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日本銀行金沢支店 金沢支店移転プロジェクト 香林坊で歩んだ時を未来に刻む金沢支店新営業所(2023年12月25日掲載)

金沢支店はJR金沢駅西側にあたる金沢市広岡の地に移転しました。これは、1909年に香林坊の地に支店(当時は出張所)が開設されてから、初めての移転です。香林坊での114年の長い歴史に幕を閉じた金沢支店が、新たな一歩を踏み出しました。


  • 金沢支店新店舗の全体の写真

    金沢支店新営業所

旧店舗の歴史と移転の経緯

金沢支店は、1909年3月15日に、全国では9番目、日本海側では初の出張所として開設されました。当時、北陸地域は、米穀や羽二重(織物)など重要商品の生産地であったことから、当地の財界より、産業振興には金融面での後押しが不可欠との要望が出され、こうした経緯もあり、開設されたと言われています。出張所が設置された「香林坊」地区は、当時は、商業の中心地であったほか、石川県庁や金沢市役所も近隣に所在しており、石川県の政治・経済の中心地として重要なエリアでした。当店の設置後は、地元金融機関の本店や出先金融機関の支店が居並ぶ金融の中心地としても存在感を高めました。初代の店舗は、日本近代建築の父とされ、日本銀行本店本館や東京駅を手掛けた辰野金吾が設計しました。その後、初代店舗の建設から45年たった1954年、前営業所となる二代目の店舗に改築されました。香林坊は、金融機関を含む「ビジネス街」、デパートや飲食店などの「商業施設街」 、加賀前田藩の「武家屋敷街」を結ぶハブ的な位置にあったため、いつの時代も金沢市民の目に留まる、あって当たり前の日銀でした(香林坊バス停も「香林坊(日銀前)」です)。しかしながら、建築後約70年が経過し、建物の老朽化等を踏まえ、香林坊での114年の長い歴史に幕を閉じました。

これまでの長い歴史の中で、日本銀行金沢支店は、北陸地域において中央銀行サービスを確実に提供してきたほか、さまざまな場面で、金沢市や香林坊の皆さまと共に歩んでまいりました。1959年や1964年には、支店近隣で火災が発生しましたが、支店職員で結成していた自衛消防隊が消火活動を行い、延焼を防いだとのエピソードがあります。また、2009年に支店開設100周年を迎えた際には、白川総裁(当時)を迎え、前営業所の裏庭にある樹齢約500年のタブの木の実から育てた苗木を、金沢城公園と大乗寺丘陵公園に植樹しました。その際、市内の小学生児童による合唱の中、苗木を囲んで記念式典が盛大に行われました。

  • 金沢支店初代店舗の全体の写真

    初代店舗

  • 金沢支店初代店舗の棟上げ板の写真

    初代店舗の棟上げ板(左側)

  • 金沢支店二代目店舗の全体の写真

    二代目店舗

  • 金沢市第一消防団から贈られた感謝状の写真

    自衛消防隊に対する感謝状

新店舗の特徴

金沢支店は、2023年11月6日に、金沢市香林坊から、駅西新都心と呼ばれるJR金沢駅西側にあたる金沢市広岡の地に移転しました。これは、1909年に香林坊の地に支店(当時は出張所)が開設されてから、初めての移転です。

新しい店舗の建物は、2021年12月に起工、2023年10月末に竣工しました。敷地面積約5600平方メートル、延べ床面積約6900平方メートルの地上3階建てとなります。建物の主な特徴は2点あります。

1点目は、「円滑な業務遂行・業務継続力の確保」です。金沢支店は、石川、富山、福井の北陸地域中核店としての役割を担っており、日本銀行としての業務を適正かつ円滑に遂行するため、必要なスペースを確保しました。また、昨今頻発する自然災害など、有事の際にも日本銀行の業務が継続できるよう、建物本体は免震構造を採用し、十分な耐震性能を確保しているほか、自家発電設備を設置し、商用電源が途絶した場合にもしっかり備えています。

