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【講演】日本経済は変化したのか:課題と展望ジャパン・ソサエティNYにおける講演の邦訳(10月3日、於ニューヨーク)

日本銀行副総裁 若田部 昌澄
2019年10月4日

1.はじめに

このたびは長い歴史と伝統のあるジャパン・ソサエティの皆様の前でお話しする機会を賜りまして、大変光栄に存じます。

さて、「日本経済は変化したのか」。結論から申し上げれば、答えはイエスであり、ノーでもあります。日本経済は前向きの方向で変化し続けておりますが、それは完了していません。そうした日本経済の変化と課題を少し長期的な視点からお話しさせて頂ければと思います。

「今の日本は何十年も不況が続いているから、君たちにとっても生きにくい世界だ」。これは、ある子供向けの学習まんがに出てくる言葉です1。この本は2013年8月に刊行されています。この言葉に象徴されるように、日本の不況は長きにわたりました。

日本のバブル経済が崩壊した1990年代前半から数えて、約30年間の月日が流れています。この30年間を振り返ると、おおよそ10年毎に3つの時期に分けることができます。最初の10年間は、バブル崩壊により総需要が収縮する中、企業の債務、設備、雇用の3つの過剰が顕在化し、金融機関の不良債権問題が焦点となった時期です。次の10年間は、金融機関の不良債権処理には一区切りがついたものの、成長率の低迷が続き、消費者物価の前年比がマイナスを続ける「デフレ」が問題となった時期です。そして、最後の10年は、2010年代前半以降、現在までの期間です。最初の20年間については、日本の「失われた20年」と呼ばれることもあります。

バブル崩壊後、日本経済が、「失われた20年」と呼ばれる長きにわたる低迷を続けた理由に関しては、様々な論考が存在するので、本日はその詳細には立ち入りません2。ここでは、「失われた20年」の背景の1つであり、また、今後も続くことがかなりの確度で予測される、人口減少・高齢化について議論したいと思います。日本は、1990年代半ば以降、生産年齢人口の減少という構造問題に直面しています。わが国の総人口は2010年代に入って減少に転じていますが、それに先んじて、1990年代半ばには、労働供給の主力となる15歳から64歳までの生産年齢人口が、減少に転じました(図表1)。日本では、1990年代半ば以降、生産年齢人口が総人口よりも速いペースで減少する、いわゆる「人口オーナス社会」が続いているということです。これは、総人口、生産年齢人口ともに一貫して増加を維持している米国と対照的な姿です。生産年齢人口の減少が、「失われた20年」における日本経済の低迷の一因であると言われております。確かに、日本経済の潜在成長率を、就業者数、労働時間、資本ストック、生産性(TFP)に要因分解すると、1990年代後半から2000年代後半にかけて、就業者数はマイナスに寄与しています3(図表2)。この背景には、生産年齢人口の減少があると考えられます。

しかしながら、こうした人口減少・高齢化が経済に与える負の影響は、やや誇張されていると感じております。まず、先ほどの図表でも、就業者数の寄与度はそれほど大きくありません。潜在成長率を決めるのは、資本ストックやTFPのほうが大きいのです。歴史的にみても、戦後の時期を通じて、経済成長率への寄与度が大きいのは、労働投入ではなくて、資本ストックやTFPの増大です。国際的にみても、一人当たりの経済成長率で考えると、人口減少・高齢化が進むからと言って、経済成長率が低くなるというわけではありません4。さらに、人口減少・高齢化が、経済に影響を与える経路には、様々なものが考えられます(図表3)。確かに、生産年齢人口の減少は、労働供給の減少を通じて、経済成長の下押し圧力となり得ます。また、人口減少が続くという見通しから、企業や人々の期待成長が低下し、投資を減らすことも考えられます。もっとも、必ずしも経済への下押しの影響ばかりが生じるとは限りません。例えば、生産年齢人口の減少という環境変化を受けて、今まで労働市場に参加していなかった人々が仕事に就いたり、人々が持っている未活用の力が発揮されることになれば、下押しの影響を打ち返すことも可能です。また、貴重な労働力を有効活用するために、企業がITやAIなどへの省力化投資を積極化したり、イノベーションを促進することも考えられます。こうして、経済全体の生産性が上昇すれば、人口減少・高齢化という構造問題に直面する中でも、成長を続けることは可能です。

