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日本の国債市場改革

本稿は、2000年4月11〜12日にアジア開発銀行研究所(ADBI)および経済協力開発機構(OECD)の共催で行われた「アジアにおける資本市場改革に関するラウンドテーブル」における筆者のプレゼンテーションである。

2000年 4月21日
白川方明*

日本銀行から

日本銀行金融市場局ワーキングペーパーシリーズは、金融市場局スタッフ等による調査・研究成果をとりまとめたもので、金融市場参加者、学界、研究機関などの関連する方々から幅広くコメントを頂戴することを意図しています。ただし、 論文の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本銀行あるいは金融市場局の公式見解を示すものではありません。
なお、ワーキングペーパーシリーズに対するご意見・ご質問や、掲載ファイルに対するお問合せは、論文の執筆者までお寄せ下さい。

  • 日本銀行金融市場局 E-mail:masaaki.shirakawa@boj.or.jp

はじめに

 本日はわが国国債市場の改革に関し中央銀行の視点から論じたい。私としては、本日の話がわが国国債市場の更なる改革に向けての議論に資するとともに、他国の国債市場における検討の刺激になれば幸いである。
 本日の話では、最初に国債市場の特徴点について簡単に説明した後、市場流動性を向上させる必要性に触れる。次に、市場流動性を向上させるための基本的な戦略を説明する。最後に、わが国において市場改革を進めていく上で鍵となる論点や、どのように改革を実行していくかについて議論する。私の話において意見に亘る部分は私個人のものであり、必ずしも日本銀行の見解を表すものではない点、ご留意頂きたい。

わが国国債市場の概要

 わが国国債市場(以下ではJGS市場と呼称)は、世界最大の国債市場である。発行残高は99年末時点で359兆円(3.4兆米ドル)であるが、殆どの主要国とは反対に、発行残高は増加傾向にある。2000年度の発行額は、財政赤字の拡大を反映して約86兆円(8,000億米ドル)に達する。図1は、OECDの「Economic Outlook」から引用したものであるが、日本の財政状況を如実に示している。また、JP Morganの推計によると、2001年末時点で世界の国債残高の36%が日本国債で占められるとのことである。このような傾向の結果、図2に示されている通り、国内総生産対比でみた政府債務残高は2001年にはG7諸国中最も高い122%に達するとOECDでは予測している。このような財政赤字の増大は悪い兆候であるが、市場改革という点では原動力ともなり得るものである。
 大量の国債発行額を吸収する必要性や金融市場のグローバル化に対応するため、JGS市場ではこれまでいくつかの改革が実施されてきた。まず、税制については、99年4月に有価証券取引税が廃止されたほか、99年9月には、非居住者が保有する国債の利子について、一定要件の下に所得税の源泉徴収が不適用となる制度がスタートした。もっとも、この源徴不適用制度については、わが国に拠点を持たないカストディアンや国際証券決済機関(ICSD)を通じた保有について問題が残っているが、この点については後述する。また、商品性については、99年度に1年物TBや5年および30年利付債の発行が開始されたほか、99年4月には、短期の資金繰り債であるFBの公募入札が開始された。さらに、決済については、97年に決済期間がT+3に短縮されたほか、本年末を目途にRTGS化がスタートする予定である。
 このような努力の結果、実際、JGS市場の効率性は向上したようにみえる。例えば、図3に示されているように、市場の効率性の近似としてのイールドカーブの滑らかさは大幅に向上した。
 しかしながら、図4図5に示されている通り、他の主要国の市場に比べJGS市場の流動性が低いという事実を踏まえると、更なる改革が多くの分野で必要であろう。G10諸国中央銀行からなるグローバル金融システム委員会(Committee on the Global Financial System)での市場流動性に関するスタディ・グループ──私が議長を務めたのであるが──の報告書によると、G7諸国の中でビッド・アスク・スプレッドが最も広く、売買回転率が最も小さいという意味で、JGS市場の流動性は主要国の中で最低となっている。
 JGS市場のもう一つの際立った特徴は保有構造である。図6に示されている通り、日本では国債残高の半分以上が政府と中央銀行からなる公共部門によって保有されている一方、非居住者の保有比率は極めて小さい。このような特徴は、取引可能な証券のプールという意味の取引供給量(trading supply)を小さくし、また市場参加者の多様性を減じることにより、市場流動性を低めてきた可能性がある。これらの事実は、JGS市場の更なる改革の必要性を示唆しているように思われる。

