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【講演】日本経済の課題と中小企業の挑戦

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日本商工会議所における講演

日本銀行副総裁 山口 廣秀
2012年4月19日

目次

1.はじめに

日本銀行の山口でございます。本日は、経済界の第一線で活躍されている皆様の前でお話しする機会を賜り、誠に光栄に存じます。

商工会議所と日本銀行は、過去1世紀以上に亘って深いつながりを有してきました。わが国最初の商工会議所である東京商法会議所の初代会頭は、日本資本主義の父と言われる渋澤栄一ですが、その孫は、日本銀行第16代総裁の渋澤敬三です。第15代総裁の結城豊太郎は、総裁就任前の一時期、日本商工会議所の会頭でした。また、歴代の会頭からは、日本銀行参与として貴重なご助言を頂戴していますし、各地の商工会議所や企業の皆様には、日本銀行の職員が、様々な機会を通じて直接意見交換させて頂いています。そうした場を通じて得られる金融・経済に関する情報は、私どもの政策を運営していくうえでの貴重な判断材料となっています。この場をお借りして、改めて厚く御礼申し上げます。

さて本日は、最近の日本経済の動向についてご説明した後、中小企業の活動を念頭に置きながら、日本経済が直面する課題についてお話します。そのうえで、日本銀行による最近の金融政策運営についてご説明します。

2.最近の日本経済

最近の経済情勢と当面の見通し

それでは、最近のわが国の経済情勢から話を始めます(図表1)。日本経済は、昨年夏にかけて、東日本大震災後の大幅な落ち込みから急速に回復しました。その後は、海外経済の減速や円高の影響などから、横ばい圏内の動きを続けていますが、最近では、持ち直しに向かう動きがみられています。公共投資がここにきて増加に転じているほか、個人消費も、自動車に対する需要刺激策の効果もあって底堅さを増しています。海外経済は全体としてなお減速した状態にありますが、米国経済が緩やかな改善を続けるなど、幾分明るい動きもみられます。先行きについては、新興国・資源国に牽引された海外経済の持ち直しや、国内の復興関連需要の強まりから、わが国経済が緩やかに回復していくことを期待しています。

先行きを巡る不確実性

こうした経済の見通しには様々な不確実性が伴います。本日は、私が特に注意を要すると考える3点を指摘しておきたいと思います。

第1の不確実性は、海外経済、とりわけ欧州経済の動向です。欧州中央銀行による大量の資金供給やギリシャに対する金融支援の実施などを背景に、少なくとも金融機関の資金繰りの悪化が原因となるかたちで、欧州債務問題が国際金融資本市場の大きな混乱をもたらす可能性は一頃より低下しています。しかし、今後、欧州周縁国が財政・経済構造改革といったより抜本的な対応をスムーズに進めていけるのかどうか、予断は許しません。実際、最近では、スペインの財政改革が難航していることが、金融資本市場の新たな不安定要因として意識され始めています。

第2の不確実性は、原油価格を始めとする国際商品市況の動向です。原油価格の上昇は、わが国の企業収益や家計の実質購買力の下押し圧力となります。また、世界的にインフレ圧力が高まれば、一部に明るい動きがみえ始めた海外経済が、再び減速する可能性も否定できません。

第3の不確実性は、国内の電力事情です。今後、夏場を中心に電力需給を巡る情勢が厳しさを増す可能性があるほか、火力発電へのシフトに伴う電力コストの増加という問題もあります。これらの点は、特に、自家発電設備などの自衛手段に乏しい中小企業にとって、先行きの不透明感を増大させます。さらに、厳しい電力事情が長期化するようであれば、国内外における最適な分業体制を目指す企業にとって、海外での生産・業務を拡大する誘因となります。それに代わる新たな国内生産活動が生まれてこない場合、わが国の潜在的な成長力が低下する可能性があります。

先ほど述べた第1の不確実性、すなわち海外経済の動向に関連して、為替市場の動きにも触れておきたいと思います。本年2月以降、相場は幾分円安方向で推移していますが、それでもリーマン・ショック前に比べれば、かなりの円高水準が続いています。これには、リーマン・ショックやその後の欧州債務問題の深刻化などから、グローバルな投資家がリスク回避姿勢を強め、相対的に安全とみられる円などを買い進めてきたことが影響しています。日本銀行では、海外経済の先行きを巡る不確実性が大きい現在の局面においては、円高が、輸出や企業収益の減少、企業マインドの悪化などを通じて、日本経済にマイナスの影響を及ぼす可能性に、特に注意が必要であると考えています。円高には、輸入コストの抑制など、様々なメリットもあります。しかし、円高メリットを期待できるはずの内需関連企業でも、将来の成長の姿がなかなか描けない現状にあっては、そのメリットを活かした前向きなビジネスに踏み出しにくい状態にあるように思います。

