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【挨拶】日本銀行金融研究所主催2022年国際コンファランスにおける開会挨拶の邦訳

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日本銀行総裁 黒田 東彦
2022年5月25日

1.はじめに

本日は、日本銀行金融研究所の2022年国際コンファランスに、各国・地域から識者の皆さまをお迎えすることができ、大変光栄です。コンファランスの主催者を代表して、ご参加頂きました皆さまに心から感謝申し上げます。

1983年に始めて今年で27回目となるこのコンファランスは、長引く新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響もあって、昨年に引き続いてのオンライン開催となります。昨年は、「ニューノーマルへの適応:COVID-19後の展望と政策課題」をテーマに広範かつ活発な議論を行い、非常に実りあるものになりました。しかしながら、その後、中央銀行を巡る環境は大きく変化しました。その結果、この1年間で、新たに議論すべきテーマが急速に拡大したと感じています。こうした課題について、まさに今、中央銀行、国際機関、学界で語り合うのに適したタイミングであると思います。

このような問題意識を反映して、本年のコンファランスでは、「中央銀行の迎える新たな局面とフロンティア」をテーマに掲げました。以下では、中央銀行が直面している新たな局面と、近年拡大を続けているフロンティアに対する中央銀行のチャレンジについて、具体的に概観したいと思います。

2.中央銀行の迎える新たな局面

最初に、中央銀行が現在直面している課題を2点挙げたいと思います。

インフレの高進

第1に、世界的なインフレの高進です。これは、多くの中央銀行および学界関係者にとって、COVID-19が発生した頃には予想することができなかった現象だと思います。今回のインフレの大きな特徴は、供給と需要両方の押し上げ要因が同時に生じたことです。供給面をみると、生産原材料の物流停滞や半導体等の部品不足、労働供給不足など、生産能力にかかる制約がインフレ要因となっています。需要面をみると、昨年から世界的に経済活動の再開が進むもとで家計の旺盛な需要が顕在化し、長引く感染症を背景としたサービスから財への需要シフトと相まって、とりわけ資源価格も含めた財価格に対する上昇圧力が生じています。

もっとも、こうした供給と需要面の圧力は、各国で共通点もあれば相違点もあります。例えば、日本では、家計のペントアップ需要がこれまでは限定的なこともあり、総需要の回復ペースが欧米と比べ緩やかになっています。また、供給サイドでは、中間投入財不足の影響はみられるものの、感染症のもとでのいわゆる労働保蔵の影響もあって労働供給には比較的余裕があり、供給制約は米国ほど強くないとみられます。労働供給スタンスの違いは、各国の賃金動向にも差異をもたらしています。日本では、賃金は上昇しているものの上昇幅は穏やかな水準に留まっています。また、最近の供給要因による資源価格高騰は、資源輸入国にとっては、家計の実質所得の減少や企業収益の悪化を通じた実体経済の下押しの影響が大きくなります。そのもとで、家計が受容できる価格を企業がどう見極め価格転嫁していくか注目されます。

このような違いがあるもとでは、各国で適切な金融政策対応もまた異なり得ます。各国で、それぞれのインフレ圧力の大きさと持続力を見極めることが共通の課題となっています。その際、3つの価格、すなわち財・サービス価格、賃金、資源価格の関係をどうとらえるかが一つのポイントになると考えられます。

地政学リスクの高まり

現在直面しているもう一つの課題は、ロシアのウクライナ侵攻による地政学リスクの高まりです。これは、資源価格をより一層高騰させ、インフレ率をグローバルに上昇させています。加えて、地政学リスクに関する不確実性はきわめて高く、貿易の縮小やコンフィデンスの悪化を通じて、先行きの世界経済を下押しする可能性があります。また、実体経済だけでなく、金融市場センチメントやグローバル金融システム、サイバーセキュリティの観点からも注視する必要があります。さらに、地政学リスクに関する見方が恒常的に変化すれば、貿易や資本フローの構造変化を通じて、グローバル経済により長期的な影響をもたらす可能性もあります。こうしたきわめて不確実かつ流動的な状況であることを認識したうえで、適切な政策対応を行っていくことが中央銀行に求められています。

3.中央銀行のフロンティア

以上のような足もとの課題に加えて、中央銀行が切り開いていくべきフロンティアと呼べる課題についても、このところ急速に拡大しています。ここでは3点指摘したいと思います。