では、近年の日本経済において実際に起こっているのは、どのようなことでしょうか。日本経済では、「失われた20年」の後半、すなわち1990年代後半から2010年代前半にかけて、長きにわたるデフレが続きました(図表4)。マクロ的な需給ギャップをみると、マイナスの期間が長く続いたほか、消費者物価は平均して前年比▲0.4%程度の下落が続きました。もっとも、日本銀行が、それまでの政策枠組みとは大きく異なる「量的・質的金融緩和」を導入した2010年代前半以降、日本経済は大きく改善しています5。マクロ的な需給ギャップは、ここ数年、プラスの状態が定着するまでに改善しているほか、消費者物価をみても、既に「持続的に下落する」という意味でのデフレではなくなっています。この間も、日本経済は人口減少・高齢化という構造問題に直面し続けていたわけですが、そうした重石のもとでも、経済・物価が明確に改善してきたことがお分かり頂けると思います。

本日の話の前半では、「失われた20年」、あるいは、そのうちのデフレの期間の日本経済と、現在の日本経済を比べて、どのような前向きな変化が生じているかをご紹介したいと思います。ともすれば、日本経済については、過去のバブル崩壊やデフレ、そして現在の少子化・高齢化の印象が強く、必ずしも正しい現状認識が浸透していないように感じています。日本経済の前向きな変化をご紹介することで、皆様に日本経済の現状を認識して頂ければと思います。そのうえで、後半では、日本経済の課題についてお話ししたいと思います。私自身は、人口減少・高齢化という構造問題を抱えるもとでも、経済成長と物価安定を実現することは可能だと考えています。しかし、そのためには多くの課題があることも確かです。日本経済がさらに力強さを取り戻すために残された今後の課題について、私の考えをお話しさせて頂ければと思います。

  1. 西田幾多郎記念哲学館監修・みやぞえ郁雄・平良隆久『小学館版学習まんが2 西田幾多郎:世界に影響を与えた日本人初の哲学者』(小学館、2013年)、15頁。
  2. 私自身の考えについては、Masazumi Wakatabe, Japan’s Great Stagnation and Abenomics: Lessons for the World (Palgrave Macmillan, 2015)を参照のこと。
  3. ここでの潜在成長率、そしてのちに出てくる需給ギャップの推計は日本銀行による。なお、これらはともに推計値であり、相応の幅をもってみる必要がある。
  4. 1970年から2011年のOECDのデータを用いると、一人当たりGDP成長率と人口成長率の間には相関関係がみられないという指摘がある。八田達夫・NIRA総合研究開発機構共編『地方創生のための構造改革 ―独自の優位性を生かす戦略を―』(時事通信社、2018年)、7頁。
  5. 若田部昌澄「最近の金融経済情勢と金融政策運営―青森県金融経済懇談会における挨拶」2019年6月27日

2.成果と変化

「失われた20年」、あるいは、そのうちのデフレの期間と、現在を比べて、日本経済にどのような前向きな変化が生じているのか、確認していきたいと思います。

(1)国民生活の改善

はじめに、家計全体が受け取った所得の推移をみてみたいと思います(図表5)。1990年代後半以降、名目の可処分所得は、長らく増加しない状態が続いていました。この期間、マイルドながらも物価低下が続いていたことから、物価を調整した実質の可処分所得は緩やかな増加となっていますが、名目での可処分所得が増加していなかったため、家計は所得の増加を実感できなかったと考えられます。しかしながら、2010年代半ば以降の動きをみると、可処分所得は、名目・実質ともに明確に増加しており、はっきりとした変化がみられます。

こうした変化を、国民はどのように受け取っているのでしょうか(図表6)。世論調査における現在の生活に満足しているかどうかとの問いに対して、満足していると答えた回答者割合の推移をみてみると、1990年代後半以降、明確に低下し、1980年代を下回る水準で推移していました。しかし、2010年代前半から明確に改善し、足もとでは既往最高水準まで改善しています。こうした「生活の満足度」の上昇には、経済の改善によって所得が増加していることが寄与していると考えられます。実際、同じ世論調査の所得・収入に満足している人の割合をみても、生活全体への満足度と同様に、大きく改善しています。

