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【挨拶】最近の金融経済情勢と金融政策運営

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大阪経済4団体共催懇談会における挨拶

日本銀行総裁 白川 方明
2012年8月24日

目次

1.はじめに

日本銀行の白川でございます。本日は、関西経済界を代表する皆様とお話する機会を頂き、大変嬉しく存じます。皆様には、平素より、私どもの大阪、神戸、京都の各支店が大変お世話になっており、厚くお礼申し上げます。

前回、この席でお話しさせて頂いた昨年の10月は、欧州債務問題を巡って緊張が強まる最中にあり、今後の展開には細心の注意を払っていかなければならないと申し上げました。その後の展開をみると、不幸にしてそうした懸念が現実のものとなりました。海外経済はこの欧州債務問題の直接、間接の影響を主因に減速に転じ、現在もなお減速局面から脱していません。そこで、本日は前半では、欧州債務問題を中心に国際金融資本市場や海外経済の動向についてご説明し、後半では、国内経済情勢と日本銀行の金融政策運営の考え方についてお話ししたいと考えています。

2.欧州債務問題と国際金融資本市場、海外経済の動向

まず、欧州債務問題ですが、昨年秋頃の国際金融資本市場の状況を振り返りますと、財政問題を巡る懸念が、既にEUやIMFからの支援を受けていたギリシャ、ポルトガル、アイルランドにとどまらず、スペインやイタリアといった南欧の大国にも波及するなど、緊張が一段と高まる状況にありました。こうした国々の国債の利回りが大幅に上昇、すなわち価格が大幅に下落した結果、欧州の国債を大量に保有する金融機関の資産内容は悪化しました(図表1)。このため、そうした金融機関は市場での信用が低下し、資金調達コストが上昇すると同時に、資金調達も困難となりました(図表2)。この結果、欧州の金融機関は、企業に対する貸出を慎重化させ、それが実体経済の下押し圧力として作用しました。そして、実体経済の停滞は、財政状況をさらに悪化させ、これがまた、国債利回りの上昇などを通じて金融機関の経営に悪影響を及ぼすという負の相乗作用をもたらしました(図表3)。

国際金融資本市場は、欧州中央銀行(ECB)が期間3年、金額無制限の資金供給オペを2回にわたって実施したことをはじめ各種の政策対応が採られたこともあって、年明け後春先にかけていったん落ち着きを取り戻すかに見えました。しかし、その後は、ギリシャの再選挙やスペインの金融システム問題を巡る不透明感から、再び神経質な動きとなりました。現在最大の関心を集めているスペインの国債利回りは、ピーク時の7%を超える水準よりは低下しているとはいえ、6%台前半と2010年以降における名目GDPの平均成長率の約1%をはるかに上回る水準で高止まっています。市場心理の悪化、当局による応急措置とこれを受けた市場心理の持ち直し、その後の市場心理の悪化という事態は、欧州債務問題が2010年春に勃発して以来、繰り返されている光景です。この問題の解決には、各国の財政健全化と経済構造改革、金融システムの安定・強化の取り組み、さらには欧州全体として、通貨統合と見合った形で、財政・金融面での統合を進めていく必要があります。こうした取り組みを着実に進める必要があるという大きな方向感については、欧州の当局間で共有されていると思いますが、これらは欧州の経済・社会・政治の将来の姿を規定する本質的かつ難しい課題であるだけに、問題の解決にはかなり長い時間がかかります。世界経済は、欧州債務問題に伴うリスクと、暫く共存していかざるを得ないという現実を覚悟しなければなりません。

いずれにせよ、このように厳しい状況が続く中にあっても、リスクの極端な形での顕在化が回避されているのは、金融システムの要である銀行間の資金調達市場が、総じて安定した状態を維持しているためと考えられます。この点では、欧州中央銀行による大量のユーロ資金の供給や、日本銀行を含む6中央銀行によるドル資金供給面での協調対応策といった、中央銀行による流動性供給の枠組みが存在するという安心感が大きな役割を果たしています。それと同時に、どの国でもそうですが、中央銀行による流動性支援は、あくまでも「時間を買う」、あるいは「痛みを和らげる」という性格の政策であることも冷静に認識する必要があります。欧州当局は、財政・経済構造改革や金融システムの安定・強化等において着実に取り組みを進めていくことが何よりも重要です。この点、我々も国際会議をはじめ様々な機会を通じて、欧州の当事者に対し、そうした対応を強く促しています。

