【挨拶】成長力強化に向けた金融資本市場の役割と証券業界への期待
平成24年全国証券大会における挨拶
日本銀行総裁 白川 方明
2012年9月20日
目次
はじめに
本日は、「平成24年全国証券大会」にお招き頂き、誠にありがとうございます。日本証券業協会、全国証券取引所協議会、投資信託協会に加盟の皆様におかれましては、常日頃より証券市場の発展に尽力され、これを通じて日本経済の安定的な成長の実現に貢献されています。皆様のご努力に対し、日本銀行を代表して、心より敬意を表します。
本日は、最初に、最近の金融経済情勢と日本銀行の政策運営についてご説明し、次に、わが国経済の成長力強化に向けた金融資本市場の役割についてお話しすることをもって、私からのご挨拶とさせて頂きたいと思います。
最近の金融経済情勢と日本銀行の政策運営
まず、最近の金融経済情勢についてご説明します。海外経済は、減速した状態がやや強まっています。国際金融資本市場では、欧州債務問題を背景とした投資家のリスク回避姿勢は、欧州中央銀行(ECB)の政策対応などもあって一頃に比べればやや後退していますが、今後の市場の展開には十分注意していく必要があると考えています。
わが国の景気については、本年前半は堅調な内需を背景に高めの成長を実現してきましたが、先ほど述べた海外経済の状況を反映し、持ち直しの動きが一服しています。また、物価面では、消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、概ねゼロ%となっていますが、既往の原油価格の下落が下押し要因となっています。こうしたもとで、当面、景気は横ばい圏内の動きにとどまるとみられ、消費者物価の前年比はゼロ%近傍で推移するとみられます。
リスク要因をみますと、欧州債務問題、米国経済の回復力、新興国・資源国の物価安定と成長の両立の可能性など、世界経済を巡る不確実性が引き続き大きいほか、金融・為替市場動向が景気・物価に及ぼす影響には、注意が必要と考えています。
日本銀行は、これまで、景気の先行きについて、やや長い目でみれば、国内需要が底堅さを維持し、海外経済が減速した状態から次第に脱していくにつれて、緩やかな回復経路に復していく、と判断してきました。また、消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、徐々に緩やかな上昇に転じ、2014年度以降、遠からず1%に達する可能性が高い、と考えてきました。
しかし、昨日の金融政策決定会合では、先ほど述べたような足もとの状況を踏まえ、日本経済がこうした「物価安定のもとでの持続的な成長経路に復していく」という軌道を踏みはずさないようにするためには、金融緩和を一段と強化することが適当であると判断しました。具体的には、資産買入等の基金の目標残高を、70兆円程度から80兆円程度に10兆円程度増額することにしました。あわせて、長期国債を今回の増額分も含めてより確実に買い入れていくため、現在、年0.1%に設定している当該買入れの入札下限金利を撤廃することとしました。資産買入等の基金は、2010年10月に35兆円程度で開始しましたが、今回の増額によって、実に80兆円程度にまで拡大することになります。現在の残高は約60兆円ですが、来年末にかけてさらに約20兆円の資産を買い入れていくことになります。これらによる一段と強力な金融緩和の推進は、長めの金利やリスク・プレミアムへのさらなる働きかけを通じて、企業や家計等の金融環境をより緩和的にします。昨日決定した金融緩和の強化は、これまでの措置の累積的な効果と相まって、日本経済が物価安定のもとでの持続的な成長経路に復することを確実なものにすると考えられます。
日本銀行としては、今後とも、資産買入等の基金の着実な積み上げを通じて間断なく金融緩和を進めていきます。ただ、それと同時に、証券業界の皆様が実感されているように、金融環境は極めて緩和した状態であることも事実ですので、こうした金融環境を活かしながら、成長力を強化することが不可欠です。日本経済の課題とされているデフレからの脱却は、そうした成長力の強化と金融面の下支えの両方が揃って初めて実現するものです。
証券業界への期待
そこで、次に、わが国経済の成長力強化に向けた金融資本市場の役割というテーマに話を移すこととします。わが国経済を振り返りますと、過去20年間、成長率が趨勢的に低下傾向にあり、成長力の強化が大きな課題であることが分かります。成長を実現するためには、何よりも民間企業のイノベーションが最も重要ですが、これを支える金融の役割は非常に大きいと思っています。先ほど、デフレからの脱却には成長力の強化と金融面からの下支えの両方が必要であると申し上げましたが、この金融面からの下支えという言葉には、日本銀行による強力な金融緩和政策と、民間金融機関、金融資本市場の果たす貢献という、ふたつの意味を込めています。金融政策については先ほどご説明したとおりですが、皆様方が証券市場を通じて果たされている役割は潜在的に非常に大きなものです。そうした思いから、以下では、証券業界の皆様に対し、希望し、期待することを2点申し上げます。
