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在庫変動と景気循環

生産・在庫管理技術の発達を巡って

1998年 4月30日
木村武※1
足立正道※2

日本銀行から

本論文のドラフトに対して、伊藤元重教授(東京大学)、林文夫教授(東京大学)、森雅夫教授(東京工業大学)の各先生から貴重なコメントを頂きました。ただし、論文中で示された内容や意見は筆者個人に属するもので、コメント提供者や日本銀行の公式見解を示すものではありません。

  1. ※1日本銀行調査統計局経済調査課 (E-mail:takeshi.kimura-1@boj.or.jp)
  2. ※2日本銀行調査統計局経済調査課 (E-mail:masamichi.adachi@boj.or.jp)

以下には、全文の冒頭部分(はじめに)および目次を掲載しています。
全文(本文、図表)[lzh 1508KB]。なお、本稿は日本銀行調査月報4月号にも掲載しています。

1.はじめに

在庫投資(=在庫残高の変化)は、GDP(国内総支出)に占める割合が高々1%前後と非常に小さいにもかかわらず、景気循環と密接な関係にあり、とくに景気後退期においては、在庫投資の変動とGDPの変動の間にかなり高い相関関係があることが知られている(図表1,2上)。こうした傾向は、わが国に限らず多くの国々で観測されており、例えば米国では、戦後の景気後退期における在庫投資のGDP変動に対する寄与率(図表2下)が、平均で90%前後に達するとされている(Blinder and Maccini[1991])。

  • 図表1:GDPと民間在庫投資のトレンドからの乖離。GDPと民間在庫投資の実質原計数から、状態空間モデル(DECOMP)により推計したトレンドと季節性を除去したものの推移を、1960年から1997年まで示したグラフ。詳細は本文の通り。
  • 図表2:民間在庫投資のGDPに対する寄与率。日本および米国の、民間在庫投資のGDPに対する寄与率を、1956年から1997年まで示したグラフ。詳細は本文の通り。

ところで、こうした在庫変動と景気循環の関係の一方で、1990年前後にかけては、日米両国で「Just-in-Time方式に代表される生産・在庫管理技術の発達は、企業の在庫保有を減らすため、在庫循環のメカニズムを弱める(在庫変動が景気循環に与える影響は軽微になる)」との議論が盛んに行われたことがあった(注1)。また最近でも、いわゆる「ニュー・エコノミー論」の台頭に伴い、急速な情報技術革新を背景とした生産・在庫管理の高度化が、景気循環のメカニズムを変化させてきているとの指摘が、米国では再び聞かれるようになっている(注2)

しかし、少なくともわが国に関する限り、バブル崩壊後の景気後退期における在庫変動が、景気循環の振幅を大きくする一つの要因だったことは明らかであり(図表1)、在庫循環のメカニズムが弱まった証左は得られていないように思われる。また、鉱工業ベースの在庫循環図(図表3)からも1990年代における在庫循環の振幅が、それ以前に比べ小さくなっているようにはみえない。こうしてみると、「生産・在庫管理技術の発達は、景気循環の振幅を弱め経済安定化に資する」という見方は、その直観的な妥当性にもかかわらず、データ面からは支持されないのではないかという疑問が湧いてくる(注3)

  • 図表3:在庫循環(局面比較)。在庫循環図を、70年代前半、第1次オイルショックからミニ調整まで、第2次オイルショック、円高ショックから消費税導入局面、今次局面の5局面について、それぞれ示したグラフ。加えて在庫循環図の見方(反時計回りに、第3象限から第4象限に向かう回復局面、第4象限から第1象限に向かう在庫積み増し局面、第1象限から第2象限に向かう在庫積み上がり局面、第2象限から第3象限に向かう在庫調整局面)も示す。詳細は本文の通り。

本稿の目的は、こうした生産・在庫管理技術の発達と在庫循環のパズルを解き明かすことにある。本稿の特徴は、生産・在庫管理技術の景気変動への影響を、在庫投資の寄与率や在庫変動の分散といった尺度で評価することは困難との考えに立ち、スペクトル解析という手法を用いて、景気変動の周期に注目することにより、技術発達が在庫循環に与えた影響を抽出するというアプローチを用いる点にある。本稿の主な結論を予め要約すると、次の通りである。

