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求人広告ビッグデータを用いた正社員労働市場の分析 古川角歩・法眼吉彦(日本銀行)・城戸陽介(現・国際通貨基金)

Research LAB No. 23-J-1, 2023年6月1日

キーワード:
求人広告情報、オルタナティブデータ、募集賃金、労働需要、要求スキル
JEL分類番号:J23、J24、J30
Contact
yoshihiko.hougen@boj.or.jp(法眼吉彦)

要旨

労働需給や賃金動向を把握することは、経済・物価情勢を判断するうえで不可欠であるが、労働市場は、多様な側面を持ち、単一の統計やデータでその全貌を理解することは難しい。本稿では、オンライン求人サイトに2015年から2022年の間に掲載された約580万件の正社員求人広告情報を使用し、わが国正社員労働市場の需給や賃金の動向について分析を行った古川・城戸・法眼(2023)[PDF 1,454KB]の概要を紹介する。

分析の結果、(1)求人倍率などが示す以上に、企業は人材獲得の困難さに直面している可能性があること、(2)企業が求める人材の「スキル」が高まっていること、(3)求人の募集賃金ははっきりと上昇していること、(4)募集賃金の上昇は、ラグを伴ってマクロでみた正社員の平均賃金を押し上げていくこと、が示唆された。

はじめに

古川・城戸・法眼(2023)では、正社員の求人市場――特に、近年拡大しているオンラインの民間求人メディアを介した経路――に着目し、わが国正社員労働市場の需給や賃金動向について分析を行っている。正社員求人市場については、一般的には、「職業安定業務統計」で捕捉可能なハローワークの求人統計を用いて分析されることが多い。もっとも、近年では、ハローワークを介した労働移動のシェアは低下してきており、足もとでは、求人件数、入職経路いずれでみても、オンライン求人サイトのシェアがハローワークを上回っている(図表1 )。さらに、求人広告情報は、個々の求人レベルで募集賃金など高粒度の情報を捕捉可能というメリットもある。

図1.正社員求人市場

  • 正社員求人市場についてのグラフ。詳細は本文のとおり。

求人広告情報のミクロデータを活用した分析は比較的新しい分野であり、特にわが国での分析例は米国などと比べて少ない。求人の要求スキルや企業が直面する労働需給の引き締まり度合い、また、それらと募集賃金の関係など、分析結果の多くは求人広告情報というオルタナティブデータを用いて初めて得られたものであり、わが国労働市場に関する新たな知見の蓄積に資するものである。特に、当分析のように求人の募集賃金から正社員の平均賃金への波及を分析した試みは、海外でも類例をみない。

使用するデータ

使用するデータは、株式会社HRog社がウェブスクレイピングによって取得した、主要な民間オンライン求人サイト(以下、「主要民間求人媒体」)に掲載された正社員求人広告情報で、2015年1月から2022年12月までの月次データ、合計約580万件の求人データを用いる。今回使用する求人広告情報には、個別求人の募集賃金、職種、勤務地、仕事内容や応募条件に関する情報に加え、求人企業の企業名や住所なども含まれる。

求人広告情報からみた労働需給の変化とその背景

本節では、求人広告情報をもとに、企業が直面する労働需給の引き締まり度合いを捕捉したうえで、その背景について分析する。まず、労働需給を捕捉するために、全求人のうち最終的に求職者とマッチしたと考えられる求人の割合を表す「マッチ率」を算出する1。マッチ率は、企業にとって人材をどれだけ確保しやすいかという点で企業が直面する労働需給を表していると考えられる。マッチ率の低下は、求職者当たり求人数の増加(有効求人倍率の上昇)、または、ミスマッチなどによるマッチング効率の低下、の何れかによって起きる。

マッチ率の動向をみると、景気拡張期に低下し、景気後退期に上昇する傾向があり、反循環的に変動していることが確認できる(図表2)。これは、求人と求職者の全体的なバランスの動きを反映したものであると考えられる。ただし、足もとでは、有効求人倍率が感染症拡大前の水準まで復していないもとで、マッチ率は同水準を下回って推移しており、両者の乖離が目立っている。このことはマッチング効率の低下により、有効求人倍率が示す以上に企業の人材確保が困難化していることを示唆している。

図2.求人のマッチ率(全体)

  • 求人のマッチ率についてのグラフ。詳細は本文のとおり。

マッチ率を職種別・業種別にみると、全ての区分で低下しているが、中でも、専門的・技術的職業や情報通信業などで低くなっている(図表3)。これらの職業・業種では、直感的には、相対的に高いスキルを持った従業員の比率が高いと思われる。そこで、次に、企業が人材に要求するスキル水準という観点で求人を分析し、マッチング効率低下の背景をより子細に窺う。

図3.求人のマッチ率(職業別・業種別)

