【講演】技術革新と地政学リスクの下での通貨・決済システムの未来2025年度FISCエグゼクティブセミナー講演
日本銀行決済機構局長 武田 直己
2025年7月31日
目次
- はじめに
- 1.米国大統領令の反響
- 2.中央銀行デジタル通貨
- 3.ステーブルコイン
- 4.現代の通貨・決済システムの特徴と課題
- 5.国際決済インフラの改善
- 6.リテール決済における中央銀行の責務
- 7.決済の未来
はじめに
本日は、お話しする機会を頂き、ありがとうございます。私は、日本銀行において比較的長く決済システムに関わってきました。決済システムは、経済社会活動の底流をなすインフラであり、重要ですが、長らく目立たない存在でした。かつては、世界の中央銀行の中の一部の専門家が真剣に考えていたと言っても過言ではありませんでした。しかし、昨今、決済システム、あるいは、通貨・決済システムを巡り、より広範囲の専門家による議論が活発に行われるようになりました。その背景には、新たな技術の台頭と地政学的な力学の変化があります。本日は「技術革新と地政学リスクの下での通貨・決済システムの未来」について、お話ししたいと思います。
まず、通貨・決済システムを巡るグローバルな話題から始めます。その後、伝統的な通貨・決済システムの基本的な特性を論じます。それらを踏まえ、最後に決済の未来についてお話しします。予めお断りしておきますと、本日お話しする内容は私自身の考えであり、日本銀行の公式見解を表明するものではありません。
1.米国大統領令の反響
本年1月、米国トランプ大統領は大統領令「デジタル金融技術における米国のリーダーシップの強化」(「Presidential Actions. Strengthening American Leadership in Digital Financial Technology」)に署名しました。この中で、重要な二つの点が述べられています。一点目は、米国では中央銀行デジタル通貨(CBDC:Central Bank Digital Currency)の検討を行わないということです。
大統領令では「法律で義務付けられた範囲を除き、政府機関は、合衆国法域内または国外において、CBDCの確立・発行・推進にかかるいかなる行為も行ってはならない」「法律で義務付けられた範囲を除き、政府機関の合衆国法域内におけるCBDCの創出に関係するいかなる進行中の計画または取組みは直ちに停止し、その発展・実行に向けたさらなる行為を行ってはならない」(第五節)として、政府機関がCBDCを検討・提供することを禁止しました。
二点目は、ドル建てのステーブルコインを促進する姿勢を明確にしたことです。大統領令は「合法的かつ正当なドル建てステーブルコインの世界的な発展と成長を促進するための行動等を通じて、米ドルの主権を促進し保護すること」(第一節)を目的の一つに挙げています。
このうち、CBDCの検討・提供の禁止については、ある程度予想されたことでした。以前から米国では、銀行業界や政治的団体などから、金融仲介への影響やプライバシー保護の面でCBDCに強い懸念を示す声が聞かれていました。他方、ドル建てステーブルコインをグローバルに推進する姿勢を鮮明にしたことは、多くの国の政策当局者に警戒感を与えました。その理由は、CBDCは基本的に発行国の国内で流通するものである一方、ステーブルコインはグローバルに幅広く流通しやすい性質があるからです。ドル建てとなれば、通貨・決済システムへの信認が十分でない国では、自国通貨の代わりにドル建てステーブルコインが使用されるのではないか、――通貨代替のリスクがあるのではないか――との懸念を少なからずの国の政策当局者が抱いたことは想像に難くありません。
次に、CBDCやステーブルコインとは何で、それらがなぜ注目されるのか、お話ししていきます。
2.中央銀行デジタル通貨
中央銀行デジタル通貨(CBDC)とは、中央銀行が一般国民向けに「デジタルなお金」を提供するものです。現在、日本銀行では、「日本銀行券(お札)」と「日本銀行当座預金」という「お金」を提供しています。日本銀行券は一般国民向けで、主に日々の小口の(金額の小さい)支払・決済に使われています。他方、日本銀行当座預金は日本銀行の取引先金融機関向けで、主に金融機関間の日々の大口の(金額の大きい)決済に使われています。銀行券は「紙」という物理的媒体ですが、日本銀行当座預金は「デジタルなお金」で、日銀ネットというITシステムを通じてデジタルに決済されています。CBDCはこれら二つとは異なる中央銀行マネー(お金)です。大雑把に言うと、銀行券を電子化し、一般国民向けの小口の支払・決済手段として提供しようというものです。銀行券と同様に、会計上は、日本銀行の負債となります。
