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【講演】セントラル・バンキング —危機前、危機の渦中、危機後—

English

Federal Reserve Board と International Journal of Central Banking による共催コンファレンスでの講演の邦訳

日本銀行総裁 白川 方明
2012年3月24日

目次

1.はじめに

世界的な金融危機とそれに先立つバブルは、中央銀行に多くの課題を突き付けている。日本銀行は、先進国の中で戦後において最初にこの問題に直面した中央銀行であった。日本の経験は海外の政策当局者や学界でも知的な関心を呼び、日本銀行は非常に実験的なものも含め多くの政策提言を受けてきた。しかし、ごく少数の例外を除くと、バブル崩壊後の日本の低成長は、大胆な政策を迅速に実行することに失敗した日本に固有のエピソードとして簡単に片付けられることが多かった。ご記憶の方も多いと思うが、FRBの多くのエコノミストの共著による"Preventing Deflation: Lessons from Japan's Experience in the 1990s"と題する論文が、2002年に公表されている1。この論文は、金融政策の効果について、当時の私からみると、下記のように楽観的な見方を提示していた(図表1)。

「我々の感覚では、金融緩和が資産価格の下支えや景気回復につながらなかったのは、下振れショックを十分にオフセットしなかったからであって、金融政策の波及メカニズムが棄損してしまったからではない。 ...1990年代前半の日本において、金融の脆弱性が、追加金融緩和の有効性を取り除いたわけではない。」

それからしばらく時が経過して、今度は米欧で住宅・信用バブルが崩壊し、金融危機が発生した。米国で不動産価格がピークを記録した後、あるいは、リーマン・ショックという形で大規模な金融危機が発生した後の実質GDPの推移を1990年代の日本と比較すると、両国は驚くほど似通っている(図表2,3)2。政策面でも、実質的なゼロ金利や中央銀行のバランスシートの大幅な拡大は言うに及ばず、非常に似通っている(図表4,5)。日本銀行がゼロ金利政策や量的緩和政策、将来の金利水準についてのコミットメント、今日の言葉で言う信用緩和政策等の政策を苦労しながら導入した頃、同じような政策を数年後にFRBが採用することになるなどとは私自身、想像もしていなかった。我々は過去四半世紀における各国の経験をもっと真剣に研究し、そこから将来の政策運営に役立つ真の教訓を引き出す努力をしなければならないことを痛感する。

論点は金融政策、規制・監督、決済システム等多岐にわたるが、以下では、マクロ経済の安定に対する中央銀行の役割について、金融危機の前、渦中、後の3つのフェーズに分けて、幾つかの論点を提起することとしたい。

  • 1 下記論文を参照。
    Ahearne, Alan, Joseph Gagnon, Jane Haltmaier, Steve Kamin, and others, "Preventing Deflation: Lessons from Japan's Experience in the 1990s," International Finance Discussion Papers, No.729, Board of Governors of the Federal Reserve System, June 2002.
  • 2 バブル崩壊後のデレバレッジのプロセスについては、下記資料参照。
    白川方明「デレバレッジと経済成長——先進国は日本が過去に歩んだ「長く曲がりくねった道」を辿っていくのか?——」、London School of Economics and Political Scienceにおける講演(アジアリサーチセンター・STICERD共催)の邦訳、2012年1月10日

2.危機前:金融的不均衡と金融政策

最初に、金融危機前のフェーズを取り上げたい。ここで私が特に提起したいのは金融政策の役割についてである。標準的な考え方に従えば、金融政策の変更を迫るトリガーは物価変動である。実際、どの中央銀行も先行きの物価上昇率を左右する要因として、需給ギャップや予想物価上昇率に多大な注意を払っていた。しかし、バブルの発生から金融危機に至る過程を振り返ってみた場合、事後的にみると、その後のマクロ経済を不安定化させることになった最も大きな不均衡は、物価上昇ではなく、金融的な不均衡——すなわち、資産価格の急激かつ大幅な上昇、信用やレバレッジ、期間ミスマッチの拡大——という形をとって現れていた。金融的不均衡は、最終的に金融機関や金融システムに大きなショックをもたらし、経済活動を急激かつ大幅に収縮させた。そうした急性期の症状は、危機発生後に採られた政府や中央銀行の積極的な政策措置で解消したが、バランスシートの修復に伴う低成長という、慢性症状は現在なお続いている。明らかになったことは、バブル崩壊後に積極的な金融政策を実行しても経済活動の長期間にわたる低迷は回避できなかったということである。その意味で、政策の力点は、バブルの後始末ではなく、金融的不均衡への事前対応に置く必要がある。