  • 職業別、業種別にみた求人のマッチ率についてのグラフ。詳細は本文のとおり。

具体的には、「応募条件」のテキストに含まれる名詞を用いて個々の求人広告の要求スキル度合いを定量化し、要求スキルが上位25%に入る求人を「高スキル求人」、下位25%に入る求人を「低スキル求人」、その他の求人を「中スキル求人」として分類する。要求スキル区分別の求人件数をみると、サンプル期間を通じて高スキル求人の件数の増加率が他の要求スキル区分を上回っており、企業の求めるスキルの高度化が進んでいる様子が窺われる(図表4)。高スキル人材は相対的に労働供給が少なく、求職者とマッチしづらい傾向があるため、高スキル人材などマッチしにくい求人が求人市場全体に占める割合が高まったことが、マッチング効率の低下に影響していることが示唆された。

図4.要求スキル別求人件数の変化率

  • 要求スキル別求人件数の変化率についてのグラフ。詳細は本文のとおり。

ではなぜ、近年高スキル求人が増加しているのだろうか。企業が出している求人の要求スキルと、資本形成や技術進歩度合いとの関係を推計すると、企業の資本蓄積が進むほど求人の要求スキルが高まることが分かった(図表5(1))。このことは、企業が、成長分野への研究開発を強化し、ソフトウェアなど無形固定資産への投資を伴うデジタル化への対応を進めていることが、それらを補完する高スキル人材の需要を強める一因となっていることを示唆している(図表5(2) )。

図5.求人の要求スキルと企業の財務活動

  • 求人の要求スキルと企業の財務活動についてのグラフ。詳細は本文のとおり。
  1. 1本分析では、大多数の求人の掲載予定期間が3か月に設定されていることを踏まえ、3か月未満で掲載を終えた求人について「求職者とマッチした」とみなすこととする。そして、各月に新たに掲載された求人のうちマッチした求人の割合をマッチ率として算出する。

募集賃金の動向

本節では、正社員求人市場における募集賃金の特徴を確認したうえで、その背景にある要因について分析する。まず、主要民間求人媒体における正社員求人の募集賃金の動向をみると、2018年以降、継続的に上昇している(図表6(1) )。職業別・業種別にみると、どの職種・業種も近年上昇傾向にあるが、マッチ率が相対的に低い専門的・技術的職業や情報通信業といった職種、業種で伸び率が高くなっている(図表6(2) 、(3))。また、スキル区分ごとの募集賃金をみると、高スキル人材への需要増加を反映して、高スキル求人の募集賃金は中スキル・低スキルよりも上昇幅が大きくなっている(図表6(4))。

図6.募集賃金の動向

  • 募集賃金の動向についてのグラフ。詳細は本文のとおり。

こうした募集賃金の動向は、正社員の平均賃金と異なっている。実際、募集賃金と正社員の平均賃金(「毎月勤労統計」における一般労働者の所定内給与)を比較すると、感染症拡大前はどちらも概ね似た伸びを示していたものの、感染症拡大以降は、募集賃金の伸びが正社員の平均賃金をはっきりと上回っている(図表7)。

図7.募集賃金と正社員の平均賃金の動向

  • 募集賃金と正社員の平均賃金の動向についてのグラフ。詳細は本文のとおり。

こうした募集賃金の上昇の背景には、労働市場の全体的な引き締まりに伴う幅広い職種・業種の募集賃金の上昇や、高スキル人材への需要の増加による、高スキル求人自体の募集賃金の大幅上昇だけでなく、高スキル求人への増加による高募集賃金求人の比率上昇(構成比効果)も影響している。実際、募集賃金の変化のうち、企業が要求するスキルの高まりで説明できる割合(構成比効果)を算出すると、感染症拡大以降の平均募集賃金の上昇の約3割程度の比率となっている(図表8)。

図8.平均募集賃金の変動の要因分解

  • 平均募集賃金の変動の要因分解についてのグラフ。詳細は本文のとおり。

以上の結果を整理すると、第一に、正社員労働市場の募集賃金は労働需給の影響を相応に受ける。そのため、先行き、経済活動の改善に伴いマクロでみた労働需要が高まっていけば、毎月勤労統計などからみた平均賃金より募集賃金は高まりやすいと考えられる。第二に、近年の募集賃金の上昇は、高スキル人材の需要増加に牽引されている部分が大きい。これには、高スキル求人の募集賃金の大幅な上昇、求人に占める高スキル求人の割合の上昇、の両面が作用している。前節の分析も踏まえると、先行きも、成長分野における研究開発投資やDX関連投資が拡大すれば、それに伴う高スキル人材の需要拡大が、正社員求人の募集賃金を押し上げる方向に作用する可能性がある。

正社員市場における募集賃金から賃金全体への波及

前節まででみた求人市場における正社員の募集賃金の動きは、正社員全体の賃金形成に対してどのような示唆を与えるのだろうか。本節では、募集賃金と正社員の賃金の時系列的な連関性を確認したうえで、ミクロデータを用いて前者から後者への波及メカニズムについて考察する。

