地域の底力
掘割が心をつなぎ未来への挑戦を生む
福岡県柳川市
福岡県柳川市は、まちに広がる水路「掘割」の風情ある景色で知られる。
その眺めとともにまちと暮らす人を守り、さらには訪れる人の楽しみを増やすために、多彩な取り組みが進められている。
取材・文 山内史子
写真 野瀬勝一
掘割は、全長930キロメートルにも及び、柳川の代名詞にもなっている。小舟で巡る川下りが内外の観光客を集めるが、農業用水や治水といった地域の暮らしとの関わりも強い。
農漁業などの振興や観光・交流施設の整備に取り組む
福岡県柳川市は九州最大の筑紫平野の南西部に位置する。有明海に至る低地では掘割と呼ばれる水路が網の目のように巡り、水郷のまちとして知られている。古くは市内のおきのはたに平家の落人が定住したとも伝えられるが、今の柳川は、戦国大名かまちはるひさの築城にさかのぼる。江戸時代には、立花家が治める柳川藩の城下町として歴史を紡いできた。
-

-

柳川藩主立花家が整えた庭園は、市内随一の観光名所「おはな」として今に残る。明治期に伯爵家の迎賓館として建てられた洋館が印象的。
柳川市は、農業において福岡県有数の生産地であり、とりわけ麦と大豆については県内一の産出量を誇る。ノリ養殖をはじめ有明海の漁業は、全国的にも有名だ。
長い歳月を経て受け継がれてきた掘割は、全長930キロメートルに及ぶ。掘割の川下りを目当てに年間120万人が訪れる観光業も、地域の営みを支える柱となっている。このほか、今もなお農業用水として使われたり、巨大な貯水池として災害を防ぐ治水の役割も果たしている。そう語る市長の松永久氏は、市の職員として土木関連のほか幅広い職務に携わった後、2025年に現職に就いた。

柳川市長の松永久氏。水路関連の業務を18年間にわたり担ってきたほか、第一次産業から観光業まで多くの市民と関わってきた市の職員としての経験と人脈が、今の職務に活きていると話す。
「柳川市の一番の課題は、人口減少です。1950年代の8万5000人から現在6万人まで減少しています。特にこの20年間だけで1万5000人減っています。この減少ペースをできるだけ緩やかにするべく、施策を進めています」
人口減は地元産業の担い手不足にもつながるため、松永氏は対策に乗り出した。
「ノリ養殖の新規就業には、漁場の権利を得る必要がありますが、通常、5年ほどかかります。これまでも国から2年間の補助金がありましたが、残りの3年間の資金をどう工面するかが課題でした。この部分を市がサポートする制度を作りました」
さらに、最近の資材高で新規就農時の資金負担が重くなっているため、県やJAと連携して、離農者の資材や事業を継承するマッチングにも取り組んでいるという。

柳川は詩人の北原白秋の故郷。白秋の生家・記念館も人気。
「観光面では、掘割を舟で行く川下りとうなぎのせいろ蒸しが名物として人気です。でも旅行者の9割以上が日帰りなんです。ゆっくり過ごして景色や暮らしの魅力に触れてもらえれば、ゆくゆくは移住を検討するきっかけにもつながるので、観光はいわば、市の看板。このため、滞在時間の延長策や宿泊施設の整備に関して長年検討を重ね、来年には玄関口となる西鉄柳川駅前に、観光案内所や物販、飲食店、宿泊施設を含む複合的な交流施設が完成する予定です。また川下り後の掘割沿いの散策に至るまで、柳川の情緒を体感できる環境を整えるほか、各種体験などに導き、滞在時間を延ばす仕組みづくりを推進しています」
有明の海を思いながら進める多角経営
有明海では全国的にも有名なノリの生産が好調な一方、1980年代から漁獲量の減少が続いている。そう話すのは、水産物の買い付けや卸を事業の柱とする「やまひら」の金子英典氏だ。その礎は曽祖母が1890年に創業した鮮魚店で、金子氏は4代目に当たる。
「有明海は、ムツゴロウやワラスボなど固有種が多い地域の宝です。周辺の環境悪化などから漁獲量は減少し、固有種は絶滅が危惧される状況です。漁師さんの数も減っています」
-

