【講演】デジタル化はわが国の金融経済にどのような変化をもたらすのか日本銀行金融機構局金融高度化センター20周年記念ワークショップにおける基調講演
日本銀行理事 高口 博英
2025年1月31日
はじめに
日本銀行の高口でございます。本日は、金融機構局・金融高度化センターの20周年記念ワークショップにご参加頂きまして誠に有難うございます。金融高度化センターは、2005年4月にわが国でペイオフが全面解禁となったことを契機に、日本銀行のプルーデンス政策を、それまでの危機管理重視から、金融システムの安定を確保しつつ、公正な競争を通じて金融の高度化を支援する方向へ切り替えるという方針のもとで設立されました。以来20年間にわたり、ワークショップやセミナーの開催、論文の公表等を通じて、金融機関の金融高度化に向けた取り組みを支援してまいりました。これまでの皆様のご協力に改めて感謝申し上げます。
なぜ、今、「デジタル化とわが国の金融の未来」を議論するのか
本日のワークショップのタイトルは「デジタル化とわが国の金融の未来」です。今回、このテーマを取り上げた理由は3つあります。第1に、近年のデジタル技術革新が、世界の金融サービスや金融業のあり方を非連続的に変化させつつあることです。本ワークショップで取り上げる生成AI、サイバーセキュリティ、クラウド、トークン化、耐量子計算機暗号などをめぐる新たな動きは、世界の金融経済に大きな機会とリスクをもたらしています。したがって、この時点で新しい技術の金融サービス、金融業における活用可能性や金融安定面の含意について議論することは、重要な意義があると思います。第2に、日本経済において、特にコロナ禍後、人口減少に伴う労働力不足が一段と顕在化していることです。労働力不足が供給制約となっている点は金融業でも同様であり、事業を継続・拡大していくうえで、デジタル技術を活用した労働生産性の向上が喫緊の課題となっています。他の先進国や新興国においても、時間軸は異なるにせよ、人口動態や労働生産性が共通の課題となっている国は少なくありません。第3に、日本経済固有の現象として、物価情勢が変化していることがあります。物価上昇率が高まっていることや、そのもとで金利が緩やかに上昇していることは、新たな金融サービスに対する需要を生み出しています。例えば、日本の家計の金融資産約2,200兆円の過半は現預金ですが、今後、インフレヘッジが可能な金融資産への分散投資ニーズが高まっていくと考えられます。また、こうしたもとで多くの企業で企業価値の上昇が継続しており、事業承継、M&A、LBOなど事業構造改革に取り組みやすくなっていることから、これを支援する金融サービスへの需要につながっています。一方で個々の家計や企業のニーズは一段と多様化していることから、質・量・速さの面で高度な情報処理能力を伴った新技術は、金融業がこうした需要に応えるための経営資源を捻出するとともに、より顧客満足度の高いサービスを提供することを可能にすると考えられます。
こうした問題意識を踏まえて、以下では本ワークショップの導入として、(1)デジタル化の歴史、(2)デジタル化が金融機能にもたらす機会とリスク、(3)デジタル化は生産性を向上させるか、(4)金融サービスのデジタル化を効果的に進めていくために何が重要か、の4点についてお話ししたいと思います。
デジタル化の歴史
デジタルという言葉を生成AIを使って検索すると、やや抽象的ですが「デジタルとは連続的な値を区切って数値化した離散的な値を扱うことを意味し、光や音など自然界で観察される連続的な値を扱うアナログと対をなす概念である」という答えが返ってきます。デジタル化は、アナログをデジタルに変えることであり、離散的なデジタルデータがコンピュータやインターネットなどによる電子処理の大前提となっていることはいうまでもありません。
図表1は過去30年のデジタル技術の進展のうち、日本の金融サービスに関係が深いものを示しています。技術革新は多くの場合、連続的で漸進的なものですが、社会経済への影響という観点からは、新しい技術・サービス・商品の普及が非連続的な変化をもたらすこともあります。金融業においても、コンピュータ処理能力の飛躍的向上に加えて、インターネット・光ファイバー・スマートフォン・Wi-Fiの普及、ハードウェアとソフトウェアのオープン化、クラウドの進展などが、既存業務の効率化や決済分野を中心とするオンラインバンキングなどを大きく進展させてきました。さらにブロックチェーンと分散型台帳技術は、ステーブルコインなどの登場をもたらしています。
デジタル化が金融機能にもたらす機会とリスク