まず、簡単なベクトル自己回帰(VAR)モデルを推計したところ、募集賃金に対するショックが発生したあとは、およそ6か月程度のラグを伴って正社員の賃金も上昇しており、前者が1%上昇すると後者は0.3%程度上昇することが分かった2(図表9)。このため、募集賃金の最近の高い伸び率は、正社員の賃金を先行き6か月~1年程度の間押し上げる方向に作用すると考えられる。

図9.募集賃金の上昇に対する正社員平均賃金の反応

  • 募集賃金の上昇に対する正社員平均賃金の反応についてのグラフ。詳細は本文のとおり。

もちろん、求人の募集賃金が上昇すれば、転職(求人と求職者とのマッチ)を通じて正社員の賃金にも直接上昇圧力がかかることは自明と思われるかもしれない。もっとも、わが国の就業者に占める過去12か月間の転職者の割合は5%程度であるため、求人の募集賃金が1%上昇したときにストックの賃金が直接的に押し上げられる効果は0.05%ポイント程度に過ぎず、上記の時系列分析の推計結果(0.3%ポイント程度)よりも大幅に小さい。このことは、募集賃金から正社員の賃金への波及には、直接的な押し上げ効果以外のメカニズムが介在していることを示唆している。

そこで、募集賃金から正社員の賃金への波及メカニズムについて、2つの「効果」に分類して分析を進める。1つ目の効果は、募集賃金の上昇が、求人を提示している企業とは別の企業の従業員賃金を押上げるメカニズムであり、ここではそれを「外圧効果」と呼ぶこととする。求人の募集賃金が上昇すれば、従業員がより良い条件の仕事を求めて離職するのを防止するため、企業は従業員の賃金を引き上げる可能性がある。2つ目は、募集賃金の上昇が、求人を提示している企業自身の従業員賃金を押上げるメカニズムであり、ここではそれを「内圧効果」と呼ぶこととする。自社が提示している求人の募集賃金が上昇し、既存の従業員よりも高い賃金で新入社員が入ってくるようになると、公平性の観点から、当該企業は既存の従業員についても賃金を引き上げるインセンティブが働く可能性がある。両効果が存在しているかどうかについて、企業の財務情報などに関する公的統計の調査票情報3と求人広告情報を接続したミクロデータベースを用いて検証する。

まず、外圧効果の検証にあたっては、事業所別の正社員賃金が、同一都道府県内で同一業種の企業が提示している求人の平均募集賃金に影響を受けるかを推計した。都道府県をまたぐ人口移動率は約2%程度と低く、転職者のうち約5割が同一業種内で転職していることを踏まえると、同一都道府県・同一業種の求人の平均募集賃金が上がれば、既存の従業員にとってはより良い条件の仕事を求めて転職するインセンティブが高まると考えられる。続いて、内圧効果の検証にあたっては、企業別の従業員賃金が、同一企業が提示した求人のうち求職者とマッチしたと考えられる求人の平均募集賃金に影響を受けるかを推計した。

推計結果をみると、いずれの効果についても統計的に有意な結果が得られ、外圧効果・内圧効果の双方が機能していることが示唆された(図表10)。また、外圧効果について、全サンプルを用いた推計結果と、従業員数が少ない事業所を用いた推計結果を比較すると、従業員数が少なくなるほど影響が大きくなっている。これは、規模が小さい事業所ほど他社が提示している求人の募集賃金に影響されやすいことを示唆している。先行研究では、規模が小さい企業ほど従業員賃金が労働市場の需給に影響される度合いが大きいことが指摘されており、こうした推計結果と整合的となっている。

図10.外圧効果と内圧効果の検証

  • 外圧効果と内圧効果の検証についてのグラフ。詳細は本文のとおり。
  1. 2ここでは、失業率、募集賃金の前月比、正社員の賃金の前月比、の3変数VARを2015年1月から2022年12月のデータを用いて推計し、募集賃金が1%上昇するショックが発生した際の正社員の賃金の累積インパルス応答を計算した。
  2. 3古川・城戸・法眼(2023)では、経済産業省「企業活動基本調査」および厚生労働省「賃金構造基本統計調査」の調査票情報を、企業の住所情報などをもとに求人広告情報と接続したデータベースを作成している。

おわりに

本稿では、わが国正社員労働市場について、オンライン求人広告の情報を用いて分析を行った古川・城戸・法眼(2023)の概要を紹介した。分析結果は、求人広告情報が先行きの正社員賃金動向を考えていくうえで有用な情報を含んでいることを示している。求人広告情報を活用した今後の研究課題としては、非正規社員(パート職員)の賃金決定メカニズムについて洞察を深めていくこと、募集賃金の動きから、物価動向が正社員賃金全体に及ぼしている影響を見極めること、が挙げられる。

参考文献

日本銀行から

本稿の内容と意見は筆者ら個人に属するものであり、日本銀行の公式見解を示すものではありません。