と言うのも、欧州債務問題はわが国を含め、欧州域外の経済に以下のような様々なルートを通じて影響を現に及ぼしており、また、今後の展開如何ではさらに大きな影響を及ぼすからです。

第1は、貿易を通じるルートです。欧州経済の減速は、域外国の経済に対し、欧州向け輸出の減少という直接的な影響だけでなく、欧州と貿易面でつながりの深い地域の経済が減速し、こうした地域向けの輸出が減少するという間接的なルートを通じても、影響をもたらしています。この点、中国経済は、リーマン・ショック以降の回復局面では世界経済の牽引役でしたが、昨秋以降は、既往の金融引締めの影響に加え、輸出全体の約2割を占める欧州向け輸出が落ち込んだこともあって、減速した状態が長引いています。わが国の場合、輸出に占める欧州向けの割合は1割程度に過ぎませんが、こうした中国を通じる間接的な輸出の減少効果は大きいと考えられます(図表4、5)。

第2は、企業マインドを通じるルートです。企業が欧州経済の停滞が長引きそうだと考えたり、あるいは欧州債務問題に伴う最悪シナリオを強く意識した場合、実際にリスクが顕現化しなくても、投資を当面見合わせるなどの悪影響が生じます。このところ、グローバルにみて製造業の企業マインドがやや慎重化していますが、これには今申し上げた企業マインドを通じる影響も作用しているように思います。

第3は、金融市場を通じるルートです。国際金融資本市場で神経質な動きが続く中、グローバルな投資家はリスク回避姿勢を強めており、相対的に安全と見なされる米国やドイツ、日本の国債、通貨ではドルや円が買われやすい地合いが続いています。先進国の長期金利の低下は金融緩和効果を強める一方、根強い円高圧力を受けているわが国については、為替レートの面から景気の下押し圧力が働いています(図表6、7)。

第4は、これまでのところ顕在化していないルートですが、金融システムを通じるルートです。わが国の金融システムは、日本銀行による強力な金融緩和も反映し、先進国の中で最も安定しています(前掲図表2)。しかし、リーマン・ショックの経験が示すように、金融資本市場の国際的な連関が高まる中で、様々な経路で影響が及ぶ可能性を排除することはできません。日本銀行としては、国際金融資本市場の状況を十分注視し、各国中央銀行とも協調しながら、わが国の金融システムの安定確保に万全を期していく方針です。

3.日本経済の現状と先行き見通し

以上の欧州債務問題の影響を踏まえたうえで、次に、わが国の経済・物価情勢についてご説明します。

わが国の経済は、震災後に大きく落ち込んだあと、関係者による懸命の復旧努力から予想以上のスピードで持ち直しましたが、欧州債務問題が深刻化した昨秋以降、海外経済の減速や為替円高の影響などから、いったん踊り場局面に入りました。現在もなお、海外経済は減速した状態から脱しておらず、外需はやや弱めの動きとなっていますが、これと対照的に、国内需要は復興関連需要などを背景に予想を上回って堅調に推移しており、景気全体としては「緩やかに持ち直しつつある」と判断しています(図表8)。

需要項目別にみますと、国内需要面では、公共投資が明確に増加を続けています。設備投資は、最近公表された各種のアンケート調査からも確認できるように、企業収益が改善するもとで、緩やかな増加基調にあります。個人消費は、自動車に対する需要刺激策の効果もあって、緩やかな増加を続けているほか、住宅投資も持ち直し傾向にあります。こうした足もとの国内需要の堅調さは、先進各国の中でも際立っています(図表9)。一方、輸出は、欧州向けの減少等から、持ち直しの動きが緩やかになっており、そうした輸出の影響を強く受ける鉱工業生産も足もと弱めとなっています。