このように、経済の先行きに対する不確実性は、現時点の企業の経済活動に多少なりともブレーキをかけることになります。その意味で、中長期的な経済の動向やそれに対する企業の見方は、足もとの景気に投影されます。こうしたことも頭に置きながら、以下ではやや長期的な視点に立って日本経済を振り返り、そのうえで、日本経済の再生に向けた課題について考えてみたいと思います。

3.日本経済の中長期的な課題

経済成長率の趨勢的な低下

わが国経済は、かつての高度成長期に年平均10%程度の高い経済成長率を実現しました。その後、さすがに成長率は低下しましたが、それでも1970年代は約5%、1980年代は4%台という高めの成長を維持していました。しかし、1990年代には1%台半ばに大きく落ち込み、2000年代は、平均して1%にも満たない水準となっています(図表2)。こうした成長率低下の背景としては、高度成長期以降続いていた米欧先進国へのキャッチアップ過程が終了したことや、高齢化の進行に伴い、生産年齢人口が増加から減少に転じたことなどが挙げられます。

就業者数が減少しても、就業者1人が稼ぎ出す付加価値、つまり労働生産性を高めれば、経済全体の成長力を維持することはできます。しかし、1990年代以降、経済のグローバル化が一気に進み、新興工業国がライバルとして次々登場する中、日本経済は、こうした外部環境の変化に十分即応し切れず、企業の国際競争力や生産性は低下していきました。環境変化に即応できなかった要因は大きく2つあります。第1に、この時期にバブル崩壊の影響が重なったことです。日本の企業は、バブル期に蓄積された債務、雇用、設備の「3つの過剰」の解消に追われ、前向きな経済活動にまでなかなか手が回りませんでした。第2の要因は、経済構造改革の遅れ、すなわち、生産性の低い分野からより高い分野へ労働力や資本がスムーズに移動しなかったことです。日本の場合、1990年代以降、積極的な財政・金融政策が経済を下支えし続けてきました。その間、抜本的な構造改革の必要性が何度も指摘されましたが、一部の分野における規制緩和などを除き、現実の改革は遅れがちでした。成長力の強化にとって本来必要な構造改革がうまく進まなかったことが、1990年代以降、日本の経済成長率が趨勢的に低下したひとつの要因と考えられます。

低成長とデフレ

こうした成長力の趨勢的な低下は、日本経済が長年抱えているデフレの原因にもなっています。経済成長率の低下傾向が長期化すると、人々は、将来の成長に対する自信や期待がもてなくなります。先ほど少し述べましたが、将来の成長に対する不安は、人々の現在の支出活動を委縮させます。そうして現実の成長率が低下すれば、それがまた、人々の将来の成長期待を低下させるという悪循環につながります。こうした構造的ともいえる悪循環は、慢性的な需要不足をもたらします。財やサービスの供給に対して需要が不足すれば、通常、物価は下落します。わが国は、1990年代後半以降、金融システム危機、ITバブルの崩壊、リーマン・ショックをきっかけに、3度の景気後退を経験しました。そして、経済の大幅な落ち込みに直面する度に、先ほど申し上げた悪循環が強く意識され、その後の景気回復局面でも成長期待が十分に高まらず、需要不足の状態からなかなか脱出できないという状況が繰り返されました。その結果が、デフレ傾向の長期化です。

需給ギャップと需給のミスマッチ

内閣府の試算によると、年率換算した足もとの需給ギャップは、約15兆円です。リーマン・ショック直後の試算では約40兆円とされていましたので、その頃よりはかなり縮小していますが、それでもまだ大きなギャップが存在しています。この点、財政政策や金融政策によって景気を刺激して15兆円分の需要をつくりだせば、需給ギャップが埋まり、直ぐにデフレから脱却できるとの指摘があります。しかし、そのように話は単純ではありません。需給ギャップという数字は、既存の財やサービスに対する需要の大きさと、それを供給するための既存の生産能力との乖離を計算したものです。しかし、現実には、高齢化を始めとする社会の構造変化によって、人々の需要そのものが変化してきています。そうした新たな需要に対し、供給サイドが十分に応えられていないとすれば、それは、単なる需給ギャップの問題ではなく、需給のミスマッチ、つまり需要と供給がかみ合っていないことに伴う問題であるように思います。例えば、医療・福祉産業については、急速な高齢化により、まだまだ大きな需要が見込まれるにもかかわらず、各種の規制や現場の人手不足などから、結果的に十分なサービスが提供できていないとの声が多く聞かれます。また、アジア市場の拡大や外国人観光客の増加をビジネス・チャンスと認識しつつも、市場情報の不足や人材難などから、輸出の拡大や販売力強化のための十分な体制を築けず、これによって需要を逃しているとすれば、そこにも一種のミスマッチが生じています。