2点目は「地域的・社会的な要請への対応」です。低層・整形な建物とすることで、駅西新都心の現代的な建物が多い周辺の街並みや景観との調和をとっています。外装は耐久性・耐候性が高いステンレスパネルを採用し、金沢の街並みの黒瓦をイメージしたダークグレーの色調に仕上げました。このほか、さまざまな方々をお迎えする施設であるため、バリアフリーに対応した施設としています。建物内部は、1階ロビーや2階広報エリアの内装材の一部に地元産材を使用し、「地産地消」に取り組みました。例を挙げると、1階のエントランスホールでは、その壁面に、金沢市の戸室山で採石された戸室石を使用しています。また、営業場のロビーには、能登産の珪藻土を使い、2階ホールの木材部分では能登ヒバを使用しています。

支店で使用するエネルギーについても、省エネの実現のために「地産地消」に取り組んでいます。例えば、省エネ設備として、放射空調設備とエアフローウィンドウを採用しました。これは、全国の日本銀行の本支店では初導入となる設備です。放射空調設備は、天井面を冷却・加熱することで気流が直接人に当たらず、室温を均一に管理できる設備であり、消費電力の削減効果が見込まれます。また、エアフローウィンドウは、2枚のガラスの間に空気を通すことで断熱性能を向上し、結露を抑制する効果も見込まれます。このほか、太陽光発電施設として、総発電量30キロワット相当の設備を屋上に設置しています。こうした設備の採用により、新営業所は、「ZEB Ready」(注)を実現することができました。

  • (注)建物の利用に伴う、標準的なエネルギー消費量を50%以上削減できる建物のこと。

新店舗での広報対応

旧店舗では、1998年に広報ルームを開設するなど、日本銀行の支店の中でも早い時期から、積極的な広報活動を行ってきました。お子さまからお年寄りまで幅広い方に対する広報を行い、コロナ禍前では、年間約600人の方が見学に訪れています。ちなみに、広報ルームの名称は、金沢市のシンボルの一つである「兼六園」にあやかり、「にちぎん見録円」とネーミングしています。お金(円)と日本銀行の業務に関する知識について、楽しく見学していただきたい、という思いが込められています。新店舗でも、地域の方々に親しみを持っていただけるよう、引き続きこの名称を採用しています。

新店舗の見学では、広報ルームのほか、営業場ロビーをご案内しています。営業場ロビーでは、実際に職員が業務を行っている様子をご覧いただきながら、日本銀行の業務を説明しています。広報ルームでは、「日本銀行と皆さまの生活との関わりについての理解を深めていただくこと」と「金沢支店が香林坊で歩んだ時を未来に刻むこと」をコンセプトに多数のコンテンツを展示しています。

まず、「日本銀行と皆さまの生活との関わり」に関するコンテンツとして、銀行券の偽造防止技術など「お金」のいろいろな知識をご紹介するほか、日本銀行の業務についてビデオの上映やパネルの展示を行っています。また、1億円(模擬券)の重さを体験したり、カメラのフラッシュをつけて撮影すると銀行券の絵柄が浮かび上がるパネル、お札の肖像画になりきる顔出しパネルなど、体験コーナーも設けています。

支店の歴史や建物に関するコンテンツも展示しています。このコーナーでは、北陸地方で発生した大規模な災害(三八豪雪など)における当店の対応についてご紹介しているほか、辰野金吾が設計した初代店舗の説明パネルや、これまでの建物で実際に使用されていた品々も展示しています。また、北陸地域出身で唯一の日銀総裁である新木栄吉や、金沢市出身の日本銀行技師であり、後の金沢市長でもある片岡安についても紹介しています。このほか、新店舗における構造上の特徴である免震構造や省エネ設備についてもご紹介しています。

もう一つのコンセプトである「香林坊で歩んだ時を未来に刻む」に関する展示では、香林坊と当店との関わりの変遷についてのパネルを展示しているほか、旧店舗敷地内の樹齢約500年のタブの木について紹介するコーナーを設けています。

