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わが国の物価動向 ---- 90年代の経験を中心に ----

2000年10月 6日
日本銀行調査統計局

日本銀行から

 以下には、(要旨)を掲載しています。全文は、こちら (ron0010a.pdf 706KB) から入手できます。

要旨

中長期的にみたわが国の物価動向

1.わが国の物価動向を中長期的にみると、1960年代には総じて高めの物価上昇率が続く中、平均的にみて消費者物価が前年比5%程度、国内卸売物価が同1%程度と、消費者物価の上昇率が卸売物価の上昇率を上回る傾向が続いた。70年代に入ると、過剰流動性と第一次石油危機をきっかけに、国内卸売物価と消費者物価がともに前年比20%を超える急激なインフレを経験した。その後80〜90年代は、国内卸売物価の変化率は概ねマイナスとなっているほか、消費者物価の変化率も若干のマイナスから3%強の間で推移しており、ディスインフレ期と捉えることができる。

 また、この20年間の物価動向を仔細にみると、80年代前半には、物価上昇率は比較的速いテンポで低下していった。その後80年代後半のバブル期には、経済成長率が高まり、資産価格も高騰する中で、物価上昇率は比較的安定していた。しかし、90年代初のバブル末期にかけては、物価上昇率は徐々に高まり、ややインフレ的な局面もみられた。その後、物価上昇率は再び低下傾向を辿り、90年代後半には一時デフレ的な局面もみられた。

物価変動の要因

2.こうした物価動向に影響を及ぼしてきた要因を整理すると、次のとおりである。

 第1に、10年単位でみた物価の長期的な趨勢は、インフレ期待の変動に左右される部分が大きい。そうしたインフレ期待の動向には、日本銀行の物価安定維持に向けた政策スタンスへの信認の強さが影響している。さらに、長期的にはマネーサプライの変動も物価水準に影響を及ぼしてきたように窺われる。

 第2に、物価の循環的な変動は、基本的には国内の供給能力と対比した需要の強さ(需給ギャップ)や輸入物価等のコスト要因によって左右される面が大きい。

 第3に、生産性の変動も、長い目でみた物価動向に影響を及ぼしてきた。すなわち、マクロの生産性上昇は物価水準全般に影響するが、そうした中で、製造業と非製造業の間の生産性格差は、国内卸売物価の上昇率が消費者物価の上昇率よりも趨勢的に低めに推移する要因にもなってきた。

90年代の物価動向の特色

3.90年代の物価の変動も、基本的には需給ギャップの推移によって規定され、さらに、為替相場や原油価格の変動などの影響を受けてきたと考えられる。しかし同時に、こうした理解の枠組みでは必ずしも十分に説明し切れない、以下のような動きもみられた。

  • 98年中は、信用面の収縮が生じる中で名目GDPが減少するなど、わが国経済がデフレ・スパイラルに陥る危機に直面していたとみられる局面があった。しかしながら、現実の物価は、通常の手法で算出される需給ギャップから想定されるほどは低下しなかった。
  • また、90年代前半の景気回復期入り後、マネーサプライが伸び率を高める中で、名目GDPの伸び率は大きく変動しながらも総じて低めに推移しており、両者の相関関係が弱まっている。金融破綻の発生した97年秋から99年初にかけて、両者の動きの乖離は顕著となった。
  • さらに、90年代の物価の変動には、技術革新や流通の合理化といった要因がさまざまな影響を与えているようにみられる。こうした中で、90年代半ば以降、消費者物価(商品)とこれに対応する国内卸売物価との上昇率の乖離が大幅に縮小するなど、消費者物価と卸売物価との相対的な関係に変化がみられる。

98年中の物価変動の背景

4.98年中、経済がデフレ・スパイラルに陥るリスクに直面する中で、物価の低下が、需給ギャップが示す程には大幅なものとならなかったことについては、以下の理由が挙げられる。

 第1に、わが国の潜在成長力が中長期的に低下傾向を辿っていることに加え、90年代後半には経済のグローバル化やIT(情報技術)化の進展の中で既存の資本ストックの陳腐化が急速に進み、この結果、短期的に供給能力の伸び率がさらに低下した可能性がある。この結果、真のGDPギャップは、一般的にイメージされている潜在成長率から考えられるよりも、小さめであった可能性が高い。第2に、企業が構造調整を進める中で、求められる労働の質が変わり、労働需給のミスマッチが拡大したことが、GDPギャップの均衡水準を低下させる方向に働いたとみられる。このほか、厳しい経済情勢を反映し、企業が先行きの市場拡大に悲観的となる中で、目先の利潤率を維持するため、短期的に製品価格の引き下げを極力避ける行動を採ったことも影響したと考えられる。