市場流動性を高めるための市場改革の必要性

 日本における個別の市場改革について詳しく述べる前に、なぜJGS市場の流動性を高めることが重要なのかについて簡単に触れる。
 第一に、市場流動性の向上は、多額の新規発行の消化を容易にする。流動性の高い市場では保有債券を即座に現金化できるため、投資家は債券を買い増すに際し殆ど追加的な利回りを要求しないであろう。もし、市場改革によりビッド・アスク・スプレッドが半分になれば、流動性プレミアムの減少により、政府ひいては納税者は10年債の発行に際し年間約30億円(3,000万ドル)ものコストを削減できるであろう。
 加えて、流動性の高いJGS市場は、効率性の高い社債市場を含む証券市場全般の発展の鍵となる要素である。これは、事実上の信用リスクフリー資産としての国債のイールドカーブは他の金融商品の値付けのベンチマークとして機能するからである。この意味で、年限を跨る信頼できるJGSのイールドカーブが存在しないことは、日本の社債市場が米国に比してあまり発展していない理由の一つかも知れない。
 さらに、流動性の高いJGS市場は、97年秋のように個別金融機関の信認度が問題となる場合には特に、日本の金融システム全体の外的ショックからの耐性を強める可能性がある。これは、海外の投資家が安全な投資対象としてJGS市場に資金を避難させることができることから、市場間の資金フローがスムーズになるためである。
 最後に、多様な保有者からなる流動性の高いJGS市場は、財政規律の維持に繋がるかも知れない。これは、自国の金融資産を買入れるバイアスがある国内投資家よりも、国際的な投資家の方が他国の国債のリスク−リターン関係には敏感である可能性があるからである。従って、相当量のJGSが非居住者に保有されていれば、政府は国内外の投資家に対しその財政状況を説明することが必要になる。そして、このことは財政規律を維持するためのインセンティブを生み出すことになろう。

流動性の高い国債市場を作るための基本戦略

 次の問題はいかにして市場流動性を高めるかであるが、これについて、私が先程言及したグローバル金融システム委員会のスタディ・グループでは、流動性の高い市場を作るための実際的な政策提言(practical policy recommendation)を作成するために、相互に関連している基本的考え方(guiding principles)を特定してみた。別添資料をご覧頂きたい。基本的考え方が左側に記されているが、これらの考え方はそれぞれの国の金融環境に合わせて手直しされるべきものである。基本的考え方とは、

  • 1) 競争的な市場構造を維持すべきである。
  • 2) 市場分断の程度を引下げるべきである。
  • 3) 取引コストを最小化すべきである。
  • 4) 健全、頑健かつ安全な市場インフラを維持すべきである。
  • 5) 市場参加者の多様性を促進すべきである。

 このような基本的考え方に基づき、別添の右側に実際的な政策提言が5項目記されている。これらは、

  • 1) 一貫性のある債務管理政策に関しては、鍵となる年限における大きなベンチマーク銘柄の育成の手段として、年限配分や発行頻度の適切さを確保すべきである。
  • 2) 税の流動性阻害効果は最小化されるべきである。
  • 3) 活発な市場参加や取引活動を促すために、ソブリン発行者や発行スケジュールの透明性を確保すべきである。また、取引情報の透明性についても、市場参加者の匿名性に配慮しつつ促進すべきである。
  • 4) 取引や決済慣行の安全性や標準化を確保すべきである。
  • 5) レポや先物といった関連市場を一貫した方法で発展させるべきである。

 このような提言は市場の特質に応じて手直しされるべきであるという同様の留意点が当てはまる。

JGS市場の流動性向上のための鍵となる論点

 各国に共通する市場改革を議論することは難しいため、これらの基本的考え方と政策提言がどのように当てはまるかという見地から、JGS市場における改革を一つのケース・スタディとして議論したい。日本の経験から皆さんが何らかの教訓を引き出して頂きたいと思う。透明性、大きなベンチマーク銘柄、税制、関連市場、およびストレート・スルー・プロセシング(Straight Through Processing)について触れる。