わが国の景気の先行きについては、国内需要が引き続き堅調に推移し、海外経済が減速した状態から脱していくにつれて、緩やかな回復経路に復していくと判断しています。数字に即して申し上げると、2012年度は2.2%、2013年度は1.7%というのが我々の成長率見通しです。そうしたもとで、物価については、需給ギャップのマイナス幅が次第に縮小し、物価を押し上げる方向に作用していくと考えられます。再び数字に即して申し上げると、消費者物価の前年比は、原油価格反落の影響などもあり、当面はゼロ%近傍で推移するとみられますが、やや長い目でみれば、マクロ的な需給バランスの改善を反映して、2013年度には0%台後半となり、その後、当面の「中長期的な物価安定の目途」である1%に遠からず達する可能性が高いとみています(図表10)。物価を巡る環境という点では、最近は、労働需給が徐々に改善するもとで、賃金も下げ止まってきていますし、中国の賃金上昇等を背景に、以前ほどには安値輸入品の流入は目立っていないことも注目に値します(図表11)。

いずれにせよ、先行きのわが国景気の展開を考えるうえでは、堅調な内需が景気を支えている間に、海外経済が減速局面を脱し、外需が回復していくかどうかが重要なポイントになります。

こうした問題意識から、堅調な内需を支えている要因を改めて整理しますと、第1に、エコカー補助金等の政策効果が挙げられます。第2に、広い意味での震災関連需要があります。この中には、公共投資に加えて、自動車の買い替えや、被災した設備・住宅の修復・建て替えなどの需要が、徐々に本格化してきていることも含まれます。また、震災の経験を踏まえて、企業が耐震・事業継続体制の強化のためバックアップ・サイトを整備する、あるいは、メガソーラーの建設などエネルギー・環境関連ビジネスに経営資源をシフトするといった動きもみられます。第3に、企業収益の改善を背景とした企業マインドの改善とそれを受けた賃金・所得の下げ止まりが挙げられます。第4に、高齢化対応ビジネスなど、企業が潜在需要の掘り起こしに成功する例が増えてきているようです。第5は、円高による輸出下押し効果と裏腹の要因ですが、実質購買力の高まりです。内需の先行きについては、エコカー補助金の反動などを念頭に置いておく必要はありますが、広い意味での震災関連需要や企業収益・雇用者所得の改善基調、高齢者消費などは、ある程度持続性を持ち得ると考えられます。

他方、問題の外需ですが、回復のタイミングも含め、様々な不確実性が存在します。先ほど申し上げたとおり、欧州債務問題は既に世界経済やわが国経済に大きな影響をもたらしており、この点は私どもの経済・物価見通しにも既に織り込んでいるところですが、この問題がさらに深刻化し、国際金融資本市場の動揺、ひいては世界経済の一段の下振れにつながるリスクについては、引き続き、最も強く意識しています。中国経済については、金融緩和などの政策対応の効果もあって、インフラ投資や不動産販売など内需の一部で改善の兆しが見られ始めていますが、欧州向け輸出の弱さが続く中で、減速局面がさらに長引くことがないかどうか、十分な注意が必要です。米国経済についても、緩和的な金融環境等に支えられ、緩やかな回復が続くとみていますが、バランスシート調整が徐々に進みつつあるとはいえなお重石として作用するもとで、財政政策に関する先行き不透明感が強い状態が続いており、その回復力を注視していく必要があります。

4.金融政策運営の考え方

最後に、以上の経済・物価情勢を踏まえ、日本銀行の金融政策運営についてお話しします。

日本銀行は、日本経済がデフレから脱却し、物価安定のもとでの持続的成長経路に復帰することがきわめて重要な課題であると認識しています。こうした認識のもと、日本銀行として、当面、消費者物価の前年比上昇率1%を目指して、それが見通せるようになるまで、強力な金融緩和を間断なく推進していくことを明らかにしています。

