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通貨危機発生以降における韓国の労働市場の動向

−急速な雇用調整と雇用回復のメカニズム−

2002年12月10日
多田博子

日本銀行から

日本銀行国際局ワーキングペーパーシリーズは、国際局スタッフによる調査・研究成果をとりまとめたもので、内外の研究機関、研究者等の有識者から幅広くコメントを頂戴することを意図しています。ただし、論文の中で示された内容や意見は、日本銀行あるいは国際局の公式見解を示すものではありません。

なお、ワーキングペーパーシリーズに対するご意見・ご質問や、掲載ファイルに対するお問い合わせは、論文の執筆者までお寄せください。

以下には、(はじめに)を掲載しています。全文は、こちら (iwp02j04.pdf 2,655KB) から入手できます。

はじめに

 韓国では、1997年終盤に発生した通貨危機以降、極く短期間に、急速な雇用調整と雇用回復が遂げられた。すなわち、1997年終盤から1998年央までの9か月の間に、通貨危機と金融・企業リストラのデフレ・インパクトを背景に、失業率は+5%ポイント以上の急上昇(失業率1997年10月2.4%→1998年7月7.9%)をみた。しかしながら、政府による大胆な雇用対策と景気回復などから、1999年中には、失業率は急速な低下を示し、現在、ほぼ通貨危機前の水準に戻っている(1999年1月7.9%→2002年10月3.0%)。

 本稿1では、(1)短期間に、企業が雇用を削減し、かつ、吸収し得た背景やメカニズムは何か、(2)この間、どのような雇用対策(デフレ対策)が採られたか、また、(3)通貨危機後において、韓国の労働市場はどのように変化したか、といった点について述べる。また、韓国の経験が、わが国に対して、どのようなインプリケーションを持つかといった点についても簡単に考察する。

1 本稿は、日本銀行国際局ワーキング・ペーパー・シリーズ「韓国の金融改革について」(2002年10月)に関連して、調査したものである。韓国では、通貨危機発生後、構造調整を進めるために、金融改革、企業改革、労働市場改革など、包括的な改革が採られたが、このうち、労働市場改革について詳しく分析したものである。

要旨

通貨危機以前の労働市場の特徴

  • 通貨危機前は、高成長とサービス化の進展から、労働需給は逼迫していた(1980年代後半から、一貫して、労働参加率が上昇)。もっとも、高成長の背景の一つには、通貨危機の原因となった財閥の過剰投資や過剰な事業拡張があり、潜在的には過剰雇用を抱えていたと言える。
  • 常用雇用者の解雇は、法制上困難であったが、従業員の企業(財閥)に対するロイヤリティーが然程高くないことなどから、モビリティーは高かった(常用雇用者の平均勤続年数は、米国、日本より短い)。
  • 企業は、常用雇用者の解雇が困難なことや、民主化(1987年)以降の賃金高騰に対応して、非常用雇用者を積極活用したため、そのウェイトは極めて高くなっていた(危機前に45%に達していた)。加えて、労働市場のミスマッチが小さい(人口構成が若く、企業年金が未整備)ことから、労働市場の柔軟性は比較的高かったと言える。通貨危機発生まで、失業率の大幅な変動がみられなかったのは、高成長が続いていたためである。

通貨危機後の急速な雇用減少と雇用回復

(1)短期間の大幅な雇用調整(1997年終盤〜1998年前半)

  • 通貨危機が発生した1997年終盤から1998年央頃迄、企業倒産が増加したほか、(1)非常用雇用者のウェイトが高かったこと、(2)金大中大統領が、構造改革のために、政府・企業・労働組合の協調路線を確立(「労使政委員会」の発足と、常用雇用者の解雇を可能にする「整理解雇制」導入)し、整理解雇が容易になったこともあって、雇用調整が急速に進展した(1997年11月から1998年7月の9か月間で雇用者は1割弱減少した)。業種別には、製造業(1998年中に1割強減少)と建設業(3割弱の減少)の雇用削減が著しかった。
  • こうした雇用調整や賃金抑制から、急速かつ大幅な景気落ち込みにも拘わらず、ユニット・レーバー・コストや労働分配率は、むしろ迅速に低下した。
  • なお、「整理解雇制」に定められた、整理解雇が可能となる4条件は、日本で、判例上、解雇要件とされている4条件とほぼ同様である。従って、米国並みに、常用雇用者の解雇が容易になった訳でなく、金大中大統領のリーダーシップの下、政府・企業・労働組合の協調路線が築かれたことが、雇用調整に寄与した面が大きい。

(2)大規模な雇用対策(1998年以降)