金融システム不安に伴うマネーサプライと名目GDPの関係の不安定化

5.97年秋から99年初にかけてのマネーと名目GDPの不安定化については、97年秋以降の金融システム不安により、経済主体の流動性需要が極度に高まったことが、主たる背景と考えられる。仮にこうした動きが長引いていれば、企業はいずれ手持ちの商品を売却して流動性を手に入れようとすることが予想され、この結果、デフレが進行するリスクもあったと考えられる。しかし、そうした事態に至る前に、98年秋には日本銀行や政府は企業金融逼迫等に対応した方策を採った。さらに99年入り後は、日本銀行はいわゆる「ゼロ金利政策」を導入したほか、政府は民間銀行への公的資本の投入を行なった。こうした諸施策は、デフレ・スパイラルの回避に貢献したと考えられる。

技術革新や流通合理化の影響

6.90年代の物価動向を検証するうえでは、技術革新や流通の合理化などの影響をどう捉えるかという観点が重要である。

 技術革新要因は、90年代を通じて、電子機器などの関連する財の価格を低下させ、物価の低下圧力として働き続けている。さらに、技術革新は、新しい技術を導入する産業が拡がることによって一段の生産性の向上に繋がれば、さらに物価の低下圧力として働くことも考えられる。実際、最近では流通面での構造変化を側面から促すといったルートがみられている。

 加えて、90年代入り後、国内の物価高が是正され、内外価格差が縮小するという物価水準の調整過程として、「価格破壊」ないし「価格の国際化」ともいうべき現象が目立ってきている。すなわち、(1)円高によって一部の財についての内外価格差が大きくなっていたところへ、アジア諸国の工業化を背景にわが国への安値輸入品の流入が増加した。また、(2)国内の規制緩和も、競争を通じて価格引き下げ圧力をもたらす方向に作用した。こうした中で、(3)衣料品を中心に、90年代前半や最近時において、流通新業態の進出に象徴されるような流通合理化の動きが活発化している。

 こうした動きは、単純に海外の価格との裁定と呼び得るようなものから、グローバルに利用可能な新たなビジネス・モデルの活用によって結果的に価格が低下していくものまで、さまざまなものがあり、いずれも経済の効率性の向上に結びついていくものと考えられる。ただ、同時にその過程では、特定の業種や企業の収益を圧迫する側面もあることにも、注意が必要である。

現在の物価動向の評価

7.現在、GDPギャップの水準はなお大きいとはいえ、99年春以降の景気持ち直しを反映して、緩やかに縮小してきていると考えられる。

 こうした中で、消費者物価指数やGDPデフレーターは引き続き前年比マイナスで推移しているが、「需要の弱さに由来する物価低下圧力」は、大きく後退しているとみることができる。

 もちろん、「需要の弱さに由来する物価低下」の程度を定量的に示すことは難しい。また、需要の弱さに由来しない物価の低下であっても、内外価格差の調整のように短期的には景気に対してマイナスのインパクトを含むものもある。そうした状況の下で、わが国経済がデフレ的であるかどうかを判断する一つの手掛かりは、物価変動の背景にある分配面の動きをみることである。現在は、雇用者所得の減少を伴うことなく企業収益の増加が実現されており、こうした観点からみて、現在は、「需給バランスの失調に伴うデフレはほぼ解消されつつある状況」と理解することが可能である。

物価の先行きの展望

8.物価の先行きを展望すると、当面、需給ギャップは縮小傾向を辿る可能性が高く、デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢には至っていると判断される。ただ、需給ギャップの水準自体は引き続き大きいことを踏まえると、景気が相当速いペースで回復しない限り、短期的に物価が大幅に上昇していくことも考えにくい。

 この間、わが国経済においても、IT関連投資が徐々に活発になってきており、こうした投資の拡がりが、経済全体の生産性の向上に結びついていけば、この面から物価を抑制する要因が作用することになる。もっとも現時点では、これまでみられてきた電子機器などを中心とするメーカー側の生産性の向上を除けば、わが国経済全体の生産性がITによって上昇しているはっきりとした証左は窺われていない。また、労働需給のミスマッチが解消されて経済全体の効率性が向上するにもまだ時間がかかると考えられる。

 さらに、流通部門では、さまざまな努力が現実の生産性の向上に結びつく動きもみられ始めており、今後、こうした動きがさらに進展する可能性もある。また、規制緩和による各種料金値下げの動きも続くものと見込まれる。こうした動きが、景気回復の下でも消費者物価を弱含ませる可能性がある点には、留意が必要である。