インタビュー / 扉を開く
アートで想像力を拡張する
紫舟(書家、芸術家、大阪芸術大学教授)
伝統的な「書」の作品にとどまらず、書と絵画を融合した「書画」、さらに、書を立体化した独自のアート「書の彫刻」など革新性あふれる表現で、日本の思想や文化を世界に発信し続ける書家の紫舟さん。NHK大河ドラマ『龍馬伝』の題字などで知られ、唯一無二の現代アートと称される斬新な作品を生み出しています。最近では、アートの力を用い想像力で人を治す「未来の病院」プロジェクトにも取り組んでいます。その意義やこれまでの歩みについて、語っていただきました。
取材・文 谷 隆一
写真 野瀬勝一
自身の内側を見つめ、おなかの底に眠る「書家」を見つけた
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幼少期はたくさんの習い事をされたそうですね。
紫舟 子どもの頃の私は、何一つ夢中になれるものはありませんでした。夏休みは立派な計画を立てても、やらない、努力とも情熱とも無縁のまま、ただ日々をやり過ごしていました。
だから、雨の日に泥だらけでボールを追う少年や、道端でひたすら楽器を奏でていた少女の姿に、憧れていました。
何かに没頭する輝きは、私になく、しかし、人は誰しも、何かしら才能やセンスと呼ばれるものがあり、夢中になれる何かがきっとあると願い、さまざまなお稽古事に挑戦する、才能を探す旅をしていました。
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書道が自分の才能とは思わなかったのですか。小学生の時に8段まで取られたのに。
紫舟 書は、祖母の勧めで6歳から稽古を始めました。熱心な先生に恵まれ、人より多く練習していただけでした。ただ、幼いながらに、「やればできる」と思える自信の礎になるものを手放してはいけないという思いで、続けていました。自分の道だとは全く考えてもみませんでした。
絵を描くことは好きで、芸術家への憧れを抱いていましたが、なれるわけもなく、口に出すこともありませんでした。
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芸術系の大学には進学しませんでした。
紫舟 高校時代、先生から「美大や芸大は予備校に通わないと合格は難しい。卒業しても食べていけないから、やめた方がいい」と言われ、あっさり自分の夢にふたをしました。
ですが大学時代、初めて没頭できたのが合気道でした。合気道の精神にひかれ、その後の人生を導いてくださる善き師にも巡り合えました。
依然として、才能の矛先を探して、靴を作ったり、ガラス作品を制作しましたが、どこにも才能はなく、芸術家として生きていけるとは思えませんでした。
それで、社会が準備してくれていたレールに乗って、一般企業へ就職しました。
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就職先は3年で辞めています。
紫舟 大きな会社で働き始めると、自分の将来が数字となって見えてきます。10年後、20年後、定年までの人生が計算できる。
それは安心ともいいます。私には、ここは私の居場所ではないと分かっているのに、人生が見えてしまい、計算できてしまうことが不安でした。
当時の私は、よどんだ水たまりのようでした。人生に新しい経験や刺激を加えても、水は澄みきることはなくよどんだまんま。このままだったら、ずーっと、このままだと感じ、石の上にも3年を終えて、会社を辞めました。
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書家になることを決断するまで、100日間かけたそうですね。
紫舟 振り返ると、会社を辞める選択は、人生で初めて自分で下した決断でした。進学も就職も、覚悟はなく選んだ気になっていただけで、本当は決めるのが怖くて失敗もしたくなくてただ流されていただけでした。
子どもの頃から、才能を探し続けても見つからなかったのだから、何かをしながら、ではなく退路を断って、見つけよう。そう決意して会社を辞め、生涯をかけて成すべきこと探しが本格始動しました。
しかし、会社から離れると、看板も肩書も役割も消え、毎日街へ出ても行き先も目的もない。誰からも必要とされない錯覚に陥りながらも、ずっと自分に問うていました。
「私は何者?」
「何が好き?」
「何をしたい?」
「何が幸せ?」
どれも答えられず。結果、分かったことは、私は何もできない、というただそれだけでした。絶望に近い感情でした。
周囲の期待。自信。過信。志。プライド。
それまで自分を支えていたものが、1枚ずつ音を立てて剥がれ落ちていきました。
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そうする中で内側から書家という答えが出てきたということですか。
紫舟 内観を続けて、ちょうど100日目。
自信も過信も手放し、積み重ねてきたものも全て去っていった時、おなかの中のさらに奥底に、ただ一つ残っていたもの。
それが、「書家」でした。
見つけた瞬間、心がふっと軽くなりました。人の心に重さがあると初めて知りました。
私にしか感じることのできないこの感覚を信じて、
「私は書家になる」
と覚悟を決めました。
思えば、6歳で書と出会い、書家を引き受けるまでこれほど長い時間がかかりました。本当の自分にふたをして、見ないようにし、気付かないふりをして生きていたのかもしれません。
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誰かの弟子になるわけでもなく、最初から独力で書家として自立されています。