CBDCの話が盛り上がったきっかけは、スウェーデンや中国などで、民間のデジタル決済手段が普及する一方、銀行券等の現金の流通が急速に減少したことです。2010年代、これらの国の中央銀行が最初にCBDCの導入可能性について真剣に検討を始めました。その後、2019年に当時のFacebook社が「リブラ構想」を発表したことが引き金となり、世界的に検討の気運が一気に高まりました。「リブラ構想」は、Facebookがグローバルに流通するステーブルコイン(預金や証券等を裏付けとするデジタルな支払手段)を発行するというものでした。そのステーブルコインは、独自の通貨発行単位を持ち、ブロックチェーン技術を使った利便性の高い支払手段として、世界の20億以上のアカウント保有者に対して提供できる、という構想でした。これを使えば、20億以上のアカウント保有者相互の送金があっという間に出来てしまう、というのです。
この構想を世界中の政府・中央銀行関係者は脅威と受け止めました。まず、ステーブルコインを規制するための議論が本格化しました。次に、この構想が、既存の通貨・決済システムの使い勝手に対する利用者の不満を代弁している面があったため、長年課題が指摘されてきたクロスボーダー送金の改善に取り組むことが、G20のアジェンダとして採択されました。そして、各国においては、国民向けの便利なリテールデジタル決済手段として、CBDCの検討が本格化しました。日本銀行でも、2020年にCBDCに関する検討と実証実験に着手しました。
それから、約5年が経過し、CBDCに関する各国のスタンスには濃淡が表れてきました。米国は、政府機関による検討・推進を禁止しました。豪州・カナダなども、CBDCの導入には慎重です。他方、中国はデジタル人民元の利用拡大に向けて努力を続けています。欧州中央銀行(ECB)も、デジタルユーロの導入に向けて検討を進めています。
中国がCBDCであるデジタル人民元の普及に努めているのは、(アリペイやウィーチャットペイといった)民間のデジタル決済手段が広範に普及するもとで、国・中央銀行として、デジタル社会における小口決済手段の安定的な提供にどのように責任を果たすべきかという問題意識があるからです。また、ECBがデジタルユーロの導入を真剣に検討しているのは、ユーロエリアのデジタルな小口決済手段の多くは、外国資本が提供するものであり、ユーロエリアの「戦略的自律性」を確保する必要があるとの思いがあるからです。日本ではどうなのか、という点については、後ほど戻ってきたいと思います。
3.ステーブルコイン
ステーブルコインとは、ブロックチェーン上で流通する暗号資産の一種です。ただし、Bitcoin等の値動きの激しい従来型の暗号資産とは異なり、価値が安定的(ステーブル)で決済手段として利用され得るものを言います。ステーブルコインの中にも、決済利用を目的に価値の安定を重視したもの――「ペイメント・ステーブルコイン」と米国では言われます――と、そこまで価値が安定していないものとがあります。(前者の代表例は、USDCやPaypalUSDでしょうか。)この違いは、主に裏付け資産の安全性・流動性の違いに関係しています。
例えば、ペイメント・ステーブルコインは、銀行預金、短期国債等の流動性が高く安全性も高い資産が裏付け資産として分別管理され、価値が保全されます。これに対し、裏付け資産として流動性が低く信用リスクもある資産を保有しているステーブルコインは、償還請求された場合、額面で迅速に償還できるのかという問題があります。
先日、米国連邦議会でステーブルコインに関する法案が可決されましたが、その対象は、決済目的に特化したペイメント・ステーブルコインです。ノンバンクに加え、預金取扱金融機関の子会社が発行できることが想定されています。先ほど「ステーブルコインはグローバルに幅広く流通しやすい性質がある」とお話ししました。これは、ステーブルコインがパーミッションレス・ブロックチェーンと呼ばれるネットワークの中で、自由に転々流通することが可能であるからです。
現在、ステーブルコインの用途としては、暗号資産取引の決済手段としての利用が多く、一部国際送金でも使われていると言われています。ただ、パーミッションレス・ブロックチェーンは、通常の銀行送金に比べると基本的には本人確認が難しい面があり、不正取引に使用されているのではないかとの懸念の声も聞かれます。このステーブルコインの強みと弱みを理解するために、次に伝統的な通貨・決済システムの仕組みをみていきたいと思います。
4.現代の通貨・決済システムの特徴と課題
伝統的な通貨・決済システム――3階層のマネー
