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【地域の底力】新潟県佐渡市
(広報誌「にちぎん」No.85 2026年春号)

地域の底力
佐渡の暮らしと文化を次の世代に伝える

新潟県佐渡市

佐渡島には、トキが住む豊かな自然と金山という、世界が認める宝がある。
そして今、その宝を受け継ぎながら、持続可能な未来へと進むために、人を惹(ひ)きつける挑戦が続く。

取材・文 山内史子
写真 野瀬勝一

この記事の扉ページの画像。画像の内容の詳細は次のとおり

佐渡島では、この20年、農薬や化学肥料を減らすだけでなく、田んぼの周辺の魚・昆虫や植物を育むための農法を取り入れてきた。そうしたトキとの共生のための取り組みもあって、絶滅の危機にあったトキは、今では600羽ほどが佐渡の野山に住む。田んぼで餌をついばみ、空を舞う姿が日常的に見られるようになった。

子育て世代を島に誘う企業誘致と起業支援

新潟県佐渡市は、2004年、佐渡島の10市町村が合併し、1島1市として誕生した。佐渡島は、古事記、日本書紀の国生み神話にも登場する由緒があり、古くから貴人や知識人の配流(はいる)の地としても知られる。近世には日本最大の金山が幕府の財政を支え、技術者をはじめ多くの人が島に集まった。その遺構は2024年に「佐渡島(さど)の金山」として世界文化遺産登録を果たした。

  • 佐渡市の全体地図

  • 両津港に接岸しているカーフェリーの写真

    島のくびれ部分の東側に位置する両津港は、佐渡の表玄関。新潟港との間をカーフェリーとジェットフォイルが結ぶ。南西部の小木港からも直江津港に定期航路がある。

佐渡市長の渡辺竜五氏の写真

「世界文化遺産登録以降、観光客は前年と比べて毎年約2割ずつ増加しています。観光をきっかけに佐渡の魅力に触れ、移住や定住につながることを期待しています」と話す、市長の渡辺竜五氏。

島の経済は豊かな自然を生かした農業、漁業や、観光業が主力だが、長きにわたる人口減少に悩む。そうした中、ここ数年は活発な企業誘致や島内での起業の増加が耳目を集める。市役所職員を経て2020年から市長を務める渡辺竜五氏は、その背景をこう話す。

「1950年ごろに12万人を超えていた人口は、昭和末期から年間1000人のペースで減少を続け、現在は4万7000人になりました。何より出生数が200人を割ってしまったのは寂しい限りです。そんな現状を覆して持続可能な未来をつくるには、働き手であり子育て世代でもある20~40代を呼び込まなくてはなりません。移住や定住を促すためには、働く場を増やす必要があるとの考えに至りました」

市では起業成功率ナンバーワンの島を掲げ、企業誘致や起業を積極的に推進している。2021年、地元の企業経営者が集まるボランティア団体NEXT佐渡とも連携して、佐渡ビジネスコンテストを立ち上げ、地域の課題解決や佐渡に根差すビジネス創出の流れを加速させた。さらに、古民家を活用したインキュベーションセンター河原田本町(かわはらだほんまち)を開設し、起業したばかりのスタートアップに対してシェアオフィスを提供するなど、サポート体制を整えた。

これまでに企業誘致は約60社、起業は約40社を数え、雇用創出も約550名に達するなど、確かな実績が上がっている。島外からの移住は年間500名ペースが続き、その半数を30代までの若者が占めるという。

着実かつ大胆に島の経済を変えていく

佐渡に吹くあらたな風の先陣をきったのが、2012年にtaneCREATIVE(タネクリエイティブ)を起業した榎崇斗(えのきたかと)氏だ。地元出身だが、東京で就職した後、起業をきっかけに佐渡に戻ってきた。同社のセキュアなウェブ制作とセキュリティ保守管理サービスは、金融機関や大手企業が採用するなど高い評価を得ているという。本業の傍ら、榎氏は市の企業誘致や起業推進の取り組みを後押ししてきた。

