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第7章 決済の実行4.時点ネット決済とその問題点

時点ネット決済の仕組み

RTGS――即時グロス決済――が導入される以前において、中央銀行では「時点ネット決済」という方式で銀行間の決済が行われていました。「時点ネット決済」というのは、次のような方式です。

  1. (1)まず、中央銀行に当座預金を置く銀行が中央銀行に向けて、振替の指示を発信します。その際、「時点ネット決済」においては、中央銀行が実際に振替を行うタイミング(=時点)が――例えば午後1時、3時、5時という具合に――予め決まっていて、基本的にこれ以外のタイミングは選べないようになっています。したがって、銀行が発信する振替の指示には、「相手先」と「金額」(何々銀行に○○円振替えよ)だけではなくて、中央銀行が振替を実行すべき「時点」の指定(その振替は○時に行え)も含まれるのです。
  2. (2)中央銀行には朝からこのような指示がたくさん届けられます。中央銀行はこれらの指示を、指定された決済時点別に――「午後1時に決済するもの」、「午後3時に決済するもの」という具合に――分けておきます。そして、それぞれの決済時点が到来しますと中央銀行は、その時点を指定した全ての指示を整理して、その決済時点における各銀行の「差引き支払額」(「その銀行が、よその銀行たちに支払う金額の合計」マイナス「その銀行が、よその銀行たちから受け取る金額の合計」)を算出します。もちろん、「よその銀行たちから受け取る金額の合計」の方が大きい銀行については、この計算結果はマイナスの数字になりますから、「差引き受取額」が算出されたことになります。
  3. (3)こうして各銀行について「差引き支払額」または「差引き受取額」を算出したあと中央銀行は、この計算結果に基づいて各銀行の当座預金残高を減らしたり(差引き支払となっている場合)、増やしたり(差引き受取となっている場合)することで決済を実行します。

すでにお話ししたように、差引き支払額のことを「負け額」――差引き受取額のことを「勝ち額」――、負け額を支払う側の銀行を「負け銀行」――勝ち額を受け取る側の銀行を「勝ち銀行」――と呼びますが、全ての「負け銀行」が「負け額」を払出すことができ、全ての「勝ち銀行」が「勝ち額」を受け取れば、決済は完了です。一般に、「負け銀行」の当座預金から「負け額」分を減額することと、「勝ち銀行」の当座預金を「勝ち額」分だけ増額することは、同時に行われますが、イメージとしては、全ての銀行が1つのテーブルを囲んで立っており、各「負け銀行」が「負け額」をテーブルに投げ出して積みあげる。次にこの山から、各「勝ち銀行」が自分の「勝ち額」を取っていく――というかたちで決済が行われるわけです。

時点ネット決済の仕組みを示したイメージ図。毎日17時に決済する場合において、中央銀行が、各銀行からの振替指図を計算・整理した結果、17時時点のA行の受払差額が+1,000億円、B行が-4,000億円、C行が-2,000億円となる設例を示している。

時点ネット決済の危なさ

この「時点ネット決済」という方式においては、お分かりのように、決済の直前にネッティング(ペイメント・ネッティング)が行われています。つまり、「銀行間のたくさんの取引を差引きして各銀行の負け額・勝ち額を算出し、全ての銀行が負け額・勝ち額を決済できたら、全ての銀行の間における全ての取引が決済できたことにしよう」というものなのです。

そうした負け額・勝ち額の決済(中央銀行当座預金の減額・増額)が毎日の決まった時刻に行われる――これが「時点ネット決済」という方式です。このようにネッティングが組み込まれていることから、「時点ネット決済」にはネッティングに固有の問題点――「負け銀行」が1行でも「負け額」を決済できないと(=決済時点において「負け額」に見合う当座預金残高を持っていないと)全ての銀行の全ての決済が行われなくなってしまうという問題点――が存在しています。

このような問題点があっても、銀行倒産がありえない世界においては「時点ネット決済」を採用しても問題は大きくありませんでした。銀行は倒産しないわけですから、仮に決済時点で当座預金残高が足りない「負け銀行」があったとしても、この「負け銀行」に短期間おかねを融通してやろうという銀行が現れて、「負け銀行」は必ず「負け額」を決済できるからです(もちろん、そういう場合、急におかねの融通を受ける銀行としては相当に高い金利を払わされる可能性がありますが)。

ところが、銀行破綻がありうる環境においては、「決済不能に陥りかけた銀行に対してどの銀行もおかねを融通したがらない」というケースが十分に起こり得ます。そうなりますと、この銀行が負け額を支払えないことから、全ての銀行の全ての決済が行われなくなってしまい、その結果、それらの銀行を使っておかねをやりとりしようとしていた個人や企業の決済も出来なくなってしまいます。

モラル・ハザードの問題

決済が円滑に行われないと、その国の経済活動全体が混乱してしまいますから、こういう事態は放置できません。そこで、最終的には中央銀行が立ち上がって、誰もおかねを貸そうとしないこの銀行におかねを貸すことになりかねません。ところが、誰もおかねを貸そうとしない銀行というのは、破綻の可能性が相当に高い銀行と考えられますから、このことは中央銀行が損失を覚悟で危ない銀行を助けるということを意味します。

その結果、中央銀行が貸したおかねを返してもらえず、損をしてしまいますと、このことは、おさつを発行する者の財産の中身が健全でなくなってしまうことを意味します。はじめの方でお話ししたとおり、きちんとした財産の裏づけのない者が発行したおさつは、これを持つ人に対し「これはただの紙切れではないか」という不安を与え、おかねにとって重要な「共通の信念」を揺がすことにつながりかねません。銀行の破綻がありうる環境の下で時点ネット決済を採用することは、このように人々のおかねに対する信頼を弱め、世の中における決済の円滑さを損いかねないわけです。

また、いま見たように「時点ネット決済」が採用されていると、「誰もおかねを貸そうとしない銀行が負け額を払えなくても、必ず中央銀行がおかねを出すから心配無用」という認識が銀行の間に広がりがちです。銀行がこのような認識を持った場合、その銀行においては、万が一にも「負け額」の決済が出来なくならないよう資金繰りに万全を期すとか、よそから高く信用され続けるよう努力する、という気持ちがどうしても薄れがちとなってしまいます。こういう「自分自身でしっかりやろうという気持ちの薄れ」のことをモラル・ハザード(moral hazard)と言いますが、「時点ネット決済」というのは、モラル・ハザードを生じさせやすい決済方式でもあるのです。