では、今後、デジタル化はわが国の金融をどのように変化させていくのでしょうか。図表2は、デジタル化が金融機能にもたらす機会とリスクについて整理したものです。ここでは、金融の主な機能を、(1)資金の仲介、(2)リスクの移転・分散、(3)決済手段の提供と定義していますが、これらの機能はデジタル化の有無にかかわらず、いつの時代も不変と考えられます。もっとも、これらを実現するための貸出、預金、株式・社債の発行・流通、与信審査、デリバティブの組成、ポートフォリオ管理、振込・送金・クレジットカード決済等の金融業務は、「人手と紙」に依存したアナログ処理をデジタル化することで、効率化と高付加価値化が進んできました。金融は情報産業であり、金融サービスを提供するうえで不可欠な信用リスク・市場リスク・流動性リスクのプライシング、ALMによるリスク管理、決済、勘定計理と記帳、本人確認等の中核業務は大量の情報処理を伴うものであるため、デジタル化の効果が発揮されやすいといえます。
この点、最近のデジタル化について特徴的な点が3つあると思います。1つめの特徴点は、デジタル化されたデータの急速な増大です。例えば、スマートフォンやインターネットによる顧客接点のデジタル化を通じて、入力段階からデジタル化されたデータの蓄積が進んでいます。また、文章、音声、画像などの非構造のビッグデータの蓄積も進展しています。アナログとデジタルのインターフェースが円滑化しているともいえると思います。
2つめの特徴点は、データ処理能力の大幅な向上です。大規模言語モデルが注目されている生成AIは、トランスフォーマーと呼ばれる仕組みや高性能プロセッサーのGPUの活用により、大量のテキスト情報や画像情報を高速で演算・加工処理できるようになりました。また、デジタルデータは、詳細な顧客情報を含む高粒度データも多く、これと生成AIや深層学習、機械学習などを組み合わせることで、借入や資産形成、事業再構築などを含めて、個々の顧客ニーズに即した付加価値の高い金融サービスを、より幅広くかつタイムリーに提供できるようになる可能性があります。これは、金融サービスの一段の効率化と高付加価値化につながると考えられます。さらに、新たなビジネスモデルも生まれるかもしれません。例えば、最近注目されているトークン化は、「分散型台帳技術を利用した証券化2.0」という性格を有しており、本日も議論があると思いますが、幅広い資産のデジタル化に資する一方で、国際金融危機時に指摘された証券化の課題や分散型台帳技術に関する課題への対応の可否が鍵になると考えられています1。
3つめの特徴点は、デジタル化の進展に伴い、リスクも拡大している点です。金融安定の観点から最も重要なものはサイバーリスクです。これはデジタルネットワークの急速な拡大が背景にあり、地政学リスクの高まりとともに脅威が増しています。また、クラウドサービスの進展に伴い、サードパーティリスクや集中リスクへの対応も重要性を増しています。さらに、デジタル化により円滑に金融サービスを受けられるようになる一方で、プライバシーや情報セキュリティとのバランスがより重要な課題となっています。このほか、図表3のとおり生成AIに関するリスクとして、ハルシネーションや偽情報、アウトプットのバイアスやブラックボックス化、著作権の侵害、モデルの共通化による群衆行動の拡大、金融詐欺への利用等が指摘されています。これらの多くは、「大量のデジタルデータから深層学習して確率的に最も問いに適合的と考えられる答えを返す」という生成AIの仕組み自体に起因するものです。
このように考えると、最近のデジタル化は、これまでのように既存業務の効率化や決済分野のオンライン化にとどまらず、金融サービスと金融業全体のあり方を大きく変化させていく可能性をもっていると考えられます。その際、デジタル化に伴うリスクを統制しながら、効用を最大限に享受するための適切な枠組みが必要となります。外部環境をみても、金融機関においても人手不足感が強まる一方で、金融サービスへのニーズは質・量ともに高まる方向にあります。供給制約により収益機会を逸失するリスクを回避するためにも、デジタル化によりビジネスのあり方を変えていくことは、わが国の金融機関経営上、より重要な課題になっていると思います。
- 1Financial Stability Board(FSB)の(1)証券化や(2)トークン化に関するレポートは以下を参照ください。
- (1)FSB (2025), "Evaluation of the Effects of the G20 Financial Regulatory Reforms on Securitisation: Final Report."
- (2)FSB (2024), "The Financial Stability Implications of Tokenisation."