「起業にあたって佐渡を選んだのは、何かしら生まれ故郷に貢献したいという思いでした。人がいなくなれば、まちは廃れます。2015年に同じ志を持つ地元の若手経営者とNEXT佐渡を立ち上げ、地域社会にコミットメントする企業を島に呼び込む活動を始めました。さらに、市が共催する佐渡ビジネスコンテストをお手伝いしています。行政が手を付けにくいことを民間が補完するつもりですが、佐渡市は反応が早く、共通のゴールを目指すパートナーとして心強く思っています」

  • taneCREATIVE社長の榎崇斗氏の写真

    taneCREATIVE社長の榎崇斗氏。本社屋は江戸期の旅籠を再生した静かで趣のある建物。

  • taneCREATIVE社屋内の写真

    かつてのにぎわいが形を変えて今につながる。建物奥の少し低いかもいをくぐった一室に、多数の若者が集まり、静かに業務にいそしむ。もともと全国でリモートワークで働く社員が多いが、「修業」のため、若い頃の数年を佐渡に住み、経験を積むという。

起業は成果が出るまでどうしても時間がかかる。そのため、榎氏は自らの人脈を活用して、既に実績のある企業を島に呼び込むことにも尽力している。自治体からの助成や補助金もあるが、先進的な意識を持つ経営者ほど、ストーリーが決め手になるという。

「例えば、当社の本社ですが、江戸時代には植田屋という旅籠(はたご)でした。島の中心に位置し、島の内外の知識人が集まって佐渡の未来を語るサロンでもありました。今は建物が傾き、2階部分は使えません。エアコンも十分に効かず、働く場所としては必ずしも適していないかもしれませんが、時を経て再び若者が集まり、新しい佐渡をつくろうとしている。そのようなストーリーが魅力となり、起業家の共感を呼ぶと思います」

次は、銀行が使っていた建物を活用した新しい事業を検討しているという。

「銀行の建物は正直に言って使いにくいところもあるんですが、銀行はそれぞれの街の中心にあり、利活用は街の活性化の旗印になります。また銀行の堅牢さのイメージと当社の事業内容であるセキュリティがつながります。これもストーリーを紡ぐ仕掛けと考えています。ここで100人が働く場にする計画ですが、さらに100人がITを学べる場にしたいと考えています。将来的には特色あるスキルを習得できる教育機関になればうれしい。そうなれば、学ぶために島に行く、子どものために佐渡に住むということになる。そんな夢を持っています」

コメ輸出の挑戦と島の暮らしが育んだ鬼太鼓の継承

島の将来を思う独自の取り組みは、ほかでも多数見られる。古くから島の営みを支えてきたというコメ作りでは、佐渡相田ライスファーミングの相田忠明氏の挑戦が目を引く。2010年に実家の農業を継いだ相田氏は、農協や国内の販売だけでなく、シンガポール、香港から始まり、フランス、中国と、コメの輸出にも取り組んできた。

「コメの国内消費は減少が続いていたし、国の減反政策もありました。こうした外部環境の影響を受けずに自立するためには、輸出が必要と考えたのがきっかけです。農閑期である冬はPRに奔走し、ほぼ佐渡にいないという生活が数年続きました。粘り強く続けていく中で、メディアで取り上げられたりするうちに、輸出もうまくいき始め、農業を始めて7年目にようやく笑って正月を迎えられるようになりました」

  • 佐渡相田ライスファーミング社長の相田忠明氏の写真

    佐渡相田ライスファーミング社長の相田忠明氏。コメ作りの傍ら、佐渡の伝統芸能である鬼太鼓の魅力を伝えるため、イベントや映像制作、鬼面など道具づくりの継承に取り組む。

  • 大膳神社にある能舞台の写真

    大膳(だいぜん)神社の能舞台は島で最古。かやぶき屋根の舞台は周囲の田園風景にとけ込む。佐渡は古くから能が盛んでかつては200ほどの舞台があったという。今も国内の3割に当たる35の能舞台があり、春から夏にかけては薪能(たきぎのう)も行われる。

相田氏のコメは、徹底した品質管理のもとで栽培されており、ミシュランの星付きレストランなどで多くの人がそのうまさに魅了される。これまで国内の有機JAS認証と国際的な認証グローバルG.A.P.(ギャップ)を取得。海洋深層水や有機栽培に用いる肥料も牛糞やオイスターシェルのパウダーなど佐渡産を貫く。

