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90年代後半以降における米国企業の投資活動とコーポレート・ガバナンス

2003年 9月 8日
山下裕司
石崎寛憲

日本銀行から

日本銀行国際局ワーキングペーパーシリーズは、国際局スタッフによる調査・研究成果をとりまとめたもので、内外の研究機関、研究者等の有識者から幅広くコメントを頂戴することを意図しています。ただし、論文の中で示された内容や意見は、日本銀行あるいは国際局の公式見解を示すものではありません。
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以下には、(要旨)を掲載しています。全文は、こちら (iwp03j06.pdf 274KB) から入手できます。

要旨

  1. 90年代後半から2000年にかけて、米国では、歴史的とも言える株価の上昇がみられた。また、この時期は同時に、企業による投資活動(設備投資、M&A投資)が著しく積極化した時期でもあった。しかしながら、2000年秋口に株価の基調が反転したのとほぼ時を同じくして、企業の投資活動も90年代後半の勢いを急速に失い、2年余を経た現在まで、投資活動の回復が確認されるには至っていない。
  2. 当時の株価の上昇と投資ブームの主因として、企業収益の先行きについて著しく期待が強気化していたことが一般に指摘されている。例えば、中長期EPS(一株当たり利益)の成長率期待をみると、85年以降、10〜12%程度(年率)で安定していたが、96年頃から急速に上昇し、2000年夏場には18%を超える水準に達していた。
  3. しかし、米国の生産性を事後的に検証した研究によれば、90年代後半のTFP(全要素生産性)上昇率は、80年代〜90年代前半の平均に比べて1%ポイント上振れたに過ぎない。また、2001年には、TFP上昇率が再び95年以前の上昇率に復している。つまり、90年代後半の生産性の向上に対する期待は、事後的にみれば過大なものであった。
  4. こうした期待の高まりには様々な要素が複合的に作用しているものと考えられるが、本稿では、とくに企業会計上のいくつかの問題が期待の強気化を助長してきたことを指摘したい。まず、ひとつには、ストックオプションの取扱いである。90年代後半には、IT関連企業などを中心に、ストックオプションで役職員報酬を支払う企業が増えていた。ストックオプションは、企業経営者の利害と株主の利害を重ね合せることで、株主利益の最大化を目指した企業経営を促す効果を持つ。しかし、米国の企業会計基準では、ストックオプションによる報酬支払について、費用として計上しない扱いが許容されている。したがって、企業収益の実績を評価するためには、報酬としてのストックオプションを発生主義に基づいて付与段階で費用計上すべきとの立場に立てば、ストックオプションによる報酬支払が費用計上を免れる分だけ、決算上の収益が嵩上げされていたことになる。こうしたみかけ上の好収益が、IT投資による企業の生産性向上、ひいては企業収益見通しに対する楽観論を後押しした可能性が高い。
  5. ふたつめの問題には、企業収益の評価方法がある。米国では、従来から、多くの企業が、当該企業自身が自社の企業収益額を表す指標として適切と考える基準(プロ・フォーマ基準)を設定し、これに基づき計算された収益額を開示してきた。当時広く用いられていたのは、企業収益を減価償却費などを差し引く前のベースで評価するEBITDA(利払前・税引前・償却前利益)という収益指標である。別の言い方をすれば、EBITDAは設備投資に係るコストである減価償却負担や債務に対する利払い負担を捨象するものである。この点が、設備投資に対する企業経営者の判断や株主からのチェックを甘くする方向で作用し、事後的にみれば過大な投資活動を加速させていた面があると考えられる。
  6. なお、こうした企業会計上の問題は、過度の投資活動を助長したのみならず、より広い意味でのコーポレート・ガバナンスや市場の規律を弛緩させる一因となる方向で作用した。例えば、2001年10月に発覚したエンロン事件に代表される不正経理も、90年代後半に端を発しているが、これは当時、ストックオプションの普及によって、企業経営者が株価の上昇に過度に拘泥していたことや、企業会計上の有利な取扱いから好収益が常態化したことで、不正の隠蔽が見逃されやすい環境がつくりだされていたことも、影響したものと考えられる。更に、当時は、監査人や証券アナリストも、コンサルティング業務や投資銀行業務の利害に影響されたこともあって、不正経理の発生防止に十分寄与できなかったとされている。
  7. 次に、90年代後半から2000年にかけて行われた積極的な投資活動について、企業のバランスシートの変化という観点からみると、ここでも様々なメカニズムが複合的に働き、バランスシートの拡大をもたらしていたことがわかる。まず、IT投資を中心とする設備投資の急増は、有形固定資産を拡大させた。また、当時、M&A投資がIT業種を筆頭に過去に例をみない程活発化したが、多くの案件において、被買収企業の純資産の時価を大きく上回る価格での買収が行われた結果、買収企業は多額の「のれん代」を計上した。この「のれん代」計上に伴うバランスシートの拡大の影響を米国企業全体でみると、設備投資がもたらしたバランスシートの拡大に匹敵するものとなっている。
  8. さらに、企業のバランスシートに大きな影響を与えたもうひとつの要因として、この時期に、雇用者に対して手厚い企業年金の設定が相次いだことが挙げられる。これは、大幅な生産性向上による高成長の持続を見込んで、成長の果実を雇用者に還元するスキームであった。しかし、実際には、そうした高成長は実現せず、株価の上昇基調も持続しなかった。このため、現在では、結果として裏付け資産に対して過剰な企業年金債務が取り残されたかたちとなっている。
  9. もとより、投資が実施された当時企図されていたような企業収益増大が実現されていれば、投資に伴うバランスシートの拡大には問題はないといえるが、実際の企業収益の伸びは、当時の「期待」を大きく下回るものとなっている。このため、現在、総資産利益率(ROA)は過去最低水準にある。また、年金債務も含め、企業債務も大幅に積み上がった状態が続いている。このように発生した企業部門におけるバランスシートの調整圧力は、「負の遺産」として企業の投資活動に対してネガティブな影響を与え続けているものとみられる。
  10. これまで示してきた米国の経験は、企業会計を含めたコーポレート・ガバナンスのあり方が、投資活動などを通じてマクロ経済にも多大な影響を与えるため、これらミクロ面での制度設計にあたっては、マクロ経済に与える影響をも視野に入れるべきことを示唆しているように思われる。実際米国では、こうした制度設計面での欠陥が行き過ぎた企業行動をもたらしたとの反省に立ち、エンロン社の不正経理表面化の直後から、コーポレート・ガバナンスの改善に向けた議論が活発に進められた。こうした中、2002年7月には早くも、監査人や証券アナリストのあり方の見直しや、企業の情報開示に対する経営者の責任強化などを謳ったサーベインズ・オクスレー法が制定された。また、2003年1月には、同法に基づき、EBITDAを開示する上でのルールも明確化された。こうした一連の改革には、企業の投資活動を過度に萎縮させているとの批判もみられており、その評価は後世の判断を待たなければならない面もあるが、円滑な経済活動の土台となるべき制度面での問題が表明化した場合における、同国の迅速な対応ぶりは、注目に値するものと思われる。