海外生産シフトを巡る論点と事実
2012年1月27日
日本銀行調査統計局
桜健一※1
岩崎雄斗※2
要旨
震災による生産分散化ニーズや電力不足問題に為替円高が加わる中で、企業の海外生産シフトの動きが強まり、それに伴う産業空洞化を危惧する声が高まっている。
しかし、海外生産シフトは空洞化の背景の一つになり得るが、それが国内経済に悪影響を及ぼすかどうかは、必ずしも明らかではない。こうした問題意識に立ち、本稿前半では、海外生産シフトと空洞化を巡る議論について、理論・実証の両面からサーベイを行い論点を整理する。後半では、そうした枠組みを踏まえ、わが国製造業の海外生産シフトについて、自動車産業や電気機械産業の事例などに言及しつつ、事実を整理する。
理論・実証のサーベイを通じた論点整理
海外生産シフトは、その動機により、貿易コストの節約や現地需要の取り込みを目的とする「水平的直接投資」と、生産要素コストの節約を目的とする「垂直的直接投資」とに分けて考えることが、概念的には可能である。いずれの場合も、海外生産シフトにはコストを伴うため、企業はそのコストとベネフィットを比較して意思決定を行う。
その際、為替レートは、その水準とボラティリティの両面から海外生産シフトに影響を与える。すなわち、自国通貨の増価は、海外生産シフトを促進する。また、中期的な為替変動の拡大は、企業にとってグローバルな生産調整を行うための海外拠点を獲得する誘因となり、海外生産シフトを促進する。
国際経済学の標準的な理論では、海外生産シフトは、これにより発生する国内生産要素の再配分が円滑に進むならば、企業収益の改善を通じて国民所得の向上に寄与すると考えられている。対外直接投資を巡る実証研究では、多くの研究において、直接投資が輸出を誘発することが指摘されており、また、直接投資が必ずしも国内雇用の削減には繋がらないことも指摘されている。このように海外生産シフトは、本来的には国内経済にとってもメリットが大きいと考えられる。
ただし、次の二つのケースでは、海外生産シフトが空洞化に繋がり得る。一つは労働市場に摩擦が存在し、雇用移動がスムーズに行われないケースである。この場合、国内経済は海外生産シフトの恩恵を十分に享受できず、雇用の減少という形で空洞化が発生する可能性がある。もう一つは、産業集積が外部経済効果を有するケースである。この場合、海外生産シフトにより一つの企業が退出すると、マクロの生産性低下やイノベーションの停滞が発生する可能性がある。
わが国製造業の海外生産シフトに関する事実整理
わが国製造業の海外生産比率は、趨勢的に上昇している。この一つの要因は、海外経済の拡大ペースがわが国経済の拡大ペースを上回る中で、企業が貿易コストの削減を図りつつ、拡大する海外需要の取り込みを図るため、水平的直接投資に近い性格の海外進出を行ってきたことである。もう一つの要因は、企業が要素コストの節約を目的とする垂直的直接投資に近い性格の海外進出を行ってきたことである。前者の要因は自動車産業の事例に多くみられ、後者の要因は電気機械産業の事例に多くみられるが、両産業の海外生産シフトとも、双方の要因の組み合わせによるものといえる。こうした海外生産シフトの進展は、これまで、企業の海外部門からの収益増加や、国内部門における生産性向上に寄与してきた。また、工程間分業の発生に伴う部品企業等に対する輸出の誘発は、国内生産にプラスの効果をもたらしてきた。このように、これまでのところ、わが国製造業は、海外生産シフトのメリットを享受してきた。
そうした中、このところ、わが国企業が海外生産を拡大する動きが強まっている。この背景には、わが国経済が直面する次の四つの環境変化を指摘することが可能である。第一の変化は、海外需要が趨勢的に拡大する中、国内市場の伸び悩み傾向が明確化していることである。第二の変化は、リーマン・ショック前の局面と比較した相対的な為替円高である。第三の変化は、新興国を含む海外の技術水準が国内にキャッチアップしていることである。第四の変化は、国内生産コストの上昇懸念である。先行き、仮に、景気回復のモメンタムが十分に強まらない中で、大幅な円高が進むことなどによって、海外生産シフトが加速するような状況が生じた場合には、国内生産の縮小ペースに新たな産業や雇用機会の成長が追いつかず、雇用の減少や技術の停滞という形で負の影響が当面残る可能性には注意が必要である。
しかしながら、論点整理において確認したように、海外生産は、本来、国際分業の進展、グローバル需要の取り込みの一環としてプラスの効果も大きいはずであり、海外生産の拡大によって得られるべきメリットを実現していくという視点が必要である。やや長い目でみれば、生産年齢人口の減少による労働力不足が、わが国経済の成長にとって問題になる可能性がある。このため、海外生産の拡大を通じて、(1)海外のリソースを活用しつつグローバルな需要を取り込み、企業価値や海外活動からの所得の増大に繋げていくとともに、(2)国内においては、労働力を高付加価値品等へ振り向け、一層の産業高度化を実現していくことが、成長力強化や国民の所得拡大にとって重要である。
本稿の作成にあたっては、石瀬寛和、関根敏隆、西崎健司、前田栄治、峯岸誠の各氏から有益なコメントを頂いたほか、日本銀行調査統計局のスタッフから多大な協力を得た。ただし、残された誤りは全て筆者に帰する。なお、本稿中の意見・解釈にあたる部分は筆者によるものであり、日本銀行あるいは調査統計局の公式見解を示すものではない。
- ※1日本銀行調査統計局 E-mail : kenichi.sakura@boj.or.jp
- ※2日本銀行調査統計局(現・総務人事局)
日本銀行から
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