「さらにEUのオーガニック申請を行う予定です。申請費用は安くありませんし審査は厳しい。それでも、常に先んじていきたい。小さい農家であっても、産物には自信がありますと、そう胸を張れなくてはお客さまに失礼です。ただそれだけの思いです」

相田氏はコメ同様に佐渡の伝統芸能である鬼太鼓(おにだいこ、おんでこ)にも心血を注ぎ、その保存、継承を目的とした「さどやニッポン」を設立している。

「鬼の面をつけて舞う鬼太鼓は島内126の集落で行われ、それぞれすべてスタイルが異なります。五穀豊穣(ほうじょう)や厄払いを願い、各地域の神社に奉納もされますが、神事というより見る側も演じる側も楽しめる芸事です。近世の佐渡は豊かだったようで、集落ごとに競うように神社があります。その神社の祭りの中で鬼太鼓が生まれて広まったようです」

鬼太鼓の多くは4月中旬の祭りで披露される。日程が重なることもあって、他の集落の鬼太鼓を見る機会は少なかったという。それが、SNSで横のつながりができてくるようになった。相田氏が音頭を取って同じ志を持つ仲間と企画した佐渡祭ワールドツアーが敢行されたほか、各集落の舞いを映像化した発信も進められている。

「われわれの地域はコメどころなので、鬼面の髪に馬の尻尾を使うことが多いです。漁業が盛んな地域は海藻を使い、林業がなりわいのエリアは鬼がおのを持つなど、各集落の営みが鬼太鼓にも影響を与えています。さらに、室町時代に配流された世阿弥や佐渡金山の繁栄の影響を受け、佐渡は昔から能が盛んでしたから、能の所作が入る鬼太鼓もある。金山や北前船の交易による人の流れと繁栄によって、島内に全国各地の神社が勧請(かんじょう)され、同時に多様な文化がもたらされました。そうした文化が鬼太鼓とつながっています。伝統芸能の継承は地域の営みと歴史の持続を意味しますから、なんとかして鬼太鼓を次世代に継いでいきたいと思っています」

旅行者との交流により再起動する金山のまち

観光面では「佐渡島の金山」の世界文化遺産登録以降、順調に旅行者が増えている。金山がある鉱山町として栄えた相川地区では、2024年に開業した古民家ホテルNIPPONIA佐渡相川金山町(ニッポニアさどあいかわきんざんまち)が、米誌の「世界で最も素晴らしい場所2025」に選ばれ注目を浴びた。

まちづくり事業会社「相川車座」を経営する雨宮隆三(あめみやりゅうぞう)氏は、東京出身ながら縁あって官民連携による佐渡のまちづくり事業に関わり、地域を巻き込んでいく役割を担うことになったという。

「江戸時代の相川には5万人が暮らしていました。かつての奉行所や古い町並みが今も残っています。昭和の時代も金山で働く人でにぎわっていましたが、1989年の採掘中止後、まちの飲食店や宿泊施設は減少し、金山の見学者も相川を素通りするようになりました。ですから、できるだけ相川に滞留する時間を延ばしたい、できれば宿泊してもらいたいと取り組みを始めました。最初に掲げたのが、まちごとミュージアムというコンセプトです。相川の地域にどっぷりと漬かってもらい、地域との交流により相川ファンを増やす。関係人口の目標を5万人として取り組みをスタートしました」

  • 相川車座社長の雨宮隆三氏の写真

    「佐渡金山が世界文化遺産に登録されたことで、地元の意識や価値観が古いものを生かそうという方向に変わりつつあるように思えます」と、相川車座社長の雨宮隆三氏は語る。

  • ガイダンス施設きらりうむ佐渡内部の写真

    京町通りの町並みの様子を撮影した写真

    宿泊施設の1階ロビーの様子を撮影した写真

    上/きらりうむ佐渡は、佐渡金銀山の歴史をたどれるガイダンス施設。同時に相川地区の観光や飲食店といったまち歩きの情報を案内する。
    中/佐渡金銀山と佐渡奉行所を結ぶ京町通りは多くの商店が軒を連ねたかつてのメインストリート。今も古い町並みが残る。
    下/宿泊施設の1階ロビーは、伝統芸能の披露やバザーなどのイベントの場にもなり、子どもたちが見学に来ることもある。