  • こうした大幅かつ急速な雇用悪化に対応し、政府は、多額の財政支出を伴う大胆な雇用対策を講じた。具体的には、(1)雇用に対するセーフティーネットの拡充(雇用保険の拡充等)、(2)雇用創出策(パブリック・ワークの提供<日本でも議論されている「つなぎ雇用」に相当>、ベンチャー企業設立促進のための減税措置、雇用維持のための企業への補助金支給等)、(3)労働市場の柔軟化政策(職業訓練、労働派遣制度の導入)が講じられている。
  • この対策の財政負担は、1998年にGDP比1.3%、1999年には同2%に達した(因みに、この規模は、韓国と日本の経済規模格差を勘案すると、日本では、7兆〜10兆円の多額な財政支出に相当)。

(3)急激な雇用回復と非常用雇用者の増加(1999年以降)

  • 1998年下期には、政府の雇用対策効果(特に、パブリック・ワークには失業者の半数が参加)が顕著に現れ始め、雇用者数は横這いとなった。
  • また、1999年には、政府の雇用対策効果が継続したほか、(1)輸出増(ウォン・レート下落効果)や雇用削減などによる企業収益回復もあって、輸出企業を中心に雇用再吸収が進んだこと、(2)ベンチャー企業設立に対する減税措置などもあって、ITを中心とするサービス業で雇用が増加し続けたことから、雇用者数は急増に転じた。
  • さらに、2000年以降は、パブリック・ワーク・プログラムが縮小されたものの、サービス業を中心とする雇用吸収によって、雇用者は増加し続けている。新規サービス業への雇用吸収が順便に進んでいる背景としては、労働人口構成が若いことや、政府の雇用柔軟化策を背景に、ミスマッチが小さい点が指摘できる。加えて、銀行の不良債権処理が早期に進捗し、個人向けローンを中心とする金融仲介機能の回復が個人消費を後押しし、サービス部門の雇用増加に繋がっている面もあろう。
  • この間、(1)企業が、コスト削減に注力しているほか、(2)労働者派遣制度の導入もあって、非常用雇用者のウェイトが急上昇している(現在、非常用雇用者が雇用者の過半を占めている)。
  • なお、通貨危機発生後、若年者(進学、従軍など)や高齢者(帰郷、農業への従事など)の労働市場からの退出も、失業率の低下に寄与している。このため、高齢者の深刻な失業問題は生じなかった。男女別にみると、女性の労働参加率は殆ど低下していない一方、男性の労働参加率が大幅に低下している。

(4)急速な雇用回復を支えた諸条件

  • 以上のような急速な雇用回復には、(1)財政支出余地(雇用対策)、(2)若い人口構成(労働市場のミスマッチが小さい、労働市場からの退出余地)、(3)高い輸出依存度(製造業の雇用再吸収)といった3つの条件が大きく寄与したと考えられる。また、良好な財政バランスは、社会保障関連支出が増嵩していない(中央政府の歳出に占める社会保障関連支出は10%強)ことによるところも大きいため、全体として、若い人口構成といった人口動態要因が大きく効いているとも言えよう。

通貨危機後の労働市場の変化と韓国経済へのインプリケーション

  • 通貨危機前に比べると、労働市場の柔軟性は、「整理解雇制」導入(常用雇用者の解雇が容易となった)や非常用雇用者のウェイト上昇から高まっている。こうした柔軟性の高まりによって、家計の支出行動がより景気反応的になり、景気循環における家計支出の影響が高まるかどうか注目される。
  • ただ、通貨危機の真っ只中に比べると、景気回復に伴い、政府・企業・労働組合の協調路線は弱まっており(通貨危機時に労働組合側が譲歩した反動)、整理解雇に対する反対、賃上げ要求を背景とする労働争議も増加している。こうした状況下、中長期的に、(1)賃金・物価面への影響や、(2)直接投資流入に対する影響が懸念される。

【日本への若干のインプリケーション】

  • 企業リストラや再生を行なう際には、過剰債務削減に加えて、過剰雇用削減が重要となる。韓国のケースでは、労働市場の柔軟化政策や、構造改革に向けた政府・企業・労働組合の協調路線確立もあって、短期間に雇用調整が進んだ。これは、企業の収益力や産業構造の改善を通じ、中長期的には雇用創出にも繋がると言えよう。
  • また、急速な雇用調整は、短期的に、強いデフレ・インパクトをもたらすため、大胆な雇用対策とセットで行なう必要があることも確かであろう。その際、韓国では、不況業種の延命や温存に繋がるような措置が採られず、不況業種の退出と成長産業の創出が比較的スムーズに行われたことも注目に値しよう。すなわち、多くの失業者は、一旦、パブリック・ワークに従事し、その後、景気回復に伴い、競争力の高い輸出産業やITを始めとするサービス業へ吸収された。
  • この点、日本では、財政出動余地が小さいことや、労働市場のミスマッチが大きいことも事実であるが、日本と韓国は、産業構造を始めとして類似点が多いことも確かであり、上記のような韓国で講じられた諸施策は、日本にとって参考となるものである。