こうした経済の改善が、どの程度幅広い層にまで及んでいるのかを推し量るために、貧困率をみてみたいと思います(図表7)。これまで上昇傾向にあった全世帯ベースの貧困率は、近年、頭打ちとなっています。特に、子どもの貧困率は、低下し始めていることが分かります。もちろん貧困についてはより一層の改善が望まれますが、少しずつではあるものの、幅広い層での経済状態の改善が起きつつあると示唆されます。

(2)労働市場の変化

こうした所得増加などを通じた人々の生活満足度の上昇の背景には、労働市場の変化があります(図表8)。まず、失業率で雇用環境をみると、足もとは、デフレ期の半分程度まで低下しております。もっとも、この点については、日本では生産年齢人口の減少が続いているので、「労働供給が減少しているから、労働市場のタイト化が進んでいるだけではないか」との疑問を持たれるかもしれません。そこで、就業者数の推移をみると、2010年代前半からの雇用環境の改善には、就業者数の増加が伴っていることが分かります。このことから、現在の労働市場のタイト化の主たる背景は、労働供給の減少ではなく、労働需要の増加であることが示唆されます。こうした雇用環境の改善は、就業者数の増加と緩やかな賃金上昇を通じて、家計所得の増加を支えています。

では、生産年齢人口が減少する中で、なぜ就業者が増加しているのでしょうか。結論を先取りすれば、女性と高齢者の労働参加が大きく進んでいることが要因として挙げられます。図表9は、生産年齢層の男性・女性と、65歳以上の高齢者について、労働参加している人数と、母集団に対して労働参加している人の割合を示す労働力率の推移を示しています。生産年齢層の男性について過去数年の動きをみると、もともと高水準である労働力率は幾分上昇していますが、生産年齢人口の減少に伴って、労働市場に参加している労働力人口自体は減少を続けています。一方、生産年齢層の女性をみると、労働力率が一貫して上昇しています。そうしたもとで、2012年までは生産年齢人口の減少の影響の方が大きく、労働力人口は減少していました。しかし、2013年以降は、労働参加が一段と進んだことで、労働力人口が増加に転じています。高齢者については、2000年代半ば以降、しばらくの間は、労働力率が上昇しない中でも、高齢者人口の増加に伴って労働力人口は増加していました。もっとも、2013年以降は、労働参加が積極化する中で、労働力人口が大幅に増加しています。このように、2010年代前半以降の労働市場の大きな変化として、女性や高齢者の労働参加が大幅に進んだことが指摘できます。

では、女性や高齢者の労働参加が進んだ背景は何でしょうか。まず、女性についてです。女性の労働参加の進展を説明するためには、過去の日本における女性の労働参加の状況を知って頂く必要があります(図表10)。女性の年齢別労働力率をみると、1990年代後半には、出産・育児期の女性の労働力率が低いことによる、いわゆる「M字カーブ」が顕著にみられました。日本では、出産・育児期に、女性が就業継続を諦めて労働市場から退出する傾向が強かったためです。しかし、現在、出産・育児期の女性の労働参加は維持されており、「M字カーブ」は概ね解消されたといってよいと思います。日本における女性の労働参加は、ほぼ全ての年齢層で、既に米国の状況を超える水準まで進んでいます。こうした女性の労働参加の進展の背景には、経済の改善による労働需要の高まりに加えて、公的部門と企業部門の双方における様々な措置によって、育児と仕事を両立する環境が充実してきていることが挙げられます。実際、自治体などによる保育施設の整備が進んでいるほか、企業が育児期の職員の離職を抑えるための取り組みとして、事業所内保育所を積極的に設置しています。また、産休・育休制度の拡充に加え、通勤の負担も考慮して、テレワークによる自宅での勤務を導入する企業も増えてきました。こうした取り組みによって、育児などを理由に労働市場から退出している女性の数は減少しています。

