図表15)13。第二に、原油価格が上昇するときは、石油ショックのような状況を除いて、世界経済は回復基調にあります。そのため、交易条件が悪化する時期には、企業収益は改善する傾向にあります。第三に、実質実効為替レートを「国力」の指標として考えるという議論があります。実質実効為替レートとは、日本の物価、外国の物価、そして日本円と外国通貨の相対価格である名目為替レートの三つに依存して決まるものです。また、「国力」とは何か、というのは曖昧ですが、例えば実質GDPで考えるならば、順調に経済が成長している米国やドイツといった国の実質実効為替レートには、特定の傾向がみられません(図表16)14

  1. 8吉川洋『マクロ経済学の再構築:ケインズとシュンペーター』岩波書店、2020年、73-123頁;岩田規久男『「日本型格差社会」からの脱却』光文社新書、2021年、137-164頁。
  2. 9金融政策が労働参加率の変化を通じて経済の自動化にも影響を与え得るという研究については、以下を参照してください。Fornaro, L., and M. Wolf, 2021, "Monetary Policy in the Age of Automation," BSE Working Paper 1290.
    https://bse.eu/research/working-papers/monetary-policy-age-automation.
  3. 10高圧経済論を唱えたのは、以下の論文です。Okun, A. M., 1973, "Upward Mobility in a High-pressure Economy," Brookings Papers on Economic Activity, Spring, pp. 207-261.
    https://www.brookings.edu/wp-content/uploads/1973/01/1973a_bpea_okun_fellner_greenspan.pdf.

    日本銀行の研究については、以下を参照してください。日本銀行調査統計局「東京大学金融教育研究センター・日本銀行調査統計局第7回共催コンファレンス:『マクロ経済分析の新展開:景気循環と経済成長の連関』の模様」日本銀行調査論文、2018年。
    https://www.boj.or.jp/research/brp/ron_2018/ron180330a.htm/.
    開発壮平・古賀麻衣子・坂田智哉・原尚子(2017)「景気循環と経済成長の連関」日本銀行ワーキングペーパーシリーズ、No.17-J-8.
    https://www.boj.or.jp/research/wps_rev/wps_2017/wp17j08.htm/.
    米国における高圧経済論の評価については、以下を参照してください。Fatás, A., 2021, "The Short-Lived High-Pressure Economy," Voxeu, October 27.
    https://voxeu.org/article/short-lived-high-pressure-economy.
  4. 11これらの点については、前回の私の講演でも言及していますので、本日はポイントを絞ってご紹介します。詳しくは、以下をご参照ください。若田部昌澄「最近の金融経済情勢と金融政策運営――広島県金融経済懇談会における挨拶――」2021年9月1日。
    https://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2021/ko210901a.htm/.
  5. 12黒田東彦「金融政策と企業行動:金融政策の効果波及経路と日本企業の構造変化――日本経済団体連合会審議員会における講演――」2021年12月23日。
    https://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2021/ko211223a.htm/.
    「(BOX1)為替変動がわが国実体経済に与える影響」『経済・物価情勢の展望』2022年1月。
    https://www.boj.or.jp/mopo/outlook/gor2201b.pdf.
  6. 13輸入物価について、直近2021年12月の前年比をみますと、円ベースでは+41.9%、契約通貨ベースでは+33.3%であり、両者の差である9%弱が為替円安の直接的な影響です。
  7. 14日本の場合、実質実効為替レートは、1995年にかけて上昇し、それ以降下落しています。この背景には、名目実効為替レートでみて円高が進行したため上昇し、その後企業が価格を引き下げ日本経済がデフレに陥ったために下落した経緯があります。この点の解説については、岩田規久男『資本主義経済の未来』夕日書房、2021年、296-298頁を参照してください。

