エッセイ / "おかね"を語る
私が知っているお金
ティムラズ・レジャバ(駐日ジョージア特命全権大使)
社会人1年目、私は慣れないながらも懸命に仕事に向き合っていた。終業後はしばしば、学生時代の友人たちとサラリーマンの街・新橋の居酒屋をはしごし、近況について語り合った。ある月の給料日前日の24日、私は例によって数名の友人と遅くまで飲んでいた。そして、〆(しめ)の一軒に行くときのことだった。その月はジョージア人の来客があったり、いろんな会に顔を出しすぎたせいでお金は底をついており、〆の一軒の予算をどう工面するか悩んだ。そこで時計を見ると、あと少しで12時を回ることに気が付いた。給料日だから口座にお金が入っているかもしれないと、無茶な希望が生まれた。酔っていなかったらそんなことは思いつきもしなかっただろう。「お金をおろすから先に行って」と友人たちに言うと、ニュー新橋ビルのATMに行ってみた。残高を調べたところ、20万円ほどの金額が表示された。まさかとは思ったが、午前0時過ぎの時点ですでに給料が振り込まれていたのだ。ジョージアや他の国では給料が数日遅れることは決して少なくはない。それだけに、日付が変わってすぐに給料を振り込んでいた会社側の姿勢に並々ならぬ威厳とともに社員を思う温かみを感じさせられた。
絵・江口修平
さて、ジョージアは独自の通貨ラリ(
)を使っていることを私は誇りに思う。歴史上の人物が描かれていて、間違いなく国のひとつのアイデンティティーだ。ジョージアの国民的な画家「ピロスマニ」は貧しいまま死んでいった。ジョージアのもっとも価値の低い1ラリ札にはピロスマニと彼の代表作の鹿がプリントされている。ピロスマニは、我々に経済的な豊かさだけではなく、心の豊かさが重要だと教えてくれた。
私の祖父は私が小さいころから、私が成人したときに新車が買えるようにと毎月毎月コツコツと一定額を積み立てていた。その貯蓄も、ジョージアの政治的な動乱によって通貨制度が変わり、文字通り水の泡となった。私は祖父が大好きだった。彼は小さい頃私に魔法の財布を与えた。その財布のお金を使って決まったところに戻しておくと、不思議とお金がまた入っているのだ。「お金は使うものだ」と、彼は私に教えた。おかげで、今は浪費癖に悩むことがたまに(割と頻繁に)ある。
他にもお金にまつわるたくさんのエピソードが頭をめぐる。お金というのは何も経済学に限ったものではないんだ。お金は、人と「もの」や「こと」を媒介する存在であるのと同時に、様々な思い出や教訓の奥に潜んでいるものなのだと発見した。
