このページの本文へ移動

第9章 決済の安定2.私的動機と公共目的

個別の銀行がやろうとしないこと

このため、個別の銀行としては「自分の取引相手の決済不能に備えたい」と考えて、そのために必要な対策は進んで持とうとしますけれども、システミック・リスクを小さくするという目的のためには自ら費用をかけて対策をとろうとしないのです。喩えて言えば、各家庭が、自宅の雨漏りは自分で直すけれども、大雨で川が氾濫しないように自費で堤防を作ろうとはしないことと似ています。川が氾濫して町が水浸しになることは社会全体からみて明らかに困ったことであり、こういうリスクを小さくしておくことは公共の利益をもたらします。しかし、この公共の利益を各家庭の私的動機によって実現することは困難です。

個別の銀行は、「自分の取引相手の決済不能に備えたい」と考えて、そのための対策は進んで持とうとする(私的動機)一方、システミック・リスクを小さくするという目的(公共目的)のためには、進んでコストを掛けようとはしないことを示すイメージ図。

決済システムにおけるシステミック・リスク対策も同じことで、決済システムを利用する銀行としては「自分が直接目に見えるメリットを得るわけでもないのだから、そのようなリスク対策は誰か別の人の負担で行えばよい」というふうに考えがちです。しかしシステミック・リスクは、一旦これが現実のことになりますと、その原因となった銀行が自分と取引を行っていようがいまいが、どの銀行にも影響が及んで決済を混乱させたり、損失を発生させたりするものです。その結果、もちろん、決済のために銀行を利用している個人や企業にも広範にトラブルが広がっていきます。

世の中の決済が現実に混乱したり、あるいは混乱の可能性が大きいまま放置されていますと、人々の「おかね」に対する安心感が損なわれて、経済活動が安定的に行えなくなってしまうでしょう。決済の安全と効率はトレード・オフの関係にある、というお話をしましたが、システミック・リスクを抑制して安全性を確保することは、実際のところ「安全と効率のトレード・オフを議論する以前の問題だ」と言ってもよい、重要なことなのです。

中央銀行の動機

このように大切な「システミック・リスクの削減」が、決済システムやその参加者の私的動機によって十分に実現できないとなりますと、そこに公共部門の役割が生じてきます。とくに、世の中におかねを提供し銀行間決済の場となっている中央銀行は、決済が混乱することのないよう、また混乱の可能性を小さくするよう努力する責任を負っています。具体的には、中央銀行は安全で効率的な決済の実現という公共の目的(=「公的動機」)に基づいて、自ら安全で効率的な決済サービスを提供しようとします。

中央銀行の提供する決済サービスが安全なだけでなく、効率的でもあることが必要なのはなぜでしょうか。それは、せっかく安全な決済サービスを提供しても、その使い勝手が悪かったり、料金が高過ぎるようですと、結局利用されなくなってしまうからです。安全だが使われないシステムでは、実際、何の意味もありません。

同時に、決済の事前段階で取引の計算・整理を行うクリアリング・システムなど、中央銀行以外の組織によって運営される決済システムについては、「クリアリングの結果が確実に決済されるよう十分なリスク対策が施され、決済全体の安定が脅かされていないか」という点を日常的にモニターし、必要な改善を働きかける仕事を行うのです。中央銀行のこのような仕事は、「中央銀行の外にある決済システムの仕組みを診断して改善を促す」という意味で「決済システムのオーバーサイト(oversight)」と呼ばれ、各国の中央銀行の大切な仕事となっているのです。

決済システムに対する中央銀行の行動原理が「システミック・リスクの削減」であることを板書風に示した図。この具体的な行動として、「安全で効率な決済サービスの提供」、「中央銀行の外にある決済システムの診断、改善の奨励」があることも示している。