現代の通貨・決済システムは、大まかに言うと、3つの階層から構成されています。一つ目の階層は、中央銀行が発行するマネー(日本では、日本銀行券、日本銀行当座預金)を決済資産とした決済システムです。例えば、日本銀行当座預金を扱う日銀ネットはこれに該当します。その上の二つ目の階層は、民間銀行が発行する預金マネー(当座預金や普通預金等)を決済資産として用いる決済システムです。例えば、民間銀行の預金振替のシステムはこれに該当します。その上の三つ目の階層は、ノンバンク決済サービス事業者が発行するマネー(電子マネー等)を決済資産とする決済システムです。例えば、〇〇Payや交通系電子マネーの決済の仕組みがこれに該当します。
二つ目の階層で決済に使われる民間銀行預金は、一つ目の階層である中央銀行マネーの存在を前提にしています。例えば、民間銀行預金を払い戻す場合、現金(日本銀行券)で払い戻しを受けることになります。あるいは、他の銀行に預金を移す場合にも、元の銀行から次の銀行へ資金振替を行うためには、元の銀行は、日本銀行当座預金を使って、別の銀行との間で銀行間決済を行う必要があります。
三つ目の階層のノンバンク決済サービス事業者のマネーは、一つ目の階層と二つ目の階層のマネーの存在を前提にしています。例えば、電子マネー等を取得する場合には、現金(日本銀行券)を入金するか、クレジットカード等を使って自分の銀行預金から入金を行います。また、日本では前払式の電子マネーは払い戻しを前提にしていませんが、事情があって払い戻しを行う場合には、現金などで戻ってきます。
伝統的なマネーの決済方法
現金(日本銀行券)を一旦脇において、この3つの階層からなる伝統的な通貨・決済システムの特徴をみてみます。日本銀行当座預金、民間銀行預金、電子マネーのいずれにしても、これらのマネーが正当に移転されたかどうか(=決済が行われたかどうか)は、そのマネーの発行者(日本銀行、民間銀行、電子マネーの発行者)が確認する責任を果たしています。例えば、日本銀行は日銀ネットを通じて日本銀行当座預金を保有する金融機関の口座残高を減額・増額記帳します。同様に民間銀行も自行の預金者の口座を減額・増額記帳します。電子マネー発行者も、自社の電子マネーの内訳帳簿を持っていて、ユーザーの口座を減額・増額記帳しています。こうした仕組みの下で、金融機関は、口座開設時の顧客の本人確認をしっかり行うだけでなく、顧客の決済情報を把握しつつ、不正送金にも目を光らせることができます。
ただ、こうしたタイプのお金は、広範な支払決済ネットワークを作るためには工夫が必要となります。一つの銀行に全国民が預金口座を持っているとしたら、その銀行が自行帳簿の中で口座残高の減額・増額を行えば全ての決済が済むのですが、通常そうした銀行は存在しません。このため、国内であれば、民間銀行が日本銀行に当座預金口座を保有し、異なる銀行をまたがる送金を行う際には、(1)支払側の民間銀行が支払人の預金残高を減額するとともに、日本銀行に対して自分の日本銀行当座預金を使って受取側の銀行へ送金する指図を送り、(2)これを受け、日本銀行は支払銀行の日本銀行当座預金を減額するとともに、受取銀行の日本銀行当座預金を増額します、(3)受取銀行は日本銀行当座預金を受け取るほか、自行にある受取人の預金口座を増額します。
(1)は「支払銀行の(を債務者とする)預金」の減額、(2)は「日本銀行の(を債務者とする)預金」の減額と増額、(3)は「受取銀行の(を債務者とする)預金」の増額です。つまり「支払銀行の預金」がそのまま受取人まで移転されるのではなく、「支払銀行の預金」⇒「日本銀行の預金」⇒「受取銀行の預金」と預金の債務者が順番に変換しながら送金が完結します。この3つの預金マネーが連動して減額・増額記帳がなされるように、古くから中央銀行の決済システムと、銀行間清算システムが各国で発達し、20世紀以降、電子化されました。
国際送金の決済の複雑さ
国内送金の世界では、中央銀行を中心とした銀行預金による支払決済ネットワークが整備されたものの、単一の中央銀行が存在しないクロスボーダー決済の世界では、国内送金のように効率的な仕組みが整備されているとは言い難い面があります。銀行関係者の方は詳しいと思いますが、クロスボーダーで銀行送金を行う場合には、民間銀行同士がコルレス契約を締結し、コルレス勘定という預金口座を開設した上で、例えば、顧客から受け取った円貨をドルに変換して、ドルでの送金を米国の民間銀行に依頼する形で、送金を処理していきます。日本の民間銀行と米国の民間銀行を繋ぐ中央銀行や日銀ネットのような決済システムが存在する訳ではありません。その代わり、民間銀行同士が預金を持ち合う形で決済を行い、決済にかかわる情報の伝達は別途Swiftと呼ばれる情報伝達ネットワークを通じて行われます。しばしば、Swiftを決済システムと呼ぶ人がいますが、それは正しくありません。Swiftは決済を行うための情報を伝達しているのであり、国際送金で生じる円貨と外貨の決済は、民間銀行のコルレス勘定の減額・増額記帳で行われています。