金融的不均衡への事前対応という点では、「ティンバーゲンの原理」や「マンデルの割当て原則」に基づき、金融政策は物価安定に、規制・監督は金融的不均衡の是正に割り当てるべきという見方がある。しかし、そうした割り当て論が妥当するのは、物価の安定と金融システムの安定という政策目的が互いに独立な場合であろう。一連の経験を経て明らかになったのは、二つの目的が独立ではないということである。物価が安定しマクロ経済環境が安定すると、経済主体のリスク認識は徐々に緩み、そのリスクテイク姿勢も変化していく。また、物価安定の下で低金利の持続予想が強まると、金融機関は「利回り追求」の行動を強め、レバレッジや、資産・負債の期間ミスマッチ、通貨のミスマッチを拡大させる(図表6)。こうした不均衡はある閾値を超えて拡大すると、金融システムを不安定化させ、ひいては実体経済や物価を不安定にすることになる。

日本銀行を含め多くの中央銀行はこのような金融的不均衡に気付いていなかった訳ではなかった。中央銀行にとって厄介だったことは、不均衡が拡大する過程において、皮肉にも物価上昇率が上がらない、ないし低インフレが続いたという事実であった(図表7)。少なくとも、日本の場合は、高成長と低インフレが続く下で、後の時代の言葉で言う「ニューエコノミーの到来」という見方が利上げに対する強力な反対論として立ちはだかった。低金利の持続は金融的不均衡を生みだす一つの要因であり、中央銀行が非対称的な金融政策の運営——すなわち、金融的不均衡が拡大しても物価が安定している限り政策対応しないが、バブル崩壊後には積極的に利下げを行うこと——に予めコミットすると、以下の経路を通じて、事態はより悪化する可能性がある。第1の経路は、そうしたプット・オプション型の金融政策が金融機関の過度のリスクテイクを助長することである。第2の経路は、物価安定のみに焦点を当てた政策スタンスによって、マクロ経済環境が安定化すると、様々な経済主体の支出増加やリスクテイクを更に後押ししていくことである。金融政策自身が高成長と低インフレをもたらしているにもかかわらず、見た目には、ニューエコノミーの到来と識別困難な状況になる。この点を十分意識せずに、中央銀行が緩和的な政策を継続すると、物価安定がみかけ上維持されたまま、民間部門の支出増加や金融的不均衡は増幅され、その分、バブル崩壊後のショックも大きくなる。「物価安定のパラドックス」とでも言うべき現象である。

もちろん、金融的不均衡は金融政策だけで起こる訳ではなく、発生のメカニズムは複雑である。この面では、規制・監督の果たすべき役割は大きい。また、その際、マクロプルーデンスの視点が重要なことについても異論はない。それでは、「割当て原則」に従って、金融的不均衡に対しては、規制・監督で対応すべきという議論については、どのように考えるべきだろうか。私の答えは、適切な金融政策と規制・監督の両方ともが必要という単純なものである。低金利という水道の蛇口を開いたまま、ひたすらバケツから溢れ出る水を汲み続ける、すなわち、金融政策はそのままにして、マクロプルーデンス政策や規制だけで対応するというアプローチが有望であるとは思えない。

3.危機の渦中:最後の貸し手の重要性

次に取り上げるのは、危機の渦中のフェーズである。このフェーズにおいて、中央銀行に求められる本質的な役割は「最後の貸し手」である。その重要性は歴史が証明しており、今回も、危機時における中央銀行の積極的な行動は経済活動の大きな落ち込みを防ぐ上で非常に効果があった。日本銀行の量的緩和政策、FRBの信用緩和政策、ECBの3年物LTRO、いずれもその有効性は本質的に「最後の貸し手」としての役割に根差している。

