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【講演】人口高齢化、金融と規制

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ジョイント・フォーラム東京会合における基調講演の抄訳

日本銀行副総裁 西村 清彦
2012年11月14日

目次

はじめに:人口高齢化、経済、金融

西村でございます。本日はこの席でご挨拶申し上げる機会を頂き、誠に光栄に存じます。

ジョイント・フォーラムはこれまで、銀行・保険・証券という業態に跨るさまざまな問題に先頭に立って取り組まれ、金融規制・監督の枠組みの発展に対し、大いに貢献を果たしてこられました。もっとも、課題はなお山積しています。例えば、経済のグローバル化や情報技術革新が進展するにつれて、「クロスボーダー」や「クロスインダストリー」にかかわるリスクが、金融サービスの中で、ますます大きな意味を持つようになってきています。また、これらのリスクに対し規制・監督面から効果的な対応を成し得なかった場合には、経済に大きな影響が及ぶことになります。そのようなリスクの典型が、まさに近年の金融危機の大きな背景となった、複雑な証券化商品や住宅ローンの「モノライン保険」の問題であり、私たちはこうした問題を、金融危機の中で、まさに痛みを伴いながら学んだといえましょう。

本日私は、世界的にもますます重要性を増しており、しかし、その問題の深刻さがなお必ずしも十分広く理解されていない、もう一つの大きな課題についてお話し申し上げたいと思います。それは、人口高齢化、および、これに起因する諸問題に関する金融商品・金融サービスへの規制・監督のあり方を巡る問題です。これらの問題は、銀行・保険・証券といった全ての金融業態に関わる、金融サービスの本質を問うものであるといえます。

私は最近の一連の論文や講演などを通じて、とりわけ資産価格バブルの生成や崩壊、さらには貨幣需要、物価などの問題を考える上で、人口動態という重要な要素を見逃してしまうと、決して満足の行く結論は得られないし、また、時には大きく誤った有害な推論を導いてしまうことになりかねない旨、しばしば警鐘を鳴らしてまいりました1。とりわけ私は、資産価格バブルの生成が、各国が労働人口の増加による「人口ボーナス」を享受できる最終局面で生じるケースが多いことを指摘してきました。逆に、このようなバブルの崩壊後は、今度は「人口オーナス」による潜在成長力の低下が、これらの国々の経済停滞の長期化を招きやすいということになります。このような現象は、わが国に限らず、例えば米国や最近の欧州周縁国などでも共通して観察されます。すなわち、現下のユーロエリア問題の根底にも、実は人口変動や人口高齢化による経済の構造変化という問題が、深く関わっています。図表1は、各国における生産年齢人口の動向とバブル崩壊の時期を重ね合わせたものです。これをみると、生産年齢人口とバブルのピークは、日本では1991年3月、米国では2005年12月、アイルランドでは2006年9月、そしてスペインでは2007年9月と、いずれも時期がぴたりと一致しています。さらに、この「人口ボーナス期から人口オーナス期への転換」という問題は、決して先進国に限られたものではなく、韓国や中国、ブラジルといった新興市場諸国にも、間近に迫っている問題なのです。

同様に、人口高齢化は、金融サービスの面にも大きな影響をもたらし、新たな政策対応を要請するものと考えられます。この点に関連して、私は本日、2つのテーマを取り上げたいと思います。まず一つ目は、「クロスインダストリー」および「クロスボーダー」の視点から政策対応などを調整していくことの必要性、もう一つは、人口高齢化に関わる「本源的な不確実性」にいかに対処すべきか、という問題です。

  1. 1  例えば、Nishimura, K. G., and E. Takáts, "Ageing, property prices and money demand", BIS Working Paper No. 385 (2012) 参照。

「クロスインダストリー」および「クロスボーダー」での調整の必要性

まず、「クロスインダストリー」および「クロスボーダー」での調整の必要性について申し述べます。人口高齢化に伴い、高齢層が主たる金融資産の保有者となっていくわけですが、加齢に伴い、多くの人々の金融資産運用の選好は、自然とリスク回避的になりやすいと考えられます。したがって、とりわけ人口高齢化に伴い潜在成長力の低下した経済にとっては、事業家の健全なリスクテイクを促し付加価値創造力を高めていくために、成長分野に対しいかにリスク・マネーを供給していくかは、大きな政策課題となります。

より具体的に申し上げれば、金融業には、人々が高齢期の生活の質を保つことを可能とし、人々が長生きを真に喜べる環境をサポートするような金融商品・サービスを提供していくことが求められます。このような商品に求められる役割は、単に「若い時期に貯めた貯蓄を高齢期に取り崩す」ことに止まらず、相当に多岐に亘るものです。すなわち、加齢に伴い増加する病気のリスクなど、さまざまなリスクに対する安心を与える一方で、各国における高齢者の健康状態の平均的な向上も踏まえれば、高齢者がその能力を存分に活かし、引続き社会に積極的に貢献を果たす活動をサポートしていくこともますます重要となっています。このような高度な金融商品・サービスを供給していくためには、金融機関は、他のさまざまな産業とも連携し、彼らの持つテクノロジーや専門機能・知識も総動員していくことが求められます。同時に金融機関は、自らが有する、「リスクを計測し、分配し、管理する」といった機能も十分に活用しながら、豊富な金融資産を有する高齢者と、将来性が見込まれる企業との適切な仲介役を担っていかなければなりません。こうした取り組みは、「クロスインダストリー」という要素を抜きにしては成し得ないものです。