次に、高齢者についてです(図表11)。高齢者の労働参加状況について、さらに細かい年齢層別にみると、60歳代後半だけでなく、70歳代まで労働参加が進んでいます。こうした背景として、年金支給年齢の段階的な引き上げなどの経済的な面もあると思います。しかし、高齢になるほど「生き甲斐」や「社会貢献」といった非経済的な理由によって働く人が多いという傾向があり、高齢者の労働参加の進展については、経済的な理由だけでは説明しきれません。この点、高齢者が身体的に若返っていることは、高齢者が働き続けることをサポートしているように思います(図表12)。例えば10年前と比べると、歩行速度は5歳ほど、歯の数でみれば10歳ほど若返っています。仮に、10年前には、65歳で仕事を辞めるのが身体能力的に自然だったとしても、現在では、70歳代まで働くことが身体能力的に不自然ではないということです6

このように、女性や高齢者の労働参加が促されることは、生産年齢人口の減少に直面している日本経済にとって、成長力を高めるうえでも望ましいことです。もっとも、女性や高齢者の労働力率は100%を超えることはできません。そこで必要なのは、経済全体の生産性の向上です。それについてはのちに述べます。

  1. 6Toshitaka Sekine,"Does Demography Really Matter?, " presentation at the G20 Symposium titled "For a Better Future: Demographic Changes and Macroeconomic Challenges, " January 17, 2019(外部サイトへのリンク), なお、米国での研究だが、業績の伸びという点で上位0.1%に位置するスタートアップ企業の創業経営者の平均年齢は45歳である。Pierre Azoulay et al., "Age and High-Growth Entrepreneurship," NBER Working Paper, no.24489, 2018.

(3)企業行動の変化

ここまで、家計部門の変化について労働市場を中心にみてきましたが、企業部門でも変化の兆しがみられています。

まず、人手不足に対する積極的な対応です。労働需給がタイト化するもとで、企業が、労働力を節約して資本に代替する動き、すなわち省力化投資が進んでいます。省力化投資は、日本では従来から製造業で活発に行われてきました。製造業では、1970年代に起きた2度の石油ショック時における原油高の強烈な経験から、1980年代以降、生産用ロボットなどによるコスト削減・生産合理化が進められてきました。その後も、グローバル化に直面し、厳しい競争環境に晒される製造業大企業を中心に、コスト削減・生産合理化努力が続けられてきました。一方、労働集約的な業種が多い非製造業では、パートタイマーなどの安価な労働力が安定的に供給されたことや、グローバルな競争環境に晒されていなかったことなどから、省力化投資にそれほど積極的ではなかったように思います。しかし、労働需給のタイト化を受けて、労働集約的な非製造業においても、省力化への取り組みが進んでいます(図表13)。2010年代前半以降、建設や小売、宿泊・飲食サービスといった労働集約的な業種では、ソフトウェア投資が明確に増加するなど、省力化投資が活発化しています。例えば、日本の飲食店に行くと、タブレットを使って客が自分で注文を行うシステムが、小規模店舗でも広く普及していることに気付くと思います。こうした仕組みは、注文を取る作業を省力化するほか、売り上げ管理なども効率化することができます。また、作業員が不足している建設現場では、ドローンを使った測量システムや、今まで熟練技能者の経験に頼っていた作業をAIによる蓄積情報の解析によって補完するシステムなど、新しい技術の活用が拡がっています。労働生産性が、2010年代前半以降はっきりと上昇している背景には、近年のめざましい技術進歩を活用した、こうした企業の取り組みがあると考えられます。

以上の変化は、労働需給タイト化への受動的な対応という面がありますが、企業行動のより積極的な変化もみられています(図表14)。例えば、日本企業によるM&Aの状況をみると、買収額は大型案件の有無で大きく変動していますが、件数をみると着実に増加しています。また、企業の開業率をみると、「失われた20年」の間、低い水準で推移していましたが、このところ、米国などに比べれば水準は低いものの、上昇の兆しがみてとれるように思います。バブル崩壊以降、リスクを取ることに慎重であるといわれてきた日本企業において、こうした動きが拡がっていることは、ポジティブな変化として評価できるのではないでしょうか。