やまひら社長の金子英典氏。柳川城下の港町だった沖端で有明海の新鮮な魚介類を扱う食堂 夜明茶屋を営む。川下りの終点に位置し、多くの観光客でにぎわう。
-

有明海は、福岡、佐賀、長崎、熊本の4県が取り囲む内湾。日本一の干満差で、大きな干潟が広がる。そこにはムツゴロウをはじめ多数の固有種が生息する。
危機感を抱える中、金子氏は冷蔵冷凍品の保管、加工品の開発・製造など多角的に事業を拡張しながら、土産物店や鮮魚店に併設した食堂を開業。曽祖母の代から地元の漁師が自然にそう呼ぶようになったという「夜明茶屋」を店名とした。世間の耳目を集めたのは、家族や周囲から大反対されながらも踏み切った「むつごろうラーメン」の販売だ。ご当地ラーメンとして脚光を浴び、日本観光振興協会会長賞を受賞した。
「なによりも感動したのは、俺たちのムツゴロウがラーメンになったと漁師さんたちが喜んで配ってくれたこと。今でも、思い出すと涙が出そうになるほどうれしかったですね」
さらに、古民家を活用した一棟貸しの宿泊施設「夜明の宿」を開業した。
「土産物店や食堂、宿など一般の方に向けた事業には、有明海の現状を知る入り口になればとの思いを込めています。空き家対策でもある宿には、長期滞在をしながら柳川の暮らしを体感できるよう、キッチンを設けました。柳川は、佐賀県や熊本県にも車で日帰り観光に行けるので、お客さまからは九州北部の旅の拠点として頼りになるというご評価をいただいています。考えたこともなかったので、大きな気付きでしたね」
金子氏は地元の観光協会や商店会の仲間とともに、地域づくりにも携わってきた。
「観光協会は、観光客や地元の方にも気軽に掘割を楽しんでもらうため、掘割に浮かぶ可動式のスペース『掘床』をあらたに作りました。川下りの横で花見やのだてなど自由に活用できるスペースです。若い世代の発案ですが、あらたな観光の目玉として期待しています。掘割は柳川のかけがえのない宝物です。
タイの水上マーケットのように掘割を使い倒すくらいに仲間とチャレンジしていきたい。うなぎのおむすびを売っても良いし、サップで移動しても良い。チャレンジが話題になれば楽しいし、何かに懸けた方が仕事は面白いと僕は思っています」
若い世代を育てる独自の道を行く農業
農業においては、2005年創業の杏里ファームの多彩な事業展開が興味深い。社長のかばしま一晴氏は家業を継ぐ形で就農し、コメや麦、大豆に加えてコーヒーやパッションフルーツ、マンゴーといった南国の果物まで、多岐にわたる農作物を手掛ける。
「果物の栽培は、柳川で南国の味を皆さんに楽しんでもらいたいという思いから始めました。面白くなければ仕事は長続きしませんから、取りあえずやってみようというスタンスで今に至っています」

杏里ファーム社長の椛島一晴氏と栄子氏が立つのは、「南国ひなまつり」開催中の温室。ブーゲンビリアに彩られた室内には、多数のさげもんの飾りとひな人形が展示されていた。

