このページの本文へ移動

近年の米国財政収支の変化が米国債市場に与えた影響

2003年 5月16日
武田洋子*1

日本銀行から

日本銀行国際局ワーキングペーパーシリーズは、国際局スタッフによる調査・研究成果をとりまとめたもので、内外の研究機関、研究者等の有識者から幅広くコメントを頂戴することを意図しています。ただし、論文の中で示された内容や意見は、日本銀行あるいは国際局の公式見解を示すものではありません。

なお、ワーキングペーパーシリーズに対するご意見・ご質問や、掲載ファイルに対するお問い合わせは、論文の執筆者までお寄せください。

本稿の作成にあたっては、加藤涼氏(日本銀行国際局)ほか、日本銀行のスタッフから大変有益な助言・協力を得た。また、Michael J. Fleming氏(ニューヨーク連銀)からは、流動性の分析に関し、大変有益な助言・協力を得た。この場を借りて感謝の意を表したい。ただし、本稿における見解は、全て筆者に属するものであり、日本銀行の公式見解を示すものではない。

  1. *1日本銀行国際局総務課 兼 国際調査課 (E-mail:youko.takeda@boj.or.jp)

以下には、(要旨)を掲載しています。

(要旨)

  1. 米国では、90年代後半から2002年にかけて、国債市場を取り巻く環境が大きく変化した。すなわち、米国財政収支は、92年度に赤字額がピークを記録した後、赤字縮小傾向を辿り、98年度には約30年振りの黒字転換を果した。さらに、2000年度にかけて黒字幅を拡大したが、2002年度には再び赤字に転じ、足許では、先行き財政赤字が一段と拡大する観測が高まっている。米国財務省は、こうした財政状況の変化に柔軟に対応するため、国債管理政策を頻繁に変更してきた。とくに、財政収支の黒字化により国債市場の縮小観測が強まった2000年には、市場の流動性維持を主目的に、国債の買い戻し制度(Buyback Operations)や定例リオープン制度を導入・実施した。
  2. こうした財政収支の変動や国債管理政策の変更は、米国債券市場に様々なかたちで影響を及ぼしてきたものと考えられる。そこで本稿では、近年の米国財政収支の変化が米国債市場に与えた影響について、大きく(1)長期金利への影響と、(2)国債市場における流動性やボラティリティの状況に分けて、考察した。
  3. まず、長期金利への影響については、市場における財政収支の先行きに対する期待の変化が、
    1. (a)貯蓄投資バランス、
    2. (b)インフレリスク・プレミアム、
    3. (c)国債市場の需給や流動性等の変化
    といった経路を通じ、長短スプレッドの変動要因として働くことが確認された。すなわち、実証分析によれば——上記のどの経路を通じたものかは不明であるが——、財政収支の改善が長期金利を引き下げる効果が確認された。
  4. また、流動性やボラティリティに関する実証分析では、90年代末から2000年代にかけて国債発行残高が減少する下で、市場の流動性が幾分低下し(あるいは先行き流動性が低下するとの懸念が広まり)、よりボラティリティが高まりやすい状況にあったように窺われる。こうした流動性やボラティリティの変化は、リスク・プレミアムの増加を通じ、上記の長期金利の押し下げ効果をある程度相殺した可能性がある。
  5. なお、財務省は、米国債市場の流動性を重視し、財政収支や金融市場の状況変化に柔軟かつ機動的に対応した国債管理政策を行っており、これが同時期の流動性の低下を、相当程度防止する方向に寄与したものと考えられる。しかしながら、近年の財政収支の変動が余りに大きかったゆえに、結果として、完全には流動性の低下を阻止出来なかった。むしろ、局面によっては、財務省による政策変更が、投資家による先行きの予測(発行金額・回数、発行の停止・開始等)を困難にし、結果として市場における不透明感を高めた可能性もある。実際に、国債管理政策の変更が市場にショックを与え、一時的にボラティリティを大きく高めた局面がみられた。
  6. さらに、国債市場を取り巻く環境の変化は、債券市場全体の構造や投資家行動にも大きな影響を及ぼした可能性がある。90年代末以降、国債市場の縮小(ないしは消滅)観測が強まる下で、内外の投資家は、米国債の代替資産としてMBS、エイジェンシー債、社債等の債券への投資を積極化させたとみられる。その結果、債券市場における国債以外の債券比率が高まり、現在では、MBSを中心に国債以外の債券投資に絡むヘッジ取引の動向が、国債市場における価格形成やボラティリティに大きな影響を及ぼすにまで至っている。
  7. このように、近年の米国財政収支の大きな変動は、市場における流動性プレミアム、ボラティリティの変化も含め、国債の価格形成に少なからず影響を与えたとみられるほか、債券市場全体の構造や投資家行動にも大きな変化をもたらした。