デジタル化は生産性を向上させるか
ここでやや逆説的な問いになりますが、デジタル化は本当に生産性を向上させるのでしょうか。この点については、最近注目されている生成AIに関して、興味深い2つの研究があります2。図表4の左図は、昨年ノーベル経済学賞を受賞されたMITのアセモグル教授の論文からの引用です。これによると、AIは経済成長率を大きく高めるわけではなく、生産性上昇率とGDP成長率への寄与は10年間でそれぞれ0.53%、0.93%とされています。一方、右図は、OECDのエコノミストであるフィリプッチ氏ほかの論文からの引用です。これによると、生成AIにより自動化できる業務と、人間が生成AIを活用することで支援されうる業務の両方で、時間節約による相応の生産性向上が期待できるとされています。なお、生成AIにより、研究開発や情報通信技術、金融など知識集約型のビジネスで大幅な生産性の上昇が示唆される点も注目されます。2つの研究結果の違いの背景については、「生成AIで代替可能な業務についての認識には大きな差異はないが、支援されうる業務における生産性上昇の評価に差異がある」との指摘があります。このことは、人間が生成AIをどの程度使いこなせるかで生産性の向上に大きな差異が生じうることを示唆しています。この点は、人工知能学会会長で慶應義塾大学教授の栗原聡先生が「現在のAIは道具であり、発揮される効果は道具を使う我々次第である」3とされていることや、生成AIの活用において、効果的な問いや指示の与え方を工夫するプロンプトデザインの重要性が指摘されていることとも整合的です。
一般に新技術が登場した場合、それがどの程度経済全体の生産性の上昇につながるかは、社会制度を含めた新技術の受入れ度合いによるとする研究もあります4。換言すれば、新技術を使いこなすためのエコシステム──すなわち、システム、人材、新技術の活用ノウハウ、ガバナンスとリスク統制体制、通信インフラ、規制や行政制度などの全体的な枠組み──が、企業や社会でどの程度上手く構築できるかが鍵となるということだと思います。新技術だけでなく、こうしたエコシステムの構築自体がイノベーションだとすれば、工程管理や制度設計に強みを持つわが国の企業や金融機関が、生成AIなどのデジタル技術の優れたユースケースを見出すことは期待できると思います。
すでに一部の金融機関や企業では、試行錯誤を許容するアジャイルなかたちも含めて生成AIの試用に着手しています。そのなかでは、例えば、プログラミングやタクシー運転手による顧客探索など定型的業務に生成AIを適用した場合、習熟度の低い人の方が習熟度の高い人に比べて生産性の上昇が大きいなど、活用方法を考えるうえで有益な知見も蓄積されつつあります5。また、通信インフラについては、わが国の光ファイバーの普及率は99.8%、スマートフォンの普及率も90.6%であるなど、デジタル化のインフラ基盤は整備が進んでいます。公的なデジタルインフラとしては、マイナンバーカードの取得者は全人口の77.1%に達しているほか、本人確認のためにマイナンバーカードにより氏名・住所・生年月日・性別がオンラインで認証できる公的個人認証サービス(JPKI)などの普及が進んでいます。
- 2AIが生産性に及ぼす影響については、例えば、以下をご参照ください。
- (1)Daron Acemoglu (2024), "The Simple Macroeconomics of AI," Economic Policy 39(120).
- (2)Francesco Filippucci et al.(2024), "The Impact of Artificial Intelligence on Productivity, Distribution and Growth: Key Mechanisms, Initial Evidence and Policy Challenges," OECD Artificial Intelligence Papers No. 15.
- (3)Francesco Filippucci, Peter Gal, and Matthias Schief (2024), "Miracle or Myth? Assessing the Macroeconomic Productivity Gains from Artificial Intelligence," OECD Artificial Intelligence Papers No. 29.
- 3栗原聡「AIにはできない 人工知能研究者が正しく伝える限界と可能性」角川新書、2024年。
- 4例えば、関連する論文として、以下を参照ください。
- (1)Stephen L. Parente and Edward C. Prescott (1994), "Barriers to Technology Adoption and Development," Journal of Political Economy 102(2), 298-321.
- (2)Kosuke Aoki, Naoko Hara, and Maiko Koga (2017), "Structural Reforms, Innovation and Economic Growth," Bank of Japan Working Paper No.17-E-2.
- 5例えば、プログラミングなどにおけるAIの活用としては、以下をご参照ください。
- (1)Bank for International Settlements (2024), "Artificial Intelligence and the Economy: Implications for Central Banks, " BIS Annual Economic Report, Chapter III.
- (2)Kyogo Kanazawa, et al.(2022), "AI, Skill, and Productivity: The Case of Taxi Drivers," CIRJE F-Series CIRJE-F-1202, CIRJE, Faculty of Economics, University of Tokyo.