第1点目は、新しい産業や、創業期の、あるいは再生を目指す企業に対するリスクマネーの供給です。潜在的にはどのように有望な企業や事業であっても、資金が供給されなければ、成長の芽は育まれません。この面で、証券会社の役割は重要であることは言うまでもありませんが、証券会社の役割はこれにとどまりません。円高環境も活かしたグローバルなM&Aのサポート、企業の資本政策の見直し、融資や投資の証券化、資金調達の多様化など、企業のニーズに応じた経営ソリューションの提供の面でも、証券会社が果たし得る役割には大きなものがあります。
最終投資家の役割も重要です。経営学者のドラッカーは40年近くも前に、「見えざる革命」という名前で、成長を実現する上で、企業年金の果たす役割の重要性を強調しましたが、わが国においても、企業年金や保険会社をはじめ、機関投資家の果たす役割は非常に重要です。経済成長とは投下した資本や労働が果実を生むプロセスである以上、長期的な観点に立ってリスクとリターンを評価する厚みのある投資家層は経済成長に不可欠の存在です。長期投資という点では、個人投資家の果たす役割も重要です。この点、機関投資家や個人投資家に対し、金融商品を開発し、提供する投資信託業界の果たす役割も重要です。日本と欧米諸国を比較した場合、ひとつの大きな違いは厚みのある多様な投資信託商品が存在するかどうかという点にあるように思います。
証券業界の皆様に希望し、期待することの2点目は、証券市場を支える様々な基盤、インフラストラクチャーの整備です。
2008年秋のリーマン・ショック発生後、わが国を含め、世界経済は大きな落ち込みを経験しましたが、1930年代のような大不況に陥ることは回避されました。その理由としては、先進国の積極的な金融財政政策の発動が挙げられますが、それと同時に、わが国を含め、先進国が過去20年近くにわたって取り組んできた様々な金融資本市場の基盤整備の努力が成果を挙げたことも忘れてはならないと思っています。危機において問題となるのは、1日の終わった時点での与信ではなく、日中の瞬間において発生する与信です。仮に、証券と資金の同時決済化、日銀ネット決済の即時グロス決済化、国債・株式などにかかる清算機関の設立などが未だに実現していない状態で、リーマン・ショックを迎えていたとすれば、金融資本市場の混乱も実体経済への悪影響も、より大きなものとなっていたことは間違いありません。
ただ一方で、この金融危機の経験から新たな課題も世界的に浮かび上がってきました。例えば、金融危機前に急速に市場規模が拡大したクレジット・デフォルト・スワップ、すなわちCDSをはじめとする店頭デリバティブ取引やレポ取引などについては、先に述べたような市場の基盤整備が追いついていませんでした。そこで、これらをはじめとする様々な市場について、改革に向けた対応が進められています。そのひとつが、G20で合意された店頭デリバティブの清算集中です。この点については、わが国においても、市場の基盤整備が進んでいます。昨年7月に、日本証券クリアリング機構において、CDSの清算が開始されたのに続き、この10月からは金利スワップの清算が始まります。この間、国債取引に関しては、本年4月からは、国債アウトライト取引が3日後決済から2日後決済へと短縮され、未決済残高の削減が着実に進展しました。今後は、さらに、欧米諸国で採用されている翌日決済に向けた検討が進められることになっています。
ただ今申し上げた様々な市場の基盤整備の動きは、金融危機の教訓を踏まえたリスク認識の高まりが大きな契機となっていますが、それだけではありません。各国が自国の金融資本市場の競争力を維持し、高める観点から、市場の基盤整備の強化に取り組んでいるという側面も無視できません。そうしたわが国の金融資本市場の競争力という観点から気懸りなのは、日本の株式市場における出来高の減少傾向です。出来高の減少は、市場にとって重要な流動性の低下に繋がります。勿論、出来高の低迷の最も基本的な背景は、日本の経済規模や日本企業の収益力の相対的な低下に求められますが、それだけではないように感じています。市場流動性は多様な主体が市場に参加することによって提供されるものであり、誰か一人の努力だけで提供できるものではありません。それだけに、企業、投資家、取引所、証券会社、清算機関、決済機関、規制監督当局、法律実務家をはじめ、株式市場に関係する様々な主体が知恵を出し合い、変化する市場環境に適合する努力を重ねることが不可欠です。
対応を要するのは株式市場だけではありません。わが国の金融資本市場関係者にとっての大きな挑戦課題のひとつは、急速に拡大するアジアの金融資本市場への対応です。我々として将来を見据えて様々な課題に取り組んでいく必要があると考えています。市場の基盤整備は、多くの主体が関わり、また、時間とコストを伴う地道な取組みです。それだけに、経営に携わる皆様の深い理解とコミットメントが欠かせません。
この間、日本銀行も、関係者のひとりとして、資金や証券の決済、清算、担保の受払、各種の資金供給オペレーションといった金融の実務、バンキングを通じて、金融資本市場の基盤整備と深く関わっています。金融資本市場のグローバル化が進展するもとで、中央銀行のバンキング機能も一段と重要になっていくと思っています。日本銀行としては、今後とも、皆様方と協力しながら、金融資本市場の基盤整備にも積極的に取り組んでいきたいと考えています。
おわりに
最後になりましたが、今後とも、皆様方が、わが国証券市場の発展、わが国経済の発展に貢献されることを祈念しまして、私からの挨拶とさせて頂きます。ご清聴ありがとうございました。