紫舟 書家になると決めてからは、神戸に小さな事務所を構えました。仕事をご一緒したい方々へ、大きな封筒に墨で宛名を手書き。お金もなかったのでモノクロコピーした書を送り続けました。
3カ月後、当時圧倒的な活躍をされていた浜崎あゆみさんのミュージックフィルムの題字の依頼がきました。
それからは、仕事が仕事を生み、たくさんのご縁をいただけるようになりました。
一筆書きに宿る日本の精神を伝えるため、書を立体化へ
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ご自身の中で特に印象に残っている作品はありますか。
紫舟 書の役割を、書から教えられたことがあります。それが「日本一心」です。
東日本大震災から1週間後、テレビが通常番組へ戻る節目に、テレビ局から書のライブパフォーマンスの依頼がきました。
震災直後は、日本は深い悲しみと不安の中にあり人々は支え合い助け合っていました。1週間たつ頃には、誰かを責める言葉や行き場のないいらだちが社会に広がり始めました。国難に必要なのは、誰かを責めることでも、分断でもない。多くの人々の心を一つにし、力を合わせること。そんな言葉を探したのですが見つからず、新たに造ったことばが、「日本一心」でした。
この書はCOMPLEXをはじめ、多くのミュージシャンや企業、団体の方々に用いられ、復興支援活動へとつながり、被災地には多くの寄付が届けられました。
私は、書家でいながら、初めて書の役割を知ったのです。
よい書は、人々の心を動かし、人々を一つに導き、社会を動かす力がある。その書の持つ力を、「日本一心」は教えてくれました。
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紫舟さんのすごいところは、書くことにとどまらず、書の彫刻、書のキュビズムということで、書道の世界を違う形で表現したことです。
紫舟 海外で、大きな壁にぶつかり、「評価されること」と「伝わること」は、まったく別だと思い知らされたことがきっかけでした。
最初の展示はイタリアで、周到に準備を重ね、自信を持って臨みました。拍手喝采を受けながら、その拍手は「極東アジアには黒と白の文化があるのね」という文化の域を超えないもののように私は感じました。
成功のようにも見えましたが、帰りの飛行機で、なぜか涙がこぼれました。悔しかったのでしょう。それから、なぜ伝わらなかったのかを真剣に考えるようになりました。
そして一つの答えにたどり着きました。例えば欧米の方は、書道を見て「輪郭を描き、その内側を黒く塗った」「何度も塗り一本の線をつくった」と受け止めます。それは彼らの文化=油絵では筆を重ねながらそのように描き、修正しながら完成へ向かうからです。
一方、書は一筆です。同じ線を二度引き直すことはできません。このように創作の前提が異なるため理解されない、書道の本質が充分には伝わっていないことに気付きました。
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確かに西洋の油絵と書は根本的に違いますよね。でも、どうしてあのような表現を始めたのですか。書を立体化しようなんて普通の人は考えつかないと思います。
紫舟 西洋が塗り重ねた「結果」を重んじるなら、日本の一筆書き文化は「過程」にこそ価値を見いだします。結果に至るまでに培われる集中力、忍耐力、高い精神性、過程が全て。結果にたどりつく道こそが学び。それこそが日本の「道」の文化です。書道、茶道、武道と、我々に受け継がれてきた道文化です。
では、その精神性を言葉の通じない人にどう伝えるのか。
そこで、文字の歴史をさかのぼり、甲骨文字が平面ではないことに気付きました。紙が生まれる以前に文字は誕生し、文字は骨に刻まれていました。文字の本来の姿は立体だったといえます。文字は平面という常識は、思い込みでした。
そしてたどり着いたのが、書を立体化するという発想です。一筆で書いた軌跡を一本の彫刻とし、筆圧は奥行として可視化していく。
こうして生まれた3次元の書は、文字が読めなくても、筆がどこから入り、どこで止まり、どこを強く押したのか視覚で読み取ることができます。紙に定着していた書では伝わらなかったものが、立体にすることで伝わり始めました。
多面方向から鑑賞できるこの作品を、「書のキュビズム」と名付けました。日本人が千年以上育んできた高い精神価値を、世界に伝えたい、その一心から生まれた表現です。
アートの力で人々を治す「未来の病院」プロジェクト
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新しい表現で世界に書を広めてこられた紫舟さんですが、最近はどういう活動に力を入れているのでしょうか。
紫舟 はい。最も力を注いでいるのは、「未来の病院」プロジェクトです。
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活動のきっかけは、ご自身のアトピー性皮膚炎の完治だったと聞きました。
紫舟 ある日、都心の大病院で診察を受けながら、幼稚園の頃から同じような治療を受けていることに気付きました。このままでは一生治らないと思い、別の方法を試したところ、1カ月で完治したのです。治るんだと知りました。そこで、まずは自ら医学論文や臨床研究を100本読み込み、データとエビデンスから導かれた知見を、医師や科学者とともに、互いの専門領域に踏み込むことで、新たな解決の糸口が見つかり始めたのです。