ステーブルコインの決済方法の特異さ
他方、多くのステーブルコインは、基本的には保有者が制限されないパーミッションレス・ブロックチェーンで流通しており、中央銀行預金や民間銀行預金、電子マネーとはかなり異なる権利移転の確認方法を採っています。すなわち、ステーブルコインの発行体は、必ずしもコインの権利移転を確認する責任がありません。コインの移転が正当であるかどうかの確認は、ブロックチェーン上の暗号鍵とコンセンサス・アルゴリズムを使って、ブロックチェーンの参加者による相互検証で行われます。インターネット環境があって、ブロックチェーンを使うための共通のソフトウェアを導入したコンピュータがあれば、世界中どこでも迅速かつ安価に支払決済ネットワークを拡大することが可能です。もしある銀行が自行の預金を世界各国の人に提供しようとすれば、世界各国で銀行免許を取得するなどの大変大きな負担が発生しますが、ステーブルコインの流通拡大は、これに比べると格段に容易です。
一方で、パーミッションレス・ブロックチェーンの場合、ユーザーがウォレットを開設する時の本人確認にも、その後当該ウォレットが本人により使用されているのかの途上管理にも、一層の難しさがあります。この結果、不正送金に使われるリスクが高いとの指摘がよく聞かれます。
5.国際決済インフラの改善
ステーブルコインは、マネーの債務者の変換がなく、ブロックチェーン上の支払人から受取人まで、ある発行体のコインがそのまま飛んでいきますので、決済のプロセスが大変シンプルです。また、ブロックチェーン上に備わったスマートコントラクトと呼ばれる機能を使い、様々な自動処理がしやすいため、決済の利便性を高めると期待する人もいます。こうした権利移転のシンプルさと自動処理の利便性は、特に、決済プロセスが長くて複雑なクロスボーダー送金において、効率性改善の効果を発揮すると期待する人が少なくありません。ただ同時に、不正送金に利用されるリスクもある点は、前述したとおりです。
銀行預金マネーの対応
ステーブルコインからの競争を突き付けられた形の伝統的な通貨・決済システムの側でも、これに対応する動きがみられます。代表的な対応は、銀行預金マネーの決済システムをブロックチェーンで(=より一般に分散型台帳技術を使って)作ってしまうというものです。先駆的な実験は、米国の銀行界が始めました。Regulated Liability Network(RLN)です。分散型台帳技術で作った一つの共通プラットフォームの上に多くの民間銀行の預金帳簿と中央銀行の預金帳簿を一緒に載せてしまい、スマートコントラクトを使いながら一気通貫で銀行をまたがる顧客送金を決済するというものです。預金マネーの債務者の変換は引き続き起こりますが、スマートコントラクトを使った自動連動処理により、複雑な処理でもオペレーショナルに効率的に処理できれば、実害はなくなるという訳です。ただ、この構想は、米ドル銀行預金の国内決済における効率性向上が主な射程でした。
やがて、RLNのアイデアも踏まえ、国際決済銀行(BIS)が「Unified Ledger(統合台帳)」というアイデアを提唱しました。これはRLNの構想を米ドル以外の様々な通貨に拡張するとともに、各通貨の銀行預金マネーだけでなく、デジタル資産などにも拡張する壮大なアイデアです。実務的な考慮を十分に行っていく必要はありますが、BISはこのアイデアに基づいてクロスボーダー決済の効率性を改善できるかどうかの国際的な実験に着手しています。それが日本銀行も参加するプロジェクト・アゴラです。
プロジェクト・アゴラは、日米英ユーロエリア(仏)韓墨瑞の7法域の中央銀行と複数の民間金融機関の総勢50近い機関が参加する大規模な国際実験プロジェクトです。分散型台帳技術を応用して共通のプラットフォームを作り、その上に7つの法域の中央銀行預金口座、そして40先程度の民間金融機関の預金口座を載せて、通貨交換を伴うクロスボーダー送金を一気通貫で24時間いつでも処理できるインフラの構築を目指すものです。決済そのものだけでなく、事前の口座確認事務やマネロンチェック事務なども効率的に行う仕組みを構築しようとしています。その実現は簡単な作業ではありませんが、実現すれば画期的なことであり、関係者が精力的に取り組んでいます。