「最後の貸し手」に関連して、ここで強調すべきは決済システム政策の重要性である(図表8)。民間経済主体が無条件で受け取ることのできる通貨を発行できるのは中央銀行だけである。このため、カウンターパーティに対する信認が低下する危機においては、中央銀行の役割は非常に大きくなる。危機の渦中にあっては、金融機関や投資家が意識するカウンターパーティ・リスクは1日の最後の与信残高だけではなく、日中与信までもが問題になる。中央銀行は過去20年近くにわたって、「銀行の銀行」として、自らの決済機能を活用しつつ、決済システムの安全性と効率性の改善のために様々な努力——即時グロス決済、資金・証券の同時決済、外国為替の同時決済等——を積み重ねてきた(図表9)。仮に、こうした努力なしに、リーマン・ショックに直面していたとすれば、金融取引は完全に止まりかねない事態になっていたと想像される。私は経済・金融の安定確保という点で中央銀行が過去四半世紀に果たした最も大きな貢献は何かと問われれば、決済システム改善に向けた弛まぬ努力であったと思っている。

4.危機後:積極的な金融政策の効果と限界

最後に取り上げるのは、金融危機後のフェーズ、より具体的には、急性症状は終わったがバランスシート修復が続く慢性症状期の金融緩和政策の役割である(図表10)。金融緩和に当たっては、本来意図した便益と意図せざるコストに関する注意深い分析が不可欠である。バブル崩壊後の積極的な金融緩和政策はもちろん必要であるが、副作用や限界についても意識する必要がある。結論は国や時期によって異なり一義的な答えはないが、危機前の議論において十分な注意が払われていなかった側面として、以下の4点を指摘したい3

第1は、バランスシート修復の重みである。過剰債務を抱えた経済主体は、金融が緩和されても、債務を適正水準に戻すまでは、支出を増やしたり、リスクテイクを積極化させることはない。金融緩和は、バランスシート修復に伴う痛みの緩和剤でしかない。しかも、この緩和剤は長く服用すれば、過剰債務の削減インセンティブを低下させ、最終的に必要なバランスシート修復の達成時期の遅れというコストを伴う側面もある。もちろん、低金利の効果はバランスシートの毀損していない経済主体にも及ぶ。そうした経済主体が現在の低金利を利用する形で、将来の需要を現在に繰り上げるならば、需要創出効果が期待できる。しかし、バランスシート調整が長期間にわたって続くと、低金利のもとでも、現在に繰り上げることのできる需要は次第に減ってくる。過剰債務の削減インセンティブの低下は、政府についても当てはまる。増加した政府債務の水準が持続可能でないとみられるようになると、欧州債務問題が示すように、物価安定と金融システム安定を脅かすことになる。

第2は、経済の供給サイドに与える影響である。金融緩和によって誘発される需要が、異例の低金利下によってのみ採算が合う投資案件である場合には、資源配分が非効率になり、経済全体の生産性や潜在成長率への悪影響も無視できなくなる。これまで、中央銀行は、潜在成長率を外生変数とみなして金融政策運営を行うことが標準的であったが、バランスシート調整という長期にわたるショックが加わる場合には、低金利の継続が経済全体の生産性に影響を与え潜在成長率を下押しするリスクについても考慮する必要があるかもしれない。

第3は、金融仲介機能への影響である。金融緩和政策の効果は、通常は、企業や家計が低金利に刺激されて支出を増加させることによって実現する。しかし、中央銀行の行う金融政策と支出を行う企業や家計との間には、両者を繋ぐ銀行や金融市場が存在し、これらの仲介機関が適切に機能しなくなると、金融緩和の効果も期待できなくなる。例えば、満期変換は、銀行の果たす重要な仲介機能の一つであり、同変換による利鞘収入は銀行の収益源である。銀行行動を通じる金融緩和効果の波及経路のひとつは、政策金利の低下による長短金利スプレッドの拡大、すなわち、利鞘の拡大による金融仲介意欲への刺激であるが、緩和度合いがある臨界点を超えると、逆に利鞘の低下をもたらし、金融仲介機能も弱まり得る。その結果、資源配分の効率性も低下し長期的に経済の成長力を弱めることになる。同様の問題は、機関投資家にとっては、資産の運用利回りが長期負債の予定利率を下回る「逆鞘」という形で発生する。