処方箋にアートが記される、「未来の病院」プロジェクトが始動しました。
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不安をなくすとか、幸福感を高めるようなことでしょうか。
紫舟 例えば、多くの不調の原因になるストレスは、不安や恐れから生じます。その不安や恐れの発生には人の想像力が関与します。想像力で傷ついたのであれば、想像力で癒やすことはできるのではないかと。
想像してください。右手でお箸を持ち、左手で梅干し壺のふたを取る。大きな梅干しをつまみ、口元まで持ち上げる。そして、梅干を食べる……。どうでしょう。
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なんだか、酸っぱい味を感じますね。
紫舟 唾液はあふれ、すっぱさに全身が反応します。ですが私たちは梅干しを実際に見たわけでも、口にしたわけでもありません。身体は、想像をしただけで、本当に食べたときと同じ反応を起こしました。これが、私たちに授けられた奇跡の能力、「想像力」です。
想像しただけで体が反応するなら、想像力で人を治すことができるのではと考えました。
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想像力の可能性を感じます。
紫舟 「未来の病院」は想像力で、自らを治す。
その処方箋に記されたのは、「アート」。
将来、病院で医師が処方箋を書くとき、「このアートを体験してください」と記す、新時代を迎えたい。すでに幾つかの作品は完成し、多くの方に体験いただいています。
想像力は普段、何に使っていますか? あの人に傷つけられたと想像していませんか? イヤだイヤだと嫌なことばかりを想像していませんか?
それらに想像力を使うと、不安は増幅し、負の感情はモンスターのように肥大化し、ストレスはキラーストレスへと変わってしまいます。
それらを手放すために、自作の「地獄絵図」を護摩の炎でたき上げるアートプロジェクトを行いました。負の地獄のような心にすくった感情を燃やし尽くす処方箋「地獄絵ぼんしょうだいごまく」。
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奈良県吉野ちょうの世界遺産・きんぷせんじで2023年に行った活動ですね(注1)。
紫舟 地獄絵図が、僧侶によって焚かれ、高い火炎に包まれる。
参列者には目の前で燃えゆく地獄絵図を見ながら、心の中の負の感情が燃え尽くされ消滅するイメージを持ってもらいました。のけ反るほどの熱さは容易に想像力を導きます。お焚き上げ後、参列者の多くのお顔には、晴れ晴れとした笑顔が広がっていました。
- (注1)金峯山寺「地獄絵梵焼大護摩供」 / 戦争や疫病、人々の心の中の地獄を焼き尽くすことを願い、2023年10月21日、15メートルに及ぶ「地獄絵図~四連作」を金峯山寺で焚き上げた。
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それらの活動はアート作品を創作することとは少し性質が異なりますね。
紫舟 考えてみますと、書が1300年以上続いてきた理由も同じでした。
便利な道具が次々と生まれてもなお、人は「書道」を手放しませんでした。それは書が人間の心に寄り添い、精神性に寄与するからです。
例えば、写経。大切な人を失った深い悲しみの中で筆を運ぶとき、人は「苦しみ」からその間解放されます。筆の持つ集中力であり、書の心を整える力です。
ところで、家族や大切な人と連絡を取るとき、LINE、電話、ビデオ通話のうち、どれを一番利用しますか?
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LINEが一番多いです。
紫舟 平安時代、人は思いを伝えるのに文を交わしていました。声を聞きたいと電話が発明され、顔を見ながら話したいとビデオ通話まで開発されました。今や無料です。ところが、結局人は、「文を交わす」に戻っています。テクノロジーが発展しても、私たちは文字を読む、書く渇望があるのでしょうね。
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ラブレタープロジェクト(注2)もなさっていますよね。
紫舟 日本は豊かです。さまざまな手段で人とつながれる時代です。にもかかわらず、多くの人が孤独を感じるのはなぜでしょうか。その処方箋が毎年秋に20年連続開催している書のワークショップ「ラブレタープロジェクト」です。
日本人にはなじみがあり集中しやすい筆で、人を孤独から切り離します。
ワークショップの参加者は、誰しも誰かに必ず愛されていることを思い出しながら、同時に自分も誰かの支えになっていることを思い出します。最後に大きな和紙に大切な人へ言葉をつづる。感謝や愛情をことばにし、筆を通じて自らの手で書いていきます。会場では、あたたかな涙が流れています。
- (注2)ラブレタープロジェクト / 大切な人への思いを書にするワークショップ。毎年10月に恵比寿ガーデンプレイスで開催しており、今年で20周年を迎える。
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芸術家を目指す次世代へのメッセージはありますか。
紫舟 自分の中からあふれてくる思いに、耳を傾けてみてください。答えは外ではなく、自分の内側にあります。
そして堂々と顔を上げ、自分の人生を生きてください。
「自分を誇りに」
- 本日は、ありがとうございました。
(聞き手 / 情報サービス局長・村國 聡)