RLNやプロジェクト・アゴラのように、分散型台帳技術を使ったプラットフォーム上で権利移転される銀行預金のことを「トークン化預金」と呼んでいます。ここでは、「トークン化」とは「プログラマブルなプラットフォームでデジタル資産やデジタルマネーを管理すること」を指します。「プログラマブルな」というのは、スマートコントラクトのようなプログラムを自由に書き込み、それらを組み合わせたりできることを言います。
地政学リスクの影響
国際決済インフラの改善には、他にも色々とあります。プロジェクト・アゴラが「統合台帳」というコンセプトの有効性を検証する目的で始まったものである一方、他のプロジェクトには、地政学的な目的が背景に垣間見えるものもあります。
ウクライナ侵攻を受け、国際的な金融制裁として、ロシアのSwiftからの遮断等が実施されました。こうした動きを受け、ロシアはSwiftや西側の銀行に依存しない国際決済ルートの整備を進めています。また、詳細は不明ですが、BRICSの中でも、国際的な通貨・決済システムを構築する動きがあると報じられています。
新興国の経済力が相対的に高まる中で、新興国自らが主導権をとって国際決済を便利にする決済インフラの整備を進めようという動きもみられます。例えば、中国、香港、タイ、UAE、サウジアラビアが参加するmBridgeは、分散型台帳技術を使ったプラットフォーム上に各国の中央銀行マネーを発行し、参加国の民間銀行は他国の中央銀行マネーも直接保有できるという、大胆な仕組みを想定しています。これにより、従来使われていたコルレス銀行網を迂回した国際送金が出来るように考えられています。さらに、各国の即時小口送金システム(Fast Payment System: FPS)をクロスボーダーで接続して、小口の国際送金を安く速く出来るようにしようという取り組みも見られます。これらは、それぞれ推進する理由がある訳ですが、仮に他国や他国金融機関を排除する形で構築・運営されると、国際的な通貨・決済システムの分断を招くリスクもあり、そうならないよう注意していく必要はあります。
また、米国が促進しようとしているドル建てステーブルコインも、新興国を中心に地政学的な警戒感を与えています。ドルは、外国為替取引を行う際の媒介通貨として大変便利です。また、国際投資資金の運用先としても一番流動性の厚い市場を有しています。他方、殆どの新興国は国内経済のドル化を自らは望んでいないでしょう。自国の経済政策のコントローラビリティが低下するからです。ドル建てステーブルコインの発行、流通だけで、新興国を中心に経済のドル化が一段と進むとは考えていませんが、少なからずの人々にとってドルの流動資産保有の選択肢が広がるでしょうし、場合によっては、ドル建て暗号資産投資へのゲートウェイになる可能性も考えられます。また、新興国の資本規制を迂回する手段として利用する人が出る可能性もあります。
このように世界の各国が新たな技術を活用しつつ、自国に有利な国際通貨・決済システムを作りたいという思いを抱いていることが垣間見えます。
6.リテール決済における中央銀行の責務
話題を国内のリテール決済、特にCBDCに転じたいと思います。冒頭、CBDCの海外動向について触れる中で、中国やユーロエリアがCBDCの導入ないし検討を進めている背景について説明しました。中国は民間デジタル決済手段との関係、ユーロエリアは海外資本のデジタル決済手段との関係がそれぞれ意識されています。両者に共通する問題意識は、国・中央銀行が、自国民・市民に対して、安心して日々利用できる小口の決済手段を提供する責任を如何に果たすかということです。
実は、この問題意識は、CBDCの導入を検討していない国でもあります。例えば、米国を例に挙げれば、Fedは小口決済分野で昔から色々な取り組みを行ってきました。最近では、24時間利用可能な即時小口送金システム(FPS)であるFedNowの稼動を開始しました。米国には、既に大手民間銀行が運営するRTP(Real-Time Payments)というFPSがあったのですが、地域の小規模金融機関などはそれを使っておらず、こうした金融機関のユーザーが24時間送金サービスを使えないことへの問題意識――一種の金融包摂の必要性――がありました。また、FedNowがあれば、万一民間のFPSに障害が起きても、代替的な送金手段が確保されるので、小口決済システムの頑健性が国全体として高まります。
