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中央銀行と民間部門との双方向コミュニケーションとインフレ率の変動

2008年11月
青木浩介*1
木村武*2

要旨

 金融政策運営におけるコミュニケーションの重要性は、中央銀行実務家や金融市場参加者、経済学者などの間で広く認識されるようになっている。金融政策の効果は、現在の政策スタンスだけではなく、先行きの政策運営に対する民間部門の期待にも依存するため、コミュニケーションは、民間部門の期待に適切に働きかけていくうえで、重要であるというものである。

 これまでの理論研究によって、中央銀行による経済見通しやインフレ目標値の提示といった、中銀から民間部門へのコミュニケーションが、マクロ経済変動の安定化につながることが明らかにされてきた。しかし、中央銀行と民間部門とのコミュニケーションは、前者から後者への一方向のコミュニケーションに限定されるものではない。現実の世界では、中央銀行が金融市場の発信する情報(例えば市場参加者のインフレ期待や自然利子率に関する見方)を政策運営に生かしていくという民間部門から中央銀行へのコミュニケーションも同時に行われている。

 本論文は、中央銀行と民間部門——特に金融市場——との間の双方向コミュニケーションが、マクロ経済の変動にどのような影響を及ぼすかについて、理論モデルを用いて分析したものである。具体的には、様々な情報を持った市場参加者の行動が資産価格に反映される過程を描写するために、アイランド・エコノミー・モデルを用い、コミュニケーションの機能度は、物価安定(ノミナルアンカー)に対する市場参加者の信任に大きく依存することを理論的に明らかにする。

 例えば、物価安定に対する信任が低い場合に、何が起きるであろうか。金融市場の参加者は、中央銀行が何を考えて金融政策を行っているかについて、様々な情報を用いて期待形成することになるが、政策に対する信任が低いほど、当然、彼等の期待形成の分散(中央銀行の真の考えとそれに対する民間の期待形成の乖離)も大きくなる。こうした状況の下では、中央銀行自身も政策運営を行う上で困難に直面するようになる。中央銀行は、経済の状態について完全情報を持ち得ない以上、民間の持っている情報を、金融市場から抽出して政策運営に利用するが、民間の期待形成の分散が大きいため、中央銀行が市場から抽出する情報の精度が低くなってしまう。例えば、長期金利は、市場参加者のインフレ期待と自然利子率の和からなるが、長期金利が変動した場合に、中央銀行は何を読み取ればよいであろうか。もし、物価安定に対する信任が高い場合には、インフレ期待が大きく変動しないため、自然利子率の変動であることが予想される。しかし、物価安定に対する信任が低い場合には、インフレ期待の変動なのか、自然利子率の変動なのか、中央銀行にとって識別が困難になり、市場参加者の持っている情報を正しく抽出することができなくなってしまう。言い換えれば、物価安定に対する信任が低いと、実体経済の動きを映し出す金融市場の鏡が曇り、中央銀行と民間の双方向のコミュニケーションがうまくできなくなることで、中央銀行による景気判断の誤り(ひいては政策運営の過り)につながることになる。これが、最終的には、インフレ率の不安定化につながることになる。

 逆に、物価安定に対する信任が向上すれば、中央銀行と民間の双方向のコミュニケーションがうまくいくことで、金融市場の鏡の曇りは拭われ、中央銀行の景気判断の精度が向上する。その結果、より的確な金融政策の遂行が可能となり、インフレ率の安定化につながる。

 本論文は、中央銀行が直面する「データの不確実性」とコミュニケーションの関係も明らかにしている。1970年代の米国においてインフレ率が大幅に上昇した背景(いわゆるGreat Inflation)については、「自然失業率や自然利子率に関するデータの不確実性を十分考慮せずに、FRBが政策運営を行ったこと(過度の金融緩和を行ったこと)が一因になった」ということが、既往研究によって指摘されている。こうした研究のインプリケーションとしては、「政策運営に際しては、データの不確実性の高い指標に重きを置くべきではない——すなわち、曇った「鏡」は見てはいけない——」というものである。これに対して、本論文は、データの不確実性は中央銀行にとって外生的なものではなく、金融市場との双方向コミュニケーションを強化することで、その不確実性の程度——金融市場という「鏡」の曇り具合——を抑制できるという意味で、内生的なものである点を明確にしている。

  1. *1ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス E-mail: k.aoki@lse.ac.uk
  2. *2日本銀行金融市場局 E-mail: takeshi.kimura@boj.or.jp

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