3.今後の課題

ここまで、「失われた20年」の後、日本経済で起きているポジティブな変化を紹介してきました。もっとも、現在の日本経済をみると、成長力の一段の強化が必要です。また、物価上昇率も、日本銀行が目指している2%の「物価安定の目標」の実現には、いまだ途半ばです。日本経済の成長力を高めるためには、引き続き、様々な課題が残されていると考えています。そこで、後半は、日本経済の今後の課題の中でも、人口減少・高齢化のもとでの生産性上昇に向けた課題に絞って、私の考えを述べたいと思います。生産性向上に向けた基本的な考えは、より多くの人々の知識・技能を高めるために投資を行い、活躍を促す「開かれた」経済社会の仕組みの構築と維持に尽きます。

(1)企業に期待される変化

先ほど、省力化投資などの企業による労働生産性向上の取り組みが、製造業だけでなく非製造業にまで拡がってきていることをご紹介しました。ただし、労働生産性が高まれば、資本も含めた全体の生産性が必ずしも高まるというわけではありません。例えば、ロボットなどの資本が労働に代替しても、労働と資本の単なる代替にとどまり産み出す付加価値が変わらないような場合は、労働生産性は上昇する一方、資本の生産性が低下し、全体でみた生産性は大きく変わりません。

そこで、資本の効率的な使用も含めた、様々な生産要素全体での生産性(TFP)を確認すると、労働生産性が大きく上昇しているのとは、異なる姿がみられます(図表15)。例えば、電子部品や電気機械を製造する「IT製造部門」と、ソフトウェア投資比率の高い情報通信業や運輸・郵便、卸売・小売業など非製造業が多く含まれる「IT利用部門」のTFPの推移をみると、「IT製造部門」の伸びは比較的高いものの、「IT利用部門」の伸びは冴えません。近年、TFPの伸びの鈍化は先進国共通の悩みではありますが、日本の「IT利用部門」の伸びは2000年代から低いままです。こうした低迷を説明する仮説は様々ありますが、ここでは、日本企業のIT技術の利用に対する姿勢を指摘したいと思います。

企業にIT予算を増やす理由を聞いたアンケートをみると、日本企業は、業務効率化やコスト削減を目的としているとの回答が多くみられます。こうしたスタンスは、新しい技術を取り入れながら、製品やサービスの開発強化などイノベーティブな行動に結びつけようとしている米国企業とは対照的です。最近では、日本企業も、新しい技術にチャレンジする姿勢がみられ始めていますが、イノベーションに繋がる利用にまで結びついている先はそれほど多くないように思います。AIやIoTなど、新しい技術が日々進化する中、こうした技術を、日本企業の得意分野であるコスト削減や生産合理化のための利用にとどめることなく、イノベーションを通じた付加価値の向上に繋がるように、より積極的に活用していくことが期待されます。

(2)家計に期待される変化 ~女性・若者のさらなる活躍~

生産性向上に向けて、家計にはどのような変化が期待されるのでしょうか。先ほど指摘したように、女性や高齢者の労働参加が高まったことは、生産年齢人口の減少に直面する日本経済にとって、非常にポジティブな動きといえます。そのうえで、さらに求められることは、各人が持つ潜在能力を十分に発揮していけるようにしていくことです。以下では、女性と若者のさらなる活躍という課題に焦点を当てたいと思います。

まず、女性の潜在能力の発揮についてです。最初に、男性と女性の生涯における所得水準の推移を確認したいと思います(図表16)。女性の所得水準は、年齢が上昇するに連れて、明確に男性を下回っていることが分かります。この背景には、(1)過去、女性の大学などへの進学率が、男性に比べて相対的に低かったこと、(2)女性は、出産・育児期の就業継続の断念によって、職務スキルを高められない場合があり得ること、などが影響していると思われます7。後者の職務スキルという点に関連して、読み書き能力に関する男女間の差異についての分析をご紹介したいと思います(図表17)。読み書き能力そのものに関する男女差については、各国間で有意な違いが認められません。もっとも、そうした能力を職場で使う頻度をみると、日本は、他国と比べて明確に男女差があることが分かります。日本では、女性が読み書き能力を実際に使用する頻度は、男性に比べてはっきりと低いという結果になっており、女性が高スキルの職務を任されることが少ない傾向が示唆されます8