また、スウェーデンでは、民間銀行界が提供するFPSのSwishが以前から国民に広く使われています。スウェーデンの中央銀行は、Swishの業務継続性や頑健性を高める観点から、そのバックエンドシステムの運営に乗り出しました。ユーザーからみれば、従来通り民間銀行が提供するインターフェースを使って送金している訳ですが、顧客送金に伴い必要となる銀行間決済をリアルタイムで行うインフラを、ECBの協力を得ながら、スウェーデンの中央銀行が運営することにしました。具体的には、ECBが運営するTIPSというFPSの一区画を使い、そこでスウェーデン・クローナ建ての銀行間決済を行うのです。このように、米国やスウェーデンでは、CBDCを導入する訳ではありませんが、国内の小口決済サービスの安定的な提供と頑健性の確保の観点から、片や中央銀行がFPSを直接運営し、片や裏方として民間FPSのバックエンドシステムを中央銀行が運営することで役割を果たそうとしています。
世界の多くの中央銀行は、従来、小口決済分野では中央銀行券(お札)を提供し、大口決済分野では中央銀行当座預金を提供してきました。大口決済の分野では、金額が大きいため、システミック・リスクの発生を防ぐことに主眼を置き、自らが運営する大口決済システムを時点ネット型からRTGS型にアップグレードしてきました。小口決済の分野では、システミック・リスクの発生を防ぐというよりも、国民がいつでもどこでも安心して使える小口決済手段の提供を確保すること――ユニバーサル・アベイラビリティの確保――に重きを置いてきました。経済社会がデジタル化する中で、小口決済手段のユニバーサル・アベイラビリティの確保を頑健な形でどのように達成するかが問われています。
7.決済の未来
新しい技術を使った新たなデジタルマネーと決済システムが登場しています。その台頭は、経済的な観点でみれば、伝統的な決済の担い手と新興勢力との間で、競争や新たな連携を生んでいます。地政学的な観点でみれば、国家間・通貨間の競争や新たな連携を招来しています。こうした経済的、地政学的な力学が決済の未来にどのような影響を与えるのかについて予断を持つことはできませんが、中央銀行の立場から決済システムに関わってきた経験を踏まえて、主な論点を取り上げたいと思います。
ステーブルコインとトークン化預金
まずは、新たな技術で生み出された「ステーブルコイン」と「トークン化預金」の類似点・相違点です。ステーブルコインも、トークン化預金も分散型台帳技術を使ったプラットフォーム上で管理される決済資産である点は同じです。共にスマートコントラクトは利用できます。しかし、大きな違いが2点あります。一点目は金融面の構造、二点目はオペレーション面の構造です。
金融面の構造をみると、トークン化預金は、本質的に銀行預金ですから、信用創造機能があります。例えば、日々の決済の中で、資金支払が資金受取に先行する場合、支払人は一時的に多くの資金を手当てしなければなりません。こうした時、銀行預金で支払うのであれば、銀行が一時的に提供してくれる当座貸越を利用し、日中の支払を進めた上で、後刻入金される受取資金により当座貸越を返済することが機動的にできます。他方、ステーブルコインは、プレファンド型の決済資産であり、信用創造機能が備わっていません。ステーブルコインで支払いをする人は、予め銀行預金等で支払いをしてステーブルコインを手当てしておく必要があります。こうした調達負担は、大口決済では特に高まります。このため、多額の流動性調達が必要になるような大口決済において、プレファンド型のステーブルコインを決済資産として使うことは、理にかなっていない面があります。仮に大口決済に使うのなら、流動性調達面で支障のない範囲で利用する方が良いのだろうと思います。
オペレーション面の構造をみると、前述したとおり、トークン化預金は、預金ですから、分散型台帳技術を使っても、銀行をまたがる送金の場合には、預金の債務者(発行者)の変換が必要であり、複数の銀行において各銀行の預金の減額・増額記帳が必要になります。銀行が自分の債務である預金の正当な移転を確認する責任を負いますので、コンセンサス・アルゴリズムはあっても、多くの場合、自分が主導して確認するでしょう。
他方、ステーブルコインは、ある発行体のステーブルコインがブロックチェーン上の支払人から受取人にそのまま(=債務者である発行体の変更がなく)飛んでいきます。この結果、預金の債務者の変更が必要となる銀行送金に比べ、本来的には、ステーブルコインの方が移転の事務負担は軽いと考えられます。ただ、その反射効果として、トークン化預金と異なり、転々流通している間の保有者が不正送金に関与していないかのチェックは他人任せになります。また、移転の事務負担も伝統的な銀行預金の送金よりは軽いはずですが、トークン化預金との比較では、トークン化預金を管理するプラットフォームに組み込まれたスマートコントラクト等の機能を使えば、銀行預金を移転する事務負担が軽減されるので、ステーブルコインの送金事務負担面での相対的な優位性は低下します。