実際に金融緩和を推進していくため、日本銀行では、「資産買入等の基金」と呼ばれる金融資産の買入れプログラムを実施しています。これは、国債をはじめとする幅広い金融資産を市場から買入れることにより、長めの市場金利の低下やリスク・プレミアムの縮小を促すための措置です。日本銀行は、2月と4月にこの基金の枠を相次いで拡充し、来年6月末までに、残高を70兆円程度まで積み上げることとしています。ちなみに、現在の残高は57.8兆円です(図表12)。日本銀行の金融緩和については、金融政策決定会合の都度、この基金の残高目標引き上げの有無に注目が集まりがちですが、現在はさらに12兆円強の基金の積み上げを行っている途上にあります。このことは言い換えると、金融緩和の効果は今後も間断なく強まっていくということを意味しています。強力な金融緩和の波及という観点から、金融機関の貸出金利をみますと、引き続き低下しており、史上最低水準を更新し続けています。こうしたもとで、企業の支払い金利は、収益力に比べて、十分低い水準で推移しています(図表13)。金融機関の貸出態度や資金繰りに関する企業の判断をみましても、足もとは、中小企業を含め、2000年以降の平均を上回る水準まで改善しています(図表14)。

金融緩和政策の効果はこのように低下した金利が企業の投資・支出の増加につながることを通じて実現するものです。金融緩和政策の狙いのひとつとしてしばしば議論される予想インフレ率の上昇についても、支出の増加が物価の上昇につながることを通じて実現するものであり、出発点はあくまでも金利水準全般の低下です。緩和的な金融環境は日本経済がデフレから脱却し物価安定のもとでの持続的な成長を実現するうえで、強力な後押しとなるものですが、現在の最大の問題は、そもそも企業が国内での投資に魅力を感じていないことです。実際、上場企業をみると、手元資金の量が有利子負債を上回る実質無借金の上場企業の割合は2000年代初頭の20%台後半から現在は40%を超える水準にまで上昇しています(図表15)。今必要なことは昨年の本席で詳しく述べたように、外需の取り込みと内需開拓の両面作戦です1。そのためには、マクロ的には思い切った規制緩和が必要であり、個々の企業経営レベルでは、差別化戦略を意識したビジネス・モデルの確立だと思います。ちなみに、スイスは過去10年の間日本以上に自国通貨の為替レートが上昇した国ですが、輸出金額の伸びは日本をはるかに上回っています(図表16)。現在の日本経済が直面する真の課題は成長力の引き上げであり、デフレからの脱却という課題は、上述した幅広い主体による成長力強化の努力と金融面からの後押しの両方が揃って実現されていくものです。こうした認識のもと、日本銀行では、中央銀行としては異例の措置ですが、「成長基盤強化を支援するための資金供給」という取り組みも行っています2

日本銀行としては、国際金融資本市場の状況を十分注視し、わが国の金融システムの安定確保に万全を期していくとともに、内外需要を巡るリスク要因をしっかりと点検しながら、デフレからの脱却と物価安定のもとでの持続的成長の実現に向けて、今後とも適切な金融政策運営に努めていく方針です。

本日は、ご清聴ありがとうございました。

  • 1 白川方明「日本経済の展望と課題」、大阪経済4団体共催懇談会における挨拶、2011年10月31日を参照。
  • 2 この措置は、わが国経済の成長に資する投融資を行う金融機関に対し、日本銀行が長期かつ低利の資金を供給する制度です。その一環として、昨年6月には、出資や動産・債権担保融資(いわゆるABL)に焦点を当てた資金供給を導入しました。ABLとは、従来型の融資と異なり、企業が持つ在庫、機械設備、売掛債権など、事業と密接に関連する資産を担保とする融資の手法です。ABLの最大のメリットは、不動産担保や経営者の個人資産が乏しい企業に対しても、資金調達の道が開かれるという点です。例えば、創業期の企業は、総資産に占める売掛金の構成比が高くなる傾向にありますが、その売掛金を担保として有効活用できれば、事業拡張や新分野への挑戦に向けた資金調達がより円滑になります。その後も日本銀行は、1,000万円未満の小口の企業向け投融資や、外貨建ての投融資も支援の対象とするよう制度の拡充を行い、現在、制度全体の貸付枠は5兆5,000億円となっています。こうした措置も活用しながら、幅広い経済主体による成長力強化のための取り組みが着実に実行に移されていくことを期待しています。