こうした状況のもとで、女性が有している潜在能力はまだ十分に発揮し切れていないように思います(図表18)。例えば、就業者に占める女性の割合は他国と比較しても遜色ない水準であるものの、管理職における女性の比率をみると、他国と比べて明確に低水準です。また、未活用の労働力に関する調査結果をみると、女性、特に育児が一段落した中年層では、さらに労働時間を増やしたいと考えている人が多いことが分かります。育児後にフルタイムの職に復帰したいのに、それが叶わない女性が相当数いることが示唆されます。

こうした人々が労働市場に参加するだけでなく、持っている能力を十分に発揮して活躍することは、人口減少・高齢化に直面している日本にとって重要な課題といえます。では、そうした動きは進んでいるのでしょうか(図表19)。まず、就職前の教育環境として、女性の四年制大学への進学率をみると、30年前は男性の半分程度にとどまっていましたが、近年は、男性に遜色ない比率にまで高まっています。就業前の教育という面では、男女差は概ね解消されているといえます。また、就職率をみると、以前は女性が男性よりも低い傾向がありましたが、近年は、女性の就職率の方が男性を上回っている状況です。さらに、女性が出産・育児で職場を離れている間にスキルを維持・向上するための教育機会を提供する企業や、職場に戻った後のキャッチアップが容易になるように業務情報を積極的に共有するといった取り組みを行う企業も増えています。このように、女性の潜在能力を存分に発揮してもらうための環境は整い始めているように思います。もちろん、出産・育児期を終えた女性の中には、既に就業継続を断念してしまった人々が多くいます。このような人々に対しては、リカレント教育によってスキルアップを図ることで、再び労働市場に参入した際に、高スキルが求められる職務に就けるようにする、といった取り組みも重要になります。

次に、若者です。長期的な観点からは、教育という取り組みは生産性向上にとってきわめて重要です。この点、教育無償化などによって経済状況にかかわらず教育水準を高められる環境を整えることは、マクロの生産性向上という観点からも意義のある取り組みです。

また、現在、企業の活動範囲がグローバル化していることを考えると、グローバルな人材を育てていくという視点も重要です。この点に関して、日本人の海外留学に関するデータをお示しします(図表20)。日本から他国の学校に籍を移して留学する学生の割合は、2000年代以降、頭打ちとなっています。しかし、日本の大学に籍を置きながら、短期間留学する学生の数は、増加を続けています。こうしたデータをどうとらえるかについては様々な見方があると思いますが、短期間とはいえ海外留学を経験する若者が増加していることは、グローバル人材育成に向けた第一歩として評価してよいのではないかと思います。

もっとも、大学院以上への進学に関しては、日本にはまだまだ向上の余地があります。女性について言えば、博士課程に占める女性の比率は、OECD平均が47%なのに対して、日本では31%と、OECD加盟国中で最も低い水準にあります9

家計の金融資産と、それを支えるわが国の金融についても少し言及します。日本の家計金融資産は順調に増え、2019年6月末には1,860兆円に達しています。こうしたもとで、家計において預金以外での資産運用の動きが徐々にみられ始めているほか、金融業の側でも変化が訪れています。経済が改善する中で、金融業は人口減少・高齢化による構造的要因の影響を最も受けている業種のひとつですが、一方で、グローバル化と技術革新も着実に進行しています。わが国の金融機関をみますと、海外での事業展開を進めているほか、フィンテック企業を始めとする他業態の企業とも連携し、新たなビジネスを生み出そうとする取り組みを始めています。

  1. 7Lorraine Dearden and Nobuko Nagase, "Getting Student Loans Right in Japan: Problems and Possible Solutions," Discussion Paper Series A of the Institute of Economic Research at Hitotsubashi University, no.668, 2017.
  2. 8Daiji Kawaguchi and Takahiro Toriyabe, "Parental Leaves and Female Skill Utilization: Evidence from PIAAC," RIETI Discussion Paper Series, no.18-E-003, 2018.
  3. 9OECD, "Country Note: Japan" in Education at a Glance 2019: OECD Indicators, 2019(外部サイトへのリンク)