コインが「そのまま飛んでいく」ことのもう一つの反射効果として、ステーブルコインには「マネーの一様性」を確保するメカニズムが未整備である点が指摘できます。「マネーの一様性」とは、決済に使われるお金が中央銀行マネーと額面(1対1の価値)で交換できるという意味です。円滑な経済取引の前提となります。銀行預金の場合、銀行間決済が必要な都度、民間銀行は自行預金を中央銀行預金に額面で交換できることを実証する必要があります。他方、ステーブルコインの場合、他のコインやマネーに交換せずに送金できるが故に、発行体は、自社のコインを中央銀行預金や民間銀行預金に迅速に交換(償還)出来ることを頻繁に実証する必要はありません。実際、ステーブルコイン保有者は、多くの場合、仲介機関等を経由して市場でコインを売却して他のマネーに交換しており、発行体から額面で償還を受けている訳ではありません。その方が、発行体にとっては資産運用面で有利ですが、コインの保有者は価格変動リスクを負っており、「マネーの一様性」が確保されているとは言い難いとみられています。
もちろん、民間銀行のトークン化預金についても、「マネーの一様性」を確保するために中央銀行預金との交換を実現するメカニズムが必要です。このため、トークン化預金により銀行をまたいだ決済を円滑に行う上では、トークン化預金を扱うプラットフォーム上に、民間銀行預金だけでなく、中央銀行預金もあることが望まれます。プロジェクト・アゴラはそのような想定になっています。
ステーブルコインの意味合い
このように強み、課題がそれぞれにあるのですが、現代の経済社会のコアとなる通貨・決済システムは、銀行預金通貨を使ったものであり、ステーブルコインは預金通貨システムの不便さを補うことはあっても、それ自体が中核的な通貨・決済システムにはならないのではないかと考えています。その理由は、信用創造機能がないため、世の中の支払手段の需要の増加や減少に対して、支払手段の供給を適切に調整するメカニズムが組み込まれていないためです。ステーブルコインの需要が増加すれば、人々は銀行から借り入れた資金を使ってステーブルコインを購入し、それで決済を行うことになります。結局、お金の総量を調整するのは、銀行預金通貨なのであり、ステーブルコインは、決済面での利便性を向上させるものなのです。
あるいは、もし銀行預金に依存せず、ステーブルコインに全面的に依拠した通貨・決済システムを構築しようとすれば、次のようなことが起きるでしょう。決済専用のステーブルコインは裏付け資産として全額国債を保有するとします。世の中の決済手段のニーズは、銀行預金からステーブルコインにシフトするとします。そうした世界では、経済活動の増大による決済手段への需要増大に応えるためには、政府が国債を増発し支出を拡大する必要があります。一方、伝統的な世界では、決済手段として銀行預金への需要が増大する時には、銀行部門が信用創造を行うことでマネーを増大させていました。両者を比較すると、国債を裏付けとしたステーブルコインが通貨・決済システムの中核となる場合には、経済の資源配分において、政府の影響力が高まると考えられます。同じ問題は「ナローバンク論」にも当てはまります。
国柄によって考え方に差があると思いますが、市場主義経済を採用している国では、国家が独占的にマネーを供給し、資源配分を行うよりも、民間銀行と中央銀行が協力してマネーを供給し、民間銀行が分権的に信用配分を行う方が長期的な経済成長にプラスであるとの信念が存在しているのではないでしょうか。ステーブルコインは、現代の通貨・決済システムを決済面から改善する効果は期待されますが、それがコアな通貨・決済システムにまでなるとしたら、根本的な経済観の転換が必要になるような気がします。
国際共通プラットフォームの考え方
新たな技術の台頭と地政学的な力学の作用により、国際的な通貨・決済システムの分断が生じるリスクがあることを指摘しました。多くの国の経済発展にとり、国際経済との結びつきは重要ですので、この分断リスクを回避する必要があります。
そうした観点から、日本銀行では、国際決済を改善するための決済インフラである、国際的な共通プラットフォームを作る場合の基本的な考え方を纏めました。「決済システムレポート2024」などを通じて、国内外に情報発信しています。その基本的な考え方は4つから成っています。
第一に、「共通プラットフォームは、オープン、透明、セキュアで、通貨主権に配慮する観点から分権的であるべき」です。多くの国や主体が参加できるようにする趣旨です。
第二に、「共通プラットフォームは、市場の価格形成や流動性を阻害しない仕組みであるべき」です。これは、ドルのような国際的なリザーブ通貨・媒介通貨を介した効率的な相場形成が必要、という点を言っています。