第4は、金融緩和の国際的波及と自国経済へのフィードバック効果である。自国経済がバランスシート調整下にある場合、金融緩和は自国の民間経済主体の支出増加を促すというより、グローバル投資家の利回り追求や為替レートの減価圧力を通じて効果を発揮する傾向が強まる。新興国市場がグローバル投資家の利回り追求の受け皿となる場合は、固定的な為替レート運営とも相俟って、新興国の景気拡大や国際商品市況の上昇につながりやすい4。商品市況の上昇がグローバルな金融緩和の影響を受けているにもかかわらず、各国の中央銀行が、国際商品市況の上昇を純粋に外生的なサプライショックとみなし、石油製品や食料品を除くコア・インフレを重視して政策運営すると、国際商品市況がますます不安定化する可能性もある。これは、グローバルな視点で捉えると——仮想的な「世界中央銀行」を想定すると——、一般物価が安定するための「テイラー原則」が満たされない状況に他ならない(図表11)。各国は金融政策運営にあたり自国の安定を目指すのは当然であるが、その自国の安定を考える際には、国際的波及と自国経済へのフィードバック効果を考慮に入れることも重要になっている。

  • 3 日本の量的緩和政策採用時の各種政策措置の効果に関する研究のサーベイについては、下記論文を参照。
    鵜飼博史、「量的緩和政策の効果:実証研究のサーベイ」、『金融研究』、第25巻第3号、日本銀行金融研究所、2006年
  • 4 国際商品市況変動の背景とそれに関する政策インプリケーションについては、下記のG20報告書を参照。
    Report of the G20 Study Group on Commodities under the chairmanship of Mr. Hiroshi NAKASO, November 2011.

5.おわりに——今後の金融政策運営上の課題——

以上、危機の前、渦中、後の3つのフェーズに分けてセントラル・バンキングにとっての具体的論点を提起した。最後に観点を変えて、中央銀行という組織にとっての金融政策運営面での今後の課題を2つ指摘したい。

第1の課題は、金融政策運営の枠組みに関するものである。この点については、先進国の中央銀行の間で、金融政策の枠組みの名称が異なっても、中長期の物価安定を目的として政策を遂行するということに関して、既にコンセンサスが得られている。また、物価上昇率の短期的な動向に過度に焦点を当てて政策を行うと、金融的不均衡の蓄積とその後の不可避な調整を通して、経済の振幅をより大きくしてしまう可能性があることも明らかになっている。金融的不均衡に関する状況把握など、マクロプルーデンスの視点を金融政策運営に取り入れようと試みているのは、日本銀行だけではなかろう。しかし、今なお残る課題は、そうした望ましい政策の枠組みを、経済の安定と繁栄に不可欠な中央銀行の独立性の政治的基盤に組み入れていくことである。特定の物価上昇率水準の達成について中央銀行に説明責任を負わせることは、比較的分かりやすいものである。この意味で、特定の物価上昇率水準に注目が集まることは、重要な経済政策の一部が専門家組織に委ねられることの代償といえる。これに対して、マクロプルーデンスの視点を金融政策運営に生かしていくという考え方は一般にはかなり分かりにくく——サイエンスというよりアートの側面が強く——、そうした政策運営のスタイルが民主主義社会においてどの程度受け入れられていくかが今後試されることになるだろう。

第2の課題は、最初の課題とも関連するが、中央銀行における政策決定過程や経済分析力をさらに強化することである。正しい政策決定とそれを支えるリサーチ機能は、中央銀行の独立性の実質的な基盤である。今回の危機を通じて明らかになったのは、伝統的なマクロ経済のレンズだけに頼って経済をみていると、見落とすものが多いということである。中央銀行にとって必要なのは、そうした見落としを回避し、集団思考の弊害から脱する努力をしていくことである。この点では、マクロ経済だけでなく、金融市場や金融機関に関わる情報がバランス良くインプットされ政策決定に活かされていく、組織文化を育てていくことが不可欠である。