透明性

 この文脈での透明性には、三つの側面がある。すなわち、政府の財政状況の透明性、債務管理政策の透明性、そして市場情報の透明性である。
 政府の財政状況の透明性の観点からは、政府がその財政状況について一般に対し明瞭かつ理解できるやり方で説明することが重要である。これは特に政府の財政赤字が大きいときに当てはまる。これに関しては、透明性向上のための最近の取組みは歓迎すべき兆候と考えられる。
 次に、政府がその基本的な債務管理戦略を表明することが重要である。例えば、発行年限配分は債務管理戦略の重要な要素である。戦略を策定するに当たっては、市場参加者が予測可能なように透明な方法で意思決定を行うことが重要である。債務管理戦略に関しては、99年3月より政府が四半期毎の発行スケジュールを公表するようになったのは重要な進歩である。しかしながら、現時点では償還日は入札日前には決定されていないため、入札発表日から入札日までの間に行われる入札日前取引を行うことは困難である。もし入札日前取引が可能になれば、証券の真の価格が入札前に十分にテストされることになるため、より多くの市場参加者が入札に参加できるであろう。
市場情報の透明性も見過ごせない点である。JGS市場についてのリアルタイムの価格や取引情報はディーラー向けには広く利用可能であるが、投資家向けには極めて限定されているのが現状であり、日本証券業協会や個別のインターディーラー・ブローカーにより終値が発表されているに過ぎない。この点に関しては、米国やカナダにおける取組みが興味深い。米国においては、プライマリーディーラーとインターディーラー・ブローカーの合弁でGovPxが92年に設立され、GovPxは投資家に対しリアルタイムで価格や取引情報を公表しているが、これによって米国債市場の流動性は更に向上したと言われている。

鍵となる年限における大きなベンチマーク

 次の問題は、イールドカーブ上の鍵となる年限において大きなベンチマークを育成することである。そのためには、一回の入札ではなく連続する数回の入札で同一の証券を発行する定例リオープンの実施が考えられる。ディーラーは多額の証券を一度に引き受けることに伴う資金調達コストを負わなくても済むため、定例リオープンの実施により発行者は比較的小さなプレミアムで大きな銘柄を育成できる。例えば、現在毎月発行されている10年債についてリオープンを行うことが考えられる。
 リオープンに加え、イールドカーブに沿って発行量を均等化することが考えられる。現在、JGSは3および6ヵ月、1、2、4、5、6、10、20および30年の年限で発行されている。99年度に政府が1年物TBや5年および30年物利付債を発行開始したことは、この発行年限のラインナップが投資家の異なった投資ホライズンの殆どをカバーするという意味で一つの前進ではあるが、図7にもみられる通り、発行残高は10年債にまだかなり偏っているのが現状である。また、4年債と6年債を統合して大きな5年のベンチマークを作ったり、20年債と30年債を統合して大きな30年のベンチマークを作るという議論もあろう。

税制

 税制に関しては、いくつかの方策が採られてきた。中でも、99年4月の有価証券取引税の廃止は市場にとっての大きな改善であった。しかし、更なる改善の余地が残されている。
 残された最大の問題が国債利子に対する所得税の源泉徴収制度の扱いである。現時点では、課税主体が保有する利付債についてはクーポンの20%が政府により源泉徴収される。同制度は市場流動性に様々なルートで悪影響を及ぼす。例えば、保有者に対し孫利子負担のかたちで機会費用を生じさせることを通じて取引コストを増加させるほか、課税玉と非課税玉との間で市場を分断させ、各銘柄についての取引供給量を小さくしてしまう。取引供給量の小さな銘柄についてマーケット・メイクをするのにはコストがかかるため、そのような状況ではビッド・アスク・スプレッドが拡大しがちである。また、貸付金利子に対する所得税の源泉徴収制度も、現在市場参加者間で議論が進められている新方式のレポ取引への非居住者の活発な参加を妨げる一要因となり得る。これは、新方式のレポ取引についても、スタート価格とエンド価格との差が貸付金利子と見なされ、同制度の対象になり得るからである。
 前述の通り、非居住者が保有する利付債は、それら利付債が振決制度の参加者である金融機関の国内営業所を通じて寄託され、国内営業所の長が当該非居住者の本人確認を行うという要件を満たせば、利子に対する所得税について源泉徴収が不適用となる。一般的に、国際的な投資家は様々な国の国債を、必ずしも日本に拠点を持つとは限らないグローバル・カストディアンやICSDに開設した口座を通じて保有する。これを与件とすると、そのような投資家にとって源泉徴収不適用を受けるための要件を満たすコストは高い。
 言うまでもなく、源泉徴収制度の見直しに当たっては様々な影響を考慮する必要があり、徴税も政府の重要な政策目的である。税当局のニーズとグローバルな金融市場のニーズとの間で折り合いを付けることの困難さを理解した上で、多くの国が実際的な解決策を見つけようとしてきた。日本においても、そのような解決策を見つけるための努力が必要である。