第三に、「共通プラットフォームは、決済に関係する事務処理の効率化を実現する機能を併せて用意するべき」です。これは、マネロンチェックも含めた周辺業務の負担軽減を意図しています。
第四に、「共通プラットフォームは、決済を円滑に進捗させるためグリッドロック解消機能や日中流動性調達機能を備えるべき」です。クロスボーダー決済には大量の大口外為決済の処理が必要になります。これを円滑に処理する上記機能がないと、共通プラットフォームの利用が進展しない恐れがあるという趣旨です。
日本銀行では、様々な国際フォーラムや、プロジェクト・アゴラの具体的なワークストリームの中で、そうした考え方を伝え、国際決済インフラの改善に反映させるように努めています。
CBDCの意味合い
CBDCの導入を巡っては、国際的に立場が割れていますが、自国の小口決済のユニバーサル・アベイラビリティと頑健性を確保するという問題意識は、各国で持たれている点は説明しました。では、どうしてCBDCのスタンスに違いが出るのでしょうか。
CBDCとは、通貨・決済システムの3階層のうち一つ目の階層のものです。利用者は一般国民ですが、CBDCは物理的媒体ではなく、デジタル帳簿を通じて権利移転が行われます。ステーブルコインと異なり、マネーの発行体である中央銀行が残高の管理を行うことが想定されますが、誰が幾ら保有しているかというプライバシー情報は保有しません。
冒頭、大雑把に言うと、CBDCは日本銀行券を電子化したものだ、とお話ししましたが、正確にいうと、日本銀行券以上の便利な決済機能を発揮するが、日本銀行券のような価値の保蔵機能は発揮できないという限界があります。CBDCを導入する場合には、民間銀行部門からの大規模な預金流出を防ぐために、保有上限を設ける必要があると考えられているからです。それが故に、CBDCは、銀行券と異なり、多額の銀行預金の払い戻し手段にはなり得ません。
少なくとも当面は、価値保蔵手段として現金(日本銀行券)をなくすことはできないということかと思いますが、他方で、経済社会のデジタル化につれて現金の決済手段としての利用はますます減っていくと予想されます。この銀行券の縮退領域を埋めるデジタル決済手段のユニバーサル・アベイラビリティと頑健性を如何に確保するかがポイントとなります。一つの対応策がCBDCなのです。国と中央銀行が責任をもって、いつでもどこでも安心して利用できる小口決済手段を提供していくという選択肢です。もう一つの対応策は、民間のデジタル決済手段の流通性や安全性・頑健性を確保できるように、規制監督・オーバーサイトで対応するというものです。そして、中間的な対応策もあります。米国のようにCBDCは提供しないが、中央銀行が小口決済システムを提供したり、スウェーデンのように民間FPSのバックエンド処理を中央銀行が担当する、というものです。
どういう選択をするかは、その国の決済システムの発展過程と国民が妥当と感じる役割分担に規定されるところが大きいと思います。ただ、決済システムの性質上注意すべき点を一言だけ付言します。
決済システムには、参加者が増えれば、さらに参加者が増えるというネットワーク外部性が働きます。加えて、デジタル技術の活用は、ネットワークの拡大を速める可能性があります。この結果、デジタル・ペイメントには、自ずと独占・寡占への力が働きます。海外の事例をみても、1社独占にならないにしても、2社の寡占は現実的な可能性と思われます。
こうした独占・寡占企業に対して、規制・監督で効率性と安全性・頑健性の確保を義務付ければ良いという議論が実効的なのかどうか、国際的にも議論があります。例えば、大規模な決済インフラに対して、全面的な業務停止命令を出すことは困難と思われます。世の中の決済機能が止まるからです。また、独占・寡占的に決済インフラを運営する組織の利害と国民の利害が一致しない場合、経済学で言うところの「本人・代理人問題」が顕現化し、その監視コストが高まります。そのような場合、規制や契約で相手を縛る方法よりも、運営主体を国民の利害が反映されるような組織とし、決済インフラをコントロールしてしまう方が直截で効果的という見解の人もいます。
この点は、色々な見解があるところです。また、海外でも様々な取り組みがあるのは、先ほどご説明した通りです。日本において、中央銀行デジタル通貨を導入するか否かは、今後とも継続的に検討がなされていきますが、CBDCを導入するにせよ、しないにせよ、我が国の国民が安心して小口決済手段を利用できるため、デジタル社会に相応しい取り組みを考えていく必要があります。
ご清聴ありがとうございました。