4.おわりに

本日は、やや長期的な視点から、日本経済の前向きな変化と今後の課題についてお話しさせて頂きました。日本経済が、「失われた20年」の後、女性や高齢者の労働参加、企業の省力化投資といった様々な取り組みによって、人口減少の負の影響を打ち返しながら成長を続けている姿がお分かり頂けたと思います。もっとも、人口減少・高齢化は、今後も続く課題です。そうしたもとで成長を続けるには、生産性をさらに高めていくことが不可欠です。日本にはまだ活用されていない潜在能力があり、様々な領域で改善・向上の余地があります。こうした可能性を最大限に発揮するならば、日本は課題を解決することができると思います。

最後に、成長力の強化と金融政策との関係、中央銀行の役割について私の考えを申し上げて、話を締め括りたいと思います。成長力の強化は、主として、民間主体の行動変化によって実現していくものであり、それを促すものとして政府の成長政策があります。一方、日本銀行の金融政策は、2%の「物価安定の目標」の実現を目的とするものですが、様々な経済主体の取り組みと日本銀行の金融政策との間には、相乗作用が働きます。民間企業がモノや人への前向きな投資やイノベーションに取り組む一方、政府がそうした未来への投資を促進する環境を整備したり、教育、科学技術振興等の有益な政府支出を行ったりすれば、わが国経済の期待成長率が高まることが見込めます。期待成長率が高まれば、企業の投資意欲や家計の消費意欲はより大きく高まり、2%の「物価安定の目標」への道筋はより確たるものとなるはずです。

同時に、金融緩和そのものが、成長力の強化に貢献できる部分もあると考えています10。1つは、金融緩和によって需要が高まったことで、「人手不足」や「供給制約」が顕在化し、その背後にある日本経済の成長力の問題にスポットライトが当たるようになったことです。成長力の低下は、かなり以前から日本経済の課題として認識されてきましたが、需要が弱いもとでは目先の問題とはなりませんでした。需要の高まりによって「人手不足」や「供給制約」が顕在化したことによって、初めて、成長力の強化により供給力を引き上げることが重要との認識が行動に移されてきたといえます。人々は、日々、実際に働く中で技能を身につけ、生産性を高めていきます。特に、若年期に技能を磨く就業機会があるかないかの差は、その後の個々人のキャリア、さらには、一国全体でみた生産性にも大きな影響を及ぼすと考えられます。この点で、若年層に多様で安定した就業機会が提供されていることは、非常に重要です。また、失業期間が長期化すると、せっかく身につけた技能が徐々に失われてしまう惧れがあることから、長期失業率の低下も、経済の生産性を高めることにつながります。このように、労働市場が幅広く改善していることは、わが国の成長力を高めることにも繋がっていくと考えています。

もう1つは、企業行動の積極化を促すことです。長きにわたるデフレの経験により、企業はリスクテイクに慎重になり、設備投資や賃上げに対して抑制的な姿勢が根強く残っています。日本銀行の金融政策運営によって経済が全体として改善することは、デフレを前提とした企業行動の転換を促し、企業の積極的な投資や生産性向上に向けた前向きな取り組みに繋がるものと考えています11

日本では長く不況とデフレが続きました。中央銀行である日本銀行は、物価の安定を図ることを通じて、国民経済の健全な発展に資することを理念としております。今後、子供向けの本が書かれるときには、「何十年も不況が続いているから生きにくい世界だ」という言葉が二度と使われないようにしたいものです。

ご清聴ありがとうございました。

  1. 10若田部昌澄「最近の金融経済情勢と金融政策運営―新潟県金融経済懇談会における挨拶」2018年12月5日
  2. 11こうした考えを一歩進めて、短期的なマクロ経済の安定化が長期的な経済成長に影響を及ぼすという議論もある。詳しくは、以下を参照のこと。
    日本銀行調査統計局「東京大学金融教育研究センター・日本銀行調査統計局第7回共催コンファレンス:『マクロ経済分析の新展開:景気循環と経済成長の連関』の模様」、2018. 開発壮平・古賀麻衣子・坂田智哉・原尚子「景気循環と経済成長の連関」日本銀行ワーキングペーパーシリーズ、No.17-J-8、2017.