また、成長経済から成熟経済への移行という、経済の発展段階の視点からみれば、成熟化した経済が国内の余剰貯蓄を成長性の高い海外の国々に投資し、これを通じてリターンを確保しようとすることは当然の帰結とも言えます。したがって、とりわけ成熟化した経済にとっては、クロスボーダー金融取引に伴うリスクを管理しながら、その果実を得ていく取り組みも重要となります。

このような金融商品・サービスの「クロスインダストリー」や「クロスボーダー」での拡大というトレンドは、既存の金融規制・監督の枠組みに対し、大きな課題を投げかけるものであり、このような課題に対処する上で、規制・監督の立場からは包括的なアプローチが必要不可欠となります。逆に、特定の業態・分野だけに目を向けた規制・監督は、リスクを特定の業態・分野から他にシフトさせる「ウォーターベッド効果」を惹起するだけに終わり、ますます効果を挙げにくくなってくることが予想されます。

「寿命」と「出生率」という本源的な不確実性

二つ目のテーマとして、人口高齢化のスピードに関連する、本源的な不確実性の問題を取り上げたいと思います。まず、この問題に関連する二つのリスク —その一つは「寿命」を巡るもの、もう一つは「出生率」を巡るもの— について申し述べます。その後、経済全体としてこれらのリスクを捉える上での本源的な不確実性の問題や、このことが金融規制・監督にもたらし得る含意についても、お話ししたいと思います。

私たちがこの世の中で直面する様々なリスクの中でも、「長寿リスク」は最も本源的なものです。誰しも、自分が何月何日まで生きられるかを正確に言い当てることはできません。この点、経済学は極めてドライに、「不確実性がなければ効率的な資源配分を実現しやすい」と言う訳ですが、だからといって、「自分が何年何月何日に死ぬのか、予めわかった方が良い」と考える人は少ないでしょう。私たち人間が、結局はこのような避け難い不確実性を受け入れなければならない存在である中、私たちがこのような不確実性に伴うリスクを管理しながら、驚きに満ちた人生をエンジョイしていく上で、金融サービスが果たすべき役割は大きいと考えられます。また、人口高齢化に伴い、このような長寿リスクに対応するための金融商品・サービスへの社会的な需要は、一段と高まっていくことになります。

長寿リスクに対応するツールを提供していくためには、ツールを提供する側も、これに伴うリスクを経済全体の中で管理できることが必要です。このために、保険会社などの金融サービスの提供者が伝統的に用いてきたのは、「大数の法則」です。すなわち、一人ひとりの人間がどれだけ生きるかは不確実であっても、数多くのサンプルを集めるほど、これらの人々が「平均的に」どの程度生きるかは、より予測が容易となることが想定されています。出生率についても、基本的には同様の考え方が用いられてきました。すなわち、特定の夫婦が具体的に何人の子供を持つのかは予測が困難でも、多くのサンプルを集めるほど、夫婦が「一組当たり平均的に」何人の子供を持つかは概ね予測が可能だろうと考えられてきた訳です。一国全体としての人口動態の変化が大方予測可能であると広く信じられてきたのは、基本的にはこのような「大数の法則」が使えるとの考え方に基づいています。

しかしながら、残念なことに、このような「一国全体の人口動態の変化は予測可能」という認識は、必ずしも常に正しい訳ではなく、—より率直な言い方をすれば、— 多くの場合、現実には間違ってきたといえます。例えば、日本のこれまでの出生率予測をみてみますと、70年代から2000年代の初頭までは一貫して、「出生率の低下は一時的であり、速やかに反転するだろう」といった予測が行われ続けましたが、結果的にはこれが外れ続け、予測の下方修正が繰り返されてきました(図表2)。同様に、平均寿命の予測をみますと、こちらは実績値がほぼ一貫して予測値を上回り続けています(図表3)。

このような予測の誤りは、人口高齢化のスピードに関する本源的な不確実性を示すものであるといえます。仮に一国の人口サンプル全体の寿命予測などを間違えてしまった場合、全てのサービス提供主体が同じ方向に間違えることになりかねません。例えば長寿リスク商品の場合、僅かな寿命予測の誤差は、これらサービス提供主体が全体として抱えるエクスポージャーのかなりの増加に繋がり得るものです。