経済の構造変化

第1のフロンティアは、感染症の長期化に伴い、経済の構造変化が一段と加速していることです。感染症前から進行していた社会・経済のデジタル化やオートメーション化の動きは、感染症が長期化するもとで、さらに拡大・深化しました。これに伴って、サプライチェーン再編の動きも見受けられます。また、先進諸国で趨勢的に拡大傾向にあった所得格差は、感染症の影響が逆進的であったことからさらに拡大し、その対応のための財政負担も増加しました。これら進行中の構造変化は、経済学的に言えば、潜在成長率や自然利子率、フィリップス曲線の形状の変化などを通じて、金融政策の効果や望ましい政策対応に変化をもたらす可能性があります。そのため、中央銀行は、変容していく経済構造とそれが物価と実体経済に与える影響に注意を払う必要があります。

気候変動対応

第2のフロンティアは、気候変動対応です。中央銀行の新たなドメインとなった気候変動対応は、この1年で様々な取り組みが大きく進展しました。気候変動リスク等に係る金融当局ネットワーク(NGFS)など国際会議での議論がより活発化しました。日本銀行も、昨年7月に気候変動に関する包括的な取り組み方針を公表しました。また、「気候変動対応オペ」を導入したほか、リサーチをはじめ各種施策に積極的に取り組んでいます。

気候変動問題への対応としては、一義的には、政府による産業・財政政策の役割が大きいと考えられますが、それを円滑に機能させるうえでは、市場メカニズムを如何に活用するかという視点も重要です。わが国でも国レベルの基本構想が示されたほか、欧州などで導入されている排出量取引のような枠組みもあります。それ以外にも、気候変動問題に対する企業の取り組みを市場が適切に評価することで企業の行動変容が促されるような市場機能の発揮も重要です。例えば、日本銀行が導入した「気候変動対応オペ」では、民間金融機関がもつ気候変動分野への目利き力を活用するとともに、資金供給の条件として、金融機関に一定のディスクロージャーを求めることで、市場からの規律が働くような工夫を施しています。気候変動に関する金融市場の発展を後押しするなど、市場規律の面から中央銀行の役割を考えることができるかもしれません。

マネーシステムの変革

第3のフロンティアは、デジタル化に伴うマネーシステムの変革です。各国の中央銀行は、中央銀行デジタル通貨(CBDC)に関する取り組みを進めています。日本銀行においては、本年4月にCBDCの基本機能に関する「概念実証フェーズ1」から、周辺機能を付加して検証を行う「概念実証フェーズ2」へと移行し、CBDCに求められる機能や特性についての検証を着実に進めています。

もっとも、より大きな論点として考えるべきは、デジタル化時代のマネーシステムをどう構築していくかという点です。現在、CBDCだけでなく、様々な民間デジタルマネーやステーブルコインが台頭し、マネーシステムの変革期を迎えています。マネーシステムとビジネスを支える情報システムを融合することで新たな需要創造を模索する動きもあり、マネーシステムの未来を考えることは成長の源泉の探索にも繋がると考えられます。さらに、マネーの国境を越えた役割を鑑みると、マネーシステムのあるべき姿は、一国だけでなくグローバルに考えていくべきテーマです。マネーに将来起こり得る変化が金融政策や金融安定に及ぼし得る影響について考えを十分巡らせながら、新たなマネーシステムをグローバルに設計・構築していくことが、中央銀行に求められています。

4.結び

以上のように、この1年間で、中央銀行を取り巻く局面が急速に変化するとともに、中央銀行のフロンティアにおける取り組みについて大きな進展がみられました。本年のコンファランスは、議論の時間を十分に確保するため3日間の開催とし、これまで述べたような幅広い課題について、参加者間で理解を深められるように構成しています。

前川講演では、ケネス・ロゴフ教授から、中央銀行の迎える新たな局面やフロンティアについてどのような知見が示されるのか楽しみです。基調講演では、カール・ウォルシュ教授から、現在生じているインフレ高進のメカニズムに関する知見と金融政策への含意について議論して頂きます。また、各セッションでは、金融政策のフロンティアに関連するテーマとして、経済的な格差、気候変動問題、デジタル通貨、経済のオートメーション化といった、中央銀行にとってきわめて重要なトピックについて、最先端の論文を取り上げています。それらの議論を踏まえ、最終日の政策パネル討論では、中央銀行や国際機関の識者によって活発な議論が行われることを楽しみにしています。

急速に世界が変化し、かつ不確実性がきわめて高いもとで、如何に環境変化に適応するかは、中央銀行にとって共通の課題です。中央銀行が、nimble(敏捷)、agile(機敏)、smart(スマート)に、環境変化に対応してこの難局を乗り越えていくために、今回の会議で新たな知見が得られることを期待しています。

ご清聴ありがとうございました。