関連市場

 もしヘッジ、裁定、投機取引が容易に行えれば、市場流動性は全体として向上する。これに関しては、現物、レポ、先物の価格が同時かつ相互依存的に決定されるという「三重奏(trilogy)」の重要さが昨年夏のJGS市場の経験で強調された。これに関しては、レポや先物といった関連市場の発展が重要である。レポ取引により業者は買い持ちポジションのファイナンスを行ったり、売り持ちポジションのカバーを行うことが可能になることから、顧客のニーズに素早く応えることができる。良い仕組みを持った先物市場はヘッジコストを減少させることを通じて、現物市場でのポジション造成を容易にする。この意味で、今あるレポ取引の基本契約書を他の主要国における一般的な慣行に合致する新方式のレポ取引に対応するものに改良していくことや、標準物クーポンレート等の点で先物取引の商品性見直しを図っていくことなどの、これらの市場を発展させるための努力を続けることが重要である。

ストレート・スルー・プロセシング

 取引や決済の安全性は流動性の高い市場のための前提条件である。現在のT+3決済からT+1決済への移行はこの点で重要な一歩である。また、取引コストの削減は市場流動性の向上をもたらす。T+1決済慣行の実現や取引コストの削減を実現するためには、フロント・オフィスおよびバック・オフィスの業務の合理化によりストレート・スルー・プロセシングを実現することが重要である。
 フロント・オフィス業務については、電子取引の導入が重要な前進となり得る。買手と売手がコンピュータ画面上のクリックで約定を成立させることができる電子取引は、通常の電話取引において必要な両取引当事者間の約定照合プロセスを不要にする。現時点では、いくつかの団体がJGS市場についての電子取引プラットフォームを立上げようと努力している。バック・オフィス業務については、約定後決済前の情報を処理するための健全なインフラの整備が重要である。約定照合や決済照合に関しては、複数の取組みが進行中であり、現時点でどの取組みが市場参加者の圧倒的な支持を受けるかを予測することは困難である。いずれにせよ、ストレート・スルー・プロセシングは、金融市場の流動性と効率性を高める可能性が大きいため、中央銀行を含む市場参加者がストレート・スルー・プロセシング化を促進していくことが重要である。

市場改革をどのように実現するか?

 私の話の結びとして、成功する市場改革に関し二点強調したい。第一に強調したいことは、市場改革の過程における「触媒役(catalyst)」の役割である。全ての市場参加者や経済全体は高い市場流動性の便益を享受するが、市場流動性には外部性があることから、市場参加者は常に市場改革を主導する適切なインセンティブを有しているとは限らない。このことは、「触媒役」の役割を示唆する。「触媒役」とは、民間セクターであれ公的セクターであれ、流動性阻害要因を特定し改革の必要性を明確な言葉で説明する主体のことである。
 第二に、市場主導型の改革を実現する上でのマーケット・メーカーの役割である。市場改革の実施に当たっては、市場参加者の役割が重要である。特に、マーケット・メーカー、すなわち多くの場合流動性を市場に供給しこのサービスに対し報酬を受ける市場参加者の役割が極めて重要である。マーケット・メーカーは、決済プロセスや法的または会計上の取扱いを含めた市場メカニズムに関するノウハウをもとに、あるべき市場改革についての洞察を持っており、また少なくとも持っているべきである。同時に、政府や中央銀行は、そのような民間部門の市場参加者によってもたらされるマーケット・インテリジェンスに強い関心を払う必要がある。この意味で、民間部門と公共部門の共同作業は大事にしていくべきである。日本銀行における私の同僚や私自身もこのようなプロセスに能動的な役割を担う積もりである。

<参考文献>