パッチワーク的対応や「スパゲティ化」を防ぐために

また、ひとたびこのような予測の誤りが損失の蓄積を招いてしまうと、何らかの規制・監督上の対応が求められることになりがちです。しかし、このように、生じてしまった損失への対応が先にありきの、追い込まれた形での規制・監督対応は、しばしば無理なパッチワーク的修理に繋がり、これが、更なる予期せぬ損失とパッチワーク的対応の悪循環を招きやすくなります。そうなると、このようにアドホック的に行われた制度の水漏れ修理のパイプがスパゲティのように複雑に絡み合い、そもそも制度のどこを直せばよいか誰もわからなくなるという、「スパゲティ化」とでも呼ぶべき事態に陥る可能性が高くなります。

したがって、経済全体として後々のヘッジが難しい、制度の根幹となる予測については、とりわけ楽観的な予測とならないよう細心の注意が必要です。また、人口高齢化への対応のように「スパゲティ化」しやすい問題に対しては、仮に予測を間違えた時にはどう対応するのか予め明確な戦略を有しておくこと、そのうえで、制度のパフォーマンスについて不断のレビューを行い、必要な対応策を早急に講じられるようにしておくことが大切です。このような形で、仮に予測の誤りが生じた場合にも、そうした失敗を、制度の「取り返し不能(irreversible)」な混乱に繋げないことが重要です。この意味で、人口高齢化のような問題に対応していくための経済全体・産業全体としての制度設計を考える上では、我々の見通しや予測は常に正しいといった強弁に基づき、ただ一つの最善解を追い求める、というのではなく、常に次善の対応が可能な、フェイルセーフな制度設計にしていくことが大事であると思います2

  1. 2  投資の非可逆性および本源的な不確実性をめぐる合理的意思決定に関する理論的な背景については、Nishimura, K. G., and H. Ozaki, "Irreversible investment and Knightian uncertainty," Journal of Economic Thoery, 136 (2007) 668-694参照。

結びに代えて

近年の金融危機は、金融サービス業にとっても、また政策当局にとっても、大きな光景の変化をもたすものでした。すなわち、危機前には、証券化商品やデリバティブ、クロスボーダー取引などの金融商品は、新たなリスク管理や投資フロンティアの地平を拓くものとして輝かしい光に包まれ、人々も専ら、その「陽の側面」に注目してきました。しかし、金融危機に伴い、これらの内包するリスクや問題が明るみに出る中、人々は一転して、これらの商品の「陰の側面」に目を向けるようになりました。

しかし、経済の持続的発展は、まさに民間経済主体の健全なリスクテイク活動があって初めて実現されるものであり、このような活動に伴うリスクを個人や企業が管理することを支援する金融商品・サービスは、経済にとって常に必要不可欠なものです。また、今後さらに多くの国々が人口高齢化の問題に直面していく中、金融機関にはますます積極的な役割を果たすことが求められています。とりわけ、長寿リスク管理のニーズへの対応や、出生率低下という問題への対応においては、金融機関がその先端的な金融技術や知見を総動員していくことが、問題解決の一つの鍵となります。このような活動を通じて金融サービス業は、人々に人生を不愉快にする不確実性やリスクに対処する術を与え、これらの人々が楽しい驚きやスリルに満ちた人生を精一杯楽しめるようサポートすることを通じて、経済社会に大きな貢献を果たすことができるでしょう。

そうした中で、金融規制・監督当局には、次の二つのことを常に意識していくことが求められるように思います。

まず、とりわけ人口高齢化社会においては、金融規制・監督当局は、常に「クロスインダストリー」、さらに「クロスボーダー」の視点を持ち、また、経済の持続的発展のために不可避的に発生するリスクを経済社会全体でどのように分担していくのかというグランデッサンを持つことが、一段と重要になってくるように思います。

また、人口高齢化が経済や金融サービスに構造変化をもたらす可能性をふまえても、望ましい金融規制・監督の枠組みは、不断に進化(evolve)するプロセスと認識する必要があります。既存の業態やこれに応じた規制の枠組みが今後も未来永劫続くことを前提とすることは、ますます難しくなっていますし、このことは、「銀行」、「保険」、「証券」といった業態区分についても例外ではありません。例えば、さまざま長寿リスク対応のニーズが強まる中、これからの金融商品は、例えば医療と金融業といった、新たなクロスインダストリーの交差点から生まれてくるかもしれません。

ジョイント・フォーラムは正に、金融サービスのそうした構造変化や、規制・監督の進化のニーズを、いち早く捉え得る立場にあります。今後ともどうかアンテナを高く保ち、世界の規制・監督を巡る議論をリードし続けて頂きたいと願っております。

それでは、「高齢化」に関する私のスピーチを、何枚かの写真で締め括りたいと思います。人間と同じように、あらゆる建造物もまた、老化を免れることはできません。図表4は、今から百年以上前の、設立当初の日本銀行の姿です。そして図表5は、真新しい高層ビルに囲まれながらも、なおその姿が風景の中心となっている、現在の日本銀行の姿です。建物は十分に古くはなりましたが、その姿はなお、新しい時代を迎えたこの地の光景と、完全にマッチしているではありませんか。同じことは、このジョイント・フォーラムにも当てはまるものと、私は確信致しております。

ご清聴ありがとうございました。