(3)「物価安定の目標」の安定的かつ持続的な達成に向けて

最後に、あらためて「物価安定の目標」2%のイメージを確認します。現在、日本銀行は「2%を安定的に持続するために必要な時点」まで、現在の「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」を継続すると公表しています。「2%を安定的に持続する」ということは、一か月、あるいは数か月間、消費者物価の前年比上昇率が2%に到達すれば、目標が達成されるというわけではありません。中長期のインフレ予想がアンカーされるかどうかも重要です。かつてFRBの議長を務めたバーナンキによれば、インフレ予想がアンカーされているとは「経済に加わったショックに対して、インフレ予想がほとんど反応しない」ことを意味します15。この点では、日本では、中長期のインフレ予想はショックに対して反応しておりますし、いまだ2%にアンカーされていません16

では、どのようにして2%にアンカーするのでしょうか。現在の物価上昇は、海外景気の回復を受けて資源価格が上がっているという輸入要因だけではなく、国内で経済活動が再開し始めたという国内要因にもよります。企業と家計のマインドはそれぞれ回復しています。金融政策は原油価格に直接影響を及ぼすことはできないので、仮に輸入要因で物価上昇が起きる場合には、そうした要因が経済に浸透し、そのうえで、賃金上昇率、予想物価上昇率がスパイラル的に上昇し、物価上昇率が目標値を上回るという二次的波及効果が生じるならば、金融引き締め政策をとるのが正しい対応です。ただし、中長期の予想物価上昇率が2%にアンカーされていない日本では、むしろこうした二次的波及効果も含め、インフレ予想の上昇を期待していますので、金融緩和を継続することが適切な政策対応になります。また、わが国では、人々のインフレ予想が現実の物価上昇率に影響を受ける度合いが大きいので、基調的な物価上昇率の実績値がある程度の期間2%あるいはそれを超える水準を達成し続けることが必要になります17

  1. 15Bernanke, B. S., 2007, "Inflation Expectations and Inflation Forecasting," speech given at the Monetary Economics Workshop of the National Bureau of Economic Research Summer Institute, Cambridge, MA, July 10.
    https://www.federalreserve.gov/newsevents/speech/bernanke20070710a.htm.
  2. 16法眼・大熊(2018)では、独自に推定した長期インフレ予想が1.5%程度にまで上昇すると「アンカー・ゾーン」に入るとの見解が示されています。ただし、これは推計値であり、サーベイ調査などで観察される実際の予想物価上昇率でみてどの水準まで上昇すれば「アンカー・ゾーン」に入るのか、どの程度の期間ゾーンに留まるのかは不確実です。詳細は、以下を参照してください。法眼吉彦・大熊亮一(2018)「日本におけるインフレ予想のアンカー:ラーニング・アプローチ」日本銀行ワーキングペーパー、No.18-J-1.
    https://www.boj.or.jp/research/wps_rev/wps_2018/wp18j01.htm/.
  3. 17基調的な物価上昇率をいかにとらえるかについては、以下を参照してください。川本卓司・中浜萌・法眼吉彦(2015)「消費者物価コア指標とその特性――景気変動との関係を中心に――」日銀レビュー、2015-J-11.
    https://www.boj.or.jp/research/wps_rev/rev_2015/data/rev15j11.pdf.

4.和歌山県経済の現状と展望

次に、和歌山県経済についてお話します。和歌山県は、石油や鉄鋼、化学等の素材産業が盛んなほか、果樹栽培でも知られています。こうしたもとで、和歌山県の景気は、ほぼ日本経済と同じ動きをしています。すなわち、鉱工業生産指数や個人消費は、2020年入り後、コロナ禍の影響を強く受けましたが、足もとは持ち直し基調にあります。この間、有効求人倍率も、求人数の増加を背景に緩やかに改善しています。

一方、中長期的にみると、和歌山県では人口減少が続いています。ただし、私自身はかねがね、経済論議において人口減少や少子高齢化の負の影響は過大評価されていると考えています。例えば、国際的にみると、人口増加率と一人当たり経済成長率の間に明確な相関関係はみられません。和歌山県でも、足もとこそコロナ禍の影響を受けていますが、それ以前の10年間でみると一人当たり県内総生産は増加基調にあります(図表17)18。少子高齢化は重要な課題ですが、そのもとでも十分に成長を享受することは可能です。過度な悲観論に陥ることなく、地域活性化に資する取り組みを着実に進めていくことが重要です。そこで大事なのは「働きやすさ」と「暮らしやすさ」の向上です。ここでは、和歌山県内のそうした取り組みを三つ取り上げます。