色鮮やかなひな飾りをつるす「さげもん」は柳川の春を彩る風物詩だ。杏里ファームでも温室の中に多数のひな人形とさげもんを展示した「南国ひなまつり」を毎年2~3月に開催しており、2万人もの観光客が訪れる。夏のトウモロコシ狩りとともに、観光農園としても人気を博している。
椛島氏は家畜の飼料となる稲わらや麦わらの収集・販売からスタートし、一般貨物の運送業、今では全国700店舗で取り扱いがある「カバ印」ブランドの氷菓の製造販売へと、事業の幅を広げてきた。事業拡大により関わる人の輪が広がり、自身の視野も広がったと椛島氏は話す。
「創業当初ドラゴンフルーツを生で売り切れなかったことで、ジェラートの製造販売を始めました。ガソリン価格の高騰で観光客が激減した時期があって、異業種の方たちに、ジェラートをやめようかと話をしていたら、簡単に作れて子どもたちが気軽に食べられるものを作ったらいいんじゃないかと。そこで地元産の原材料にこだわったアイスキャンデーを作り始めたら、福岡ドームやハウステンボスでも売られるようになって、年間80万本を超えるヒット商品になりました。パッケージの真ん中に柳川と書いているので、少しは柳川市の知名度向上に貢献できているかな」
また、柳川の未来を担う後進の育成にも力を注ぐ。
「平均年齢40歳未満と若いスタッフが多いのですが、新卒も含めて、出社退社の時間や休みは各自の判断で決めてもらうことにしています。自由で良いと思われるかもしれませんが、責任が伴う分、かえって厳しいルールだと思っています。自己管理ができなければ農業に携わるのは難しいことを理解してほしいと考えたことがきっかけです。この点、うちのスタッフは皆、プロとして育っています」
古きよき町並みを守り未来に継いでいく
柳川のまちには、かつての武家屋敷を含めて歳月を経て受け継がれてきた建物が少なくないが、今では空き家が増え、古くからの町並みが失われつつある。古民家の所有者と、住居やビジネスの場として活用したい人との間を取り持つのが「柳川暮らしつぐ会」だ。一級建築士でもある代表の北島智美氏は、発足の経緯についてこう語る。
「そもそものきっかけは、地域の町並みを考える市のワークショップでした。柳川の景色を未来に継承し、古きよきものと新しいよきものを積み重ねながら未来に残したいとの思いから、2015年に有志が集まって活動を始めました。現在の会員数は60名ほどで、市民から申し出のあった空き家物件を希望者に紹介し、人と家をつなげる役割を果たしています。この10年間で、宿泊施設やカフェなど再活用した古民家が7軒あり、微力ながらも地域の景観維持のお役に立っているのではないかと自負しています」
移住体験などの施設「もえもんハウス」や「旧綿貫家住宅」の管理を市から受託するなど、移住に関するサポートも行ってきた。
「空き家の活用には、まず家財の片付けが必要になります。そのままでは廃棄されてしまう物を譲っていただくことで、古物市を開催するようになりました。着物も多くいただくので、着物市を開催したり、洋服や小物などにリメイクする手仕事を行ったりしています。古物市や手仕事が縁で古民家に興味を持ってくださったり、物件の問い合わせにつながったケースも増えてきました。さらに最近は20代をはじめ若い世代の入会も増えているのがうれしいですね。柳川の文化を守りたいという私たちの願いは一朝一夕でかなうものではありませんが、少しでも多くの人に活動を知ってもらえればと考えています。それぞれ本業がある中での市民活動なので、楽しみながら進むのも大切なことだと思っています」
-

右から柳川暮らしつぐ会代表の北島智美氏、手仕事の会のリーダーを務める市野幸子氏、DIYの達人である松石洋一氏。会の拠点である築100年超の古民家古澤家は、会が最初に取り組んだ空き家活用事例。レンタルスペースはギャラリーや撮影用としても活用されている。
-


上/市の移住体験施設もえもんハウス。会が管理し、滞在者の案内役を務める。「もえもん」は柳川の方言で、みんなで分け合い仲良く使う、という意味。
下/会が手掛けた古民家を活用したカフェ。柳川の総鎮守ひよし神社の門前にあり、今では地域の住民や多くの観光客が集まる。
職人の技術や誇りを地域社会に知ってもらいたい
1948年の創業以来、柳川の掘割を支えてきたのが、水門メーカーである乗富鉄工所だ。3代目の乘冨賢蔵氏は、大手造船所での生産管理職を経て2017年に家業を継いだ。そこから、画期的な改革と挑戦を重ねている。
「地元に戻ってきた当時は水門の更新工事はあっても部分的な補修が多く、新しいことができないへいそく感がありました。また社内の仕事の流儀が昭和のカルチャーを引きずっていて、若い人が入ってもすぐに辞めていたんです。一方で、職人の技術力の高さには驚かされました。水門の製造は分業で行うのが難しく、一人の職人が全ての工程を担う。彼らのスキルを活かしたいとの考えに至り、さまざまな取り組みを始めました」
-

乗富鉄工所社長の乘冨賢蔵氏。「日々の仕事を楽しくする、その姿勢がクリエイティブだと定義しています。まちづくりは、自分たちの力で生きていくことであり、地域に残された希望です」と話す。
-

乗富鉄工所の広場で開催されるツクルフェスは、ものづくり体験を提供する催し。地元の多くの事業者が出店し、家族連れが集まる大きなイベントに育った。
(写真提供:株式会社乗富鉄工所)
乘冨氏はIT化により、業務の効率化を進めつつ、将来的な人手不足を見据えて水門の自動遠隔監視・操作システムの事業化にも取り組んでいる。加えて、会社の福利厚生の充実を図って労働環境も整えた。
社員のやりがいを引き出すことにも力を注ぎ、各人が自由な発想で新事業を開発する「ノリノリプロジェクト」を立ち上げ、キャンプ用品や家具といった新規商品が生み出された。デザイナーとも連携して、一般の人にもなじみやすい商品開発を目指しているという。
「手に取りやすい商品で、多くの人に職人の価値を伝えたいと考えました。商品が売れ、一般の認知度が高まることは、社員やその家族の誇りにもつながるんです。さらに、ものづくりが好きな人に来てほしいとの思いから、求人の際に『メタルクリエイター』という独自の職種で募集をかけました。将来の希望を持った人材が採れて、これに触発される形で既存の社員にも変化が生じています」