  1. (1)生産・在庫管理技術の発達は、需要の変動に対する生産の調整速度の上昇と、限界在庫率(売上高の変化に対応する在庫投資額)の低下をもたらしてきた。
  2. (2)生産の調整速度の上昇は、需要変動に対して小刻みに生産調整を行うことを可能にし、この結果、生産および在庫投資の短期的なボラティリティ(周期1年未満)は増加する。しかし一方で、調整速度の上昇は、景気の転換点において出荷と生産のズレから発生する意図せざる在庫の積み上がりを小幅に抑制することを可能にし、その後必要となる生産の減少幅を小さくするため、1年半〜2年周期でみた景気変動、すなわち在庫循環の振幅を軽減する効果をもつ。
  3. (3)在庫の変動は、需要変動の生産へ及ぼす影響を増幅させる「加速度因子」として作用するが、この在庫投資の加速度機能は、限界在庫率の大小によって規定される。生産・在庫管理技術の発達による限界在庫率の低下は、在庫投資の加速度機能を弱めるため、やはり1年半〜2年周期の在庫循環を軽減する効果を持つ。

したがって、この結果を単純に解釈すると、「生産・在庫管理技術の発達は、景気循環の振幅を弱め経済安定化に資する」という見方は、1年未満の短期周期の景気変動に着目すると『誤り』であり、1年半〜2年周期の変動に着目すると『正しい』ということになる。しかし、1年未満の周期の経済不安定化は、必ずしも企業やわが国経済全体にとって不利益をもたらすものではない。と言うのも、そもそも生産・在庫管理の高度化とは、生産調整コストの低下をもたらすものであり、企業が生産を需要見合いでフレキシブルに変化させることが可能になったことを意味する。したがって、そうした生産の調整速度の上昇に伴う生産・在庫の短期的なボラティリティの増加は、新たな技術の下で、企業が利潤最大化のために意図して行なった結果であり、むしろ技術導入が成功した証しとも考えられる。

他方、1年半〜2年周期の経済変動は、典型的な在庫循環を表わす。これは、生産調整の遅れによって、景気の転換点で意図せざる在庫が積み上がり、その後の生産調整幅を大きくするという性格のものであり、企業収益の圧迫要因として作用し、また調整コストの高い雇用調整を促すというコストを伴う。もとより、企業の需要に対する予想が誤りを免れない以上、在庫循環そのものが無くなる訳ではないが、生産・在庫管理技術の発達は、在庫循環が景気変動を増幅する程度を抑制することを通じて、こうしたコストの削減に寄与したものと考えられる。

以下では、分析結果の説明の前に、まず、在庫循環のメカニズムを簡単に整理し、生産・在庫管理技術の発達がそのメカニズムにどのような影響を与え得るかを説明する。その上で、こうした技術の発達が景気変動パターンに与えた影響を実証的に計測することとしよう。

  1. (注1)例えば、経済企画庁[1991]、Morgan[1991]を参照。
  2. (注2)ニュー・エコノミー論とは、長期にわたり好調を持続している米国経済について、経済構造の変化により従来の景気循環パターンから抜け出し、「低インフレ・安定成長」が持続可能になったと主張するものである。例えばWeber[1997]は、ニュー・エコノミー論の見方を示す代表的な論文であるが、従来型の景気循環パターンを変化させた要因の一つとして、生産・在庫管理における情報技術革新を挙げている。
  3. (注3)Filardo[1995]は、米国においても、「生産・在庫管理技術の発達が在庫投資とGDPの関係を変化させた」という仮説は統計的に確認されないとして、在庫管理技術が在庫循環を軽減するとの見方は誇張だとしている。またLittle[1992]は、Just-in-Time方式の導入等、生産・在庫管理技術の浸透は長期的には経済の効率化を促す効果をもつが、その導入過程では在庫残高の圧縮が発生するため、むしろ90年代初期の米国の景気回復を遅らせたとしている。

目次

  1. 1. はじめに
  2. 2. 在庫循環のメカニズムと生産・在庫管理技術の発達
    1. 2.1. 在庫循環の発生メカニズム
    2. 2.2. 生産・在庫管理技術の発達と在庫循環
  3. 3. 生産・在庫管理技術の発達と景気循環の変化 ─ シミュレーションと実証分析 ─
    1. 3.1. シミュレーションモデルの説明
    2. 3.2.シミュレーションの結果
    3. 3.3. スペクトル解析の特徴
    4. 3.4. スペクトル解析の結果
  4. 4. おわりに
  5. [BOX] 生産・在庫管理技術の発達の実例
    1. 補論1. 時系列モデルを用いたパワー・スペクトルの計測
    2. 補論2. 多品種少量生産と企業規模別にみた在庫動向