佐渡金銀山ガイダンス施設のきらりうむ佐渡にある金銀山の歴史展示も含め、観光施設の共通チケットを販売し、一帯の回遊を促す。古民家を活用した5棟9室の宿も、まちごとホテルをうたい、チェックインの受付はきらりうむ佐渡が担う。ウエルカムドリンクは近所の酒販店やバーで楽しみ、夕食は周辺の飲食店を利用してもらう。宿泊客をホテルに閉じ込めずに、できるだけ地域との関わりを増やすのが基本コンセプトである。

「普通なら宿泊施設が担うことを、うちの宿はまちの人にお願いすることで、地域の店舗や施設へと足を運んでいただきたいと考えました。従業員は地元の若い世代を中心に15人ほどがアルバイトですが、核になって働いてくれる人も育ち、いろいろな提案も出てきます」

今後は、冬の来島を促すためにノドグロなど食の魅力を強くアピールし、地域一帯のさらなる整備も求められると話す雨宮氏だが、宿の開業以来、変化を実感していると顔をほころばせた。

「新しい取り組みゆえに最初は、なかなか地域でも理解いただけない部分もありましたが、開業するとずいぶん変わりました。宿の周辺の店舗にお願いして地域のお店にお客様をご案内すると、お店の人や、居合わせた地元住民も、親しく交流したり、中には一緒にはしご酒するなど温かいもてなしの輪が自然に生じています。われわれからお願いしてということでなく、佐渡の人の良さですが、ご近所づきあいの延長なんです。それが宿の高評価につながっているのをうれしく思っています」

  • 北沢浮遊選鉱場のコンクリート施設と、併設されたカフェの様子を撮影した写真

    金銀鉱石の処理能力から昭和初期には東洋一とうたわれた北沢浮遊選鉱場(きたざわふゆうせんこうば)。廃止後は時の経過により、今では巨大なコンクリート施設を緑が覆う。史跡内に地元のまちづくり団体の発案でカフェが設置されている。

  • 道遊の割戸の遠景写真

    佐渡の金鉱の記録は今昔物語の時代にさかのぼるが、本格的な開発が始まったのは江戸初期。「道遊(どうゆう)の割戸(わりと)」はその時代に露出した金鉱を掘り下げるうちに山頂部がV字に割れてできたという。周辺の史跡・施設は江戸期から明治期にかけての採掘・製錬技術の発展や人々の営みを語る。1989年に金山は休山した。

日本酒造りを学ぶ場で海外に広がる人のつながり

佐渡島に点在する5軒の日本酒蔵も観光客を引き寄せるが、創業1892年の尾畑酒造が手掛ける「学校蔵」は学ぶ場として多くの人が集うのが興味深い。廃校となった旧西三川(にしみかわ)小学校を再活用して、2014年に二つ目の酒蔵として再生させたという。最初は免許の関係からリキュール類を製造していたが、2019年には清酒特区第1号として日本酒の製造を開始した。冬は本蔵で寒仕込みを行うため、学校蔵の仕込みは夏に行う。原材料はオール佐渡産で徹底しており、相田氏の取り組む認証米も積極的に採用している。スタート直後から酒造りの体験プログラムを始めたと話すのは、五代目蔵元である尾畑留美子氏だ。

「学校蔵での仕込みに参加するコースですが、海外の方の申し込みが多いんです。日本酒の国内消費量は減少傾向にあるものの海外への出荷量は増え、当社でも20カ国に輸出しています。日本で味わった酒に魅せられ、帰国後も楽しみ、さらには好きが高じて自分でも酒造りに関わりたいと思って再来日する。学校蔵は世界に日本酒が広まっていく、循環の一部になっていると思います」

  • 尾畑酒造五代目蔵元の尾畑留美子氏の写真

    「学校蔵はスタートアップの意識で取り組んでいます。五代続く老舗ではありますが、それぞれの代であらたな挑戦を積み重ねてきました。次の世代にも期待しています」と語る、尾畑酒造五代目蔵元の尾畑留美子氏。