掘割沿いの赤レンガ倉庫「なみくら」は、1870年創業の鶴味噌醸造の建物。ここを会場に、ツクルフェスの姉妹イベントとして、地元食材や発酵文化を主役にした「タベルフェス」が開催された。
2024年には、溶接をはじめさまざまなものづくりを家族で体験できる「ツクルフェス」を開催した。市内の事業者や飲食店にも賛同を呼びかけたイベントは話題を集め、今では2000人が来場するイベントになったという。
「新商品やクリエイティブな活動を地域社会に知ってもらいたい、という思いから始めました。わが社に関心を持つ人がまちに増えていることを社員に実感してもらうことも、もう一つの目的です。地元を支える企業であるのは、僕らのアイデンティティー。だからこそいろいろなチャレンジもできる。地域社会との関わりこそ一番大事だと思っています」
地元の同世代の経営者とも意見を交わしながら、乘冨氏は地域づくりや観光にも携わる。前述の掘床も仲間たちと構想し、ともに作り上げたものだという。さらに、掘割沿いのカフェや空き家の再生、宿泊施設の開業などビジョンは広がり続ける。
柳川の日常である掘割が、1970年代には水道の普及により一度消滅しかけたという。水質等の環境悪化の対策から埋め立てがいったんは決まった。市の一職員ひろまつつたえ氏が反対の声を上げたのが転機となり、住民運動が盛り上がった結果、計画は白紙に戻った。この話は、ドキュメンタリーとして高畑勲監督の実写映画『柳川堀割物語』に取り上げられた。
「水を取り巻く人々の生活史や水路、生物などの研究者が数多く柳川を訪れていると知り、掘割の価値の高さに気付くようになりました。地域の人口減は僕らのビジネスの縮小にもつながる。危機感がないわけではありませんが、悲観的になっても何も変わらない。人を含めて、柳川の全てを水がつないでくれる。掘割というインフラと共に歩んできた柳川の歴史や水との共生を広く伝えることができれば、世界と競い合える観光都市になるのではないかと考えています」
水路の流れのようにゆるやかに進み続ける
夏場の夜の川下りの運行など、人気の観光コンテンツが増えつつあり、手応えも感じていると、市長の松永氏は話す。他方で、コロナ禍を機に辞めてしまった川下りの船頭を継いでくれる若者を集めるのが難しいといった課題も抱える。そういう課題に真正面から向き合い、しっかりと応えることが必要だとも。未来へのバトンを託す子どもたちには、ふるさと教育が積極的に行われている。

柳川名物であるうなぎのせいろ蒸しが誕生したのは、江戸初期の頃。最近、市と連携する九州産業大学の学生たちが、観光に役立てるよう、市内20軒以上の料理店を紹介する「うなぎめしマップ」を作った。
(写真提供:柳川市役所)
「将来的にいったん故郷を離れたとしても、いつかまた帰ってきたいという思いを育てたい。そのために、小学生には自分たちの学校周辺の良いところを探し、結果を発表する場を設けたりすることで、柳川の良さを知ってもらうようにしています」
有明海は天然ウナギの産地として名をはせた歴史がある。ウナギ関連の特産品振興のためのブランド認定や、東京での柳川フェアの開催も地道に重ねている。
「フェアの売り上げは年々上がっていますが、目先の結果よりも継続が肝心。なにごとも最終的には人と人の関わりですから、小さいことを積み重ねて少しずつ信用を築いていかなければなりません。職員の提案もできるだけ拾うよう努め、たとえゆっくりであっても着実に進んだ方が良いと話しています」
松永氏の言葉をはじめ、柳川の人々の取り組みには掘割に枝を垂らす柳の木々にも似たしなやかさが感じられる。取材中、「面白く」「楽しく」という言葉を、何度も耳にしたのも印象深い。肩肘を張らないチャレンジと自由な発想は、水の流れのごとく柳川の未来を潤していくのではないだろうか。