一つめは、未来に向けた投資です。和歌山県では、2017年に県勢発展のための10か年計画を策定し、新産業の創出に取り組んでおられます。この点、宇宙分野や情報通信分野の企業誘致を進め、串本町では日本初の民間ロケット発射場「スペースポート紀伊」の建設が決定するなど、具体的な成果もみられています。また、豊富な自然資源を活かし、太陽光、風力、バイオマス等の再生可能エネルギーの創出にも取り組んでおられます。こうした施策により、地域経済が活性化していくことを期待しております。

二つめは、街づくりです。和歌山市では、「官民連携による稼げる空間リノベーション」をテーマに新しい街づくりに取り組んでおられます。公共空間や遊休不動産を活用して、市の中心部に独創的で賑わいのある空間を創り出す活動が進められており、若者の転出超過の改善や子育て世代の転入による社会増を実現されています。こうした取り組みにより、和歌山市ひいては和歌山県全体の魅力が増していくことを期待しております。

三つめは、新技術を用いた風土、歴史、伝統の活用です。和歌山県は、高野山と熊野古道という二つの世界遺産に加え、森林が県土面積の8割を占め、豊富な水資源や広大な景観の海岸線を抱えることから、自然を活かした体験型観光など、豊富な観光資源を有しています。近年では、こうした地域資源を活かす観点から、グリーンツーリズムを促進しています。一方、和歌山県は、超高速ブロードバンドの整備率が99.9%、人口1人当たりのWi-Fi整備数も全国2位であるなど、通信環境の整備が進んでいます。こうした観光面とデジタル面の強みを活かし、全国に先駆けてワーケーションの普及にも注力されています。コロナ禍によるテレワークの拡がりといった社会変化を捉えた取り組みが、地域のさらなる発展に繋がることを期待しております。

和歌山県は、昨年誕生150周年を迎えました。この150年の間、県民や地元企業、金融機関、行政機関の方々が連携され、県の発展に尽くしてこられました。本日触れた取り組みも含め、今後も様々な取り組みが産官学金の連携のもとで着実に進められることで、和歌山県がさらに発展していくことを期待しております。

  1. 18人口減少・高齢化と経済成長の関係については、以下でも論じています。若田部昌澄「最近の金融経済情勢と金融政策運営――愛媛県金融経済懇談会における挨拶――」2020年2月5日。
    https://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2020/ko200205a.htm/.

5.おわりに

日本は、現在でこそ、デフレとはいえない状況になりましたが、長年、緩やかながら執拗なデフレに苦しめられてきました。そうしたデフレがなぜ悪いのかについて、かつてFRBの議長を務めたグリーンスパンは、デフレは企業から価格形成力を奪い、ひいては経済の活力を奪うと警鐘を鳴らしたことがあります19。実際、デフレの続いた日本では、企業は価格が上げられないために、賃金も上げられず、コストを抑えることに大変な努力を費やすことになりました。

日本銀行がそもそも「物価安定の目標」2%を設定して金融緩和を継続しているのは、単に物価が上がればよいからではありません。金融緩和の目的は、物価が下がる中で賃金、所得、雇用、企業活動が低迷した過去の教訓を踏まえ、賃金、所得、雇用が増え、企業活動が活性化されていく好循環の世界を作り出すためです。そうした好循環の世界を作り出すには、まだ時間がかかると考えられますが、世界でも日本でもコロナ後の新しい世界を目指す前向きの動きもみられています。日本銀行としては、そうした前向きの動きを確実なものにすべく、責務を果たす所存であり、これからもしっかりと日本銀行の政策意図を誤解なく伝えてまいります。

  1. 19Greenspan, A., 2002, "Issues for Monetary Policy," remarks before the Economic Club of New York, New York City, December 19.
    https://www.federalreserve.gov/boarddocs/speeches/2002/20021219/default.htm.

    渡辺努『物価とは何か』講談社、2022年、285-287頁に紹介があります。