金融サービスのデジタル化を効果的に進めていくために何が重要か
それでは、金融分野でデジタル化を効果的に進めていくために重要な点は何でしょうか。図表5のとおり、金融分野のデジタル化は金融仲介のコスト低減と与信量の拡大により、企業の資本蓄積を通じて生産性を向上させ、これが企業や家計のデジタル化による生産性の向上と相まって経済成長につながると考えられます。さらに経済成長は、企業や金融機関の収益を拡大させ、こうした前向きな循環を一段と高める方向に作用します。これは、図表6のように主要国の中でやや伸び悩んでいるわが国の生産性の向上に資するものです。
このような金融分野のデジタル化を実際に進めていくうえで重要と考えられる点として、以下では、(1)経営トップのコミットメント、(2)業務の変革、(3)リスク統制、(4)人材育成、(5)関係者の協調、の5点について述べたいと思います。
(1)経営トップのコミットメント
第1に、デジタル化を進めていくうえで最も重要なものは、経営トップのコミットメントです。これは、デジタル投資や業務の変革、リスク統制、人材育成等はいずれも相互に連関する大変重要な経営判断であるためです。
(2)業務の変革
第2に、デジタル化の鍵は、デジタル化により効率化と高付加価値化を実現できるように業務のあり方自体を変革できるかにあります。これは、定型的な業務はデジタル化によりできるだけ省力化し、高付加価値な業務は生成AI等を活用して生産性を向上させることが基本になると考えられます。ただし、いずれの業務においても、生成AIは一定の確率で誤りうることから、人間が関与する必要があります。
この点、先ほどのプログラミングの例のように、現行業務をすでに習熟度が高い人が行っている場合、コストをかけて業務を変革しても生産性は追加的に上昇しない可能性があります。このような場合には、どのような段取りやペースで業務を変革するかが論点となりえます。
(3)リスク統制
第3に、金融安定の観点からは、デジタル化に伴うリスクを如何に統制するかが大変重要です。特にサイバーリスクやサードパーティリスク・集中リスクへの対応は優先度が高い課題です。サードパーティリスクについては、アウトソース先のガバナンスや責任分界点、初期条件の設定リスク(configuration risk)の統制などが重要となります。また、プライバシーや情報セキュリティへの対応は、顧客の同意を得て取得した情報を厳格に保護することが基本となりますが、匿名化や差分プライバシー、秘密計算6などの技術を利用することも有用です。
上述した生成AIに関する様々なリスクは、金融安定理事会など国際会議においても、金融安定面のリスクとして活発に議論されています。もっとも、生成AIは海外では実装されはじめており、今後はわが国も含めて金融分野での利用は広がっていくとみられます。立法による規制の動きもみられますが、少なくとも当面は、最終的な判断には人間が関与することで、リスク統制することが基本になると思います。なお、日本銀行も内部的に研究をはじめており、試行的にプログラミングや翻訳等に活用しています。
このほか、2023年春の銀行混乱の教訓として預金の流出速度の上昇やソーシャルメディアによる信用不安の伝播、高頻度取引やアルゴリズム取引におけるモデルの共通化による市場ボラティリティの上昇などに留意が必要です。
- 6詳しくは、日本銀行決済機構局(2022)「プライバシー保護技術とデジタル社会の決済・金融サービス」、決済システムレポート別冊シリーズ、をご参照ください。
(4)人材育成
第4に、デジタル人材の育成です。デジタル化を推進するとともに、デジタル化により見直した業務を担えるように、定型的な業務と高付加価値な業務の双方で、戦略的かつ組織的に人材のリスキリングを進めていく必要があります。即効性のある対応として外部から採用することも考えられますが、需給は逼迫しており容易ではありません。デジタル人材の育成には時間を要しますが、技術者だけでなく、実務から経営まで様々なレベルでデジタル化に関する知見を高めることが鍵となります。
(5)関係者の協調
第5に、関係者の協調です。デジタル化はネットワーク外部性を有することから、わが国全体のデジタル化を進めていくうえでは、金融機関だけでなく事業会社や政府・地方公共団体のデジタル化や事務の標準化をさらに進めていくことが重要です。デジタル化は規模の経済が働くことから、非競争分野のシステムの共同化やクラウド化が拡大する可能性もあると考えられます。また、特に中小企業にとっては、政府や金融機関によるデジタル化支援は大きな後押しになると思います。
これらはいずれも、すでに多くの金融機関で取り組まれていると思いますが、今後、より一層重要性を増していくとみています。日本銀行の金融高度化センターおよび地域金融サポートユニットでは、関係者の皆様のこうした取り組みを引き続きご支援していきたいと考えています。
結びに
ここまで、デジタル化がわが国の金融経済にもたらしうる変化について、いくつかの視点からお話しさせて頂きました。本日は、デジタル技術と金融サービスの双方に関する第一線の専門家の方々にご登壇頂き、最新の情勢や課題認識、実務面での取り組み等についてお話し頂く予定です。第2部では、デジタル化により、いかに金融サービスの効率性と付加価値を高めていくかについて、また第3部では、デジタル化に伴うリスクを統制しながら、いかに安定的に金融サービスを提供していくかについて、それぞれお話を頂きます。第4部では、東京大学教授の柳川範之先生から総括をして頂きます。
最後になりますが、本日のワークショップが参加頂いた皆様にとって有意義なものとなるとともに、今後のネットワークのきっかけになることを祈念いたしまして、開会挨拶とさせて頂きます。ご清聴ありがとうございました。