このように、日本銀行の役割や金沢支店の歴史等について、楽しく見学していただけるコンテンツをご用意していますので、ぜひ、見学にお越しください。

支店長からのメッセージ

1909年の金沢出張所の開設に向けて、その10年以上も前から地元経済界では活発な誘致活動が行われました。今日では、金沢の観光名所となっている兼六園に隣接する「成巽閣」(第13代加賀藩主が母・真龍院のために建てた隠居所)で、当時関係者による懇談会も催されたそうです。地域経済の発展を受けた往時の金融サービスへのニーズの高まりや、地元の期待の強さをうかがわせる逸話です。

支店職員は、開設以来、地域の期待に応えるべく、日々、職務に精励してきました。災害時も現金供給を滞らせることなく、1963年の豪雪時には、リュックサックを背負って福井まで現金を輸送しました。また第二代支店長大三輪奈良太郎は、農業生産力向上のため、河北潟の干拓に向けた検討を主導するなど、開設初期から地域経済発展のための提言をしています。北陸新幹線開通後、新たな街として発展著しい金沢市広岡の新店舗においても、中央銀行サービスの確実な提供と、地域経済発展への積極的な行動を通じた貢献への思いを、職員の精神にしっかりと受け継ぎ、新たな歴史を刻んでいきたいと思います。

(2023年12月4日時点の情報をもとに記載)

支店職員の苦労話や工夫

引っ越し関係者

移転作業は想像していたよりも容易ではありませんでした。段ボール箱に入れた荷物を運べば「はい終わり」とは行きません。日銀ネットをはじめとした各種システム機器のほか、現金を受払いする機器の移設や、セキュリティを守る各種設備の立ち上げ、管理等、日本銀行特有の業務に付随する移転作業の項目は膨大な量となりました。これら作業は金沢支店職員だけでは到底できません。本店文書局を中心としたワーキンググループを立ち上げ、本店各部局をはじめ、全国からの応援者のほか、各分野の専門業者を中心に、各作業工程を調整しました。そして、移転前・移転後の業務関連機器の稼働確認、翌営業日に問題なく業務を開始できるように洗い出したチェック項目を一つ一つつぶし、無事に11月6日の新店舗営業開始を迎えることができました。一つの業務が立ち上がらないと全支店に影響が出る、全国の決済システムに影響が出るかもしれない、そのプレッシャーの中、人と人のプロフェッショナル同士のコミュニケーションによってプロジェクトが完遂できました。

広報担当者

支店開設より香林坊と共に歩んできた時間は、われわれにとって大きな財産となっています。新店舗での広報は、後世にこうした財産をしっかりと伝えていくことも重要であると考え、初代と二代目の支店の遺物のほか、香林坊との歩みを紹介するパネル展示を行っています。また、旧店舗を見守ってきたタブの木についても特設コーナーを設けています。このほか、デザイン面でも、パネルのデザインに金沢らしい金箔のイメージを採用したり、広報ルームの色に加賀五彩を採用したりと、「地域の一員」として最大限、工夫しました。

現金輸送担当者

金沢支店発券課と文書課では、日本経済の血液とも言うべき現金の流通を、引っ越しのために止めるわけにはいかないことから、営業日の合間を利用して、当店に保管している大量の現金を輸送する必要がありました。北陸三県を賄う物量のため、これらを全て旧舗の金庫から新店舗の金庫へ、しかも数キロメートル離れた場所へトラブルなく運ぶことは、簡単ではありませんでした。まずは、1年以上前から警察などの関係先との調整をはじめ、密に情報交換を行いました。輸送ルートはどこを通るか、現金輸送車が街中で停車するリスクはどの程度あるか、店舗の出入りは円滑に行えるか、現金輸送車はそもそも何台必要なのか、その警護に必要なパトカーは何台か等々、挙げたらキリがない中、近年例のない現金輸送実施に際し、多数の関係者で日々さまざまな検討をし、綿密な計画を立てました。そして、全国から集まった応援者と共に、全ての現金を無事に新舗に移動することができました。車や現金を運ぶ機材が一つでも壊れてスケジュール通りに運べないと翌営業日の現金流通に支障を来すため、相当な重責を感じながらの作業でした。これは日本銀行員でかつ、このタイミングで金沢支店にいたことで味わえた、貴重な経験でした。