  • 学校蔵に併設されているカフェ内部の写真

    夕景を望めるカフェは、旧西三川小の職員室だった空間。卒業生が訪ねて来られるように、母校として守っていきたいと、尾畑氏は話す。

2023年から北米酒造組合(SBANA)との連携プログラムが始まり、2025年からは新潟大学日本酒学センターと連携した外国人向けの「日本酒学プロフェッショナル人材養成プログラム」も始まった。深夜に及ぶ作業にも携われるよう、宿泊スペースも設けられている。

学校蔵での学びは、酒造りだけではない。2014年以降、「佐渡から考える島国ニッポンの未来」をテーマとする特別授業が毎年行われ、こちらも国内外から講師や受講者が集まる。東京大学と芝浦工業大学のサテライト研究室も誕生した。尾畑氏は、学ぶ人と地域の人が出会える場が欲しいとの思いから、旧職員室を利用してカフェを設けた。

「蔵やカフェでは移住者も働いていますが、佐渡の人ともうまくとけ込んでいるように思います。その昔、佐渡島は貴人の配流の地でした。その後も、島外の人がもたらす情報や文化が大きな恵みを与えてくれたという記憶が、われわれのDNAに刻まれているのかもしれません」

酒造りの副産物である酒かすのカフェでの有効利用、太陽光パネルの導入など、学校蔵では資源とエネルギーの循環も大切にし、持続可能な酒造りを心掛けてきたという。かつて「日本で一番夕日がきれいな小学校」と評された、美しい眺めも引き継がれている。

トキが復活した島を次の世代につなぐ

佐渡島は、学名ニッポニア・ニッポンとして知られるトキが今でも飛び交う土地でもある。2003年に日本産トキが絶滅したが、その後、中国産の繁殖などにより個体数を増やし、今では島内に約600羽が野生で暮らす。渡辺市長が、トキのいる佐渡の暮らしについて静かに語る。

トキの森公園で水辺に佇むトキを撮影した写真

トキの森公園。飼育されたトキを間近で見学でき、展示資料館でトキの詳しい生態や野生復帰の取り組みを知ることができる。

「トキは島の象徴でありつつも、今では島の日常的な存在です。空を飛ぶ姿を見ると、平和だなあ、佐渡はいいなあと思いますね。そんなトキが住む自然豊かな環境で、民間企業のビジネスを後押ししながら地域の持続可能性を高めていくのがわれわれの目指すところです。小さなことですが、この新しい市庁舎でも積極的に脱炭素に取り組んでいます」

数々の挑戦は、市の職員にも前向きな影響をもたらした。

「民間企業に知恵を出してもらい、それを支援して具現化するのが行政の仕事だと、就任以来、職員に語ってきました。かつての自分にも重なるところがありますが、職員は、地域のために霞が関の省庁に自ら交渉に赴くことにもためらいがなくなっているようです。民間企業の皆さんと話し合う機会も増えて、職員の意識が変わってきていると思います」

職員のアイデアから、新規の取り組みも生まれた。その一つが、「島の推しごとグランプリ」。

「高校生が地元企業を取材し、応援したい推しの仕事を選び、PR記事を作成するコンテストです。島に働く場が増えていることを高校生に知ってもらう、良い機会になっています。また、かつて地元での就職を断念して島を出た学生や社会人に、地元にも働く場ができたと知って戻ってきてほしい。就職サイトでも佐渡の求人が検索できるようサイトの運営会社と連携しています。

金山やトキ、能、鬼太鼓など、佐渡が誇れるものを子どもたちに知ってもらい、地元への思いを継いでいくことが本当の人口減少対策だと思っています」

「佐渡へ佐渡へと草木もなびくよ」と佐渡おけさで歌われた島が、かつてのように人を惹きつける未来はそう遠くないかもしれない。

  • 小木海岸側から海の方向へ向けて撮影した写真。2隻のたらい舟が見える

    小木(おぎ)海岸は島の南西部の景勝地。この一帯は岩礁が多く、たらい舟を使った磯ねぎ漁が行われていた。

  • 宿根木の集落の様子を撮影した写真。石置木羽葺屋根を持つ建物が多数並んでいる

    宿根木(しゅくねぎ)は小木海岸の入江に位置する集落。かつては北前船の交易でにぎわい、船大工の技術をこらした商家や廻船問屋の建物が今も密集する。厳しい海風をしのぐための石置木羽葺屋根(いしおきこばぶきやね)が印象的だ。