こうして考えると、単に需給ギャップを埋めるという発想では不十分なことは明らかです。供給構造の変革、すなわち将来的に需要が期待できない分野の供給能力を縮小する一方で、人々の新たな需要にマッチする供給体制を拡充していくことが必要です。潜在的な需要が現実の付加価値につながれば、企業の収益や生産性は向上し、その結果、経済全体の成長力が高まります。そこで以下では、日本経済の再生に向けた企業の取り組みについて考えてみたいと思います。

4.日本経済の再生に向けた中小企業の挑戦

過去20年における製造業の生産性をみると、1990年代は、大企業、中小企業ともに生産性の伸び率は停滞しました。2000年代入り後、リーマン・ショックに直面するまで、大企業の生産性の伸び率は、輸出の増加もあって再び上昇しましたが、中小企業の伸び率は概ね横ばいを続けました(図表2)。このため、この時期、大企業と中小企業の収益格差はかつてないほど拡大しました。しかし、今振り返ると、当時の輸出拡大は、米欧の信用バブルと大幅な円安によって後押しされていた面がありました。つまり、私は、2000年代半ばという時期は、大企業にとって特に有利に作用した局面であり、中小企業の力がそれ以前に比べて弱まった訳ではなく、その底力はしっかりと維持されていたと考えています。実際、高い技術力を磨いて世界に飛躍した「オンリーワン企業」の存在や、震災からの素早い立ち直りを可能とした「現場力」など、最近も、中小企業の底力を強く印象づける話は少なくありません。

わが国経済の再生にとって必要なことは、こうした底力が日本経済の強みとして最大限発揮されるよう、個々の企業が挑戦を続けていくことです。

第1の挑戦は、グローバリゼーションという大きな流れを活用することです(図表3)。輸出や対外直接投資を開始した中小企業は、そうでない企業に比べて、相対的に高い生産性の伸び率を実現しています。この点、中小企業白書によれば、海外への直接投資を行った企業の平均的な生産性の伸び率は1.8%であったのに対し、投資をしていない企業の伸び率は平均で1.0%となっています。輸入品の活用や訪日外国人需要の取り込み、外国人人材の活用、外資系企業との取引なども、グローバリゼーションを活用する有効な方法です。内外市場の一体化が進む中、ヒト、モノいずれの面でも、身近なところに成長の起爆剤は数多く存在しています。

第2の挑戦は、内需の掘り起こしです(図表4)。環境・エネルギーを始め様々な分野が考えられますが、高齢化や人口構成の変化も、大きなビジネス・チャンスを生み出しています。中小企業の開業率を業種別にみますと、最近では、医療・福祉のほか、高齢者を新たな顧客として取り込み始めたIT関連、飲食・宿泊、教育・学習支援といった業種が相対的に高くなっています。団塊の世代と呼ばれる人々は、その前後の世代に比べて消費性向が高いことが知られています。「アクティブシニア」と呼ばれるこうした世代を含め、個人消費に占める60歳以上の高齢者の比率は、既に4割以上に達しています。

これらの新たな挑戦を行ううえでは、中小企業ならではの強みを活かしていくことが重要です。中小企業のメリットは、「意思決定が迅速であること」や「小回りが利く」ことです。中小企業は、規模の小ささ故に周囲の環境変化に応じた大胆な決断が可能であり、大きく飛躍する潜在力をもっています。「きめ細かな対応が可能であること」も中小企業のメリットです。高齢化が進む中、最近では、地元に密着した自宅訪問型のサービスが各地で好評を博しているとも聞いています。こうしたフェイス・トゥ・フェイスのビジネスは、大企業には簡単に真似のできない、中小企業ならではの成長分野です。

企業の挑戦は、時として地域経済に変化をもたらします。例えば、生産拠点の海外シフトについては、地元の雇用維持が問題になるとの意見がしばしば聞かれます。しかし、海外需要の開拓とともに、内外の分業体制を見直し、国内事業をより高度化するといった取り組みを合わせて行えば、結果的に地元の雇用にもプラスの影響が及んでいくと考えられます。この点について、中小企業白書によれば、「海外への直接投資を行った企業は、投資後に一旦従業員数が1割ほど減少するが、6〜7年後には、逆に、投資をしていない企業よりも国内の従業員が増加する」とされています(図表3)。大切なことは、長い目でみて、どうすれば企業が成長し、地域経済が活性化していくのかを考えていくことです。地域経済を代表する皆様方や各地の商工会議所には、こうした面でも、強力なリーダーシップを発揮して頂きたいと考えています。

5.日本銀行の金融政策運営

最後に、日本銀行による最近の金融政策運営についてお話しします。

日本銀行は、日本経済がデフレから脱却し、物価安定のもとでの持続的成長経路に復帰することがきわめて重要な課題であると認識しています。そうした認識のもとで、本年の2月と3月に、次の2つの措置を実施しました。

まず、2月には、デフレ脱却に向けた日本銀行の政策姿勢をより明確化するとともに、金融緩和を一段と強化しました(図表5)。具体的には、「中長期的な物価安定の目途」を導入したうえで、これに基づき、当面、消費者物価の前年比上昇率1%を目指して、それが見通せるようになるまで、強力に金融緩和を推進していくこととしました。また、言葉だけではなく行動で裏付けるため、「資産買入等の基金」と呼ばれる金融資産の買入れプログラムを拡充し、10兆円程度の長期国債を追加的に買入れることを決定しました。

続いて、3月には、民間企業の成長力強化の取り組みをサポートするため、「成長基盤強化を支援するための資金供給」、短く言うと「成長支援資金供給」を、円貨、外貨の両面で大幅に拡充することを決定しました(図表6)。成長支援資金供給は、わが国経済の成長に資する投融資を行う金融機関に対し、日本銀行が長期かつ低利の資金を供給する制度として、2年前に導入されました。3月の決定には2つのポイントがあります。第1に、これまで制度の枠外にあった1,000万円未満の小口の企業向け投融資を対象とする特別の貸付枠5,000億円を新設したことです。地域の金融機関などから、小口の投融資先の中にも、今後の挑戦次第で大きく飛躍する中小企業が少なくないとの声が聞かれたことが、こうした特別枠を設けるひとつのきっかけとなりました。第2に、金融機関の外貨建て投融資を対象として、ドル資金による1兆円(120億ドル)の貸付枠を新設したことです。これは、グローバリゼーションの流れを活用して国内の成長力を高める取り組みを後押しすることを狙いとしています。この点、海外展開や輸入拡大に取り組んでいるのは、大企業だけでなく、中小企業も同様です。このため、新たな貸付制度が一部の大型案件にかたよることなく、中小型案件を含めて広く利用されるよう、外貨建て投融資1件当たりの利用可能金額に上限を設けるなど、制度運営面での工夫も行っています。

日本銀行では、日本経済がデフレから脱却するためには、成長力強化の努力と金融面からの後押しの両方が必要だと考えています。こうした認識に基づいて実施した2月と3月の措置は、デフレ脱却に向けたひとつの政策パッケージです。日本銀行としては、これらの措置が一体となって、日本経済のデフレ脱却と物価安定のもとでの持続的な成長の実現に向けた動きを促していくと考えています。

6.おわりに

本日は、日本経済が直面する課題とそれに対する取り組みを中心にお話ししてきました。1990年代のバブル崩壊以降、厳しい経営環境が続いていますが、その中にあっても、中小企業では、女性や高齢者の活用を進め、「ワーク・ライフ・バランス」に積極的に取り組まれている経営者が多いと聞いています。一見地道な活動ではありますが、これも、従業員の定着率の上昇を通じて、生産性の向上や競争力の強化につながると考えられます。さらに言えば、こうした取り組みは、働く意思と能力のある多くの人に、個々のライフスタイルやライフステージに合わせた様々な雇用の機会を提供しています。このように、中小企業は、GDPや生産性といった数字だけでは測ることのできない国民生活の豊かさをももたらす原動力となっています。その意味でも、やはり、中小企業が元気にならなければ、日本は元気になりません。日本銀行としても、強力な金融緩和姿勢のもとで、必要に応じて適切な措置を講じ、企業の活動をしっかりとサポートしていきたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。